14 おはようございます
熱に浮かされたリュカの意識は、現実と夢の狭間を揺蕩っていた。
まぶたの裏に映るのは、遠い記憶の断片――それは今から五年前、彼がまだ八歳の頃の出来事であった。
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「お初にお目にかかります。某はヒルデガルド・ローゼンベルク閣下の元、鎮撫騎士団副団長を務めておりました。アイゼリーゼ・アイゼンハルトと申します。よろしければ、アイゼと呼んでくだされば幸甚に存じます」
「(怖そうな人だ)」
――五年前のこと。
スぺサイド王国ローゼンベルク朝王太子、リュカ・ローゼンベルク――当時八歳。
彼は片腕でお気に入りの人形を抱きしめ、残りの手で姉のドレスの裾を掴みながら、少年は上記の印象をアイゼに抱いた。
リュカの面前で恭しく跪いているのは、青いマントで身を包んだ女騎士。
背丈は成人男性にも引けを取らない170半ばの長躯であり、鎧の上からでも分かるくらい体格がよい。
武人特有の圧のある声音が、慇懃な態度と組み合わさって、更に威圧感を増していた。
――しかし。
「(美しい女性だ)」
その次に抱いたのは、そんな感想であった。
後頭部で1つにまとめた、馬の尾のような長い金髪。
細くしなやかな蛾眉。
余分な肉を削ぎ落したかのような精悍さの上に、女性特有のふくよかさを重ねたしたような頬。
そして、自分と同じ――青い瞳。
リュカはこの世で最も美しい女性はと問われれば、腹違いの姉であるヒルデガルドと答えるだろう。
しかし――この世で最も好みの顔はと問われれば、リュカは恥じらいながらも、アイゼリーゼの名を出すだろう。
「よ、よ……よろしく……た、頼む……」
だからリュカは、怯えながらも、姉の背中から顔を半分出すように、勇気を振り絞り、アイゼを臣として迎え入れたのであった。
「あら。人見知りなリュカにしては、随分と積極的じゃない。アイゼにリュカのお世話を任せる選択は間違ってないようね」
「(いや……どうみてもめちゃくちゃ警戒されているように見えるのですか……!? 無論、敬愛するアイゼ様の弟君――それもこのように愛らしい少年に仕えることが出来て、無上の喜びであることは確かでございますが!!)」
リュカはアイゼに恐怖と共に好奇心を抱いたのと同様――アイゼもまた、面にはピクリとも出す事はなかったが、己の少年愛好家として性癖が刺激され、一目で恋に落ちたのであった。
「アイゼは私の腹心で鎮撫騎士団の副団長よ。本当なら私の右腕ならぬ右足になって貰おうと思っていたのだけれど、あなたの傅役にすることにしたの」
「姉上と同じ……ちんぶ、きしだん……?」
「そうよ。父上の代わりに、スぺサイドの悪い人達をやっつけるのがお仕事なのよ。そこで彼女は私の次に強かったのよ。だから、きっとあなたを守る盾になってくれるわ」
鎮撫騎士団。
国内における謀反の鎮圧、内乱・内紛の仲介、匪賊の退治など――およそ武力で解決できる問題に、領境を超えて対処するために組織された国王直属の騎士団。
国王に忠誠を誓った各諸侯達には、自領の自治が認められていたが、それでも鎮撫騎士団の介入を拒むことは出来ない。
それだけ強い特権を持ち、それに見合うだけの練度を誇る騎士団である。
海外遠征に夢中で内務を疎かにしている国王リヒャルトに代わり――国王の娘ヒルダが、騎士団を率いて国内の治安維持に奔走していた。
しかしそれは五年前までの話。
ヒルダは不慮の事故により落馬の憂き目に遭い、それが生じて片足に障害を遺すことになった。
かくしてヒルダは鎮撫騎士団長の任を降り王宮で生活を送ることになり、腹心のアイゼはリュカの傅役としてつけられたのであった。
それが――リュカとアイゼの馴れ初めであった。
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最初こそアイゼの武人めいた佇まいに畏怖を抱いていたリュカだが、臆病な王子が女騎士に心を開くにはそう時間はかからず、それはヒルダがアイゼとリュカの双方に嫉妬を抱く程であったとか。
特にリュカは、アイゼの膝の上に座り、古今東西の講談を蒐集した詩集や、騎士物語、童話、詩を読み聞かせて貰うのを好む文弱の王子であった。
アイゼの声は一本筋が通っているようによく届き、凛々しく、何より玲瓏で美しかった。
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それ以外にリュカのお気に入りの遊びは、姉の侍女が世話をしている庭園を物見することだった。
見た目が少女のそれなら、好みも少女に近い感性を持っており、馬上槍試合やレスリングの観戦よりも、花や蝶を愛でることを好んでいた。
とはいえ、普段はなりを潜めている男児の血が騒ぐのも確かであり――時には背丈よりも高い生垣や、入り組んだ曲がり角の多さを利用して、庭園で迷蔵に興じることもあった。
ただ、アイゼはどれだけ花香で包まれた庭園であろうとも、正確にリュカの体臭を嗅ぎ分けることができるため、リュカはいつもあっさりと見つかってしまうのであった……。
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また、二人は敬虔にルナルシア月教徒の務めを果たし、祈りを捧げる日課を怠ることはなかった。
王宮の一画にある礼拝堂にて、共に並んで祈りを捧げ、時折薄目を覗かせては、アイゼの長く豊かなまつ毛や、筋の通った高い鼻を垣間見るのが好きだった。
なお――リュカは知り得ないことであったが、同様にアイゼもまた、無防備に祈りを捧げている、少女と見紛う可憐な横顔を盗み見ては、耽美に浸ってのだが……。
これまで1度もそのタイミングが重なり、2人の視線がぶつかったことがないのは、敬虔な2人に対するルナルシア神の計らいか――
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――とにかく。
リュカはアイゼによく懐き、アイゼもまたリュカによく尽くした。
常に隣にいる強く凛々しく美しい女騎士が、自分の為に尽くしてくれる。
それ故に――幼い少年の情緒が成長していくにつれ、恋慕の情に変わっていくことは半ば必然のことであり……。
気付けば、どこに行くにも手放すことはなかったお気に入りのぬいぐるみは、物置の隅で埃を被り、その役目を終えていた。
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またリュカは同世代と比べても体躯が小さく虚弱の質であり、よく体調を崩した。
そのたびにアイゼは、徹宵でリュカの看病に当たってくれた。
アイゼの手は大きく、温かく、彼女に手を握られながら眠ると、不思議と悪夢を見る事がなかった。
此度もエルキ大河に落ち高熱に苛まれたリュカであったが、見るのは悪夢ではなく、アイゼと共に王宮で過ごした楽しい思い出の数々。
毎晩眠る直前、最後に目にするのはアイゼの顔であり。
毎朝起床の際に、最初に目にするのもアイゼの顔だ。
それは――こうして王宮を追われてもなお、変わることがない。
ただそれだけのことなのに、リュカは温かな感情で胸が満たされる。
リュカの胸の奥で燻り続けるこの感情は、当初は母や姉に抱く家族愛だと思っていた。
でも――そうでないことに気付いてしまった。
「(ああ、そうか――)」
そして――天啓が如く、リュカの頭に、とある事実がもたげた。
「(――わたしは、アイゼを……好いているのか……いや、愛して……いるのか……)」
リュカ・ローゼンベルク、御年13にして初恋を知った瞬間である。
初めて自覚した恋慕の情。
リュカはそれを自分でも不思議なくらいあっさりと受け入れ、安らかな寝息を誰にも邪魔されることなく、深い眠りにつき続けたのであった。
***
そして舞台は過去から現在へ。夢から現実へ。
……。
…………。
………………。
「んあぁ……」
ゆっくりと、青いまつ毛が持ち上がる。
藁と家畜の匂いがする納屋の中、リュカの視界に最初に映ったのは、ついさっきまで夢の中で自分を看病し続けてくれていた、アイゼの顔であった。
「アイゼ……」
アイゼは常にリュカよりも早く目覚め、遅く眠る。
故にリュカは、アイゼの寝顔を見たのは生まれて初めてのことだった。
「そうか……ずっと、傍にいてくれたのか」
リュカは瞬きを繰り返し、アイゼを起こさない様に体調を鑑みる。
靄がかかっていたように重たかった頭は、汗をかいたことですっきりと晴れたように軽くなり、顔の火照りも無散していた。
肉体を蝕んでいた倦怠感も、瘧が落ちたように消え失せていた。
「でも、アイゼの心労を思うと、自責の念で潰されそうになる。手のかかる主で、本当にすまない」
リュカは面前にある従者の顔を覗き込む。
高く細い鼻を中心に据えた、凛々しさを携えた美しい顔。
されどその美貌は、黄金のまつ毛の下に刻まれた深い隈により翳りが差してしまっていた。
苦労が刻まれた従者の顔を見て、リュカは胸が苦しくなった。
「だからどうか、今は安らかに眠ってくれ――そして、いつもありがとう」
夢の中で看病してくれたアイゼに礼を言うのを忘れていたリュカは、代わりに現実世界のアイゼに感謝を述べるのであった。
この世で最も好いた女性に刻まれてしまった隈が、少しでも薄くなることを願いながら……。




