22 婚約破棄された女騎士
「なんと……こんな山奥に修道院が! いや、山奥だからこそ修練を積むのに都合がよいということか?」
沢で喉を潤わせ、しばしの休息を挟んだ王子一行。
馬一頭がようやく通れる隘路が開くと、丁寧に地面が均された広場に出た。
広場の中央には石造りの修道院があったが、周囲の塀は所々崩壊しており、至る所に蔦が張い縋っており、廃墟を連想させた。
ヨバ山脈の林相は殆どがオークであるが、修道院前の広場に生えているのはオリーブのようであり、院の建築と共に人の手によって植林されたように窺えた。
「ジャスパー殿は聖職に服している者なのか?」
「いえ。どちらかといえば俗物過ぎる程の俗物です。俗世に嫌気が差しながらも、聖職の戒律を守れる程謹直でもなく、廃院に勝手に住み着き隠棲している――先日の山賊とやっていることは変わらない輩でございます」
「はは……アイゼはジャスパー殿のことになると、急に手厳しくなるな……」
2人の間にいかなる過去があるかは窺い知れないが、珍しくざっくばらんなアイゼの物言いからして、因縁浅からぬ仲であることは確かなようだ――とリュカは察した。
「あそこに子供がいるぞ」
「ジャスパーの小姓やもしれませぬ」
修道院の門(というよりも、崩落した壁)を潜ると、本堂の横には小規模ながら畑が耕されており、リュカよりも少し年上といった頃合いの子供が、畑仕事に勤しんでいた。
その小僧はルナルシア月教で定められた修道服を身に着けており、近づいてくる月毛の美馬を認めるや、作業の手を止めて、慎み深く指を組んで頭を下げた。
アイゼは今さっき、ジャスパーを似非聖職者と評したが、少なくともその小僧の辞儀は、一朝一夕で身に着けたものとは思えない、板についた所作であった。
「遍歴の騎士様とお見受けいたします。かような辺鄙な修道院にどういったご用件でしょうか?」
「某はスぺサイドは北方、アイゼンハルト子爵領が三女、アイゼリーゼ・アイゼンハルトと申す者。御修道院が院長、ジャスパー殿にお目通し願いたい」
「院長先生のお客様でございますか。それならどうぞこちらへ。お馬様もお預かりいたします」
小僧もこれまた丁寧な口調で、二人を院内に案内した。
「(アイゼが実家の身分を使うとは、珍しい)」
飾り気のない石造りの寺院を、小僧の先導で歩きながら、ふとリュカはそんなことを思った。
アイゼは生まれこそ貴族令嬢ではあるが、現在は騎士爵位を所持しているし、鎮撫騎士団の元副団長という誇れる経歴も持っている。
「(ということは、実家絡みの関係ということか)」
アイゼがのらりくらりと、ジャスパーとの関係をはぐらかすので、ついつい詮索せずにはいられぬリュカであった。
やがて二人は応接間に通される。
そこもまた、絨毯もタペストリーもない、清貧を是とするルナルシア月教徒の模範たる、簡素な設えであった。
椅子に座ってしばらく待つと、小僧が件の修道院長――を僭称しているジャスパーを連れてくる。
ジャスパーはリュカが口を開く前に、深々と片膝をついて首を垂らした。
「お初にお目にかかります――王太子殿下」
「なっ!? ど、どうしてそれを……?」
アポイントメントも取らない頓の訪問であったにも関わらず、先方は来客が――王都から出奔して逃避の旅に出ている王太子であることを、既に見抜いていた。
ジャスパーは墨で染め上げたような真っ黒な髪を背中まで伸ばしており、長い前髪を額の中央で左右に分けさせ、眉の横に流した美丈夫であった。
その目は糸のように細められており、柔和そうでありながらどこか得体が知れない笑みを浮かべている。
先日出合った吟遊詩人ヘリワードの伏し目が、下側に弧を描いた垂れ目の糸目なら――ジャスパーは上側に弧を描いた吊り目の糸目。
どこか狐を思わせる目が、晴朗な顔つきに胡散臭さを潜ませていた。
「アイゼ殿もご無沙汰しております」
「ふん」
ジャスパーは久闊の叙するも、彼女はそれを雑に受け流す。
ジャスパーもさして気にした様子もなく、リュカが座っている椅子から、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろした。
「して――かような場所まで、どのようなご用で?」
「王弟ヨハンが謀反した」
「そのようですね」
「やはり知っていたか」
「更に付け加えれば、獅子剣王リヒャルト陛下は獄中にて崩御されました。王弟ヨハンが乱を起こしたのも、それが起因でしょう」
「なっ!? 陛下が崩御なされた……!? それは誠か!?」
「はい。間違いないかと」
このような閉ざされた山奥では、地上の情報が伝わるのも遅れるのが常であるにも関わらず、ジャスパーは国家を揺るがす一大事を耳にしながら、想定の内と言わんばかりに、淡々と受け入れた。
それどころか、火中の最中にいるリュカ達でさえ知らない情報を持っていた。
リュカはその計り知れない情報網を持っているジャスパーに恐れ入ったが、それ以上に父王の死に動揺が隠せなかった。
「そ、そうか……父王陛下が……」
とはいえ、リュカは自分の父親と顔を合わせたことは、姉姫ヒルダに代わって立太子された折の一度きりである。
他は式典の時に遠目で横顔を拝む程度。
親子の会話というものをした記憶などは、ついぞなかった。
「(だとしても……親の訃報というのは、胸に来るものだな……)」
一方アイゼは、衝撃は受けつつも武人の性がなせる業で即座に気持ちを切り替え、本題を切り出した。
「ならば話が早い。ジャスパー、どうか殿下の力になって欲しい」
「ええ、いいでしょう」
「そんな即決でよいのか!?」
あまりにもあっさりとした物言いに、リュカは思わず面食らってしまった。
王弟ヨハンが王都を乗っ取ったこと、自分の元に逃げだした王子が訪ねてくること、そして助力を求めてくること――その一切を予め承知していたかのように、淡々とジャスパーは答えるのであった。
「駆け込み寺と申しますように、拙僧は喜んで殿下の出家を受け入れましょう」
「待て? 出家だと?」
「はい。殿下の安全を確たるものとするのなら、俗世を捨てて頂くのが最善かと。教会に属して野心なしと判断されれば、王弟ヨハンもこれ以上手を出すこともありますまい」
「待て待て待て! そうではない! 我々の目的は諸侯に檄を飛ばして軍を組織し、奪われた王都を取り戻し、逆臣ヨハンを誅することにある。そのために貴様の軍才を頼りにここまで来たのだ!」
「それは土台無理な話でしょう」
「つまり……簒奪者に国を明け渡せということか? 陛下に忠誠を誓った官吏の言葉とは思えぬぞ!」
「元です、元。すまじきものは宮仕えですよ。いやぁー、拙僧も十代の頃は内政の内側から被征服者人の地位向上を志して出仕したものです。されど、どれほどの結果を残してもスペイド人というだけで冷遇され、それでいて手柄はことごとく上司に掠め取られる始末。いささか疲れてしまいましてねぇ。ご存じの通り数年前に挂冠を解かせてもらいました。だからこそ――――アイゼンハルト子爵家より、アイゼ殿との婚約を破棄された訳ですし」
「ん? 待て! 今婚約と申されたか!?」
「おや、アイゼ殿から聞いていらっしゃらなかったのですか?」
「は、初耳だ……!」
「元です! 元! それに此奴とは数度見合いをした程度。接吻は愚か、手さえ繋いだことはありませぬ! ですから殿下、どうかご安心を!」
「自分の家臣が24で未だに独り身な事実に、どこを安心すればいいんでしょうねぇ……あなたの愛馬がユニコーンであるなら話は変わってくるのですが」
「少し黙っていろ!!」
アイゼとジャスパーが元婚約者であることを詳らかにされ、目に見えて狼狽するアイゼ。
その過去をリュカに知られたくなかったようで、矢継ぎ早に言い訳を並べてている。
曰く――アイゼの実家は北辺の下級貴族であり、主人筋の上級貴族に対して頭が上がらない身分にある。
そこでアイゼの父親は、どうにかして家門を大きくしたいと腐心し、高い能力を評されていながら、出る杭を打たれるが如く冷遇されていたジャスパーに目をつけ、三女アイゼとの婚約を持ちかけたのである。
しかしそれも、アイゼが鎮撫騎士団副団長の地位まで昇りつめ、アイゼンハルト家の家名を高めるに値する務めを果たし、ジャスパーもまた官職を辞したことで、破談の運びとなったのであった。
しかしアイゼは主君へ、忠義のみならず恋慕の情まで抱いているからして、己の貞節が他の男に破られてたという誤解をリュカに与えることを恐れ、その事実をひた隠しにしていたのであった。
アイゼは僭越と知りながらも、己の操をリュカに捧げたいと同時に、リュカの貞操を賜りたいと願っている性癖を持っているのであった(今更明記するほどのことでもないが……)。
「アイゼ殿の言う通り、拙僧と彼女の間には何もありませんでした。まあ、だからどうしたという話なんですがね」
「そ、そうだな! だからどうしたという話だ!」
とにもかくにも、アイゼはリュカに身の潔白を訴え、リュカもその気迫に押されてそれを信じたのであった。
――閑話休題。
そういう訳で、再び話は本題へ。
「話を戻しましょう。拙僧如きに出来ることと言えば、殿下に得度を授け、匿うことくらいです」
「それでは困るのだ! なんのために我々が、数々の苦難を乗り越えてここまで来たか……」
アイゼはジャスパーの軍略家としての才能を買い、王都を取り戻して王弟を打ち倒すことを求めている。
一方のジャスパーは、あくまで(似非とはいえ)聖職者としてリュカを匿うのなら助力すると答えた。
「ヨハンが謀反を起こしたのは、陛下の崩御が端緒となったのは間違いありません――ですが彼は以前より長い年月をかけ、陛下の不在にかこつけ各諸侯を懐柔し、下地を固めておりました。既に多くの諸侯がヨハンに恭順を示しており、その旗色を見た残る諸侯が追随するのは時間の問題にございましょう」
「確かに、シュタンシュテット伯のことは記憶に新しい……」
リュカは王弟への手土産として殺されかけた、スタンス城の一件を思い出し苦笑した。
「今更殿下の御名において激を飛ばそうと、果たしてどれだけの兵が集まることか。〝勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦いを求む〟――有名な兵法書の引用です」
「申し訳ないジャスパー殿、浅学の身ゆえ、どのような意味か伺っても?」
「絶対に勝てるという確信を持ってから戦を始める――といった感じの意味です。すなわち王位を巡る戦は、半数の諸侯が王弟に就くことが確定した今、既に王弟の勝利として終わっているのです」
「何を軟弱なことを! 貴様、昔言ってたではないか! その……なんだ……本当に強い奴は戦わずして勝つみたいな感じのことを」
「今回の場合は〝上兵は謀を伐つ〟――ですかね? 最善は敵の謀略を未然に読んで防ぐことにあるという意味ですが、先ほども申した通り、謀略は既に実行されてしまい、既に時すでに遅しですな」
「…………」
「それに王弟ヨハンは兄王への妬心から強い野心を抱いており、暗君であることに違いはないですが、少なくとも戦好きのリヒャルト陛下よりかは善政を敷いてくださることは間違いないかと」
今の発言は、例え事実だとしても不敬に値する。
君国に忠誠を誓うアイゼであれば、決して聞き捨てならない発言であったが――すっかりと項垂れて、ただ悔し気に唇を嚙みしめるばかりであった。
アイゼはジャスパーの知略を求めてここまで来た。
そのジャスパーが、既に勝機はないと断言した。
ならばもはや、諦める他ないのか――これまでの旅路が徒労に終わったのかという絶望が、女騎士の胸を静かに満たしていく。
「それにまだ拙僧は、殿下本人の意思を聞いていません」
「わたしの……意思?」
「はい。殿下はどうしたいのですか? 耳が痛くなるほど王都奪還を唆され、アイゼ殿に言われるがままに従ってきただけではないのですか?」
「なっ!? 畏れ多くも私が殿下を示唆したと言うのか!?」
「アイゼ――ジャスパー殿は今、わたしに問いておる。どうか今はわたしを信じ、口を噤んでくれ」
「ぬっ……しょ、承知しました……」
これまでずっと受け身だったリュカ。
そのリュカが、珍しくアイゼに対し毅然とした言葉で制した。
ジャスパーが向ける眼差しが真剣なものであると察したリュカは、改めて姿勢を正し、真っ向からジャスパーを見つめた。
「恐れながら、殿下とお会いしたのはこれが初めてにございますが、あなたは争いを好まないお方とお見受けします。あなたは果たして王となる意思があるのですか? 募兵し軍を指揮し、民が暮らすスぺサイドの地を血で濡らしてまで、ヨハンを誅する覚悟がございますか? よしんばヨハンを討ったとして、その後ヨハンよりも善政を敷ける自負はございますか? 拙僧はそれを――あなたに問いたい。獅子の子よ、あなたはどのような王を目指される?」
「(わたしがなりたい、王の姿)」
リュカは目を閉じ、ジャスパーの問いを反芻する。
ジャスパーは、リュカが答えを出すのを急かすことなく待ち続けた。
リュカの瞼の裏に蘇るのは、この旅路で目の当たりにしてきた、数々の光景。
自領の民を虐げる領主。
140年も前の被征服民族を、今なお差別する征服者の末裔。
窮民として喘ぐ農奴たち。
獣の如く驕慢に振る舞う山賊。
山賊と結託して悪事を働く役人。
その山賊さえも、広い視点で見れば居場所を奪われた弱者の慣れ果て。
逡巡の末。
リュカの導き出した答えとは、果たして――




