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第一話



この世界には、異能が存在する。


炎を操る者。雷を纏う者。未来を予知する者。肉体を鋼鉄に変える者。空間を歪める者。

生まれ持った才能によって、人々は常人には不可能な力を振るう。


そして、その才能を磨き、競い、時には命を懸けて己の価値を証明する場所がある。


――異能学園。


国内最高峰と名高い私立・神凪学園には、絶対的な階級制度が存在していた。

F、E、D、C、B、A、そしてS。

学園に所属する生徒たちは、定期的な実力試験によって七つのランクに分類される。


Aランクまでなら、努力次第で到達できる者もいる。

だが、Sランクは違う。


異能の出力、応用性、実戦能力、そして将来的な危険度。

そのすべてにおいて、国家規模での活躍すら期待される怪物たち。

神凪学園におけるSランクの生徒は、わずか七人。

その七人にのみ、序列が与えられていた。


序列第一位。

生徒会長にして、学園最強と謳われる少女。


序列第二位。

その「学園最強」よりも強いのではないかと囁かれる、ひとりの少年。


――永遠剣理(とわけんり)。


彼は今日も、授業開始五分前の教室で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


「……眠い」


それが、彼の第一声だった。


銀色でも金色でもない、ごく普通の黒髪。整った顔立ちではあるが、誰もが振り返るほどの美形というわけでもない。

制服は崩さず着ているし、授業中に騒ぐこともない。

成績は平均より少し上。提出物も期日通りに出す。

教師に逆らうこともなければ、わざわざ目立とうとすることもない。


どこにでもいる、ごく普通の男子高校生。


ただし。

彼が本気で剣を振るった場合、学園の校舎を覆う防護結界が何枚必要になるのか、誰も正確に計算できない。


もっとも、彼自身はそんなことを微塵も気にしていなかったが。


「永遠くん、おはよう」

「ああ、おはよう」


隣の席の女子生徒からの挨拶に、剣理は至って普通に返した。

女子生徒は少し頬を赤らめ、何か話題を探すように視線を泳がせる。


「ねえ、今日の実技試験、相手がAランク候補の人なんだって。すごいよね」

「へえ」

「へえって……。永遠くんもSランクなのに、緊張しないの?」

「しないな」

「どうして?」

「どうせ勝つからじゃないか?」

「……そ、そういうところだよ」


女子生徒は困ったように苦笑した。

剣理は首を傾げる。

何かおかしなことを言っただろうか。別に自慢したつもりはない。ただ、客観的な事実を述べただけだ。


実技試験で誰と戦おうが、自分が負けることはない。

それは彼にとって、「明日も東から太陽が昇る」ということと同じくらい確明な事実だった。


なぜなら、彼は一度も戦いに負けたことがない。

いや――そもそも彼は、戦いに勝つための「努力」をしたことがなかった。


剣術の鍛錬をしたこともない。筋力トレーニングをしたこともない。走り込みも、素振りも、呼吸法も、実戦経験を積むための修行も。

何ひとつ。


彼はただ、剣を振った。

物心ついた頃から、そこにあるものを斬った。


木の枝を斬った。

庭の石ころを斬った。

飛んできたボールを斬った。

幼い頃、母親が食卓に置いたケーキを綺麗に切り分けたときは、勝手に剣を出したことで叱られた。


彼にとって、「斬る」という行為は呼吸に近かった。

いや、呼吸よりも自然だった。


息を吸うことに努力が必要ないように。

目を開けることに練習が必要ないように。

彼にとって、何かを斬ることに何の理由も苦労も要らなかった。ただ「斬りたい」と思えば、そこにあるものはすでに斬れている。それだけのことだった。


世界が彼に剣を教えたのではない。

剣理が世界から剣を学んだのでもない。

もっと根本的なところで、両者は噛み合っていた。


――永遠剣理という存在が、ただ「斬る」という現象そのものに愛されていた。

本当に、ただそれだけの話なのだ。


*


「全員、席に着け!」


教室の扉が開き、担任教師が入ってきた。その背後には、見知らぬ男子生徒が立っている。


「今日は転入生を紹介する。先日の編入試験で、Aランク相当の実力を示した期待の新星だ」


教室が一気にざわめいた。

Aランク。それは普通の生徒にとって、一生かけて到達できるかどうかの才能の証明だ。

男子生徒は教壇に立つと、眩しいほどの爽やかな笑みを浮かべた。


「天城勇真(あまぎゆうま)です。よろしくお願いします!」


その瞬間、剣理はほんの少しだけ彼に目を向けた。


天城勇真。

彼の異能は【英雄覚醒(ヒーロー・アウェイク)】。

窮地に陥るほど身体能力と異能出力が跳ね上がり、格上との戦闘において驚異的な成長を遂げる能力。


加えて、彼には人を引きつける生まれつきの熱量があった。

困っている人間を放っておけない。理不尽を許せない。強者に挑み、敗北しても立ち上がり、仲間と共に困難を乗り越える。


――いかにも「物語の主人公」らしい少年だった。


実際、彼はこれまで幾度となく格上を打ち破ってきた。地方の大会での大逆転、編入試験での不可能な課題突破。

彼には確かな物語があった。挫折があり、努力があり、未来への希望があった。

彼がいつかSランクに到達し、序列の頂点に立つことを期待する者も少なくない。


しかし。


「……ふぁ」


剣理は小さく欠伸を噛み殺すと、興味を失ったように再び窓の外へ視線を戻した。


勇真がどれほどの努力を積んできたのか。どんな辛い過去があるのか。何を目指し、誰のために戦うのか。

剣理には、心底どうでもよかった。


彼にとって、他人とは基本的にそういう存在だ。

才能がないのに、努力ができる。自分にはできない愚直な作業を、できるようになるまで繰り返す。何度失敗しても立ち上がり、傷ついても前へ進む。


剣理は、そういう人間を心から「偉い」と思っていた。

だって、自分には到底真似できないのだから。


そもそも彼には「努力」という概念の意味がよくわからなかった。

できないことをできるようにするために、なぜ同じことを繰り返すのか。一度できなかったのなら、それは「できない」ということではないのか。できることなら、最初からできるのではないか。


だからこそ、彼は努力できる人間を尊敬していた。

――ただし。

尊敬していることと、興味があることは別問題だった。


「永遠くん」

「ん?」

「今、天城くんのこと見てた?」

「見てたけど」

「どう思った?」

「頑張ってるんだな、って」

「それだけ?」

「それだけ」


隣の女子生徒は不満そうに口をすぼめたが、それ以上は突っ込んでこなかった。


剣理は校庭を見下ろしながら、ぼんやりと思いを巡らせる。

今日の昼食は何にしようか。購買の焼きそばパンは、まだ残っているだろうか。

頭の中にあるのは、そんなことだけだった。


*


昼休み。神凪学園の第一演習場は、熱気に包まれていた。

中央の円形舞台を多重の防護結界が囲み、周囲の客席には数百人の生徒が集まっている。


本日の実技試験は、Aランク候補者とSランク生徒による模擬戦。

アナウンスが最初の対戦カードを告げた瞬間、会場に地鳴りのような歓声が響いた。


『第一試合! 編入生・天城勇真! 対するは――Sランク序列第二位、永遠剣理!』


「……え?」


天城勇真は目を見開いた。

周囲の生徒たちの興奮は最高潮に達している。


「おいおい、いきなり剣理かよ!」

「編入初日からあの化け物と当たるとか、運が無さすぎるだろ……」

「いや、天城の異能は格上相手に真価を発揮するんだろ?ワンチャンあるんじゃないか?」

「バカ言え。相手が悪すぎる。生徒会長だって一度も勝ててないんだぞ」


勇真は拳を固く握り締めた。

相手が強いことは知っている。この学園の頂点に君臨する怪物。

だが、だからこそ胸が熱く燃え上がる。

格上に挑み、壁を打ち破り、己の限界を超える。それこそが自分の生き様だ。


「……やってやる。相手が誰だろうと、俺は絶対に勝つ!」


湧き上がる歓声に背中を押され、勇真は舞台へと上がった。


一方、反対側の入場口から歩いてきた剣理の手には、なぜか購買の袋が握られていた。


「……よし、メロンパンは確保できたな」


そんなことを呟きながら、彼は呑気に演習場の中央へと立った。


*


審判を挟んで向かい合う二人。


「永遠剣理さん」


勇真が鋭い視線を向ける。


「あなたの凄さは聞いています。Sランク序列第二位。学園最強の候補」

「へえ、そうなんだ」

「……え?」

「いや、そうなんだなって」


剣理は他人事のように頷いた。勇真は出足をくじかれた形になったが、すぐに気を引き締め直す。


「俺は、あなたに勝ちたい。自分の力がどこまで通用するのか、確かめたいんです!」

「うん、頑張って。応援してる」

「……はい?」

「頑張ってね」


剣理は心からそう言った。努力する人間を応援するのは当然のことだ。


だが、勇真にはそれが猛烈な侮辱に感じられた。

目の前の少年には悪意がない。馬鹿にしている風でもない。本当に「他人事」として自分を応援しているのだ。自分はこれから命懸けで挑もうとしているというのに。


「……あなたは、俺を見ていないんですね」

「ん?」

「俺がどれだけ強いのか。どれだけ努力してきたのか……何も興味がないんだ」

「あー……うん。ごめん」


あっさりと認める剣理。


「でも、努力してるのは本当にすごいと思うよ」


闘志をむき出しにする勇真に対し、剣理の立ち姿には隙だらけの脱力感しかなかった。


「……絶対に、あなたを振り向かせます!」

「うん」


審判が手を高く掲げた。


『両者、構え――試合、開始!』


――ドシュンッ!


勇真の身体が爆発的な衝撃波とともに消失した。

異能【英雄覚醒】。

開幕と同時に全限界を突破し、超音速の踏み込みで間合いを詰める。狙うは一撃。相手が武器を呼ぶ前に、全力の拳を叩き込む!

主人公として、完璧な選択だった。


だが。


「……あ」


剣理が、間抜けた声を漏らした。

彼が右手を軽く差し出すと、何もない空間から一本の刀身が滑り出てくる。


異能【不屈の剣】。

ただ「絶対に折れない剣」を一本生成するだけの、あまりにも地味な能力。

炎も雷も出ない。空間も切断しない。身体能力すら上がらない。

ゆえに、彼がSランクに指定されたとき、誰もが能力の地味さに首を傾げた。


――異能が強いのではない。

――永遠剣理という存在が、異次元に強いのだ。


勇真の必殺の拳が、剣理の鼻先に迫る。


剣理はただ、手首を少しだけ返した。


――キン。


甲高い鈴のような音が、ひとつ。


勇真の動きが静止した。

彼の拳は、剣理の顔面の数センチ手前で止まっていた。


直後。

バラバラと、何かが地面に落ちる音が響く。


勇真の制服のボタン。

手首に巻きつけていた頑丈な防具。

腰の革ベルト。

靴紐。

さらには、前髪を留めていた小さなヘアピンに至るまで。


勇真が身につけていた「金属と固形物」のすべてが、寸分の狂いもなく、傷ひとつ皮膚に残さず綺麗に切り刻まれていた。


……いつ、剣を抜いた?

……いつ、振った?


勇真は、呼吸することすら忘れて固まっていた。

斬られたことすら、分からなかった。もし今の衝撃が数ミリ深ければ、自分の首は幾重にも繋ぎ合わされた肉片になって転がっていたはずだ。


「……うーん」


剣理は手元の剣を見つめ、困ったように眉を下げた。


「ごめん。服、切っちゃった」

「…………」

「怪我はない?」

「…………」

「ないならよかった」


剣理は心底安堵したように息を吐くと、呆然と立ち尽くす審判へ顔を向けた。


「あの、これって俺の勝ちでいいですか?」


演習場全体が、死んだように静まり返っていた。

歓声も、悲鳴すらない。あまりの次元の違いに、観客の誰もが事態を理解できていなかったのだ。


『……し、勝者! 永遠剣理!』


審判の震える声が響く。


「よし、冷めないうちにパン食べよう」


剣理は生成した剣をすっと消し、購買の袋を拾って踵を返した。

その背中に向かって、勇真は絞り出すような声を張り上げた。


「……待ってください!」


剣理が足を止める。


「何?」

「もう一度……もう一度戦ってください! 次はもっと強くなります! 絶対にあなたを越えて見せます!」


その言葉に、剣理は少しだけ目を丸くした。


「……すごいな」

「え?」

「負けたばかりなのに、もう次のことを考えてるんだ」


剣理は、まるで眩しいものでも見つめるように、柔らかく笑った。


「頑張ってね。応援してる」


背を向けて去っていく少年の影。

勇真は唇が切れるほど強く噛み締めた。悔しさと、恐ろしさと、そして――言葉にできない敗北感が、彼の胸を支配していた。





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