11 愛があれば王子の頭皮舐めても問題ないよね
獣さえ寝静まった夜半の刻。
パチパチと焚き木の爆ぜる音だけが、静寂に刻まれていた。
エルキ大河沿いに生い茂った森は、大河から運ばれる豊富な水と栄養で過分に育ち、背の高い樫が天を覆うように立ち並び、日中でさえ薄暗いほどであった。
「お体の具合はいかがでしょうか?」
「ああ、温くて気持ちがよい……が……まぁ……その……うん、その」
「座り心地の悪い椅子で汗顔の至りにございますが、何卒、御寛恕くだされ……」
「いや、そういう訳ではないのだ……むしろ……座り心地は……もにょもにょ……とてもよい……」
リュカとアイゼは、共に居心地が悪そうに語尾を尻すぼめながらも、それでもお互いがお互い、役得に預かるように胸を躍らせていた。
なぜなら――アイゼは焚き火を前にした状態で座り込み、その膝の上にリュカがちょこんと尻を預け、リュカの小さな体躯を、アイゼのマントで包み込むようにして、身を寄せ合っていたからだ。
いわゆる床座の背面座位の状態である。
「あの、火の加減は、どうでしょうか? 熱すぎの様でしたら距離を取りますし、まだ寒いようでしたら、近づきますが……?」
「あっ、いや、丁度よい……だから、あまり身を捩らないでくれ……」
エルキ大河に飛び込んで窮地を脱した二人であったが、虚弱体質であるリュカの体温が著しく低下していることを懸念し、シュタンシュテットの追手に見つかるのを承知に、濡れ鼠と化した全身を乾かすべく火を熾すことにした。
より効率よく体温を回復させるべく、アイゼの大きな体を椅子に見立て、リュカがその上に座るという、今の按配となった次第であった。
長くしなやかな腿にリュカの子桃のような尻を載せ、アイゼの豊かに実った大桃のような乳房に後頭部を預けている――といった具合である。
一方――女の味は知らずども、その味に興味を覚え始める年頃のリュカ。
一方――並みの男にはとんと触手は伸びずども、幼い少年の小鹿のような細い手足と、少年とも少女とも取れる中性的な美貌には目がないアイゼ。
二人はお互いに、主従の分を超えた感情――恋慕――を胸に秘めながら、それを相手に悟られぬよう必死に取り繕っていた。
その結果が、上記のようなぎこちない問答である。
「(うう……体はまだ冷たいままなのに、顔だけが熱い……前髪の生え際に汗がたまりこそばゆいが、掻くために身を捩ったら、またアイゼの柔い体を意識してしまう……!)」
「(はぁはぁ……殿下の頭皮が目の前に……! はぁはぁ……っ!!)」
先ほど人命救助にかこつけて、リュカの唇をちゅぱりと吸ったことで、完全に弦が切れてしまった。
アイゼは鼻息を荒くしながら、幼子特有の甘い頭皮の薫りを、鼻腔へと掻き込んでいた。
口端からは涎が伝い、あと少しでリュカのつむじに触れる直前、そのことに気付いたアイゼはじゅるりと涎を啜って不徳を間逃れていた(もはや手遅れな程の不徳を、既に重ねているようにも見えるが……)。
騎士団時代――浮いた噂の一つも立たなかったアイゼであるが、並みの男に興味を抱かないからこそ、好みにどんぴしゃなの異性を前にした時は、騎士として鍛え抜いた理性さえも役に立たないレベルで我を忘れてしまう。
ついにアイゼは、
「(もう辛抱溜まらんっ!! おお! 聖母メロコティーニャよ! 色欲の不徳を許し給え!)」
背の高い梢で、夜空に召し上げられた聖人の目には届くまいと、まるで不倫の言い訳のような解釈を下し、アイゼはマントの下で腕を蠢動させ、リュカの薄い胸元に添えられた桃色の蕾を摘み取ろうとした――その瞬間!
――パカラッ。パカラッ。
複数の爪音が、アイゼの鼓膜を揺さぶった。
「っ! くっ、やはり見つかったか! なんと間が悪い……いや、むしろ助かったというべきか……!」
自分がしようとしていたことを客観視し、慙愧の念を胸の奥底へと叩き込みながら、アイゼは即座に迎撃の支度を整えた。
リュカを背に庇いながら剣を抜き放ち、追手を迎え撃つ。
「火が焚かれているぞ!」
「見ろ! 王子とその護衛がいるぞ!」
アイゼの不徳に天罰が下されたのが理由かは不明ではあるが、スタンス城から放たれた追手は、森の中で焚かれている焚き火の明かりを発見し、逃走した王子とその護衛を発見した。
総勢十人。
しかもその全員が騎乗した騎馬分隊であった。
「女騎士は容赦なく殺せ! 捕えて慰みに使おうなどと思うな! 加減して勝てる相手ではないぞ!」
「囲って全方位から同時に突くのだ!」
「俺は屍姦でも問題ないぞ」
「頼む少し黙っててくれ、今真剣な状況なんだ」
騎馬隊は焚き火を中心に渦を描くように旋回し、呼吸を揃えて同時に槍を繰り出してくる。
「ぐっ! やはり馬なしでは分が悪い……!」
先刻、細い石廊で挟撃を受けた際には難なく包囲兵を全滅させた歴戦の女騎士とて、騎馬と徒歩では遅れを取らざるをえなかった。
愛馬さえあれば十騎の槍騎馬をものともせず返り討ちにできる自信はあるものの、月毛の駿馬はスタンス城の厩舎に残されたまま。
嘆いても詮無いことではある。
「きゃっ!? ア、アイゼっ!」
「殿下ッ!?」
四方八方から繰り出される穂先を振り払うので手一杯となっていたアイゼの死角を突き、騎馬の一騎がリュカの腕を掴む。
リュカはアイゼの元から離れ、騎馬に拿捕されてしまった。
「ふははははは! うつけの王子、捕えたり!」
「きっ、貴様ぁ! 薄汚い手を今すぐ離せ! せざらばその腕切り落とされても文句はないものと思え!」
「抜かせ! この数の槍騎馬に、剣一本で勝てると思うたか!」
まさに絶体絶命。
二人の逃走劇もここまでかと思われた――その時。
「ヒヒーンッッ!!」
――聞き馴染みのある、勇ましい嘶きが耳朶を打った。
藪を蹴破りながら包囲の只中へ飛び込んできたのは、月光を弾く月毛の美馬。
その姿を認め、アイゼは幾多の戦場を共に駆け巡ってきた相棒の名を叫んだ。
「アグロッ!!」
アグロは怯むことなく、包囲の一角を突き崩すように猛然と突撃。
すれ違い様にアイゼは高く跳躍すると、裸馬のアグロに飛び乗った。
「なぜここに奴の馬がいるのだ!?」
「恐れるな! 馬具もつけていない裸馬一匹に何ができ――ぐわあっ!?」
馬上の人となったアイゼは、騎兵の穂先を掻い潜り、一人ずつ追手を屠っていく。
もはや包囲網は機能していない。
なぜここにアグロがいるのか。
騎馬隊のみならず、アイゼにとっても慮外の展開であったが――月神ルナルシアは月星より一部始終を見届けていた。
その子細を記せば――スタンス城に煌々と篝火が焚かれ、逃走したリュカとアイゼを捕えるべく、城門が開け放たれ、騎馬部隊が飛び出した時のことである。
厩舎に繋がれていた月毛の賢馬は、主人の危機を察するや否や、馬首を振り回して縄を取り払うと、厩舎の板壁を突き破って正門へと飛び出した。
そして、人間が太古に捨て去ってしまった獣の本能をもって主人の気配を辿り、闇夜の森の奥へ向かって驀走――――今に至る次第であった。
「女騎士は我々が足止めいたす! 隊長は王子を連れて先に行かれよ!」
「スタンス城まで王子を持ち帰りさえすれば、いかな猛将アイゼリーゼとて手出しはできまい!」
鞍も鐙も手綱もない裸馬に乗った、たった一騎の騎士に、騎馬隊は手も足も出なかった。
気付けば十騎いた騎馬は、四騎まで数を減らしていた。
このままでは全滅。
王子を奪い返されてしまうと察した騎馬隊は、王子を抱えた騎馬と小隊長の二騎が戦線を離脱し、残る二騎が捨て身の足止めに徹する策へと切り替えた。
「アイゼッ!」
「殿下! 必ずお助けいたします! どうかご安心を!」
アイゼは即座に足止めに残った二騎を刀の錆にして、馬首を回す。
しかし――リュカを捕えた残り二騎の姿は、既に森の奥へと溶けていた。
「殿下!!」
主人の焦燥を察したアグロは、拍車を待つ間もなく、自ら馬首を返してリュカが連れ去られた方向へと疾駆するのであった。




