24 眠れない夜は誰のせい
スぺサイド王国の中央に位置するヨバ山脈――その南側の麓。
オクスフォード伯が統治するオクスフォード領。
その領都オールデンは人口1500人を有しており、これは地方都市としては殷賑していると言っても差し支えのない規模であった。
エルキ大河から分流した川が陸の深くまで通っており、農耕が盛んなことが特徴で、140年前にハートサイド公国に侵略される以前より、スぺサイドの穀倉と呼ばれている重要な穀物産業地帯である。
そしてもう一つ――他の州と違った特徴をあげれば、数少ない被征服者民族が領主に封じられている点。
そのため役人や騎士や兵隊も、殆どがスペイド人で構成されており、他領と比べれば驚く程にスペイド人差別が少ない土地柄であった。
そんなオクスフォードが都オールデンは、地政学的にも重要な位置に存在している。
北のヨバ大陸は山賊の根城になっていることもあり、山越えを試みる行商人はこのオールデンで一旦足を休め、迂回路を通るか用心棒を雇うか、それとも大人しく通行料を渡して穏便に済ませるかなど、情報交換が盛んなことでも有名であった。
とはいえ、件の山賊はリュカの従者アイゼリーゼと、流浪の吟遊詩人ヘリワードによって既に壊滅しているのだが……。
とにもかくにも、貿易路を通る宿場町としての顔も持ち合わせており、毎日入れ替わり立ち代わりで人々がこの街を訪れ、そして去っていく。
それは身元が明るみになるのを避けている、後ろめたい事情を秘めている者にとっては、非常に都合のよい街でもあった。
なぜなら、半数以上が余所者故に、見ない顔だからという理由で町人に訝しがられる心配がないのだから。
***
目抜き通り沿いにある旅籠屋の一階――酒場としても経営されているテーブル席にて、外套の頭巾を目深に被りながら食事をする大人と子供の二人組もまた、そんな曰くを抱える者の一人であった。
背の高い方は、外套から僅かに金色の髪を覗かせながら、麦酒をチビチビやりながら乾酪を摘まんでいる。
向かいに座る背の低い方は、外套から青い髪を覗かせながら、弱い林檎酒に更に蜂蜜を混ぜて甘くしたものが注がれた木杯を小さな両手で掴んでグビグビ飲んでいた。
酒場は多くの客で賑わっていた。
行商人、傭兵、旅人、街に在住している仕事帰りの労働者――様々な身なりの者たちが、木製のテーブルを囲んで杯を傾けている。
誰もかれもが、目の前の酒と隣にいる同輩との雑談に夢中で、件の怪しい風貌の二人が、喧騒を聞き分けて周囲の会話を盗み聞きしているとは、露にも思っていないだろう。
本日の酒場の常連の間に繰り広げられる、四方山話の主題は、王都ブルーメンで起きた王室の一幕であった。
会話の具合は以下の通りである――
「聞いたか? 外国で虜になってるオレ達の王様、身代金を払って貰えずに牢屋の中でおっ死んじまったんだってよ」
「みたいだな。それが原因で、現在王宮では後継者争いで大変なことになっているらしいぜ」
「なんでも王様の弟のヨハン大公が、王太子を暗殺して王位を簒奪したんだとか」
「いや、オレが商人から聞いた話では、先に謀反を起こしたのは王子の方らしい。でも情報が漏れていて、ヨハン大公によって成敗されたとか」
「でもよ、王子には被征服民族《スペイド人》の血が混ざってるんだろ? 同じスペイド人としては嬉しい話ではあるが、それで他の王族から反感を買って殺されちまうのは、仕方のないことだろうぜ。ハアト人共が、スペイド混じりの王様を認めるとは到底思えないからなぁ」
「面白い話をしてるじゃねぇか。オレも混ぜてくれよ。オレが聞いた話はこうだ――王子は殺されたとは言われているけどな、噂では命からがら逃げ出して、今もどこかで生きているという噂だ」
「っていうかそもそも、王様にはちゃんとした正室とのお子がいたじゃねぇか? ほらあの、姫将軍とか言われていた」
「いざり姫のヒルデガルド様だろ? ありゃあ足が障ってからは身の回りのことなーんも出来なくなっちまって、とっくの昔に廃嫡されちまってるよ。顔はいいけど足がダメだから、嫁入りにも難儀してるらしいぜ」
「そうなのか? でもオレが吟遊詩人から聞いた話じゃあ、ヨハン大公はその姫様を擁立したって聞いたぞ」
「そりゃあきっとアレだろ、なんもできない姫様を裏から操るのは簡単だ。だから表面上は姫様が王冠を被るけど、実権は王様の弟が握るって寸法よ。なんて言ったかね? そうそう、摂政だ」
「そもそも吟遊詩人の法螺話なんて、信用に値しねーだろ。あんなのは酒の肴に面白半分で聞くもんだぜ」
「ま、事実がどうであれ、オレ達には関係のないことよ。王様が変わろうと、オレ達庶民の暮らしがよくなる訳もないし、税が安くなる訳でもねーからなぁ」
「違いない。それよりも気になることと言えば、南側のアッシェン領が、ここオクスフォードに対して戦の準備をしているって噂だ。領境の砦に勤めてる騎士様が、傭兵の募集をしてた。砦が落ちたらこの街も危ないかもな」
「王様が死んじまって、次の後継者も決まらず、お上がゴタゴタしている間に、領主同士の小競り合いが各地で頻発してるらしいからなぁ」
「こういう時のための鎮撫騎士団も、王様が死んじまったせいで、騎士団領から動けないらしい」
「とにもかくにも、オレ達にとって目下気にするべきは、対岸の火事である後継者争いよりも、南隣領との戦だよな」
「あそこの砦には親戚の子供も、兵士として駐屯してんだ。頼りになる傭兵が見つかるのを祈るばかりだ」
「見つからなかったらオレ達が徴兵されちまうかもしれないからな」
「今の内に槍の練習しておくか?」
「はは、違いねぇ」
――そんな話を、彼らの後ろのテーブルで盗み聞きする者がいた。
背を向けながらエールを啜っている、目深に頭巾を被った旅装の女は、連れの子供が食事を終えたタイミングで、勘定を済ませて二階にある宿の客室へと消えていくのであった。
***
件の怪しい二人組は、客室にしっかりと錠をかけてから、頭巾を剥いだ。
背の高い方はアイゼリーゼ・アイゼンハルト。
背の低い方はその主人、リュカ・ローゼンベルク。
階下で酔いどれ達が噂している渦中の人物――その張本人である。
「どうやら様々な噂が交錯しているようです」
「そのようだな。だが、ヨハン大公の姑息さを考えれば、わたしはとっくに悪者として仕立て上げられていてもおかしくないと思っていたのだが……」
「なんにせよ、都合のよいことです」
リュカは外套と上着を脱ぎ肌着姿になると、ベッドの上にダイブした。
当然のように絹布で育ったリュカからすれば、麻布のシーツは粗末なものだが、ここしばらく野宿続きだった彼からすれば、贅沢と呼んで差し支えのない肌触りである。
アイゼもまた、隣のベッドに腰掛けた。
鎧は脱いだが、その下の鎖帷子は着けたままである。
「して、今度の方針についてご相談が」
「うむ。わたしは南側の領主が戦の準備をしているという話が気になった」
「同感にございまする。それに傭兵を募っているという話もございました。どうでしょう? あのジャスパーめ、畏れ多くも殿下に王の将器を磨けと言いおってからに。されど、これは願ってもない機会ではないでしょうか?」
「そうだな。領主同士の諍いであれ、実際に命を賭けるのはスぺサイドの民である。国の有事にかこつけて、無辜の血が流れようとしているのを耳にしておきながら、聞き捨てることなどできない」
リュカにとって、一番の目的は自分に与してくれる諸侯を見つけ、兵を起こして王都を奪還する所にある。
とはいえ今回目をつけた一件――これはただの善行でも、己の将器を磨くだけの所業でもない。
うまくいけば、オクスフォード領主に恩を売れるという算段もあった。
こうして二人の今後の方針は決まった。
今晩は領都オールデンで夜を過ごし、来る明日、領境に築かれた砦に、傭兵を騙り仔細を伺うことを決めた。
二人は別々のベッドに着き、長旅の疲れを癒すのであった。
***
「(アイゼはもう寝ただろうか……?)」
リュカが宿泊している部屋の鎧戸から、淡い月光が漏れている。
久しぶりに柔らかいパンを食べ、腹が満たされ、かつ体は酷く疲れているはずなのにリュカはなかなか眠りにつかないでいた。
久方振りのちゃんとした寝床である。
屋根があり、シーツがあり、毛布がある。
だが一つだけ足りないものがあった。
「(冷たい……)」
立派な石造りの壁が、夜風をしっかりと防いでくれているにも関わらず、言うに言われない肌寒さを感じていた。
「(ああ……そうか……アイゼが……いないんだ)」
野宿の時には、常にアイゼと身を寄せ合って眠っていた。
いつの間にか、アイゼの熱を感じながら眠ることは当たり前のことになっており、そして何よりも安心できる場所であった。
そのことに、アイゼと別々のベッドで眠り、ようやっと自覚したのである。
「(毛布で体が温かいのに……心が寒い)」
先日――ジャスパー相手に啖呵を切って、王の将器を示したのは事実だが、彼はまだ甘えたがりの少年であり、アイゼに対する情がこの命を張った旅を通して更に膨れ上がっているのも、仕方のないことであった。
「(もしわたしが、アイゼと同じベッドで眠りたいと言ったら……彼女は応えてくれるだろうか?)」
母性に飢えた少年が、胸に空いた虚しさを埋めたいがために、そんなことを願ったのだが――即座にかぶりをふって改める。
「(アイゼはわたしと違い、野宿の際もわたしを守るために、常に周囲を警戒することを余儀なくされ、熟睡する機会など一度もなかっただろう。今日くらい、しっかり休んでもらわねば……!)」
胸中を巣食う寂寥感を、旅を通して得た強い意思で追い払い、リュカは今度こそ眠りにつくのであった。
***
――一方。
リュカから数メートル挟んだ隣のベッドで寝ているアイゼと言えば……。
「(くそっ! なぜ二人部屋しか空いておらんのだ! 聖母メロコティーニャよ! なぜあなた様は私の敬虔な祈りに応え、慈悲を与えてくださないのですか!)」
リュカ以上の感情を胸に秘めながら、悶々としていた。
否――もはやムラムラとさえしていた。
アイゼにとって、野宿の際にリュカと身を寄せ合って眠るのは、最上の役得であった。
ミルクで溶いた没薬のような芬芳を放ち、焼きたてのパンのような柔らかい体を抱き締め、子供特有の熱い体温を感じれば、どれだけ浅い眠りであろうと、翌朝には肉体の疲労は完全に消え失せ、万全な状態となっていた。
思わず唇から零れ落ちそうになる唾液を、主君のつむじに垂らさないようにさえ気を使えば、野宿の時間はアイゼにとって至福の時であったのだ。
「(ぐるるるるる……殿下成分が足りない……!)」
飢えた狼のような唸り声を毛布の中で鳴らしながら、破かんばかりの握力でシーツを掴み、(性的な)飢えに必死に耐えていた。
麻のシーツは悲鳴をあげ、綿の腸をぶちまける寸前であった。
当初アイゼは、「路銀の節約をしなくては」という大義名分を掲げ、店主に一人部屋を所望した。
しかし女将から返ってきた言葉は――
『すいませんねぇ。今晩は二人部屋しか空いてないんですよぉ』
――という、無慈悲なものであり、アイゼは血涙を流しながら二人部屋の料金を払ったのであった。
完全にリュカとベッドを共にするつもりでいたアイゼは、出鼻を挫かれ、上記のような醜態を晒している次第である。
「(従者である私の方から、殿下へ同衾を願い出るなど、畏れ多くできるはずがない! ああ、せめて殿下の方から、私を求めてくだされば……!!)」
互いに相手への想いを自覚しながらも、それを口に出すことは出来ない二人。
主従の関係を超えてはならないという、暗黙の了解が二人の間には存在していた。
最終的に――アイゼはリュカ以上に悶々とした感情に振り回され、日付が変わってから更に数刻が経過するまで、彼女の意識が夢の世界へと旅立つことはなかったのであった。




