01 王子様は男の娘
「まさに解語の花ね」
「いかさま。誠その通りに存じます」
「ふぇ…………」
奢侈を尽くした調度品で彩られた一室に、三人の豪族がいた。
一人は彫刻の施されたオーク材の安楽椅子に腰を落ち着けた、オレンジ色の艶髪を結いあげた美女。
もう一人は、王宮の中にも関わらず、脛当てから籠手まで、首から下を万全に鎧で固めた、女騎士然とした美女。
そして最後の一人は――彼女ら二人から、温かな視線を注がれている、豪奢なドレスに身を包んだ、可憐な乙女と見紛う――――美少年であった。
「姉上……お戯れはこのくらいに……わたしは……もう13になります。なのに、いつまでも……こんな、恰好を……っ!」
13歳を迎えたというのに、同世代と比較して幼さが殆ど抜けきらぬ少年の名前は――リュカ・ローゼンベルク。
腰まで艶やかに伸びた青髪と、蒼玉のような青い瞳。
繊細なレースが施された絹のドレスを纏う《まと》うその姿は、とても男児とは思えない美しさであり、リュカを初めて見る者は、十人中十人が性別を見誤ってしまう程の美貌を秘めていた。
しかしリュカには、女性の装束を纏って興奮する類の性癖は持ち合わせておらず、姉に強引に女装させられた羞恥もあいまって、白い頬が朱に染められている。
そのいじらしい表情がまた、彼女らの性癖をいっそう強く煽っている事に、当の本人は気付いていないのであった。
「して、アイゼ。解語の花とは言うけれど、具体的にどのような花と称するのが相応しいかしら?」
「そうですな。梅雨明けに咲く白百合の如くかと存じます」
「確かに白百合も相応しいわね。しかし白百合というのは、吟遊詩人に擦り切れる程詠み込まれた言い回しで、ちょっと陳腐に感じてしまうのではないかしら? そこで――青薔薇というのはどうかしら?」
「まさしくまさしく。ヒルダ様の仰る通りに存じます。リュカ殿下の深蒼の輝きを湛えた双眸は、青薔薇と称するのが適切といえましょう」
安楽椅子に端座したオレンジ髪の美女の名は――ヒルデガルド・ローゼンベルク。24歳。
ウォルナットの一枚板で縁どられた、全身をくまなく映す大きさの姿見の前で、女装の刑に処されているリュカ・ローゼンベルクの腹違いの姉である。
現在進行形で辱めを受けているリュカ少年と似た美しい顔立ちをしているが、その面には獅子を思わせる凛々しさも兼ね備えておた。
首元には青い薔薇を模して磨かれたであろう、大粒のサファイアの首飾りが、燭光を反射して輝きながら吊るされている。
その傍らにいる、長い金髪を馬の尾のように後頭部で束ねた女騎士然とした彼女の名は――アイゼリーゼ・アイゼンハルト。24歳。
鎧を脱いでドレスを纏えば、公爵夫人と見紛う麗人ではあるが、幼少より騎士として育てられた彼女は、生まれてこのかたドレスの類いを纏ったことは一度もなく、これからもないだろうと確信していた。
そんな彼女はリュカの傅役――教育係――にして、身辺を守護する近衛騎士でもあった。
とはいえ、命に代えても守るべき主人が辱めを受けているというのに、これを止めるでもなく、姉姫と同様に鼻息を荒くしてしまっているのではあるが……。
「あの……そろそろ脱いでいいでしょうか?」
「ダメよ! リュカに着て貰いたくて、遥か東方から取り寄せた極上の絹で仕立てたのよ! せめてこの愛らしい姿を肖像画として残さないと、後世の愛好家から恨まれるというものよ! 宮廷画家! 入ってきなさい!」
姉姫ヒルデガルド――ヒルダが両手を叩くと、廊下に控えていた宮廷画家が、ヒルダの私室に入ってくる。
彼は馴れた手つきで三脚台を組み立て、キャンバスを置くと、凄まじい速度でリュカの痴態を永遠のものとするべく、筆を走らせるのであった。
「うう……これが腐ってもこの国の王太子の姿なのか……」
リュカは確かにこの国の王位継承権筆頭として、冊立された王太子ではあるが、歳の離れた姉と、その姉と同じ性癖を持つ護衛が揃って敵に回った今、剣を握ったことすらない13歳の少年は、あまりにも無力であった。
「うーん。でもあれね。元々男の子とは思えないくらいの柳腰ではあるけれど、もっと絞れば更に美しくなるかもしれないわ。侍女、コルセットを持ってきて!」
「コルセット!? もう勘弁してください姉上!?」
ただでさえ胸が締め付けれそうな羞恥を味わっているにも関わらず、挙句に物理的に胴回りまで絞められは敵わない。
少年からすれば、コルセットなどというものは、もはや腰にかけられる枷である。
ともすれば、ドレスはさながら囚人服であろうか。
リュカは(悲しきことに)馴れた動作でドレスの裾を持ち上げて走ると、近衛騎士アイゼリーゼ――アイゼのマントの裏に隠れて庇護を求めるのであった。
「アイゼ……姉上を止めてくれ。これ以上はわたしの身が持たない。このままでは文字通り慙死してしまう!」
同年代と比べても小柄なリュカが、成人女性にしてはかなり長身であるアイゼと並ぶと、頭二つと半分もの差があり、自ずと上目遣いの構図になってしまう。
熟練の宝石技師に細工されたような、大粒の碧眼が涙目で潤む姿を見て、さしものアイゼも憐憫を覚えたのか、もしくは庇護欲にそそられたのか、ようやっと主君を守るべく、王女に諫言するのであった。
「ヒルデガルド様、お戯れはこのくらいでご勘弁を。折よく、宮廷画家による肖像画も描きあがった所でございますし」
「あら。残念ね。でも仕方ないわ。そのドレスはリュカにプレゼントするから、好きな時にこっそり着てしまっても構わないわよ」
「わたしがドレスを自主的に着ることは、断じてありえません!」
王女の私室に、声変わりを迎える前の、少年合唱団も顔負けのソプラノボイスが響き渡るのであった。
かくして王女の私室の壁に埋め尽くされた、後世の歴史家が考察に考察を重ねて物議を醸すこととなる、乙女のドレスを纏った王子リュカ・ローゼンベルクの肖像画が、また一枚追加されるのであった……。
***
「全く、今日も散々な目にあった……」
「リュカ殿下、あまり姉君を責めないで差し上げてください」
「……分かっている。姉上の戯れが、巡り巡ってわたしを守るためであることは、重々承知している」
数時間後。
太陽が沈み、この国の国教が神格化している月が浮かび上がる時分。
場所は変わって王太子リュカの私室。
王族の私室ということもあり、床は緞通、壁は掛軸で彩られ、現在リュカが身を沈めている天蓋付きの寝台は、上絹のシーツの下にふんだんに羽毛が詰め込まれており、少年の華奢な全身に負荷をかけることなく包み込んでいた。
昼間のドレスとは打って変わり、寝間着は男児用のものであったが、それでも少年の美貌を前にしては、女装をしていなくても、少女と見紛う外見であることは変わりないのだが……。
「そうだ。わたしがこうして生きていられるのは、姉上の尽力と言っても過言ではない」
出来れば思い出したくなかったが、リュカは昼間の一幕と、この国の複雑な王室事情を反芻した。
「元王太子であった姉上は、姫将軍と恐れられた凄腕の騎士として、鎮撫騎士団長として東奔西走しては、各諸侯や諍いや謀反を鎮め、安泰の世を築くべく尽力してくれた……」
だが……と。
数年前に姉に降りかかった厄難を思い出し、リュカは可憐な顔を歪める。
「姉は地方領主同士の争いの仲介に駆り出された最中、不幸なことに落馬し、片足に障害が残り、満足に立ち上がることすら難しい身となってしまった」
かくして父王リヒャルトは、当時王太子だった長女ヒルダを廃嫡した。
これまで次期国王になるであろうヒルダに追従していた貴族達も彼女を見限った挙句、いざり姫などという蔑称まで流布される仕打ちを及んだのであった。
そうした巡り合わせの末、まだ幼い庶子リュカが、姉に代わって冊立されたのであった。
しかし――王子リュカには、まだ幼く、将器を持たない臆病な性格を別にしても、廷臣から疎まれる大きな事情があった。
「わたしは――妾腹の子だ。しかも、ハアト人ではなく、スペイド人のな」
島国スぺサイド王国は今から140年前、海を隔てた隣国ハートサイド公国の侵略によって征服された国である。
そうして建国から140年間――王族は全て征服者であるハードサイドの血筋――ハアト人の純血による直系継承で統治されてきた歴史を持つ。
しかし――件のうつけ王子は、妾との間に生まれたばかりか、その妾は被征服民族であるスペイド人であったのだ。
建国から140年もの月日が経つとはいえ、未だハアト人とスペイド人の溝は根深く、過激な差別主義者からは「汚れた血」とまで呼ばれるスペイド人との混血児が王となり、首を垂らすことになるとは、到底許せるものではない。
「姉上こそが王位を継ぐと信じてあぐらをかき、わたしは剣すら握ったことなく、領地も持たず、私兵もアイゼ一人しかおらぬ、無力な混血の王子。それが今では王太子だ。姉上の後ろ盾がなければ、今頃とうに暗殺されていただろうよ」
「殿下、ご安心を。そのようなことは、殿下の盾である私がいる限り、あり得ないことでございます」
「分かっている。アイゼの腕を軽んじている訳ではない」
寝台に横になるリュカの白魚の如き滑らかな手を、血豆で固くなったアイゼの両手が、そっと包み込んだ。
「だが、姉は躄、弟は混ざり血のうつけ者――臣民がそのような姉弟を主君と仰ぐとは、到底思えぬ」
かかるリュカの憂慮を予め見越した姉ヒルダは、弟が王太子となった今も、アイゼ以外に私兵を持たせようとはせず、次期国王とは思えない性癖(女装癖)があるという噂を宮廷に流した。
これは断じて、王太子の座を奪われた弟を貶めるためではない。
権謀術数蔓延る宮廷において、幼い弟を守るため、「王子は暗殺するまでもない無力な存在である」と知らしめることで、結果的に暗殺から身を守っていたのであった。
事実リュカも、獅子剣王と恐れられる豪傑である父王の跡を継げるとは、これっぽっちも思っていない。
可能であれば、他の王族に王位を継いでもらい、血で血で洗う王位継承権争いから、一日でも早く足抜けしたいとさえ思っていた。
「嘆かわしいことだが、父王も東征の末、敵国に敗れて捕らわれの身となり、一年が経とうとしている。多額の身代金を払える当てもなく、ずるずると引き伸ばしている間に、大半の官僚は王弟ヨハン殿に帰順し、もはやいつ王座を簒奪されてもおかしくない状況。かような状況で、無力なわたしが生き残るには、道化を演じて、犬のように自ら弱点である腹を晒して嘲笑われることくらいのものよ」
「かようなことを仰ってはなりませぬ殿下。今は雌伏の時にございまする。表では爪を隠して道化を演じ、裏では爪を研ぎ、王弟ヨハンを欺き、正当なる血統を守り通すことが肝要かと存じます」
「無茶を言わないでくれ。そんなに欲しければ、玉座も王冠も王弟殿に差し上げようではないか。少なくとも、わたしよりも立派な統治者になるだろう」
「そうとも限りませぬぞ。王弟は暗君にして暴君の器量。宮廷では真面目な官僚を演じておりますが、ひとたび自領に戻れば、民を虐げ酒池肉林に耽っていると専らの噂にございまする。かような者がスぺサイドに君臨すれば、泰平が崩れ国荒れることは必至。臣民のためにも、とうかリュカ殿下にこそ王位にお継ぎ頂きとうございます」
「無茶を言う……情けないことではあるが、わたしは王になりたいとはこれまで一度として思ったことがない。こうして穏やかに、ひっそりと生活できればそれで十分なのだ」
「あなた様ほど優しい御方はおりませぬ」
「優しいだけでは王は務まらぬ。それにわたしは優しいのではない。臆病なだけだ。報復を恐れて他者を害することが出来ず、顔色をうかがうことでしか処世する術を持たないだけの弱虫だ。そんなわたしに、王になれなど、酷なことを言わないでくれ……」
「殿下……」
「失望したか? 情けない主ですまない」
「滅相もございませぬ。聖母メロコティーニャに誓って、我が主はこれまでもこれからも、リュカ殿下、あなた様だけ。我が剣は殿下のためだけに振る所存。例えあなたが争いごとを嫌おうとも、その事実は変わりませぬ」
「すまない……すまない……」
「よいのです」
アイゼはベッドの脇に跪いたまま、目尻に涙を浮かべるリュカの手を、両手でそっと包み込んだ。
「それでは、お休みなさいませ殿下」
「ああ。おやすみ、アイゼ」
リュカが落ち着いてきた頃合いに、アイゼは包み込んでいた小さな手をほどき、寝室の壁際に等間隔で灯された蜜蝋を一つずつ消していく。
「ああ。待ってくれ。一つだけ、残しておいてくれないか。今日は雨が強くて月も隠れてしまっている。わたしは完全な暗闇の中では、恐ろしくて眠ることができない」
「ご安心を。例え厚い雲で覆われていようとも、我らが主であるルナルシア月神は、全てを見通す眼をもって、月星より篤信の信者を見守ってくださっております故」
「し、しかし……」
「……分かり申した。では、1つだけですぞ」
「恩に着る」
アイゼは寝室と私室を繋ぐ扉に最も近い一燈を灯したままにすると、ゆっくりと寝室を後にするのであった。
***
――数時間後。
柔らかな羽毛と、滑らかな絹の寝具に包まれ、消さずに残した蜜蠟が溶けきる前に、リュカは夢の世界へ旅立った。
しかし、そんな安息な眠りは、彼を優しく寝かしつけたはずの騎士アイゼの手によって、妨げられることになった。
「――か!」
「――んか!」
「――殿下!」
曖昧になった意識に、聞きなれてはいるものの、どこか鬼気迫った声が耳朶を打つ。
「殿下! リュカ殿下! お目覚めになられてくださいませ!」
「むぅ……ど、どうしたのだアイゼ……まだ日が昇っておらぬではないか……修道院僧でさえ床に就いている時間ではないのか?」
リュカはゆっくりと、豊かなまつ毛に縁どられたまぶたを持ち上げ、大粒の瞳を瞬かせる。
しかしアイゼに肩を掴まれ、全身を走る違和感が、リュカに只事ではないと告げる。
何より――唯一の忠臣であるアイゼの鬼気迫る声。
これはただ事ではない。
「謀反にございまする! 王弟ヨハンめが乱心。王弟派の廷臣と結託し、王宮を乗っ取ろうと兵を動かしております!」




