30 井戸端会議
王子一行が身分を隠してガーナーゲート砦に赴いてから、早三日が経過した。
アイゼは義勇兵の指揮官並びに教育顧問に任命され、彼女の鍛錬のかいあって、日毎に義勇兵の練度は上達していた。
その一方で、リュカも厨房の下働きにも慣れてきた。
同輩のエフィとは、初めてできた友人でもあり、多忙ながらも充実した日々を送っている。
無論、それでも料理長から毎日のように叱責を受けていることに変わりないのだが……。
本日も――
「こらぁ新入り! 包丁で指切ったくれえでピーピー泣くんじゃねぇ! 兵隊の方々は戦いになったら腕まで千切れるかもしれない中、逃げずに訓練に励んでくれてるんだぞ! 申し訳ないと思わねぇのか!!」
――兵隊長と言われても信じてしまいそうな、強面の料理長に怒鳴られていた。
「ったく使えない新人だぜ。血が食材についたらダメになっちまう。ここに軟膏があるから、エフィに塗って貰え!」
「(指が切れた程度で涙ぐんでしまい自分が情けない……だが、アイゼはこんなのとは比較にならないくらいの手傷を負ってきたのだ。王族としてへこたれる訳にはいかない!)」
料理長は確かに強面で峻厳な性であったが、それでも冷酷な訳ではなく、説教の理由は常に理に叶っていた。
故にリュカは腐ることなく真摯に受け止め、その甲斐があり、調理の技術のみならず、文弱な性根を叩き直されていた。
それは君臣という関係上、どうしても忖度を挟んでしまうアイゼには出来ない役回りであった。
「(とはいえ……痛いものは痛い……うぅ)」
リュカに軟膏を押し付けた料理長は、自身の持ち場に戻り、目にも止まらぬ包丁さばきで、食事の下準備を再開したのを見て、リュカは堪えていた涙で大粒の碧眼を滲ませた。
「ほらほら。泣かないでリュカちゃん。軟膏塗ってあげるから」
それがリュカの頬に零れる前に、人差し指で拭ったのは、黒髪を肩口で切禿にした少女。
リュカより数日早くここへ来た、姉気質の同輩エフィである。
彼女は水瓶から汲んだ水でリュカの傷口を洗い流し、軟膏を塗り、千切った包帯を巻き付ける。
弟が三人いるということもあり、泣きじゃくる子供の相手には慣れたものだった。
「大丈夫大丈夫。むしろリュカちゃんは凄いよ。三日で包丁触らせて貰えるんだもん。あたしは一週間かかったよ?」
「ユフィ! 新入り! 瓶にもう水が残ってないぞ! 井戸から汲んでこい!」
「はーい! 行こう、リュカちゃん」
「……う、うん」
リュカはユフィに手を引かれながら、桶を持って砦内にある井戸へ向かったのであった。
***
井戸の水を厨房の水瓶に移すのは、新入りが担当するのがこの砦のしきたりであった。
しかしリュカの細腕では、「水瓶を一杯にするまでに日が暮れてしまう」と言われ、二番目に新入りであるユフィと二人で行うのが常であった。
同時にそれは料理長の目から逃れ、リュカとエフィが四方山話に花を咲かせる絶好のサボタージュの時間でもあった。
文字通りの井戸端会議である。
対人経験に乏しく、人の真意を計るのが苦手なリュカには与り知らない事であったが――エフィはそれを、子供二人に休憩時間を与える料理長の粋な計らいであることを理解している。
故にエフィはゆっくりと時間をかけ、勿体ぶるように釣瓶を繰りながら、リュカとの雑談の時間を満喫していた。
「おっ! リュカちゃんとエフィちゃん! 精が出るねぇ!」
「あっ! 義勇兵のおじさん、こんにちは~!」
「トマスさん、こんにちは」
「おっと、オレの名前を覚えてくれてるのかい? よく大勢の義勇兵の顔と名前を覚えらるね」
「はい、記憶力はいい方なので」
奇しくも練兵を行っている義勇兵の休憩時間とも重なっていたようで、二人で協力しながら水を汲んでいる子供達の姿を認め、一人の中年男性が近づいてきた。
リュカとエフィは、食事の際の給仕仕事も担当しており、食堂広場を駆けまわっては、切り分けた食事を運んだり、エールのお代わりを注いだりしており、その真摯で懸命な姿から、義勇兵からも駐屯兵からも覚えがいい。
一方リュカも、幼少より動物の顔を覚えるのが得意だった。
これまでは対人関係が浅かった故に、気付かなかった才能なのだが――リュカのその記憶力は動物だけでなく、人間の顔の識別にも発揮することに、本人もつい最近気づいた。
故にリュカは一目で、彼の名前を出すことが出来たという次第である。
「お水、飲みにきたんですよね?」
「ああ、ありがとう」
井戸屋形には水分を補給しにきた駐屯兵のために、取り付けられた鉤に木杯が吊るされている。
リュカは汲んだばかりの釣瓶の水を木杯で掬い、義勇兵のトマスに差し出した。
「ごくごく……ふぅ、疲れた身体に冷たい水が染みるよ。ありがとうね、リュカちゃん」
「いいえ、とんでもないことです」
「いやー、リュカちゃんはお利口で可愛いね。オレの娘も、君くらいの年頃の時は、こんな風に可愛かったんだけどなぁ」
リュカは王族由来の秀麗な顔立ちと、小動物のような愛嬌から、砦にて二枚看板の片翼を担う人気を誇っている。
ちなみに、もう片方はエフィである。
しかし――だからと言って、故郷を離れて男所帯の環境で無聊を持て余した義勇兵から、夜間によべこきに遭うことは一切なかった。
理由は至ってシンプルである。
「もう一杯、お代わりを貰お……あ、いや、そろそろ訓練に戻らないと! じゃあ!!」
トマスは勿怪の幸いと、若い娘(正確には少年だが)との会話に鼻の下を伸ばしていたのだが、リュカの背後――すなわちトマスの正面から放たれた、ただならぬ殺気を受け、逃げるように訓練場に駆けていった。
訝しりながらリュカが振り返る。
悪魔も裸足で逃げ出しかねない形相で、トマスの背中を睨みつけていた騎士がいた。
――アイゼリーゼ・アイゼンハルトである。
それを見てリュカは全てを察した。
アイゼは砦内で鬼教官として恐れられており、義勇兵や駐屯兵は愚か、城代騎士ケインの部下である従騎士でさえ震えあがる女傑の地位を獲得していた。
そしてリュカは、表面上はアイゼの従者であるが――その実体はお気に入りの寵童であるのが公然の事実となっており、それがリュカに悪戯を働く者がいない理由であった。
リュカとアイゼは、取り沙汰された飛語に眉根を潜めはしたものの……。
リュカが王弟ヨハンの謀反によって王都を追われ、逃亡中の王太子である真実の隠れ蓑に出来るのであればと、その誤解を甘んじて受け入れ、無理に訂正しなかった。
人は自身の推理で当人の秘密にたどり着くと、それこそが正しいと信じて疑わない生き物なのである。




