第四話
だが――そんな一連のやり取りを、遠くから見つめる者がいた。
屋上に張り巡らされた結界。そのわずかな死角。
そこに、一人の少年が潜んでいた。
三年生。Aランク異能者。
異能【影渡り】の保持者――神代夜斗。
影から影へと自在に潜航する異能を駆使し、情報を集め、時には虚偽を流して人々を意のままに繰る。
表舞台に立つことはないが、学園の裏社会で彼の名を知らぬ者はいなかった。
少なくとも、彼自身はそう確信している。
「……なるほどね」
夜斗は屋上での光景を反芻し、薄く口角を吊り上げた。
観察の対象は、永遠剣理という少年。
学園序列第二位。
異能者としての実力は言うに及ばず、こと剣術においては他の追随を許さない。
だが、夜斗が惹かれていたのは、そうした表面的な強さではなかった。
これまで夜斗は、剣理という人間を徹底的に調べ上げていた。
金銭への執着はない。名声や地位にも興味を示さない。他者からの評価など意にも介さない。
脅迫も通じず、懐柔も困難。弱みを握ろうにも付け入る隙すら見当たらない。
まるで欲望という概念そのものを欠落させたかのような男。
「本当に、気味の悪い男だよ」
呟きながらも、夜斗の表情に恐怖のの色は微塵もなかった。
むしろ楽しそうですらある。
今日の観察で、ひとつの決定的な確信を得たからだ。
「……見つけたよ。君の弱点をね」
永遠剣理の異能――【不屈の剣】。
決して折れることのない剣を生成する、極めて特殊な能力。
剣理の圧倒的な戦闘力は、間違いなくこの異能に支えられている。
ならば、答えは単純だ。
異能を封じればいい。
剣を生み出せなくなった剣理など、恐れるに足らない。
少なくとも、夜斗の計算ではそうなるはずだった。
「どれほど優れた剣士だろうと、剣がなければ形無しだ。まして、あの男には剣以外に取り柄がないんだから」
夜斗は低く笑った。
実際、剣理の日常における不器用さは有名だった。
運動は平凡、学業も冴えず、普段の言動はどこか抜けている。
剣を構えているときの威容からは想像もつかないほど、どこにでもいる――いや、それ以下の高校生。
「明日が楽しみだ」
夜斗はそう言い残し、ゆっくりと影の中へ沈んでいった。
*
その夜。
学園地下。一般生徒はおろか、教職員の一部すら存在を知らない隠し研究区画。
無機質な蛍光灯に照らされた室内には、数々の精密機械が整然と並んでいた。
その中心で凄まじい存在感を放つ大型の装置――『異能封印装置』。
本来なら厳重に封印されているべき研究機材だが、夜斗は独自の情報網を駆使して不正に入手していた。
「準備は整ったかい?」
「はい。起動テストも問題ありません」
「そうか、ご苦労」
夜斗は満足げに頷く。
周囲には、計画に賛同する数人の生徒たちが集まっていた。
いずれも、剣理という存在を苦々しく思っている者たちだ。
序列第二位という絶対的な威光。羨望と畏怖。そして何より、本人にその立場への執着が皆無であるという事実。
それらすべてが、彼らの歪んだ自尊心を痛めつけていた。
「ですが……本当にうまくいくでしょうか?」
一人の生徒が不安げに口を開く。
「何か懸念でも?」
「相手は永遠剣理ですよ。異能を封じるとはいえ、あの剣術があります。万が一ということも……」
「ふふっ」
夜斗は鼻で笑った。
「心配性だな。だからこそ、こうして万全の準備を整えているんじゃないか」
夜斗は大型装置へ視線を向ける。
「明日の放課後、彼をここへ誘い込む。あとはこの装置で異能を封じ、剣を奪う。ただそれだけさ」
「それで……その後はどうするんです?」
「決まっているだろう?」
夜斗が振り返る。その顔には、底知れぬ自信と歪んだ愉悦が張り付いていた。
「僕たちの言うことを聞いてもらうのさ。序列第二位という肩書も、その圧倒的な実力も、すべて僕たちのために利用させてもらう」
絶対的な力を持つ者を、自らの手のひらで踊らせる。
それこそが夜斗の欲望だった。
「さあ、舞台は整った。あとは主役を招待するだけだ」
夜斗の計画は完璧だった。
少なくとも、彼の頭の中では。
――ただし。
彼には決定的な誤算があった。
永遠剣理という存在が、異能という概念だけで推し量れる男ではないということ。
そして何より、彼が「剣に愛されている」と称される理由。
それが単に、剣を扱う才能に恵まれているという意味ではないということを。
*
翌日、放課後。
「……ん」
校舎を出ようとした剣理のポケットで、スマートフォンが短く震えた。
画面に表示されたのは、差出人不明のメッセージ。
『君の剣について、話がある』
「…………」
剣理はしばらく画面を凝視していた。
「……剣の話?」
呟きが小さく漏れる。
普段の彼なら、怪しいメッセージなど一蹴して無視していただろう。事実、これまで届いた類似の連絡はすべて放置してきた。
だが、今回は少し違った。
『剣の話』。
それは剣理にとって、数少ない関心を引く言葉だった。
「……まあ、いいか」
彼は手にしたプリンの空き容器をゴミ箱へ放り込む。
そしてメッセージの指定場所を確認すると、警戒する様子もなく歩き出した。
足取りは普段通り。緊張感など微塵もない。
まるで放課後に買い食いへ向かうかのような軽やかさだった。
もっとも。
そこが自らを陥れる罠であることくらい、剣理とて察してはいた。
それでも向かう理由は、至極単純。
「剣の話なら、少し気になるしな……」
ただ、それだけ。
――そして。
その些細な興味が、哀れな策士の運命を大きく狂わせることになる。
このとき神代夜斗は、まだ知る由もなかった。
自分が呼び寄せようとしているのが、異能の封印程度で無力化できるような生ぬるい存在ではないことを。
剣理にとって【不屈の剣】とは、数ある剣の在り方のひとつに過ぎないということを。
そして――彼が本当の意味で「剣を手放したとき」こそ、もっとも恐ろしい化け物に変貌するということを。
「……さて。どんな剣の話が聞けるのかな」
永遠剣理は、今日も呑気に歩いていた。




