第55話『私の愛する息子へ……』
【登場人物】
誠:主人公。友達思いの優しい高校生。現在の姿は小学生。家族が大好きで早く元の世界に戻りたいと思っている。冬美のことが好き。悪魔が嫌いなので悪魔に対して少しだけ口が悪くなる。
冬美:元気で明るい美少女。現在の姿は小学生。家庭環境が複雑で、この空間に残ることを望んでいる。
孝志:誠の親友。現在の姿は小学生。兄貴肌で面倒見がよくて優しい性格。父子家庭で幼少期は父親から暴力を振るわれていた。誠をいつも支えてくれる存在。誠の握るおにぎりが好き。
五十嵐:誠の親友。友達のことを大切する優しい高校生。医者の家系で裕福な家育ち。放課後の悪魔と契約して皆を閉じ込めた張本人。そこにはある理由が…。悪魔が疲弊するくらいガチガチの追加契約を作った。
【登場する悪魔たち】
放課後の悪魔:この空間を創った存在。関西弁で話すが、ときどき標準語に戻るのが逆に怖い。常にテンションは軽く、距離も近い。見た目は人間のようだが、明らかに異質。誠たちを翻弄する存在。
宇佐美:誠専属の『コーディネーター』。時間や場所を問わず服を用意できる能力を持ち、寸分の狂いもなく時間を把握できるため、【時計】の役割も果たしている。
名前は『宇佐美』。白くふわふわした毛並みを持つウサギの姿をしている。
シェフ:この空間の専属『料理人』。無口で寡黙、人間があまり好きではなく、長話も嫌い。料理に対するこだわりは現実のプロと遜色なく、「料理に関しては嘘はつかない」という姿勢は本物。つい最近新しい契約者を得た。…誠たちの味方?
清掃の悪魔:常にテンションが高くノリの軽い青年。この空間の『清掃員』
軽い口調からいきなり雰囲気がガラッと変わるため油断できない。
誠が苦手意識を持っている悪魔。シェフとは古い友達らしい。
メイド:丁寧な口調で微笑む、美しいメイド姿の悪魔。
冬美専属の「レディースメイド」として身の回りの世話を担う一方でその本性は冷酷かつ策略家。「性格は悪いです」と本人も公言している。つい最近新しい契約者を得た。
整備士
部屋の整備や修理を担当する悪魔。
無骨だが気さくで、誰とでもすぐに打ち解ける“面倒見のいいおじさん”のような存在。
「嘘を見破る能力」を持つ特例の悪魔
普段は豪快に笑う気のいい兄貴分だが常軌を逸した執着と狂気がのぞく、油断できない悪魔である。
最近新しい契約者を得た。
寝室清掃の悪魔
銀髪眼鏡のメイド服を着た少女の悪魔。
主人公誠が偶然にも遭遇した裏方の悪魔。
普段は清掃が終わるとシェフの用意した食事を厨房に設置されている
従業員休憩室で食べている。
かなりのネガティブ思考で一人で突っ走り結論が出るとすぐに手持ちのナイフで自害しようとするので困る。まだまだ謎の多い悪魔である。
(以降、悪魔たちは順次追加予定)
「お母さん!お兄ちゃんのスマホの暗証番号わかったよ!」
ドタドタとうるさい足音を立てて娘が兄の部屋に入ってくる。
――娘の名前は小林 姫香
そして、今、私がいる部屋の持ち主は……
卒業した翌日に、行方不明になった――。
◇◇◇
「番号がわかったって、本当なの?姫香」
埃を取るために持っていたハンディーモップを息子の机に置いて、姫香に近づいた。
相変わらず娘の顔色は悪い。目の下には隈が見えた。
兄が行方不明になってから、姫香は眠れていない。
「うん!冬美ちゃんの誕生日だった!」
「そっ、それは、なんかあの子らしいわね」
冬美ちゃんとは誠の友達の一人で、誠が好きな女の子だ。
私の息子は感情が表に出る子だから、好きな子もすぐにわかってしまう。
それにしても誠、好きな子の誕生日を暗証番号にするなんて……ちょっと気持ち悪いわよ。
「写真とか、それこそメッセージとかに、なにか、ヒントがないかな?」
そう言いながら姫香が写真のアイコンをタップする。
そこには誠が何気なく撮った写真や友達とご飯を食べに行った写真が沢山並んでいた。
スマホに保存された写真には、五十嵐くん、孝志くん、冬美ちゃんと言った息子の自慢の親友たちが映っていた。
今でも覚えている……ご飯を食べられない友達に何かしたいと泣きそうな顔で言ってきた誠の表情を。
本当なら、息子をいじめから守ってくれたあの子たちにずっとおにぎりを作ってあげたかった。
「五十嵐くん、やっぱり……か、カッコいいなぁ」
姫香がタップした写真には友達と楽しそうに笑いながらハンバーガーを食べている五十嵐くんの姿があった。娘の姫香は誠の卒業式の時に五十嵐くんに一目惚れしたらしい。
その前にも姫香が幼い頃に何度か会ってるはずなんだけど、小さいから恋愛感情とかはなかったのかもしれない。
おばさんの私から見ても彼はとても顔が整っているし、同い年の誠よりも落ち着いている印象があった。
それに、私はこの子に感謝しきれないほどの恩がある。
『俺が好きでやってることなので、気にしないでください』
これは、誠のおにぎりを肩代わりしてくれた彼にお礼を言ったときに返された言葉だ。
この言葉を聞いた時、私は息子はなんて優しい友達に出会えたのだろうと思った。
それと同時に私は、五十嵐くんのことが心配になった。
だって、誠と同じ年齢で、うちよりも裕福な家の子供の好きなことが、友達を助けることなんて、少し違和感を覚えた。
「はぁ。ダメだ、写真は卒業式のやつで終わってる。メッセージも、日付が卒業式の前で終わってる」
隣から姫香の落胆する声が聞こえた。
どうやら息子のスマホには行方不明に関する情報は何一つ出てこなかったようだ。
姫香の手から力が抜けて、ゴトっという音と共に誠のスマホがフローリングの上に落ちる。
「……お兄ちゃん。死んだり、してないよね」
震える声で姫香は言った。
「っ、姫香……」
普段は兄に冷たい態度を取るけど、姫香はお兄ちゃん子だ。
私は震える娘の体を強く抱きしめる。
その、抱きしめる自分の手も震えているのだから、心の中で笑ってしまった。
「っ少し、休憩しましょうか。3時だし、貰い物のクッキーがあるから一緒に食べましょ?」
「……うん。食べ終わったら、ちゃんと勉強するね」
目尻に溜まっていた涙を拭うと姫香は、よろよろと立ち上がってリビングに向かった。
こんな状態だから、娘は学校に行っていない。
今日の朝も学校に休みの連絡を入れたけど、学校側もこちらの状況を理解しているようで、とくに理由も聞かれずに了承された。
(そりゃそうよね。知らない方が無理がある)
行方不明になってるのは、誠一人じゃない。
――あの子たちも戻ってきていない。
卒業式の翌日に高校生4人が同時に行方不明なんて大事件を世間が放っておくわけがなかった。
この4人の事件は連日ニュースになって、家の前にも沢山の記者が押し寄せてきて大変だった。
姫香が学校に行かなくなったのもこの頃だった気がする――。
「お母さんはコーヒーでいい?」
リビングに行くと姫香が電気ケトルでお湯を沸かしていた。
ついさっき消したテレビも今はニュース番組が流れている。
「うん。ありがとう」
「私は、ミルクティー飲もうかな」
姫香がキッチンの戸棚からインスタントの珈琲と紅茶のパックを取り出してカップに入れてリビングに持ってくる。よかった。さっきより顔色がよくなってる。
「クッキー今、持ってくるね」
そう言って、リビングを離れようとした時だった――
「冬美ちゃんのせいじゃないよね」
「えっ?」
聞こえた言葉に驚いて振り返ると、姫香は両手にカップを持って無表情のままテレビ画面をじっと見ていた。
「あっ」
姫香の目線に導かれるようにテレビに目を向けると、最近話題になっている
『無差別連続殺人事件』のニュースが流れていた。
少し前までは誠たちの事件が連日報道されていたけど
世間が今、一番注目しているのは――
高級キャバクラ店で起きた薬物中毒者による大量虐殺だ。
被害者の数も多くて、顔の損傷も激しいらしく現在も身元の調査が続いている。
最近の調査でわかったことらしいが、その店では未成年の冬美ちゃんが働いていたらしい。
この事件より前に注目されていたからなのか、被害者の身元よりも先に冬美ちゃんの情報だけが何度も報道されている。
「姫香。不安でも、怖くて、それを冬美ちゃんに押し付けたらダメ。姫香が一番わかってるでしょう?あの子が店にいたのもきっと、なにか事情があったのよ」
「でも、どう考えてもタイミングが良すぎるよっ!あの店って裏で悪いことしてたんでしょ?私は冬美ちゃんのせいだなんて言ってない、冬美ちゃんを助けるためにお兄ちゃんが自分を犠牲にしてないか心配なのっ!」
「! 姫香……」
「お兄ちゃん、馬鹿みたいにお人よしだし、優しいから。孝志くんだって同じだよ……きっと、冬美ちゃんやお兄ちゃんを絶対見捨てない」
姫香は、孝志くんに懐いていた。恋愛感情というよりは、もう一人のお兄ちゃんのような存在だ。
とくに吹奏楽部に入ってからは帰りが遅くなることも多く、誠や孝志くん、冬美ちゃんが迎えに来てくれていたからだ。……まぁ、姫香は飽き性だから長く続かなくて、部活はすぐに辞めてしまったけど。
一方で五十嵐くんは、家の事情なのか決まった時間にオンラインの授業があるらしく、姫香の迎えに来ることはなかった。
姫香は誠の友達が大好きだった。一人は頼りになるお兄ちゃんで、もう一人は優しくて天然のお姉ちゃんといったとこだろう。だからこそ、姫香は二人の性格をよく知っている。
「そうね。あの子が一人なら、きっと泣きながら逃げ出していたでしょうね」
あの子が生まれてからずっとそばで見てきたからわかる。
「でも……あの二人が人質にとられていたとしたら、誠は絶対に逃げ出さないわ」
私の息子は弱くて泣き虫で、いつも考えてから行動を起こすタイプだけど、孝志くんと冬美ちゃんに関しては迷いなく行動する。
誠がいじめにあっていることはすぐに気づいた。
あの子は感情が表に出る子供だから……
すぐにクラスの担任の先生に確認するために学校に話を聞きに行った。
「いじめなんて、ウチのクラスでは絶対にありえません!みんな、いい子ですよ」
誠の担任の先生は新人の先生のようで、いじめなんて無いの一点張りだった。
話し合いが長引くと、なぜか教頭や校長までも参加してきて、結局はうやむやになって終わってしまった。
ただ疲れるだけで改善点の一つも出さない無駄な会話。
その日も、次の日も……息子の顔には「学校に行きたくない」という感情がありありと現れていた。
私がいじめの現場に直接殴り込みに行ければいいのに、でも、そんなことをしたらあの子の肩身がもっと狭くなるだけだ。
気づいているのに、もどかしく、悔しい気持ちに帰りの電車のつり革につかまりながら、私は強く唇を噛み締めた。
「ねぇ、お父さん。あまりに酷いようなら、誠を、通信制にしたいって考えてるんだけど」
晩酌をする夫におつまみを出しながら真剣な顔でそう言えば、少し顔を赤くしながらも夫は顎に手をやり考えるようなそぶりを見せた。
「前に言ってたいじめのことか?そうだな……俺は別にいいぞ、あの子は頭もいいし、通信でも大丈夫だろう」
「えっ!い、いいの?あ、ありがとうアナタ。私、あの子の顔を見てる心配になるの……っ自殺とか、どこか、私たちの知らない場所に行っちゃうんじゃないかなって」
それなら、そんなことになるくらいなら、学校なんて行かなくていい。
元気に笑って生きてくれるだけでいいの。
世間や周りに合わせてあの子の優しさが殺されてしまうなら
それが正しいと言われる世界なんて捨ててしまえばいい。
「私、明日あの子が学校から帰ってきたら話してみるわ」
「あぁ、俺もできれば参加したかったんだけど。ごめん、明日は会議で遅くなりそうなんだ」
「ううん。気にしないで、私はアナタが賛成してくれただけ嬉しいんだから」
「当たり前だろ。誠は俺たちの大事な子供なんだ。子供の幸せを考えるのが親ってもんだろ」
「そうね。ありがとう」
夫と話すたびに私はこの人と結婚してよかったと思う。
家族を、家計を支えているのは夫なのに、休日には姫香や誠をファミレスに連れて行ってくれるし、料理も作ってくれる。
けして裕福な家ではないけれど、私はこの人と家族になれたこと、誠と姫香がいるだけで幸せだった。
「これ、よかったら使ってくれ。俺が最初の頃に使ってたパソコンなんだけどさ、もう古い型で新しく替えたんだよ。検索するくらいなら普通に使えると思うから」
洗い物を終わらせてリビングに戻ると夫が私に一台のノートパソコンを手渡してくれた。
私は、夫にお礼を言ってそのパソコンで通信制の学校を検索した――。
◇◇◇
私が悩みに悩んで、通信制の学校の候補を3つに絞ったくらいの頃だった。
「誠、あんた今日何かいいことでもあったの?」
「へ?ど、どうしてそんなこと聞くの?」
いじめ疑惑が出てから誠の表情はいつも観察していたから気づいた。
その日、確実に息子の表情に変化があった。
誠の表情は珍しく嬉々とした感情が見えた。
いつもは帰ってきたら部屋に直行する息子が何か言いたげに口を堅く結んでいる。
目線は床と私を行ったり来たりしていて、落ち着きがなかった。
「っあの、ぼ、ボク。と、友達できたんだっ」
「友達?だれ?お母さんが知ってる子?」
「前に、絆創膏あげた、犬飼くん」
「!あら、あの子とお友達になったの?」
少し前に誠はクラスメイトの犬飼くんに助けられたと言っていた。
国語の本読みに緊張して声が上ずってクラスメイトに笑われた時、犬飼くんだけが誠の味方になってくれたらしい。
今どき珍しい、優しい子だと思った。
「犬飼くんとお友達になれたの?よかったわね、誠!」
「う、うん!すごく緊張したけど、僕から友達になりたいって言ったんだ」
誠は少し頬を赤らめると、ランドセルの持ち手を強く握ってそう言った。
ビビりなこの子にしては珍しく思い切った行動をとったものだと驚いた。
きっと、自分の殻を破ってもいいくらい犬飼くんと友達になりたかったのだろう。
「ちゃんとお友達のこと大切にするのよ」
「うん!」
誠は犬飼くんと友達になったことを自慢したかっただけなのか、話が終わると自室の方に走って行ってしまった。本当にわかりやすい子だ。
「そっかお友達ができたのね……」
安堵のため息をはいて、私はパソコンの方に目線を向ける。
「犬飼くんがいるなら、あの子にこれは必要ないか」
私は、ソファーに座りなおすとお気に入りに入れていた通信制の学校のサイトや体験談ブログをすべて削除した――。
——と、そこまで思い出したところで、テレビの音が妙に大きく耳に入った。
『……店内では毎日のように——』
アナウンサーの声が、現実へ私を引き戻す。
「泣き虫で、弱虫のままでよかったのにね……」
友達ができたことで誠は変わった。
おにぎりの時に誠の変化にもっと早く気付くべきだったかもしれない。
頭の中には『たられば』がぐるぐると渦巻いて、胸が痛くなった。
「お母さん?」
私の声が聞こえたのか、姫香が心配そうに私の方に歩み寄ってくる。
「弱いままだったら、あの子は行方不明なんかにならなかったかもしれない」
テレビ画面には、あのキャバクラで働いていた元従業員の人がインタビューを受けていた。
店内では毎日のように賭博や未成年による性的接待などの違法行為があったとか。
冬美ちゃんをしっかり見たのは小学生の頃の運動会だった。
誠から話は聞いていたけど、あの子の周りだけ景色が違った。
一瞬、芸能人の子供でもいるのかと見間違えるほど、彼女の美しさは異質だった。
こんな可愛い子が誠の友達だなんて、正直言って信じられなかった。
「お腹減った~!」
お昼の時間になって、グランドにいる子供たちが両親のもとに駆け寄っていく。
誠は、後ろに友達を連れて私たちの場所に駆け足でやって来た。
友達の一人の五十嵐くんはお弁当を職員室に預けているらしく、一人校舎に戻って行ったらしい。
事前に三人のご家族が来ないことは誠から聞いていたけど、現実を目の当たりにするとなんだか胸が苦しくなった。
「冬美、コレが母さんの唐揚げ、僕のおすすめ!すごく美味しいんだよ」
母親の心情など気にした様子もなく、誠は嬉しそうに弁当の唐揚げを冬美ちゃんと孝志くんに渡した。
家族の分を考えて作ってきているから、そんなにお友達に唐揚げを渡されるのは困るんだけど……
「バカ。そんなに配ったら誠のお母さんとか姫香ちゃんのぶんがなくなるだろ。俺らには五十嵐の弁当あるから気にすんな」
「えっ、た、食べちゃダメなの?」
空気を察したのか、孝志くんが一度受け取った唐揚げを弁当の中に戻した。
誠と同い年なのに、大人と同じくらいに空気を読む子だと思った。
逆に冬美ちゃんはとても素直に顔に「食べたい」という感情が出ていて、申し訳ない気持ちになる。
私が少しだけ戸惑っていると、隣に座っていた夫が無言で紙皿に唐揚げを二つ置いて孝志くんに手渡した。「えっ」と今度は孝志くんが驚いていた。
「誠から孝志くんがリレーのアンカーだって聞いてるよ。なら、しっかり食べなさい。子供なんだから、大人に遠慮なんてしなくていいんだよ」
「っい、いいの?」
「俺は、まだ食べるものいっぱいあるし。冬美ちゃんも遠慮しないで食べなさい」
「えっ!あ、ありがとうございます」
「父さん。っありがとう」
私と同じように家族と友達のやり取りを眉を下げて見守っていた誠は夫の言葉を聞くなり、表情がわかりやすいくらい明るくなった。
そして、冬美ちゃんと孝志くんは少し照れくさそうに笑うと私の作った唐揚げを美味しそうに頬張る。
「っおいしい!!!」
「うまっ!中から肉汁が、すげぇ出てくる!」
思った以上にとてもいい反応をするものだから自然と頬が緩んでしまう。
そんな私の顔を夫が優しい眼差しで見つめている。
私に聞かないで勝手に決めたことは、この二人の笑顔に免じて許すことにした。
「すいません。お邪魔します」
遅れて五十嵐くんがやってくる。
彼の手には見るからに高そうな白い布に包まれたお重の箱があった。
「あの、よかったら一緒に食べてください。俺たちじゃあ食べきれなくて捨てちゃうんで」
「えっ、でも、それすごく高そうだけど。私たちも食べていいの?」
「はい。誠のおにぎりのおかげで、俺はコイツ等と友達になれたんです。いつか、誠の両親にはお礼がしたいって思ってたんで」
俺が作ったものじゃないですけど、そう言って五十嵐くんが白い包みを解いてお重の箱を開いた。
私と夫は箱の中身を見て、固まった。
「あ、アワビ」
「おい、まさか、このご飯の上に載ってるでかいキノコって……ま、松茸じゃないよな!?」
「うそでしょ!?」
「そうなんですか?俺、中身とか気にしないで買ったんで」
「ち、ちなみに、言いたくないなら別にいいんだけど。これ、いくらしたの?」
恐る恐ると言ったように、デカいアワビを箸で持った夫は五十嵐くんに尋ねた。
少し考えこむ彼の隣では誠たちがお重の中を覗いて「僕はこれ食べる」だの「私これ食べたい」と言って見るからに高そうな食材を安い紙皿の上にポンポン載せていく。
「そうですね……料金追加して中身少し増やしてもらったんで、大体5万くらいですかね」
「ごっ……!?」
話には聞いていたけど、さすがお金持ち。金銭感覚が私たちと天と地の差がありすぎる。
いや、月とスッポンと言った方が正しいか。
「でも、冬美は誠くんのお母さんが作ってくれた唐揚げの方が好きだなぁ。すっごく美味しいもん!」
冬美ちゃんは松茸入りのご飯を一口食べると、すぐに食べかけの唐揚げを美味しそうに頬張った。
松茸よりも上なんて、なんて嬉しいことを言ってくれる子なのだろう。
「ありがとうね、冬美ちゃん。もっと作ってくればよかったわね。気が利かないおばさんでごめんね」
「えっ、そ、そんなことないよ!だって、こうやって一緒に食べてくれるの、許してくれただけで冬美は嬉しい!運動会なんて、いつも一人で……なにも、食べない方が当たり前だったから」
「冬美ちゃん……」
冬美ちゃんの家庭のことは、噂で知っている。
奥様方の情報網とは恐ろしく詳しいもので、冬美ちゃんのお母さんの話は、こっちに引っ越してすぐにご近所のおばさんたちから聞いていた。
関わらない方がいいと何度も言われていたのを思い出す。
私は噂で人を決めつけることはしない。
現にこうして冬美ちゃんと実際に会って話してみてわかった
(やっぱり噂は噂ね……)
冬美ちゃんはとても素直で可愛くて、少し天然で食べることが好きな女の子だ。
今も、誠の皿から唐揚げを強奪している。
「唐揚げもらった!」
「も~、冬美は本当に唐揚げが好きなんだね」
「うん。好きだよ、この唐揚げはね、なんだか優しい味がするの」
冬美ちゃんは目の前の高級食材の並ぶ弁当箱など目もくれず唐揚げや卵焼きを幸せそうに頬張った。
高級弁当よりも私が作った弁当の方があっという間に中身がなくなって、遅れて来た姫香に申し訳ないと思ったけど、姫香は高級弁当を喜んで食べていたから、まぁ、結果よければ良しということにした。
◇◇◇
私は今でも、あの冬美ちゃんの表情を覚えている。
きっと、あの時の彼女は本当の立花冬美だった。
「冬美ちゃんは幸せになりたい子だった。だから、もし、本当にあの店で働いていたとしても……」
――彼女の意思ではないわ。
冬美ちゃんのことを何も知らないコメンテーターが間違った解釈で彼女は実はどうだとか、そんな話をしている。はらわたが煮えくり返りそうなほど腹が立った。
「お母さん……っうん。そうだったね、冬美ちゃんは、優しくて、でも、ちょっと天然入ってて……普通の女の子だもんね」
私と同じように姫香も後ろを振り返る。
そして、濡れた瞳でテレビの向こうの人たちを強く睨みつけた。
しばらくテレビを見ていると、最近アニメ化して話題の異世界転生系のアニメのCMが流れた。
「あ、これ、冬美ちゃんが好きな漫画だ」
「えっ、そうなの?」
「うん。現役の弁護士が異世界転生する話。お兄ちゃんが最初の一巻だけ冬美ちゃんにあげたの。それ以降は全部冬美ちゃんが集めてるんだって」
「へぇ、異世界転生も、ついに弁護士が転生する時代になったのね」
アニメのことはよくわからない。
誠の買ってくる漫画本にいつも『転生したら~』というタイトルがついてるのを知ってるくらいだ。
「……お兄ちゃんも、異世界に行ったのかな」
「姫香……」
姫香の言葉は普通の人なら理解できないだろう。
でも、私はわかる。
だって同じように安否のわからない家族を待っているから。
異世界に行っていれば、誠は最強になってチート能力が使えて強い仲間に囲まれて幸せに暮らしている
――現実逃避のようなものだった。
「っだってぇ……異世界だったら、お兄ちゃんっ、死なないかもしれないじゃんっ!お兄ちゃんも、お兄ちゃんの友達も、みんな優しいからっ」
姫香の心は、もう限界が来ている。
「異世界の人たちは優しい人が好きだからっ……姫香たちのところに、帰って来なくてもっ……っ異世界で、生きてるかもしれないなら」
そう思わなければ心がもたない状態まで来ていた。
「異世界に、行ってて欲しいよぉ……っ!」
「っ姫香!!」
泣きじゃくる姫香を私は強く抱きしめた。
アニメのCMはいつの間にか終わって、テレビは再び報道番組に戻って今度はお笑い芸人が事件に対して何か言っている。
異世界には行けない、けれど、私たちの今いる世界は異世界のようなものだろう。
世間と、私たちの感じる世界の空気が違いすぎるからだ。
「っそうね。異世界に行ってればいいよね。でもね、誠は異世界になんて行ってないの」
「っちがうもん。だって、アニメではいっぱい、沢山の人が異世界に行ってるんだよ?お兄ちゃんが行ってたって、おかしくないよ」
「そうね。でも、姫香はそれでいいの?異世界に行ったら、お兄ちゃんとはもう一生会えないんだよ?」
酷いことを言っている自覚はあった。
きっと普通の親なら子供のために希望を持たせることを言うだろう。
でも、異世界なんて非現実的な話を認めてしまえば、姫香の中で誠の生きた記憶が無くなって
――幻想のような存在になってしまう。
それだけは、誠のためにも避けなければダメだ。
「あの子はね、約束を破らない子よ」
「約束?」
「卒業式の帰り道にね、誠は約束してくれたのよ」
私は姫香の頭を優しく撫でながら、あの日の帰り道を思い出した……。
『あのさ、僕お給料入ったら、母さんや父さんに何かプレゼントしたいと思ってるんだ。なにか欲しいものある?』
卒業証書が入った筒を大事に抱えながら、誠が緊張した面持ちで前に座る私たちに話しかけてきた。
『まだ働いてもいないのに気が早いわよ』
『ははっ、いいじゃないか。そうだなぁ、父さんは家族みんなと美味しいもの食べたいかな』
『た、高いのはダメだよ!?』
『美味しいものか、焼肉とかいいんじゃない?』
『お、焼肉いいな!じゃあ、誠の初任給は家族で焼肉だな!』
『焼肉か。うん!いいね。僕、みんなに焼肉奢るよ!』
あの時は急に言われたから、正直言って何が言いたいのかわからなかったけど……
「あの子の初任給でね、焼肉をね、食べに行くの」
テレビの音だけが響く室内に私の言葉はとてもハッキリと聞こえた。
自分でも笑ってしまうくらい場違いな言葉に心がほんのり温かくなる。
「焼肉?」
腕の中で困惑した表情を浮かべた姫香が私をゆっくりと見上げる。
「うん。だから、誠は絶対に帰ってくるわ。だって、あの子はまだ家族に焼肉奢ってないんだから」
「な、なにそれ。……でも、焼肉って、なんかお兄ちゃんらしいね」
私を見上げながら姫香は、柔らかな笑みを浮かべた。
「でしょう?異世界行くより、焼肉のほうがあの子らしいのよ」
「っうん。そうだね……私も、焼肉を楽しみにして、待ってようかな」
気休めでしかない話だったけど、姫香の心は少し落ち着いたようだ。
照れくさそうに顔を赤らめて姫香は腕の中から抜け出すと玄関に走って行った。
きっと私の代わりにクッキーを持ってくるつもりなのだろう。
「飲み物、冷めちゃったわね」
テーブルの上には湯気の消えた珈琲と紅茶があった。
私は先にテレビを消してそれを手に取ると台所に行って中身を捨てた。
そして、中身のなくなったカップに新しくインスタント珈琲と紅茶のパックを入れると電気ケトルに水を足してスイッチを入れる。
静かになった室内を眺めていると、リビングの壁に貼られたコルクボードが目に入った。
そこには、家族との思い出の写真が貼られている。
幼い誠が産まれたばかりの姫香の頬つついて、カメラに向かって満面の笑顔を向けていた。
「異世界でも、どこにいてもいい。元気に笑って生きてくれるだけでいいの……」
言葉を吐き出すだけで、胸が苦しくなった。
胸の前で、祈るように強く手を重ねた。
祈る相手は、神様じゃない。
きっと、神様は私の身勝手な願いなど許してくれないだろう。
それでも……
「っお願いだから……」
死ぬことだけは、選ばないで――。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




