第五話
神凪学園には、奇妙な噂がある。
Sランク序列第二位、永遠剣理。
彼は、異能がなければただの取り柄のない男なのではないか。
その根拠は、彼の持つ異能にあった。
【不屈の剣】。
――絶対に折れることのない剣を、一本だけ造り出す能力。
たったそれだけ。
炎を放つわけでもなければ、雷を操るわけでもない。肉体を強化するわけでも、空間を支配するわけでもない。ただ「剣を造る」。
それだけの地味な異能で、なぜ彼が学園の頂点近くに君臨しているのか。
その疑問に対して、大半の生徒はこう答える。
「――きっと、あの剣が異常なほど強いからだ」
だが、それは根本的に間違っている。
剣が強いのではない。永遠剣理という男が、狂おしいほどに強いのだ。
その真実を誰も知らないまま、ひとりの少年が破滅への道を歩み始めていた。
*
放課後――午後五時二十分。
神凪学園の地下研究区画。普段は教職員と一部の研究員しか立ち入れない禁忌の領域に、剣理の姿があった。
「……へえ」
彼は目の前にある異様な代物を眺めていた。
巨大な円形の機械。床に刻まれたおぞましいほどの術式。天井から垂れ下がる異能制御用の太いケーブル。そして、その中央にぽつんと置かれた一脚の椅子。
「これ、何?」
「異能封印装置だよ」
答えたのは、神代夜斗だった。
柔らかな笑み。丁寧な物腰。相手に警戒心を抱かせない天性の話術。学園の裏側で暗躍する策士の顔は、今のところ完璧に仮面に覆われている。
「君の異能について、少し興味があってね」
「僕の?」
「ああ。君の【不屈の剣】は非常に興味深い。あれほど単純な異能で、どうしてあんな規格外の戦闘力を発揮できるのか。研究者としても、一人の異能者としても、ぜひ一度実測してみたくてね」
「ふうん」
剣理は素直に頷いた。自分の異能について考えたことなど一度もない。剣が出る、斬れる、折れない。それだけだ。
だから「研究したい」という人間がいるなら、好きにすればいいと思った。
「で、何をすればいいの?」
「簡単さ。あの椅子に座ってくれればいい」
「わかった」
剣理は迷うことなく、すんなりと椅子に腰掛けた。
夜斗は内心でほくそ笑んだ。――警戒心がなさすぎる。Sランク序列第二位ともあろう者が、こんなにも簡単に罠へ飛び込んでくるとは。もっとも、警戒していたところで結果が変わるわけもないのだが。
夜斗は操作盤に手を置いた。
「それじゃあ、始めようか」
「うん」
次の瞬間。床の術式が一斉に強烈な光を放った。
空間を埋め尽くす異能制御波。対象の生体エネルギーを検知し、その発動機構を根底から強制停止させる特殊な波動。
Sランクの異能者であっても、この中に放り込まれれば完全に無力化されるはずだった。
機械が耳障りな稼働音を鳴らす。夜斗は目を細めて剣理を観察した。
「どうだい?」
「……何が?」
「異能の調子さ。何か違和感はないかい?」
「うーん」
剣理はいつものように右手を開き、剣を呼び出そうとした。
しかし――何も起きない。
「……あ」
剣理は、ほんの少しだけ目を丸くした。
「剣、出ないね」
「そうだろうね」
夜斗はもう笑みを隠さなかった。その顔には、剥き出しの優越感が張り付いている。
「君の異能は完全に封じられた。これで、君はただの無力な人間だ」
「へえ」
「驚かないのかい?」
「いや、驚いてるよ」
「……そうは見えないけどね」
「そう?」
剣理は、自分の何もない右手をぼんやりと眺めた。
剣が出ない。なるほど、これは確かに少し不思議な感覚だ。いつもなら無意識に出せるものが出ないのは、人生で初めての経験だった。
だが――だからといって、特に困ることもない。
出ないのなら、出さなければいい。それだけのことだ。
夜斗はその反応に、わずかな気味の悪さを覚えて眉をひそめた。
「……君は、本当に何もわかっていないんだね」
「何が?」
「君の強さは異能によって成り立っている。剣を生み出す能力がなければ、君はただのサンドバッグだ」
「……そうなの?」
「そうさ」
夜斗は背後の闇に視線を送った。合図とともに、隠れていた数人の生徒たちが姿を現す。彼らの手には、実戦用の重い訓練剣が握られていた。
「安心してくれ、殺すつもりはない。ただ、異能を失った君が、その慢心通りにどこまで戦えるのか……それを確かめたいだけだ」
夜斗は冷ややかに微笑んだ。
「さあ、始めようか。永遠剣理くん」
*
最初に動いたのは、前衛の三人だった。
正面から一人、左右から二人。見事な挟撃の連携。剣理が剣を持っていれば、彼らは近づくことすらかなわなかっただろう。
だが、今は違う。剣理には武器がない。異能も封じられている。彼らにとっては、まさしく一生に一度の「勝ち目」だった。
「悪く思うなよ!」
正面の男が、重い訓練剣を全力で振り下ろす。
剣理は、ただ半歩だけ体を横にずらした。
空を切る風音。
剣理の手が、すべり込むように男の手首に「軽く触れた」。
「あ、ごめん」
「へ?」
次の瞬間、男の体が前につんのめった。剣理が投げ飛ばしたわけではない。ただ、相手の重心の軌道上に指先を添えただけだ。
男は自分の勢いを殺しきれず、そのまま盛大に床を転がった。
間髪入れず、右側から槍を持った生徒が突進してくる。
剣理は伸びてきた槍の柄を、人差し指の腹でトントンと弾いた。軌道がわずかに逸れ、バランスを崩した男の肩を、彼は軽く押す。
男は隣の壁に激突し、あっけなく沈黙した。
最後の一人が背後から放った跳び蹴り。
剣理は振り返りもしない。気配だけで位置を把握し、首をほんの少し傾けただけ。
蹴りが空をかすめ、着地しようと地面に足を下ろしたその瞬間――剣理は、その足の置き場所に自分の足を「ちょん」と置いた。
自爆するように、三人目の男が床に顔面から突っ込んだ。
わずか数秒。
襲いかかった精鋭三人が、全員自滅するように転がっている。
「……あれ?」
剣理は首を傾げた。
夜斗の顔から、笑みが完全に消え去った。
「……今、何をした?」
「何って……避けただけだけど」
「避けただけ……?」
「うん」
剣理は床でうめく三人を見下ろして、首をひねる。
襲撃者たちは、絶望感に満ちた顔で震えていた。彼らは理解できなかった。剣がない。異能も使えない。それなのに、なぜ自分たちの攻撃はすべて「すり抜け」、なぜ触れられただけで体制が崩壊したのか。
「……偶然だ」
夜斗は歯噛みした。そうだ、油断があったに決まっている。
「全員で行け! 囲んで叩き潰せ!」
残りの生徒たちが一斉に殺到する。前後左右、逃げ場のない怒涛のラッシュ。
だが、その恐怖の光景は、あまりにも滑稽な結末を迎えた。
剣理は、ただ歩いていた。
飛んでくる拳をかわし、突撃してきた腕を軽く払い、服の端をつまんで方向を変えさせる。
誰も、剣理に触れることすらできない。
誰も、彼の動きを捉えられない。
ただ散歩をしているかのような自然な足取りのまま、剣理が通り過ぎたあとには、気絶した生徒たちが綺麗に並んで倒れていった。
「……みんな、訓練熱心なんだね」
心底感心したようなその呟きに、夜斗は頭を殴られたような眩暈を覚えた。
目の前の男は、集団暴行を受けていたはずだ。それなのに、呼吸ひとつ乱れていない。そもそも、彼にとってこれは「戦闘」ですらなかったのだ。
「……き、君は……何者なんだ……?」
震える声で夜斗が問う。剣理は不思議そうにまばたきした。
「永遠剣理だけど」
「そういう意味じゃない!!」
夜斗の絶叫が地下室に響く。
「どうしてだ……異能を封じられているのに、なぜ戦える!? なぜ、あんな化け物じみた動きができるんだ!」
「うーん……」
剣理は少しだけ考え込んだ。
「……普通じゃないの?」
「普通なわけがあるか!!」
「そうなんだ……」
剣理は心底納得がいかないといった顔をする。
彼にとって、今の動きは特別なことなど何一つなかった。攻撃が来たから避けた。転びそうだったから支えてあげようとした。それだけだ。
剣を振るうことと同じ。考えるまでもなく、体が勝手に正しい軌道を描く。努力なんてしたことがない。できるから、できる。ただそれだけの話だ。
夜斗は、ようやく自分の犯した「致命的な勘違い」に気づき始めていた。
――永遠剣理の強さは、異能によって成り立っているわけではない。
彼の異能は、その途方もない強さを発揮するための「ただの道具」にすぎなかったのだ。
いや、もっと言えば――彼の強さに、異能など最初から必要なかったのだ。
*
「……くそっ、ふざけるな……!」
顔面を蒼白にさせた夜斗は、半狂乱で操作盤に駆け寄り、異能封印装置の出力を限界まで引き上げた。
けたたましい警告音が地下室に鳴り響く。
『警告――装置出力が安全基準を大幅に超過しています』
「黙れッ!」
空間が歪むほどの異能制御波が吹き荒れる。
だが、その最中、剣理はふと天井の方を向いた。
「……ねえ」
「な、なんだ!」
「さっきから、うるさいんだけど」
剣理は壊れかけの装置を見据えた。
「これ、壊してもいい?」
「……は?」
「なんか、変な音がしてうるさいからさ」
「ふざけるな! そんなことができるわけが――」
夜斗の言葉は、そこで途切れた。
いつの間にか、剣理は装置の目の前に立っていた。
彼は、右手をふわりと持ち上げた。
その手には、何も握られていない。異能は完全に封じられている。剣などどこにもない。
なのに、夜斗の背筋に、この世の終わりを予感させるような猛烈な悪寒が走った。
剣理の右手が、ただ横へと一閃された。
――轟音。
次の瞬間、異能封印装置が「真っ二つ」に裂けた。
何重もの特殊合金で固められた外殻も、内部の精密な制御機構も、空間を縛る結界の術式も。すべてが綺麗に、一刀のもとに断ち切られていた。
断面は鏡のように滑らかで、火花すら散る暇もなく、機械は沈黙した。
剣理は、自分の何もない右手をパチパチと眺めた。
「……あ」
そして、少しだけ困ったように眉を下げる。
「これ、修理費とか高いのかな……」
夜斗は、足の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
何を見たのか、脳が処理を拒絶していた。
剣がない。異能も使えない。なのに、素手で、空間ごと機械を両断した。そこに「見えない剣」があったかのように。
「……嘘だ……そんなの……」
夜斗の震える声に、剣理は首をかしげた。
「できたけど」
「…………」
「ごめんね、壊すつもりはなかったんだけどさ」
その声音のあまりのナチュラルさに、夜斗は精神の均衡を失いかけた。
逃げなければならない。ここから這いつくばってでも逃げなければ、自分は人間ではない何かに殺される。
「……来るな」
夜斗は引きずるように後じさった。
「来るな……! 化け物が……!」
「え?」
「来るなあああああっ!!」
なりふり構わず、夜斗は自身の異能を発動させた。
――【影渡り】。
足元の影を拡張し、あらゆる障害物や物理法則を無視して空間移動する彼の切り札。これさえ使えば、いかなるSランクの追撃からも逃れられるはずだった。
だが。
「……あ」
影の中に沈み込もうとした夜斗の足首を、すっと伸びてきた剣理の手が掴んだ。
正確には、剣理の指先が「影の縁をつまんだ」。
「……これ、どうなってるの?」
「は……?」
剣理は、まるで珍しい虫でも観察するように、足元の影を覗き込んだ。
「影なのに、なんか掴めるんだね」
「うそだろ……!?」
そのまま、剣理は「よいしょ」とばかりに軽く引っ張った。
「うわっ!?」
空間跳躍の最中だったはずの夜斗の体が、影の中から力任せに引っぺがされ、床に転がった。
影渡りは移動のための絶対不可侵の異能だ。その現象自体を第三者が物理的に「掴んで引き剥がす」など、物理法則の外部の出来事だった。
剣理は、転がった夜斗を上から覗き込む。
「……逃げるの?」
「…………」
「まだ、話の途中じゃない?」
夜斗の顔から血の気が完全に失われていく。
剣理に悪気はない。本当に、ただ「話を続けよう」としているだけだ。だが、その純粋無垢な瞳こそが、夜斗にとってこの世で最も恐ろしい処刑人のそれに他ならなかった。




