29 初めての友達
【前回のあらすじ】
無事ガーナーゲート砦にて、傭兵として雇われることになった王子一行。
彼らは早速、隣領からの侵略に備え、砦での仕事に取り掛かるのであった。
ガーナーゲート砦に三人の傭兵が赴任した翌日。
早速、砦では民間より集結した義勇兵の練兵が始まった。
砦内の修練場に方陣を作るように、義勇兵が一定の距離を取って集結し、慣れない革鎧を着ながら、剣の型の動作を延々と繰り返している。
その顔つきは真剣そのものであり、朝靄の中に立ち込める汗と土埃で賑わっていた。
「城門が破られて乱戦になった場合、弓と槍も使い物にならなくなる。その時に貴様らの命を守るのは剣だ。だが実際の戦場において、貴様らが今現在繰り返している型通りに刃が振るわれることはまずないだろう。だが、その型を体に染み込ませることは、貴様らの命を繋ぐ一助となるだろう」
方陣の前方に立っているアイゼが声を張り上げ、時にたるんだ動きの兵の頬を張り上げながら、指導に当たっている。
一方砦の外では、城代騎士のケインが弩の指南を行っていた。
「矢の巻き上げは速やかに行え! アッシェン領による侵攻が来るまでに、貴様らには今の倍の速度で矢を巻き上げられるようになってもらう。倍の速度で巻き上げれば、倍の量の矢を放てる。つまりハアト人の右目だけでなく、左目も貫けるという訳だ!」
クロスボウは弦を引き絞った状態を固定でき、トリガーを押すだけで発射することが出来るという点においては長弓よりも優れており、弓の心得のない者であっても、操作手順さえ覚えれば十分に運用できる利点があった。
しかし同時に、矢を装填するのに時間がかかるという欠点も持ち合わせており、それを一秒でも短くするため、義勇兵達は慣れない作業に悪戦しながら、懸命に鍛錬を続けていた。
一方――その反対側の門の外では、ヘリワードが弓術の指南を行っていた。
クロスボウは製造コストがかかり、数が限られている。
そこで弓の心得のある者には、クロスボウではなく弓を取らせているのである。
「弓の業は一朝一夕で身に付くものではございません。しかし防城戦において、必ずしも敵の急所を的確に狙う必要はありません。兵ではなく軍という面で捉え、狙撃ではなく斉射によって侵攻を妨げるのです。そのために、狙いを定める業は二の次にして、弓を力強く引き絞るための訓練を中心に行って貰います」
そのようにして――一芸に秀でた武芸者を迎え入れた砦では、厳しい訓練が日夜繰り広げられたのであった。
***
その一方――我らが王子、リュカ・ローゼンベルクが何をしているかと言えば……。
「おい新入り! もっとよく擂り潰せって言ってるだろ! こんなんじゃ舌触りの良いソースになんねぇよ!」
「ひぃ! すまな……じゃない、ごめんなさいっ!」
――砦の一階部分に設えられた厨房にて、下働きをしていた。
ガーナーゲート砦では、とにかく人手が不足している。
しかし、王子であるリュカに前線に立って戦う術を教える訳にもいかず、かといって何もしないでいるのは本人の性が許さず、結果――身分を偽って下働きとして働いているのであった。
勿論アイゼは反対の意を示した。
しかし――
『わたしは王宮を脱し、アイゼと共に旅に出るまで、世の中のことを何一つ理解していなかった。なぜ貴族が贅沢な生活が出来るのに対し、庶民が困窮しているのかも知らなかった。庶民がどのような生活を送り、どのようなものを食べているのかすらもだ。王弟ヨハンは諸侯から支持を得て勢力を拡大している。なればわたしは民の支持を得て玉座を目指すべきだ。しかし、世の理を何も知らない無知な王が、何じょう民衆から支持を得られようか』
――というリュカの力説に根負けし、アイゼは厨房にリュカを預けたのであった。
しかし剣ダコは愚かペンダコすら出来たことのないリュカが、満足に下働きなど出来るはずもなく――
「外では自分達の村や家族を守るために、義勇兵として集まった人達が命かけて訓練してんだよ! そんな彼らに不味いメシ出せる訳ねぇだろ!」
――調理長から次々と怒声を浴びせられているのであった。
リュカの直属の上司となった料理長は、兵隊長と言われてもおかしくない逞しい腕で鉄鍋を振るいながら、作業の手を止めることなくリュカを叱責する。
被征服民族との落胤として忌まれてきたリュカであったが、それでも王族であることに変わりはなく、表面上ではあらゆる貴族がリュカに謙譲を示してきた。
それ故、このような乱暴な言葉で怒鳴られるのは初めての経験であった。
リュカは大粒の瞳から涙を零しそうになりながらも、それを悟られないよう気丈に振る舞い――香草の入ったすり鉢に、懸命にすりこ木を押し付け続けた。
しかし、そんな彼に救いの手を伸ばす影が現れる。
「新入りちゃん。コツ教えてあげる。調理長もイジワルだよねぇ。昨日来たばかりなんだから、もっと丁寧に教えればいいのに」
もたついた手つきで、すりこ木をかき混ぜるリュカの手首に、ささくれた指が巻き付いた。
リュカと同じように厨房で下働きをしている、黒髪の少女がそこにいた。
厨房に入った際、自分と同世代の子供がいたことには気付いていたが、自己紹介をする間もなく仕事を振られたので、彼女と口を聞くのはこれが初めてである。
「あ、あなたは……?」
「あたしはエフィ。あなたはリュカちゃん、で合ってるよね?」
「うむ……じゃない……は、はい。そうです」
彼女は髪を肩口で切禿に切りそろえており、烏の濡羽色と呼んで差し支えのない艶やかな黒髪が印象的だった。
背丈はリュカよりも頭半個分大きいが、それでもまだ子供と呼んで差し支えのない年頃。
四肢はほっそりとしているが、体幹はしっかりとしており、かろやかに山を駆ける女鹿のような印象を抱かせる少女であった。
「あたしもここに来て一ヶ月経ってない新人だけどさ、それでもあたしの方が先輩だから! 色々教えてあげる!」
エフィと名乗る少女は初めてできた後輩に対し先輩風を吹かし、口を大きく開けながら笑った。
貴族の価値観では、口を開けて笑うのは下品であるとされ、扇子で口元を隠すか、もしくはほんのわずか唇の先を持ち上げるのが上品とされていた。
それ故――人生の大半を王宮で過ごしたリュカは、そんな風に笑う人を見たことがなかったので、とても新鮮な気持ちになる。
そして同時に――
「(可愛らしい人だ……)」
――そう思ったのであった。
エフィはお喋りな性分なようで、香草を擂り潰すコツを実演しながら、自分の身の上をリュカに聞かせた。
彼女はオクスフォード領にある小さな宿場町生まれのスペイド人であること。
実家は旅籠を営んでいるが、弟が沢山いて生活に困窮していること。
そこでガーナーゲート砦にて義勇兵を募兵しているという報を聞き、子供でも下働きであれば雇って貰えるかもしれないと赴き、リュカが来る数日前からここで働いていること。
それらをつらつらと語る横顔を、リュカは相槌を打ちながら聞き続けた。
「宿って飲食もやってるからさ、一通りの料理は出来るんだ。でもそうじゃない子にいきなり〝あれやれ〟〝これやれ〟って言われても困っちゃうよね? 傭兵のアイゼさんとか、ヘリワードさんは、凄い丁寧に武器の使い方を教えてくれてるらしいのに、それに引き換え料理長は怒鳴ってばっかでやんなっちゃうね」
「いや……何もできないわたしが悪いのだ……いや、わたしがわるいのです」
「へーきへーき。すぐ覚えられるよ。リュカちゃんには兄弟いる? わたしは弟三人いるの。すぐ泣くし、ワガママだし、暴れると手がつけられないの。あーあ、リュカちゃんみたいな妹が欲しかったなあ」
エフィは煩雑そうに弟のことを吐き捨てた――が。
その横顔に、リュカは懐かしい顔を思い出す。
「(姉上と同じ顔だ……)」
それは――弟のことを愛でる姉の表情であることを、リュカは姉姫を通して察するのであった。
「ねえ、リュカちゃんには兄弟いるの?」
「……姉が一人いる」
「おお、お姉さんか! どんな人?」
「でもとても優しい人、だった」
問いに答えたことで、否が応でもヒルダのことを思い出してしまうリュカであった。
「(姉上は息災であろうか……)」
自分を逃すために城に残った、意地悪だが最愛の姉の笑顔が、瞼の裏に蘇る。
「あれ……なんで……涙が……」
「あー、大蒜入ってるし、汁が目に入っちゃったかな? 大丈夫だよ、落ち着くまで、背中撫でてあげるから」
弟がいるエフィは、年下の子供扱いに馴れており、事情を察したエフィは、リュカが泣き病むまで、そっと背中をさすり続けてくれたのであった。
***
数分後。
ようやっと涙の止まったリュカは、エフィと共に作業を再開する。
「リュカちゃんってさ、もしかしていい所のお嬢様だった?」
「ふぇっ!? な、なんで……?」
「喋り方が上品。それでいて謙遜語を使うのは馴れてない感じ。それから、手がすっごく綺麗」
エフィは作業の手を止めると、リュカの細い手首を掴んだ。
リュカの手の平は、焼きたての白パンのようにふっくらとしており、剣ダコもペンダコも出来ていない。
「ほら見てよ。あたしの手。こんなにボコボコ。まだ14歳なんだけど、これじゃあ旦那探しにも苦労しちゃうよ、あはは」
一方――彼女の晒す手の平は、固まった血豆が並んでいた。
皮膚が何度も破けては、その度に自然治癒を繰り返した苦労者の手である。
それを見たリュカは、自分の綺麗な手を誇る訳でも、彼女の汚れた手を憐れむ訳でもなく――自分と同年代の子供でさえ、これだけの苦労をしているのに、そのことすら知らなかった世間知らずな自分を恥じ入るばかりであった。
「ごめんごめん。別に言わなくていいよ。こんなご時世だし、色々複雑な事情があるんだよね」
エフィはリュカのことを、何らかの理由で没落した貴族令嬢であり、アイゼリーゼの従者といっても、騎士見習いではなく寵童として買われたのだろう――そのような感じの理解を示した。
「ほらリュカちゃん、味見しよう♪ 料理長に見つからないようにこっそりね?」
エフィは香草に少しずつ加水しながらすり潰し、粘着状の調味液になったそれを小指で掬い取ると、リュカの薄い唇の前に持っていった。
「ふぇ? え、ええと……」
「ほら、あーん」
「あ、あーん」
「どう?」
「お、おいしい……かも」
「〝かも〟ってなによ、あははっ」
エフィはリュカの反応を見て、再び大笑した。
彼女を笑わせたのではなく、笑われていることはリュカにも理解でいたが、それでもなんだか嬉しい気持ちになるリュカであった。
「(友達というのは……こういうのを言うのだろうか……)」
その後もエフィはリュカの隣については、調理のあれこれを懇切丁寧に指導してくれた。
リュカは自分に好意を見せながらも、謙譲することはない同年代と初めて出会い、初めての感情に胸を躍らせるのであった。




