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婚約破棄された令嬢ですが、探偵役が死にそうなので帰れません

雪が降っていた。


嫌な空だと思った。


雪というのは、世界を綺麗に見せる。

汚れも、血も、死体も、

だいたい白く覆ってしまう。


人間によく似ている。


見えなくなっただけのものを、

無かったことにしたがる。


私は窓辺で紅茶を飲んでいた。


フェルナー邸は静かだった。

母が死んでから、

使用人たちは必要以上に足音を消すようになった。


死者が出る家では、

生者は急に礼儀正しくなる。


不思議なものだ。


「お嬢様」


侍女が一礼する。


「王宮より使者が」


「また誰か死にました?」


「……まだ、生きておられるそうです」


それは珍しい。


私はカップを置いた。


「誰?」


「ノア・ヴァレン様です」


私は少しだけ沈黙した。


少しだけ。


本当に少しだけ。



王宮の医務室は薬品臭かった。


生き延びようとする場所は、

たいてい匂いがきつい。


ノアは寝台に横たわっていた。


顔色が悪い。

唇も白い。


死にかけというのは、

案外すぐ分かる。


人間は壊れる前、

妙に静かになるから。


「思ったより元気そうですね」


私が言うと、

ノアは薄く笑った。


「期待に添えず申し訳ない」


声が掠れている。


本当に死にそうだった。


少し困る。


「毒です」


側にいた宮廷医師が言った。


最近この国、毒が流行りすぎではないだろうか。


流行には敏感だが、もう少し別のものを選んでほしい。


「昨夜、魔術塔で倒れているところを発見されました。致死量には届いていませんが、継続摂取されていた可能性があります」


「継続?」


私はノアを見た。


「恨まれているんですね」


「仕事柄」


「性格もでしょう」


ノアが笑った。


笑う体力は残っているらしい。

安心した。


少しだけ。


「犯人の目星は?」


医師は首を振った。


「王宮は現在、極めて混乱しています。王子殿下の件もまだ尾を引いている」


当然だ。


王子が死に、

公爵夫人が死に、

今度は宮廷魔術師。


国としてだいぶ縁起が悪い。


「それで」


私はノアへ視線を戻した。


「あなたは誰に殺されかけたんです?」


ノアはしばらく黙っていた。


嫌な沈黙だった。


この男が黙る時は、だいたい面倒な真実がある。


「……分からないんです」


「あなたが?」


「ええ」


珍しい。


探偵役というのは、大抵なんでも知っている顔をしたがる生き物だ。


それが今、本当に困っている。


私は少し考えた。


そして理解した。


ああ。


これは。


「あなた、自分で誰かを壊しましたね」


ノアが目を細めた。


図星だ。


「心当たりが多すぎる」


「最低ですね」


「仕事ですから」


便利な言葉だ。


人は責任を押し付けられるものを見つけると、急に罪悪感が薄くなる。


仕事。

愛。

家族。

正義。


そのへんは昔から、

大量に人を殺している。


「誰です?」


私は聞いた。


「あなたが壊したのは」


ノアは天井を見上げた。


雪明かりが白い。


死人みたいな色だった。


「昔、一人の男を告発しました」


「犯罪者?」


「いいえ。善人でした」


私は黙る。


善人は厄介だ。


壊れる時、

ちゃんと壊れるから。


「彼は地方領主で、民に慕われていた。ですが横領の疑いがあった」


「疑いだけ?」


「証拠は偽造でした」


私は目を細める。


「あなたは見抜けなかった」


「ええ」


珍しく、ノアは笑わなかった。


「結果的に彼は失脚し、自害しました。家族も離散した」


部屋が静かになる。


医務室というのは嫌いだ。

沈黙がよく響く。


「では犯人は遺族」


「たぶん」


ノアは言った。


「ですが妙なんです」


「何が?」


「毒を盛る機会がない」


私はため息をついた。


その台詞、最近よく聞く。


「飲食物は?」


「すべて検分済みです」


「では日用品」


「調べました」


「魔術」


「痕跡なし」


完全犯罪ごっこか。


趣味が悪い。


私は寝台の横へ歩いた。


机。

薬瓶。

書類。


そして、

一冊の古びた本。


『死者との対話について』


私はそれを手に取った。


「趣味が悪いですね」


「研究書です」


「死者は黙っているから好きです。生者より誠実でしょう?」


私はページをめくる。


そこで止まった。


栞。


挟まれていたのは、

古い新聞記事だった。


そこには、

失脚した領主の名。


そして家族写真。


娘がいた。


黒髪。


細い目。


……ああ。


私は本を閉じた。


最悪だ。


「ノア」


「なんでしょう」


「あなた、誰かに似ていますねって言われません?」


「よく」


でしょうね。


人は案外、

似たものを繰り返す。


「犯人、分かりました」


医師が息を呑む。


ノアは私を見た。


「誰です?」


私は少し考えた。


答えは簡単だった。


簡単すぎて、

少し気分が悪い。


「あなた自身です」


沈黙。


雪が窓を叩く音だけがする。


「正確には」


私は新聞を机に置いた。


「あなたを恨む“娘”は最初から存在しない」


ノアの瞳がわずかに揺れる。


初めて見た。


この男が、

本当に動揺する顔。


「領主には娘などいませんでした」


私は記事を指で叩く。


「いるのは息子だけ」


静かだった。


死体より静かだった。


「では、誰が」


医師が呟く。


私はノアを見る。


この男は、

ずっと死にたがっていたのだ。


たぶん、

自分で思っているより前から。


「あなた、自分で毒を飲んでいますね」


長い沈黙。


それから。


ノアは、

小さく笑った。


認めるみたいに。


「……驚きませんか」


「いいえ」


私は椅子へ腰掛けた。


「人は、自分が許せない時が一番きれいに壊れます」


ノアは目を閉じた。


疲れた顔だった。


探偵役にも、

終わりは来るらしい。


少し安心した。


少しだけ。


「死にたいんですか」


私が聞くと、

ノアはしばらく黙った。


それから静かに言う。


「分かりません」


誠実な答えだった。


だから余計に、

感じが悪い。


私は立ち上がった。


「帰ります」


「見舞いの言葉は?」


「ありません」


私は扉へ向かう。


そして、

少しだけ振り返った。


雪はまだ降っていた。


世界を白く隠しながら。


「でも」


ノアがこちらを見る。


私は肩をすくめた。


「死ぬなら、事件を解決してからにしてください」


「なぜ?」


私は少し考えた。


本当に少しだけ。


「あなたがいないと、説明役が消えるので」


ノアは笑った。


今度はちゃんと。


悔しいが、

少しだけ、

生き返ったみたいな顔だった。

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