17 吟遊詩人と駆け落ちの騎士
土を踏み鳴らしただけの上り坂の官道を、月毛の駿馬アグロは確かな足取りで登っていた。
村を出発した翌々日。
途中一泊野宿を挟み、シュタンシュテット領を無事に脱した王子一行は、スぺサイド中央に屹立している、ヨバ山脈と呼ばれる山々の山中にいた。
その先に、アイゼが助力を求めようとしている賢者――ジャスパーなる人物がいるからである。
万全を期すため、当初は山脈を迂回しようかと考えていたが、想像以上の遠回りになること、騎馬ひとつであれば問題なく通れるが、軍隊となるととても行軍できるような道ではないため、王弟ヨハンの差し向ける軍団から身を隠すのに丁度いい――という理由から、山脈越えを選択した次第であった。
王子に野宿を強いることになるのは、従者として耐えがたいことであったが、そう贅沢は言っていられず、一日でも早く目的地に到着するルートを選んだのである。
140年前のハートサイド公国の侵略を受けた後に、山脈を横断するように作られた官道は、馬車二台が辛うじてすれ違える幅しかなく、それも土を踏み固めただけのものであったが、それでもアグロの健脚も手伝い、日が暮れる頃には山頂付近まで歩を進めるに至った。
この様子なら、明日には山脈を抜けられるだろう。
「殿下、今晩はこの辺りで野宿できる場所を探しましょう」
「そうだな。わたしも粗朶を集めるのを手伝うぞ!」
リュカも旅路を通していくつかの苦難を乗り越えたせいか、ある程度の逞しさが身に付き、嫌な顔一つせず野宿を受け入れた。
その理由の一つに、アイゼと身を寄せ合いながら眠ることが出来るという下心も含まれているのだが……。
とはいえ、その下心の大きさで言えば、アイゼの方がリュカの数倍強く抱いているのであるが……。
『~~~~♪』
さて、リュカとアイゼが馬上より、どこか野宿するのに丁度よい場所はないものかと周囲を見渡していると――心地よく響く妙音が耳朶を打った。
間もなくやってくる春の訪れに備え、鳥達が奏でている求愛の囀りではない。
それは弦楽器の旋律であり、それもかなりの腕前であった。
「殿下、お気をつけを。このような山中で楽器の音などありえませぬ。悪戯妖精めの類かもしれませぬ」
「それはそれで逆に見てみたいぞ!」
アイゼはリュカに警戒を促す。
しかし――弦楽器の音源にたどり着くと、その正体は正真正銘の人間であることが判明する。
先客が言う。
「おや。これも月神ルナルシア様の思し召しでしょうか? 獣除けの音を鳴らしていたのですが、美しい乙女を美馬に乗せて二人も御寄越しになられるとは。日頃敬虔に祈った甲斐があるというもの」
そこにいたのは緑色の旅装に身を包んだ20そこそこに見える若い男であった。
顔立ちは整っており、長いまつ毛で縁どられた伏し目には、女受けのする色香を孕ませていた。
その足元には、道中で仕留めて夕餉にする予定であろう、野兎の亡骸が転がっている。
しかし一点――彼が頭に乗せている帽子だけが、ただの旅人とは一線を画していた。
その帽子は尖端に行くにつれて細くなる円錐型をしており、丁寧に糊付けされているのか、くたびれた旅装に反して、中折れすることなく真っすぐに屹立していた。
魔女の帽子でももう少し慎ましいサイズである。
伊達を極めようとした結果、逆に滑稽に見えてしまったような、常人には理解し難い造形に目を奪われたものの、その下についている顔は、どう見ても人間のものであり、妖精の類ではないことに、とりあえず安堵するアイゼであった。
「ではこちらはルナルシア様を恨む他あるまい。かような剽軽な男を御寄越しになられたのだから」
気障ったらしい台詞を吐く三角帽子の旅人に、アイゼもまた皮肉を返す。
「待てアイゼ。そう邪険にしてはいけない」
「しかし殿下……素性の知れぬ男など、飢えた獣よりも警戒に値するかと。むしろ男という生き物はおしなべて飢えた獣かと」
「(わたしもその男なのだが……)」
馬上にて小声で喋る二人。
リュカはこれまでの旅で、散々人間の醜い部分を見せつけられてきたが、それでもまだ、性根にある純朴さを失ってはいなかった。
好意的な態度で三角帽子の旅人に声をかける。
「見た所、吟遊詩人とお見受けすますが」
「いかさま。しがない旅の楽士でございます」
吟遊詩人は茶色の長いまつ毛を伏せながら、ポロンと弦楽器を爪弾いた。
先ほど聞こえてきた、美しい調べが再び鼓膜を震わせる。
「かくいうそちらは、遍歴騎士とその従者といった所でございましょうか? いえ、それにしては従者のお顔は麗しすぎる。そうなりますと、主の意向に背いて駆け落ちした御令嬢とその騎士でしょうか? おお、それはまた面白い唄になりそうだ!」
吟遊詩人は良いネタが見つかったと言わんばかりに歓喜して、手が動くままに弦を弾いた。
家畜が眠り 番犬眠り、
夜照らすルナルシア神 御威光が、
石屋根 青白く照らす頃、
その令嬢 宝帯 外し、
騎士に共駆け懇願す、
青き麗しきご令嬢、
御髪まさに青絹が如く、
玉瞳まさにサファイヤの如く、
精悍なる騎士 主に叛し、
令嬢攫って共駆ける、
神父 祝詞を詠まずとも、
教会の鐘は静なれど、
されどその愛 誠であれば、
ならば咎はなきことよ。
おーいえ おーいえ おーいえーい、
おーおー おーいぇい いぇいいぇいいぇい。
「みたいな感じでしょうか?」
「おーいぇいの下りは必要だったのか?」
「即興故に、ご容赦を」
奏でながら次の旋律と歌詞を探っているせいか、所々迷いが見え、最後は完全にグダグダではあったものの、即興であることを加味すれば、吟遊詩人の名に偽りはない見事なバラッドであった。
その美声もさることながら、演奏の腕もかなり立つ。
それ故にリュカは、完全に彼を吟遊詩人であると信じた。
「我々は故あって身分はあかせぬが、どうだろうか。野宿を共にしても構わないだろうか?」
「麗しき乙女のお誘いを断る道理がどこにございましょうか。聖母メロコティーニャに誓って、このヘリワード――無聊を託つことなく、麗しき乙女をもてなすことをお約束しましょうぞ。おーいえーい」
――ポロン。
「歯の浮くような台詞だな。むず痒くて親知らずが飛び出してしまいそうだ。吟遊詩人の口説き文句なぞ、粉挽屋よりも信用ならん」
「そんなこと言っては失礼であろう。面白い人ではないか」
「だからこそ危険なのです! 殿下はもっと警戒心を……! いえ、そこが殿下の美徳ではあるのですが……!」
リュカが庶民の町娘であれば、とっくに騙されて操を散らされていたであろう純心さに頭を抱えるアイゼであったが、自分が傍にいればそんな間違いは起きないだろうと諦め――二人は下馬して、件の吟遊詩人と一夜を共にすることにしたのであった。




