02 追放された王子は玉座の夢を見るか
「む、謀反か……!?」
国王が国外で捕虜となり、臣下が身代金を出し渋って既に一年――いつ謀臣と噂される王弟ヨハンが謀反を起こしても不思議ではない空気ではあったが、実際に起きると、身の竦んでしまうのは如何ともしがたかった。
「謀反人の兵が迫っております。このままでは危険です。さあ、王宮より早く脱出を」
「し、しかし……逃げるといってもどこに? わたしには姉以外にはなんの後ろ盾も持たない、自ら牙を抜いた王子だぞ」
王弟ヨハンによる王位簒奪は、いつか来るだろうとは思っていた。
だがそれは国王が不在の間に、内務を少しずつ王弟派閥に奪われ、実質的に支配されるという、血を流さないものだと高をくくっていたのだ。
それがもはや、兵を動かし王太子を直接殺害するという暴挙に出るとは、夢にも思ってもいなかったのである。
「刺客の一人二人であれば、私にとっては造作もないことにございますが、兵団を動かされたとなれば多勢に無勢。逃げる他手段はございませぬ」
そう言うや、アイゼはベッドに身を乗り出し、リュカを掴み――
「御免!」
「うにゃっ!?!?」
――踏ん切りのつかぬ臆病な王子をベッドから引き剥がし、寝巻の上から外套をかぶせた。
そのまま横抱きに担ぎ上げると、寝室を飛び出し、続き間となっている私室も蹴破り、廊下に出ると、人ひとりを抱えているとは思えなぬ速度で、アイゼは駆けだしたのだった。
***
「王子の私室はこっちだ!」
「急げ! アイゼリーゼ卿に嗅ぎ着かれる前に王子の身柄を抑えるのだ!」
――ガチャガチャガチャ。
普段は静謐に包まれている深夜の王宮に、金属の鎧が擦れ合う剣呑な音が鳴り響いていた。
「なんとかやり過ごせましたな、リュカ殿下」
「う、うむ……」
廊下の壁龕に身を潜めていた女騎士アイゼが、マントの内側に匿っているリュカ王子に囁いた。
しかしまだ、息をつくには早すぎる。
アイゼは精神を研ぎ澄ませながら、周囲の気配を探り、慎重に壁龕から身を乗り出した。
「まずは王宮の外へ脱出しましょう。馬さえ手に入れば、王都の外へ逃げ、体勢を整えることも叶いましょう」
「ま、待ってくれ! 姉上も一緒に連れて行かねば!」
「しかし」
リュカが心配している姉は、半身不随の身。
アイゼ一人で王子リュカと王女ヒルダの両名を守護しながら、王弟派の兵隊が敷く包囲を突破するのは、歴戦の女騎士でも流石に不可能であると――彼女はそう判断した。
しかし普段は臆病で平和主義者であり、鎧越しでも震えが伝わってくるほど恐怖で身を竦ませている王子が、それでも姉のことを案じている様を見せつけられては、無下にすることもできない。
それに王女ヒルダは、足が不自由になる前は、彼女の所属していた騎士団の直属の上官にして、恩師でもある。
騎士道に生きる彼女もまた、王女ヒルダを置いて王宮から逃げ出すことは、抵抗があるのもまた確かであった。
「承知いたした」
かくしてアイゼは逃走の途を変更した。
リュカを伴いながら、王女の寝室を目指すべく廊下を駆けだしたのであった。
***
「来たわね、リュカ」
「姉上! 大変です! 王弟ヨハン大公が謀反を……っ!」
「落ち着きなさいリュカ。委細承知しているわ」
「ならなぜ姉上はそんなに落ち着いているのですか!?」
「こうしてあなたがアイゼと共に無事なのが分かれば、他に心配事などないもの」
無礼を承知で、滑り込むようにヒルダの私室を訪ねると、私室の中央に設置された安楽椅子に背中を預けるヒルダが、待ちかねたかのように二人を迎え入れた。
その後ろには、彼女のお気に入りである、若い双子の侍女が控えている。
「時間がないから手短に言うわね。この部屋には隠し通路があるの。そこを通って王宮から脱出しなさい」
アイゼがいち早く、ヨハン大公の謀反を察知したように、元鎮撫騎士団長ヒルダの武人としての直感もまた、錆びついてはいなかった。
彼女は二人が王宮から脱出するための手筈を整えていたのだ。
合図すると二人の侍女は迅速に、私室に設けられた暖炉に上半身を突っ込み、レンガを外した。
すると果たして、その奥に空洞が広がっており、リュカとアイゼは目を瞠った。
「一部の王族しか知らない秘密の通路よ。勿論、謀臣ヨハンにも知られていないわ。さあ、早く行きなさい」
「ならば姉上も一緒に!」
「それは出来ないわ。この足では文字通り足手まといになるだけよ。それに安心して頂戴。ヨハンは私に利用価値を見出している。私は王家の正統なる血筋を引いており、そして女で、しかも歩けない。これほど利用しやすい傀儡もいないでしょうからね」
「し、しかしそれは……っ!?」
「もう、本当に泣き虫なんだから。リュカ、こっちへいらっしゃい」
ヒルダはリュカを招き寄せると、そっと小さな王子を抱きしめた。
「幼い弟に無理やり女の子の恰好をさせて嘲笑うイジワルな姉のことなんか忘れて、あなたは好きに生きなさい」
震える弟の小さい背中を撫でながら、ヒルダは続ける。
「あなたの味方になってくれる諸侯を集め、反乱軍を組織して猖獗をほしいままにするヨハンの手から、再び王宮を取り戻してくれてもいいし――どこか静かな山奥で隠棲して、小さな畑を耕しながらアイゼと慎ましく暮らしてもいいわ。全てはあなたの自由なのよ」
「…………姉上」
ヒルダはゆっくりと抱擁を解くと、首にかけている大粒のサファイアがはめ込まれた首飾りを、リュカの首へと移した。
「これはスぺサイドがハートサイド公国に征服される前から、スペイド人の王族に代々受け継がれてきたと言われる〝青薔薇の宝珠〟と呼ばれる宝玉よ。あなたの青い瞳と同じ色で、あなたの血に半分流れるスペイド人に受け継がれてきた宝。あなたにこそ相応しいわ」
その時――カツカツと、長靴が踏み鳴らす不揃いの足音が、扉の外から迫ってくるのを一様に認めた。
「アイゼ、愛弟を頼んだわよ」
「承知いたした。殿下、御免!」
「ま、待ってくれアイゼ!」
アイゼは泣きわめく王子の腰に手を入れて担ぎあげると、暖炉の奥へと飛び込んだ。
すぐさま双子の侍女が、取り外したレンガを再び組み直して蓋をし、最後に手の平で煤を擦り付けて、継ぎ目を埋めて形跡を消す。
それと同時に廊下へと繋がる扉がノックされた。
王族の部屋を訪ねる作法とは程遠い乱暴な音で、無視を決め込めば強行突破も辞さないという剣呑さが、扉1枚を隔てて伝わってくる
ヒルダは侍女に目配せし、開けるように指示を出した。
真夜中の訪問者は果たして――




