13 おやすみなさい
スぺサイドの民が信奉する月が眠りにつき、東側の稜線より太陽が顔を出す時分。
草原地帯に生える草木は朝露を纏い、東雲の空から降り注ぐ朝日を浴びて艶々と輝いていた。
昨晩――シュタンシュテット伯爵が守護するスタンス城を脱し、追手の追撃を返り討ちにした王子一行は、夜通しの行軍で更に南下していた。
宛てがあるわけではないのだが、王弟ヨハンが牛耳る王都から少しでも距離を置いた方が得策と判断し、とかく南を目指していた次第である。
「ぅ~~~~、朝日が目に染みる……っ!」
爽やかな晨風を頬に受けながら、馬上の女騎士アイゼは、こり固まった関節をほぐすため伸びをした。
無論、胸元で眠る主君を起こさないように慎重に。
その時――ぐらり。
「なっ!?」
最小限の動きを心得ていたにも関わらず、鞍の前輪に座っているリュカの小さな体躯が傾き――糸の切れたマリオネットのように頽れる。
「殿下っ!?」
落馬しそうになるリュカを、アイゼは慌てて外套を掴んで抱きとめた。
王都を脱してからというもの、馬上での移動時間でうたた寝する程度しか出来ていないリュカは、相当な疲労が溜まっていたのだろう。
「ここらでどこか、宿場町があれば良いのだが……ん? で、殿下? 殿下!?」
そう呟くアイゼだが……。
外套の頭巾が外れリュカの面を見た彼女は、主君の様態を見て、態度を剣呑なものへと改めた。
なぜなら――リュカの少女と見紛う可憐が面が、額から顎まで真っ赤に染まり、熱を帯びていたから。
「よもや、川に飛び込んだのが原因か……!?」
リュカは生まれつき体が弱く、温室の如き王宮にいながら体調を崩すのは珍しくなかった。
焚き火で軽く体を乾かしはしたが、それだけではリュカの息災を守護するには役不足であったのだ。
「はぁ……はぁ……」
「凄い熱だ……!」
リュカは辛そうに眉宇を歪めながら、熱い吐息を漏らしている。
青い前髪を掻き上げて額に触れれば、指先が火傷しそうなほど火照っていた。
外套の頭巾で顔を隠していたせいで、主の異変に気付けなかった自分を叱咤するアイゼ。
「わ、私のせいだ……殿下の御体に負担がかかると分かっていながら、川に飛び込もうなどと進言したばかりに……」
主君とは対照的に、自責の念で血の気が失せ青ざめる女騎士は、己の思慮不足を呪う。
主の許可が降りるのであれば即座に腹を切る所存ではあったが、そんなことをすればリュカを守護する騎士がいなくなってしまう。
ギリギリの所で正気を取り戻し、リュカを看病するのに適した場所を探して、アグロに拍車をかけるのであった。
***
数刻後。
アイゼは街道から逸れた場所にぽつねんと建つ小さな農村を発見した。
エルキ大河から枝分かれした小川から水源を引いて農耕しているようで、村から少し離れた場所には水車と粉ひき小屋らしきものが見えた。
日頃の夜会なり社交界なりで夜更かしが常となり、昼前に起きることもおかしくない宮廷貴族と違い、農奴の朝は早い。
アイゼが件の農村に到着したときには、既に三番鶏が鳴いており、村人達は既に朝の支度を終えて、畑仕事に精を出していた。
「もし。そこのお百姓、少しよいか?」
「おや、旅の騎士様でございますか? このような辺鄙な村に、どのようなご用で?」
アイゼは畦道の上で馬を止め、目についた村人に馬上から声をかける。
スタンス城の一件から、どこに王弟派の目があるか分からないので、リュカには目深に頭巾を被せ、顔が見えないようにしながら。
「宿を取りたい。旅籠屋はいずこか? それから医者も」
「へぇ。申し訳ねぇですが、ここは20そこらの家があるだけの小さな村。んなもんはございません。へい。東へ半日も歩けば宿場町がありますんで、そこんなら騎士様に見合う立派な宿もございましょう。馬ならもっと早ええかと。へい」
「徒歩で半日か……」
リュカの体に負担をかけないように駆けても四半日はかかるだろうと、アイゼは脳内で算盤を弾く。
リュカの様態は芳しくない。
件の宿場町に医者がいるとは限らないし、いたずらにリュカの体力を消耗する可能性もある。
アイゼは逡巡の結果、この村に滞在することを選んだ。
「どうしても今、足を休ませたいのであれば、納屋でよければお貸ししますが……?」
「っ! そ、そうか。それはありがたい。是非、厄介にさせてくれ。少ないがこれを」
アイゼは腰帯に括りつけている革袋から、なけなしの路銀である銀子を1つ掴むと、農夫に手渡した。
まずはここで熱が引くまで安静にし、様態が落ち着いた頃合いを見て、大きな街で医者に見せよう。
そのように計画を立てながら、アイゼはリュカを抱きかかえ、納屋に案内して貰うのであった。
***
納屋は年季の入った農具が乱雑に収納された埃っぽい部屋ではあるが、それなりの広さがあった。
リュカとアイゼが並んで寝ころび、手足を伸ばして眠るだけの幅があり、アグロを入れても十分な空間が残っていた。
若干の獣臭さを鑑みるに、予備の畜舎としての役割も持っているのだろうとアイゼは予想を立てる。
そのせいか、嗅ぎなれない獣の残り香に反応し、普段は従順なアグロがどこか落ち着かなげに鼻息を荒くしていた。
納屋の床には藁が敷き詰められており、その上には粗末な布がかけられている。
かけ布団の素材は羊皮だった。
「せめて羊毛が欲しい所だが、贅沢は言ってられぬか」
羊毛・羽毛の布団に、絹のシーツが用意されたスタンス城での待遇と比べれば、天と地の差があるが、文句は言っていられない。
命が狙われないだけでも、お釣りが出る程マシというものだろう。
そう自分に言い聞かせながら、アイゼは少しでもリュカの寝心地がよくなるよう、藁敷きの上に己のマントを被せると、その上にリュカを寝かせたのであった。
***
リュカを藁のベッドに寝かせてた後、農夫から桶を借り、井戸で水を汲んで、湯を沸かして納屋に戻った。
「ア、アイゼ……アイゼ……どこだ……どこにいる……っ!」
「で、殿下っ! ここにおります! ですからどうか、ご安静に……!」
アイゼが納屋に戻るとリュカは上体を起こして、暗闇の中を手探りで探るように右往左往と腕を漂わせていた。
そのまぶたは殆ど開いておらず、まるで母親を求める赤子のようだった。
「あ、ああ……ここにいたのか……心配したぞ……」
「申し訳ございませぬ殿下。私のせいで……」
「いや……そんなことは……ない……アイゼは……これ以上にないくらい……よく、やってくれている……」
息も絶え絶えに部下を労うリュカを見て、アイゼは己の無力さを恥じ入るのであった。
「お湯を用意して参りました。御体の汗を拭わせて頂きます」
「…………ん」
外套を脱がせ、肌着もはだけさせる。
白磁の如き滑らかな肌が露出する。
アイゼは温かい湯で濡らし、固く絞った布で、リュカの熱い額、華奢な首筋、そして鎖骨へと丁寧に布を這わせていく。
汗を拭い清めるという純然たる臣下の務めであるはずが、滑らかな肌を滑る布の感触と、熱に浮かされて漏れるリュカの甘い吐息が、アイゼの理性を激しく揺さぶった。
「(我が主君はいかなる苦境にあっても、かくも美しきお姿であらせられる……)」
とはいえ――流石のアイゼも今は邪念を抱いている場合ではないと自重し、頭を振って雑念を追い払った。
「ああ……気持ちいい……」
「それはようございました。案ずるには及びませぬ、ただの発熱でございましょう。しばらく安静にすれば、元通りになります故、少しの辛抱です」
「だが……不便をかけるな……」
「よいのです。私はそのために殿下に仕えているのですから」
「すまない……すまない……」
「騎士として当然のことでございます」
「(そうではない……わたしがそうやってアイゼに謝れば、彼女は必ずわたしを許してくれる。それを分かっていながら、自分が安心したいがために、謝罪の言葉を口にする自分の浅ましさが……許せないのだ……)」
癖になってしまっているのであろう。
己の無能さを恥じるように。
己の無力さを悔いるように。
毎晩寝る間際、ベッドの上でアイゼに懺悔するように、リュカは半ば無意識に謝罪の言葉を口にし続けた。
そんな主君の小さな叫びを聞き入れながら、アイゼもまた、胸を痛ませ、それでも懸命に、リュカの小さな背中に、湯で絞った布巾を這わせるのであった。
***
「アイゼ……いるか?」
「はい。こちらに……」
「少し、肌寒い……」
「では、失礼ながら……殿下の聖躬に触れることをお許しください」
更に数刻が経過した。
アイゼは頻繁に水で絞った頭巾をリュカの額に乗せ、熱を取ろうとしていたが――未だ熱が引く素振りはない。
彼女はそんなリュカを少しでも温めるべく、同じ藁の上で横になり、リュカを抱きしめた。
リュカの体を蝕む不予の、その一割でも請け負えればどれだけ良いかと月神に祈りながら。
「ああ、温かい……」
「殿下の体調が良くなるまで、こうしておりますので」
自分に医学の心得がないことに歯噛みしながら、アイゼはリュカの小さな体躯を抱きしめた。
過酷な鍛錬で四肢の脂肪を削ぎ落し、筋肉で覆われた筋張った身体と言えども、僅かに残った女特有の脂肪であれば、藁のベッドよりかはリュカを支えられるだろうと思いながら……。
「…………アイ、ゼ」
「はい。なんでございましょうか、殿下?」
「…………アイ、ゼ」
「リュカ殿下……?」
リュカは何度も何度も、力なく自分の騎士の名前を呟き続けた。
既にリュカは眠りに入っており、これは寝言であるのだと悟る。
そして、その桜色の唇から、ゆっくりと続きが紡がれた。
「アイゼ……ありがとう……」
――と。
「(夢の中でも、私の名前を呼んで頂き、嘉して下さる。これほど光栄なこともない。あなたにお仕えできて、私はこれ以上にない幸福に満たされております。どうか夢の中の私が、殿下の瘧を取り払う一助とならんことを……)」
目の前に映る君主の姿が滲み、鼻筋を伝って頬へ一筋の雫が伝っていくのを感じた。
アイゼはその涙を親指で拭い、小さく嗚咽を漏らすのであった。
「うう……まずい……私も……そろそろ……限界か……」
横臥したことで蓄積していた疲労が表層化してしまったのだろう。
アイゼのまぶたもまた、抗えない程に重たくなっていく。
リュカは馬での移動中に浅いうたた寝を繰り返してきたが、アイゼは王都を脱してから一度たりとも――すなわち丸二日間、睡眠を取っていない。
彼女の艶冶な美貌には、深く刻まれた隈で翳りができており――一度も眠ることなく、常に気を張り戦い続けた疲労が伺えた。
かくして、いかに強靭な肉体を持つアイゼも、睡魔には抗えずに、ついに意識を手放したのであった。
しかし――それでもなお、主君を守護するように、彼女は両腕でリュカを抱きしめ続けていた。
壊さないように優しく。
されど。
二度と手放さないように――強く。
それは母親のように。
もしくは姉のように。
もしかすると――恋人のように。
今はただ、忠に厚い女騎士に――一時の安らぎがあらんことを。




