12 もう一つの権能
【前回のあらすじ】
川に飛び込んで濡れた体を乾かすべく、焚き火を熾すと、シュタンシュタットの追手に見つかってしまった。
多勢に後れを取り、リュカを連れ去られてしまうが、愛馬アグロが駆けつけてくれたことで、アイゼはリュカを取り戻すべく森の中に突入するのであった。
「殿下ああああ! いずこへいらっしゃいますか! 返事をしてくだされ!! 殿下あああああ!!」
闇夜を切り裂く咆哮が樹海にこだまする。
身を竦ませずにはいられない、覇気を帯びた絶叫に、森の獣たちは目を覚まし、地を走る獣は怯えるように地に伏せて身を隠し、翼を持つ鳥は梢を揺らしながら一目散に飛び去っていく。
しかし、この絶叫の張本人――アイゼが血眼で探し求めるリュカの行方は、いまだ杳として掴めなかった。
「(アイゼの声が聞こえるぞ! おお、これが聖母メロコティーニャの思し召しか! ああ、だがなんということだ! アイゼの声が遠ざかっていくではないか! アイゼ、気付いてくれ! わたしはここにいる!)」
「殿下!?」
そんな時だった。
顔中に汗を滲ませながら声を張り上げるアイゼの脳裏に、主君の声が直接響いた。
「殿下!? いずこへいらっしゃるのですか!?」
アグロを止めると、馬首を巡らせて方向転換する。
逸る気持ちを押さえつけながら、常足で元来た獣道を引き返した。
「(おお! 再びアイゼの声が聞こえてきたぞ! こっちだアイゼ! わたしはここにいるぞ!)」
アイゼは獅子のような大音声で怒声をあげていたにも関わらず、その声は掻き消されることなく、アイゼの耳に届いた。
いや――正確には鼓膜が振動されたものではない。
脳裏へと直接届けられた、尋常ならざるものである。
アイゼはそれを月神の御導と感じながら、注意深く闇夜に目を凝らす。
すると――恐らくリュカを連れ去った騎馬が乗り捨てたのであろう、二頭の馬が木に繋がれているのを認めた。
さらに周囲をよく観察すると、踏み荒らされた藪の跡が見える。
「(それにほのかに香る脂の匂い……消化した松明の匂いだ)」
背後から迫ってくる鬼人の如き怒声を背中に浴び続けたシュタンシュテットの私兵は、このままでは追いつかれると判断し、馬を捨てて藪の奥へと姿を隠し、アイゼをやり過ごそうとしたのである。
リュカの懸命な祈りが届かなければ、アイゼはそれに気付かず奴らの前を素通りしてしまったであろう。
アイゼはアグロから下馬すると、潰れた藪に脛を突っ込み、分け進んでいく――そして、藪が開かれた場所に、三人の人物を発見した。
「殿下! こちらにいらっしゃいましたか!!」
「なっ! なぜここが分かった!」
「愚か者め。私が殿下の匂いを嗅ぎ違える訳がなかろう!」
「バケモノかこいつ!?」
「んー! んー!」
実際は違うのだが……。
ともかく、リュカとアイゼは無事再会を果たした。
リュカは口に荒縄を巻かれて声が出せないようにされており、その両手は神に祈りを捧げるように組まれていた。
「殿下の滑らかな天唇をささくれた荒縄で傷つけるとは! 万死に値すると思え!」
「待て! これ以上一歩でも近づいてみろ! 王子の命はないぞ!」
「我が主からは、王子の生死は問わないと指示を受けているのだ」
「おのれ……卑劣な……!」
「さあ、武器を置いて貰おうか?」
私兵は二人。
片方はリュカを捕えて、その首筋に短剣の切っ先を突きつけている。
もう片方は、アイゼへとにじり寄りながら、武装の解除を促した。
「んー! んー!」
リュカは荒縄で満足に声も出せない状況ではあるが、必死にアイゼに何かを訴えていた。
「さあ、武器を捨てるんだ!」
「ぬぅ……」
アイゼは臍を噛みながら、愛剣を捨てようとした――その直前!
――光ッ!
「ぬわっ!? 目がっ!?」
月光も差さない深い高い森の闇に、目を焼くような青い閃光が迸った。
それは、先ほどまでリュカの拳中に握られていた――青薔薇の宝珠から放たれた光であった。
仕組みは不明だが、青薔薇の宝珠は使用者の味方に加護を与える際に、青い光芒を放つ。
その副反応を目眩ましに利用したのである。
アイゼをやり過ごすために松明を消して息を潜めていた兵士は、闇夜に目が馴れてしまっていた。
そこに突如、リュカが手の平に隠していた青薔薇の宝珠の光芒を間近で喰らい、目をやられてしまったという次第である。
兵士は突きつけていた短剣を取りこぼし、リュカの拘束が緩む。
即座にリュカは、小動物かくやといった、小柄な体躯を生かした俊敏な動きで拘束から逃れると、アイゼの元へと辿りついたのであった。
「流石は殿下! 見事な転機、恐れ入りました!」
「アイゼを信じていたからこそだ!」
2人は再会の喜びを分かりあいながらも、意識を二人の兵士へ向けるのを忘れない。
「さあ、これで形勢は逆転だな!」
「ぐぬぅ!」
アイゼを捕えようとにじり寄っていた兵士は、慌てて逃げようとするも、足元の木の根に足元を掬われて転倒。
恐る恐る目を開ければ――頭上に鬼神がいた。
瞋恚に燃え滾る瞳で、己を見下ろす女騎士は、宝珠の光を浴び背中に浴びて後光を纏っているようにも見え――見る者が見れば、武僧として歴史に名を刻んだルナルシア月教の聖人――聖女ローザロッタを連想させる凄絶な迫力があった。
最も――今彼女の足元で瞳を滲ませている兵士からすれば、聖女とは真逆――悪魔の化身としか思えないのだろうが……。
「や、やめてくれぇ!」
――などと、両腕で頭を庇いながら情けない懇願をするも、当然聞き届けられるはずもなく、アイゼの凶刃が首に食い込んで絶命した。
「ひ、ひいいいい!?」
先ほどまでリュカを掴んでいた兵士も、視力がまともに恢復しないまま、がむしゃらに藪を掻き分けて逃走を計る。
しかし――
「ヒヒーンッ!!」
「うわあああああっ!?」
――藪の先には、立派な体躯の軍馬が待ち構えていた。
アグロは前足を高く竿立たせて兵士の退路を断つ。
仰け反った兵士は尻もちをついてしまう。
そして――ズブリ。
胸から剣先が飛び出して、やはり絶命するのであった。
かくして――今度こそ危機を脱したリュカとアイゼ。
アイゼは乗り捨てられた馬から馬具を回収してアグロへ移し替えると、リュカと相乗りで樹林を後にするのであった。
「(しかし、殿下の御声が届いた不可思議な現象はなんだったのか……あれも青薔薇の宝珠の権能の一つなのか?)」
アイゼがそのような思案に耽っていると、鞍の前に座っているリュカが、おずおずと声をかけてきた。
「その……アイゼ……わたしの体臭は、そんなに、臭うだろうか……?」
「へ……?」
恥じるように上目遣いで見つめてくるリュカを見て、アイゼは面食らった。
そして思い出すのは、先ほどの一幕。
『なっ! なぜここが分かった!』
『愚か者め。私が殿下の匂いを嗅ぎ違える訳がなかろう!』
『バケモノかこいつ!?』
『んー! んー!』
あの時は勢いでああ言ってしまったが――
「ああ、違うのです! あれは言葉のあやと申しますか! それに殿下の聖躬は馥郁たる香しい香りでございますれば、決して臭い訳があるはずもなく……!! むしろミルクを混ぜた没薬のように芳醇でありながら、唾液に至っては暮春の蜂蜜にも匹敵する甘さで!」
「だ、唾液? それはどういうことだ?」
「ああいえ! なんでもございませぬっ!!」
――アグロは一定の速度で馬脚を動かしながら、先ほどの凛々しさが嘘のように消え失せた飼い主が、情けない声で必死に言い訳をする様を黙然と聞き続けるのであった。




