31 青銅巨人ダイダロス
ガーナーゲート砦にやってきて七日が経過した。
リュカは厨房仕事の手際が格段に上がっていた。
料理長に怒鳴られ、べそをかく頻度も減った(ゼロではなかったが……)。
リュカはすっかり砦の一員として馴染んでいた。
同様に、リュカ以外の兵もまた、共通の敵の打倒を志し、共に汗を流し、食卓を囲うことで、砦内では強固な結束が生まれていた。
しかし――日に日に胸襟が開かれていくガーナーゲート砦において唯一、隔意を示し続ける者がいた。
遍歴騎士と吟遊詩人と同時に、傭兵として雇用された流浪の錬金術師――アルフォンタス・ツギオストロである。
老人の声帯と幼女の肉体を持つ不可思議な錬金術師は、平時において自身の仕事を受け持っていない。
砦の外に鎮座する青銅巨人の近くで腰を下ろし、まるで自分自身も像になってしまったかのように、身じろぎせず居座り続けていた。
駐屯兵や義勇兵の間では、アルフォンタスについて様々な憶測が飛び交っていたが、声をかけようとする者は、誰一人いなかった。
女性を見れば花に吸い寄せられるミツバチの如く、甘言蜜語で口説き出すヘリワードでさえ、アルフォンタスだけは何故か遠巻きに見るだけにとどめている始末。
そんな彼女(もしくは彼)に食事を届けるのも、厨房の下っ端――リュカの役割であった。
「あの、お昼ご飯……持ってきたのですが……」
「そこに置いておけ」
アルフォンタスはそっけない態度で、視線を向けることなく、頭巾の奥から吐き捨てる。
白パン、スープ、香辛料(料理長お手製)のまぶされた干し肉を乗せた膳を、あまりにも顔立ちが整い過ぎている召使いが、恐る恐る地面に置いた。
オクスフォード領は肥沃な土地に恵まれた農耕地域であり、領都に溜め込んだ囷から適切に、各拠点に輸送される。
そのため、このような辺境の拠点にも十分な糧秣が届き、義勇兵は毎日のように白パンを食べられているのであった。
しかしアルフォンタスは、育ちが良いのか食に関心を持たないのか、白パンを前にしても即座に膳に手を伸ばそうとはせず、鬱陶しそうな目線を頭巾越しにリュカに送るばかりであった。
「あの、アルフォンタス卿、ひとつお尋ねしてもよろしいですか?」
「卿などと呼ばれる身分ではない。既に語ったと思うが、既に家からは破門されておる」
「では、アルフォンタスさん」
「なんじゃ?」
「どうしていつも、砦の外にいるのですか? 皆と一緒に食事をした方が、楽しいかと思います」
「馴れ合うために来たのではない。金を稼ぐために来たのじゃから、そのような必要はない。それに――青銅巨人に悪戯を働かされたり、盗まれたりしてはたまらないからのう」
「(誰もこんな大きいのを盗まないとは思いますが……)」
まず、持ち上げるだけでも手一杯であろうし、アルフォンタス以外の者からすれば、趣味の悪い青銅製のオブジェでしかない。
リスクに対してリターンが見合わないデカブツを偸盗する物好きはいないと思うが、アルフォンタスからすれば、立派な商売道具である。
アイゼにとっての剣であり、ヘリワードにとってのリュートである。
そう考えれば、アルフォンタスが青銅巨人の近くにい続けるのも納得であり、部外者が余計な気を利かすのは、お門違いであると自重した。
「それじゃあ、砦の中に入れておけばよいのではないでしょうか?」
「手足を展開すると、ギリギリ門に入らぬ大きさでな、よしんば入ったとしても、敵が攻めてきたとき再び外に出すのに難儀するんじゃ」
「なるほど」
「これ以上孺子の戯言に付き合う義理はない。早う去なぬか」
「あの、もう少し、このダイダロス……を、見ていてもよいですか?」
「ほう……良い趣味をしておるな」
リュカが青銅巨人の固有名詞を覚えていたのを見て取ると、アルフォンタスは頭巾の奥で目の色を変えた。
酔狂な下働きとの四方山話に、もう少しだけ付き合ってやろうと思った次第である。
狷介を貫く偏屈爺と言えども、自身の作り上げた作品を承認される喜びには抗えないものである。
それに、無口で頑迷な親父ほど、一度口を開けば流暢にあれこれ語り出すのも、世の理なのであった。
「娘御の癖にダイダロスの洗練された意匠の良さが分かるとは。大したものじゃ」
「アルフォンタスさんだって、女の子じゃないですか」
「ワシはこう見えても、精神は齢100を超えた男じゃ」
「100歳!?」
気をよくしたアルフォンタスは、怪奇極まる肉体の神秘の一部を明かした。
とはいえ、リュカも性別を偽っている身であるため、その仔細について深く追求することはしなかった。
「して砂利ン子、ダイダロスのどこが気に入った」
「普段は手足が折りたたまれていますが、動き出すと滑らかに可変する所と、その際に目に当たる部分が赤く光る所です」
「ほう! ロマンを分かっている! どれ、特別じゃぞ? ダイダロスの肩に乗せてやろう!」
「いいんですか!?」
以前までとは一変。
好々爺然とした態度に改めた錬金術師は、深々と被った頭巾を剥いだ。
そこから現れた、子猫を思わせる典雅なかんばぜには、飴玉を貰った幼子のような笑みを浮かんでいる。
「(わたしがダイダロスに興味があったのは確かだけど、まさかここまで心を開いてくれるとは……本当は自分から声をかけるのが苦手なだけど、寂しがり屋なのだろうか?)」
リュカはそんな事を思ったが、勿論口に出して指摘するような、無粋な真似はしない。
喜んでアルフォンタスの厚意に預かることにした。
「ふんす!」
赤い瞳を持つ幼女が、金色の猫毛を揺らし、やおら腰を持ち上げる。
彼女が眉宇に力を込めると、腕に刻まれた刺青が赤い光彩を帯びた。
――ズズ。
――ズズズ。
――ズズズズ。
「お、おお!」
一週間ぶりに動き出す青銅巨人に、リュカは目を輝かせた。
そして起動した青銅巨人は、大きな手の平をリュカの足元に寄せた。
普段手足が折りたたまれていることもあり、起動すると背丈は倍近くなる。
すっかり見慣れていたと思っていたオブジェだが、その巨躯から放たれる圧は相当なものだ。
リュカは恐る恐る、しかしそれ以上の好奇心を抱き、その上に乗ると――ダイダロスは手の平を持ち上げ、約束に違わずリュカを肩の上に乗せたのであった。
「うわあ!」
地面が遠ざかっていくと同時、空が低くなる。
開けた視界を前に、リュカは歓声をあげた。
青銅巨人の全長は10メートルにもなり、オクスフォード領の平野が一望できた。
南の草原地帯の地平線の先には、アッシェン領との境がかすんで見える。
北の方角には、青々とした穂の付けていない麦畑となだらかな丘が広がり、その更に向こうにヨバ山脈の稜線が青く横たわっていた。
「よし、こんなもんじゃろ」
「えっ?」
そう言うとアルフォンタス――子猫然とした笑みを剥ぎ取り、毒蛇を喰らう麝香猫然とした凄惨な笑みに切り替えると、青銅巨人に新たな指示を与える。
ダイダロスは親指と人差し指で輪を作り、リュカの襟首を器用に摘まみ上げると、そのまま空中に吊り下げ、近場のオークの木の枝に乗せて――リュカを放置して元の位置に戻ってしまった。
アルフォンタスのタトゥーも光彩を失い、ダイダロスも手足を折りたたんで沈黙する。
「あのっ! アルフォンタスさん! お、下ろしてくださいっ!」
「腹が減ったのでの、食べ終わるまでそこで待っておれ、カカカっ!」
そこでようやくリュカは、自分があの老爺に揶揄われたことを悟る。
リュカには木登りの経験がなく、とても一人で降りられそうな高さではない。
木の幹を抱きながら涙目になって助けを求めるリュカを肴にしながら、アルフォンタスは嗜虐的な笑みを浮かべ、ゆっくりと昼食を食べ始めたのであった。
アルフォンタスがダイダロスの造形を褒められて気をよくしたのは確かだが、いたいけな童女に意地悪を施す趣味も持ち合わせているのである。
その後リュカは、どうしても降りられないことを悟り、青薔薇の宝珠による思念による伝達の権能を発動させ、砦内にいるアイゼに救援を求めた。
昼食の白パンを放り投げ、おっとり刀で駆けつけたアイゼは、一を見て十を把握した。
俊敏な身のこなしでリュカを救出すると、そのまま猫っ毛の幼女へ鬼の形相で詰め寄る。
それを飄々と受け流しながら、アルフォンタスは食事を続ける。
「貴様ぁ! よくも殿――じゃない……私の従者に狼藉を働いてくれたなぁ!」
「アイゼ……じゃない、師匠! もう平気です! もう大丈夫ですからっ! ちょっと揶揄われただけですからっ!」
今にも抜剣して切りかかろうとするアイゼを、当の被害者であるリュカが、彼女のマントを引っ張って、必死に止める不思議な構図が出来上がったのであった。
砦の中で唯一、周囲に壁を作る、老爺とも幼女とも取れない錬金術師。
同じ釜の飯を食う同志として、少しでも距離を縮めたいと願ったリュカの計らいは、果たして奏功したのか否か?
少なくとも、悪戯を働かされたとはいえ、これまで無関心を貫いていた偏屈爺が、能動的にアクションを示したことだけは確かであった。




