第六話
「……どうしてだ」
夜斗は床に座り込んだまま、掠れた声を絞り出した。
「どうして、そんなことができる……? あんたは一体、何なんだよ……」
剣理は少しだけ考え、そして正直に答えた。
「……斬れるから、かな」
「また……その言葉か……!」
夜斗は乾いた笑いを漏らした。
「はは……ははは……!」
自分は何をしていたのだろう。
学園を裏から牛耳り、強者たちをチェスの駒のように操り、生徒会長を失脚させ、すべてを手に入れる。そのために何年もかけて緻密な計画を練り、知略を巡らせ、泥を被って努力してきた。
自分なりに、必死に生きてきたつもりだった。
なのに。
たった一人の、すべてを無頓着に生きる男が、その野望のすべてをあまりにも軽々と踏み潰した。
「……俺の負けだ」
夜斗は力なく頭を垂れた。剣理は小首をかしげる。
「そうなの?」
「ああ……完敗さ」
「そっか。じゃあ、帰っていい?」
「……勝手にしてくれ」
「うん。夕飯、まだ食べてないんだよね」
剣理はそれだけ言うと、もう振り返ることもなく、壊れた装置の横を通り過ぎて歩き出した。
*
事件の発覚は、その一時間後。
地下研究区画の壊滅、および神代夜斗による学園管理システムの不正アクセスと暴力行為が発覚し、夜斗は即座に無期限停学処分となった。
そして事件の当日、その場にいた永遠剣理には、当然のように生徒会室での事情聴取が行われていた。
「……で?」
生徒会長机の向こう側。九条玲華は、腕を組んでジト目を向けていた。
「どうして地下研究区画の装置があんな木端微塵に破壊されていたのかしら、永遠くん?」
「いや、あれは……」
「壊したのね?」
「……うん」
「どうして?」
「変な音がしてうるさかったから」
「…………」
玲華は目を閉じ、こめかみを押さえて深呼吸をした。
怒ってはいけない。怒ったら負けだ。彼は悪意を持ってやったわけではない。ただ、学園の重要機密である『特級異能封印装置』を、素手で綺麗に两断しただけだ。
「……ねえ、剣理」
「はい」
「あなた、自分が何をしたのか分かっている?」
「装置を壊した」
「そうよ!」
玲華が机を叩くと、剣理はびくりと肩を揺らした。
「……ごめん」
「……っ」
そこまで素直に謝られると、追及の言葉に詰まってしまう。しかも本人は本気で反省しているように見える(実際には「修理費を請求されたらどうしよう」と心配しているだけなのだが)。
「……もういいわ。次から、物を壊す前に私に相談しなさい」
「……相談したら、壊していいの?」
「そういう意味じゃないっ!」
「難しいな……」
頭を抱える玲華を見て、剣理は真剣に首をひねった。
やれやれと息をついた玲華は、ふと思い出したように問う。
「……それより、一つだけ聞いておきたいことがあるの」
「何?」
「異能を完全に封じられた状態で、どうしてあんな真似ができたの?」
「あんなこと?」
「装置を両断したことよ。それに、監視カメラの映像を見たわ。あなた、影を素手で掴んで引っ張り出していたわね」
「ああ、あれね」
剣理は自分の右手を見つめた。
「別に、剣がなくても斬れるし」
「…………は?」
玲華の動きが完全にフリーズした。
「……今、なんて言った?」
「剣がなくても、斬れるよ」
「…………」
「でも、剣があった方が楽だから、いつもは使ってるけど」
玲華はゆっくりと椅子の背もたれに体を預けた。思考が追いつかない。
剣理の異能は「剣を造り出す」ものだ。だから彼は、その剣を使って戦っているのだとばかり思っていた。
違った。
彼は剣がなくても斬れる。剣があれば、もっと楽に斬れる。ただそれだけの違いだった。
「……あなたね」
玲華は疲労困憊といった様子で額を押さえた。
「本当に、どこまでバケモノなのよ……」
「……バケモノ?」
「褒めてないわよ!」
「そうなんだ」
剣理は少しだけ残念そうな顔をした。玲華はもう、これ以上ツッコミを入れる気力すら湧かなかった。
*
その夜。静まり返った学園の屋上。
剣理は夜風に吹かれながら、ぼんやりと星空を眺めていた。
彼はふと右手を開く。
そこに、淡い光を纏った一振りの剣が現れた。
異能【不屈の剣】。絶対に折れることのない、彼だけの相棒。
「……やっぱり、こっちの方がしっくりくるな」
素手でも斬れる。だが、剣があればもっと綺麗に、手軽に世界を断てる。だから彼は剣を使う。それだけだ。
軽く空に向かって振るう。
音もなく、遥か上空の雲が一直線にスパリと両断された。
彼はそれを見上げて、満足そうに微笑む。
そこには勝利の悦びもなく、強者としての傲慢もない。ただ、純粋に「斬る感触」を愛する少年の姿があった。
だが――彼が知らないところで、この日の夜の出来事は、学園中の生徒たちの間で凄まじい波紋を広げ始めていた。
――永遠剣理は、異能を封じられようが、武器がなかろうが関係なく最強である。
――あいつは、もはや人間ではない。歩く天災だ。
その噂を聞きつけた者たちは、それぞれの思惑を胸に抱き始める。
彼を超えようと牙を研ぐ者。その力を利用して野望を果たそうとする者。彼の秘密を暴こうとする者。
そして――。
*
翌朝。
爽やかな朝の光が差し込む教室に、ひとりの転入生がやってきた。
白銀の髪。透き通るような涼やかな青い瞳。凛とした佇まいと、どこか人間離れした、ひんやりとした透明感を纏う少女。
彼女は教壇に立つと、静かに一礼した。
「……天音シオンです。よろしくお願いします」
担任が説明を加える。
「彼女は海外の特務機関から推薦を受け、特例で本学園に編入することになった。実力は……まあ、言うまでもなくSランク相当だ」
教室がどよめいた。
だが、シオンは周囲の喧騒など気にも留めず、淡々と歩き出す。そして、一直線に窓際の席へ向かった。
――そこは、永遠剣理の隣の席だった。
シオンは剣理の机の横で足を止め、じっと彼を見下ろした。
「……あなたが、永遠剣理?」
「うん。そうだけど」
剣理が首を傾げると、少女の青い瞳がかすかに揺らいだ。
それは恐怖でも、敵意でもない。長旅の果てに、ようやく目的地にたどり着いたかのような、深くて切実な熱情だった。
「……やっと、見つけた」
小さく、しかしはっきりと彼女は呟いた。
「えっと……僕を?」
「ええ」
シオンはふっと、儚げに微笑んだ。その笑みは美しかったが、どこか恐ろしいほどの空虚さを孕んでいた。
「ずっと、あなたを探していたの」
「……そうなんだ。僕、何かしたっけ?」
首を傾げる剣理に対し、シオンはゆっくりと身をかがめ、彼の耳元へと顔を寄せた。
周囲の生徒たちが息を呑む中、彼女は絹糸のような声で囁いた。
「――私を、殺してくれるまではね」
その瞬間。
剣理の右手で回っていたペンの先が、ピタリと止まった。
紙の上で、インクが黒く、丸くにじむ。
彼は初めて、目の前の少女をしっかりと見据えた。
いつもは弛緩している彼の瞳の奥で、ほんの小さな、しかし確かな「光」が灯る。
斬ることを愛する男。
そして、斬られることを望む少女。
ふたつの異質な運命が交錯したとき、学園を揺るがす本当の物語が、静かに幕を開けようとしていた。




