第二話
その日の放課後。神凪学園・生徒会室。
夕日に染まる窓辺に、ひとりの少女が立っていた。
凛とした立ち姿、鍛え上げられたしなやかな肉体。
Sランク序列第一位・生徒会長、九条玲華。
彼女の持つ異能【天帝領域】は、一定範囲の物理法則を書き換える絶対の権能。学園最強の名にふさわしい怪物だ。
その彼女が、手元の報告書を見て深々とため息をついていた。
「……またやったのね、あいつは」
報告書に記された実技試験のデータ。
――試合時間、一・二秒。
――永遠剣理、心脈・脳波ともに完全な平常値を維持。
「少しは本気を出しなさいよ……」
玲華は苦々しく呟いた。
彼女は知っている。自分がどれほど血の滲むような努力を重ねようと、異能を極限まで昇華させようと、あの少年との距離が1ミリも縮まらないことを。
かつて挑み、完璧に完敗した日の恐怖が、今でも皮膚に残っている。
強さへの執着がない。名誉も望まない。
それなのに、なぜ彼は誰よりも強いのか。
その時、生徒会室の扉が激しく開いた。
「会長! 大変です!」
駆け込んできたのは、Sランク序列第5位【千里眼】の保持者、白峰詩織だった。
「どうしたの詩織。落ち着きなさい」
「永遠くんが、また設備を破壊しました!」
「……今度は何をしたの?」
「購買の焼きそばパンの列に並んでいる途中、校舎裏の『特級訓練用結界』を一刀両断しました!」
「…………は?」
玲華の動きが止まる。
「本人曰く、『自販機の裏に子猫が挟まっていて可哀想だったから、助けるためにちょっと道を作っただけ』だそうです!」
「……あの馬鹿」
玲華は額を押さえた。
国家予算レベルの費用がかかる特級防護結界を、猫一匹のために切断する男。しかも悪気は1ミリもない。
「修理費は彼の口座に回しなさい」
「了解です!」
呆れ果てながら、玲華は窓の外を見下ろした。
中庭の夕暮れの中を、ひとりの少年が歩いている。
片手には焼きそばパン。腕の中には、気持ちよさそうに丸くなる野良猫。
猫の頭を優しく撫でる彼の表情は、どこにでもいる普通の少年のものだった。
自分が世界を揺るがすほどの怪物であることなど、完全に忘れているかのように。
――いや。彼はハナから気にしていないのだ。
地位も、名誉も、最強の座も。
彼にとって、そんなものは焼きそばパンの価値にも満たない。
だが。
彼が絶対に手放さないものが、たったひとつだけある。
歩みを止めた剣理が、何気なく右手を開いた。
夕闇を切り裂いて、一振りの美しい刀身が現れる。
異能【不屈の剣】。
剣理は愛おしそうに、その剣を見つめていた。
まるで、世界でたったひとつの宝物を愛でるように。
「……やっぱり、綺麗だな」
彼が、ほんの気まぐれで腕をひと振りした。
――音は、なかった。
ただ、上空に広がっていた夕焼け雲が、まるで巨大な刃で裁断されたかのように、地平線の端から端まで真っ二つに割れた。
けれど、彼は気づかない。
自分がまたしても異常な現象を引き起こしたことにすら頓着せず、剣を消すと、猫を抱き直して寮の方へと歩いていく。
彼には分からない。
ただ、斬ることが好きなだけなのだから。
この学園に集う「主人公たち」は、まだ知らない。
自分たちがどれほどの壮絶な運命を背負っていようと。
どれほどの血の滲む努力を重ねていようと。
どれほどの奇跡を起こそうと。
――そのすべてを、たった一振りで終わらせる「天災」が存在することを。
努力で頂点を目指す者。落ちこぼれから這い上がる者。仲間の絆で奇跡を起こす者。
誰もが己の物語の主人公だ。
そして、永遠剣理もまた、己の物語の中心にいる。
ただし、彼だけは違った。
誰かを守るためでもなく、強くなるためでもなく、勝つためですらない。
彼はただ、斬る。
斬りたいから、斬る。
――ただそれだけで、世界の頂点に立ってしまった男。
剣に愛された怪物、永遠剣理。
彼の、退屈で異常な日常は、まだ始まったばかりだ。




