婚約破棄された令嬢ですが、死体のほうが正直です
葬儀というのは、だいたい社交界の延長だ。
黒い服を着て、静かな顔をして、故人を惜しむふりをする。
死人はそこでようやく、生前より少しだけ好かれる。
不思議なものだ。
生きている時に優しくしてやればいいのに、人はだいたい棺に入ってから急に愛を語り出す。
私はそういうのが、あまり好きではない。
死体は好きだ。静かだし、言い訳をしない。
それに、死んだあとは誰も「本当はそんなつもりじゃなかった」などと言わない。
人間として、かなり好感が持てる。
第一王子エドガーの葬儀は、予想通り、ひどく立派だった。
白百合。聖歌。金の棺。泣いている王妃。
生前あれだけ嫌われていた男が、死んだ途端に惜しまれている。
死とは優秀な広報担当だ。
私は最後列でそれを眺めていた。
喪服は嫌いじゃない。誰にでも似合う。
「相変わらず、感じの悪い顔をしていますね」
隣に立ったのは、王宮付き魔術師ノア・ヴァレンだった。
黒髪。細い目。人の秘密を勝手に知っていそうな顔。
私は彼が嫌いだった。
探偵役というものは、たいてい自分だけ安全圏にいる。
「お悔やみ申し上げます」
「誰に?」
「一応、元婚約者でしょう」
「ええ。ですから、ようやく静かになって安心しています」
ノアが少し笑った。
失礼な男だ。
「ところで」
彼は声を落とした。
「今朝、公爵夫人が亡くなりました」
私は瞬きをした。
母のことだ。
「……そう」
驚きはなかった。
母はずっと病気だったし、私たちは昔から、あまり仲が良くなかった。
愛情というのは便利だ。ないと分かった時だけ、人は急にその不在を数え始める。
「自然死?」
「表向きは」
私はノアを見た。
その顔をする時は、大抵ろくでもない。
「つまり?」
「毒殺の可能性があります」
やっぱり。人生は時々、妙に読者サービスがいい。
「誰が?」
「それを調べるのが、これからのあなたです」
「なぜ私が」
「あなたの母親だから」
正論は嫌いだ。反論しにくい。
私は棺の中の王子を見た。
彼は今日も静かだった。ようやく少し、好感が持てる。
「母は、あまり好かれていませんでした」
「知っています」
「私にも」
「それも」
私はため息をついた。
フェルナー公爵夫人――クラリス・フェルナー。
完璧な女だった。
美しく、冷たく、間違いを許さない。
娘に必要なのは愛情ではなく、価値だと本気で信じていた人。
私は彼女に抱きしめられた記憶がない。
代わりに、姿勢を正され、言葉を選ばれ、泣くなら美しく泣けと言われた。
嫌いだった。
たぶん向こうも。
だからこそ、死んだと聞いて少しだけ胸が軽くなった自分を、あまり責める気にはなれなかった。
「容疑者は?」
「全員です」
ノアは即答した。
好きじゃない。でも、正しい。
「使用人。親族。愛人。社交界の友人。あと、あなた」
「便利ですね」
「人望のない人間の死は、いつもそうです」
母らしい。
私は頷いた。
「現場は?」
「フェルナー邸。昨夜の晩餐」
最悪だった。家族の食卓ほど、綺麗に人が腐る場所を私は知らない。
*
母は自室の寝台で死んでいた。
白いシーツ。整えられた髪。眠るみたいな死に顔。
気に入らなかった。
あの人には、もっと醜く死んでほしかった。
「苦しんだ形跡がありません」
私は指先で唇を見た。乾き方。爪の色。瞳の濁り。
「即効性ではない。じわじわ効くもの」
ノアが頷く。
「食後の紅茶に混入された可能性が高い」
紅茶。母らしい。
毒すら上品だ。
「昨夜、一緒にいたのは?」
「あなたの弟、ルーク。叔母のマリアンヌ。侍女長。それから――」
ノアが少しだけ笑った。
嫌な予感しかしない。
「あなたです」
「でしょうね」
昨夜、私はここに来ていた。母に呼ばれたからだ。
婚約破棄の件で。
慰めるためではない。責めるために。
「あなたは口論した」
「ええ」
「かなり激しく」
「ええ」
「殺したくなるくらい?」
私は少し考えた。
誠実に答えるなら。
「昔からずっと」
ノアは満足そうだった。本当に嫌な男だ。
「では、何を話したんです?」
私は母の死体を見た。
死んでいる時のほうが、ずっと綺麗だった。
「母は言いました」
私は静かに言う。
『あなたは失敗作だった』
部屋が静かになる。
不思議だ。死んだ人間の言葉ほど、いつまでも部屋に残る。
「だから私は言ったんです」
私は少し笑った。
「それは、お互い様ですねって」
ノアは何も言わなかった。
賢い。沈黙はたいてい、同情より礼儀正しい。
「で? あなたは殺していない?」
「いいえ」
私は即答した。
「殺したかったですが、その程度のことで手を汚すほど暇ではありません」
本心だった。
憎しみと殺意は、案外別のものだ。
本当に殺す人間は、もっと静かに決める。
「では犯人は」
私は紅茶のカップを見た。
口紅の跡。
微かに残る香り。
そして、寝台脇に置かれた古い家族写真。
珍しい。
母があれを捨てていなかったなんて。
そこには、幼い私と、まだ笑っていた弟がいた。
ああ。なるほど。
最悪だ。
家族というのは、たいてい最後にそこへ戻る。
「ルークね」
ノアが目を細めた。
「理由は?」
私は写真を手に取った。
弟は昔から、優しい子だった。
優しい人間ほど、ちゃんと壊れる。
「母は、弟から婚約者を奪おうとした」
沈黙。
「政略のために」
それだけで十分だった。
愛は人を殺す。
家族は、もっと簡単に殺す。
「彼は母を愛していたし、憎んでいた」
私は写真を戻した。
「だから殺した」
ノアが息を吐く。
「証拠は?」
「ありません」
「おや」
「でも、当たっています」
私は笑った。
私は探偵ではない。
ただ、人が壊れる瞬間を、少し見慣れているだけだ。
その時。
扉の向こうで、誰かが泣く声がした。
弟だった。
若くて、優しくて、たぶん、もう戻れない声。
私は目を閉じた。
可哀想だと思った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
「告発しますか」
ノアが聞く。
私は窓の外を見た。
空はよく晴れていた。
こういう日に人はよく死ぬ。
「いいえ」
「理由を」
私は肩をすくめた。
「母も、だいたい同意するでしょう」
それが答えだった。
死者は時々、生者よりずっと公平だ。
私は外套を羽織った。
葬儀はまだ続く。
王子の死。母の死。
最近、この国は少し忙しい。
でも安心してほしい。
たぶん次に死ぬのも、ちゃんと理由のある人だ。
人は案外、順番通りに壊れていく。




