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26話 - もっと知りたい

 部屋には、さわさわと葉が擦れる音がかすかに響く。

 でも今は、エリオットの耳に、その音は聞こえていない。

 

 耳の奥では、自身の鼓動がどくどくと大きく打っていた。

 

 ゆっくりとソファへ向かう。

 ローテーブルに置かれたミラのグラスを手に取り、口へ運ぼうとして、止める。

 

 エリオットは指を、軽く口へ当てた。


(ミラ……)


 ずっと触れたかった唇。

 重ねてみると、それは柔らかくて温かくて、そのまま触れていたくなった。


 どさっ、と、身を投げ出すようにソファへ腰を落とす。

 

 さきほど。

 ああまずい、と顔を離した瞬間のミラの顔――


 ぽやっとただ見上げていたミラを思い出し、エリオットは思いきり頭を抱えた。


(む、ぼう、び……!!! 無防備すぎるからミラ……!!!)


 ほんっとに危なかった……!!! とふるふる震えるエリオットであった。



 あああ……! と声にならない声を漏らすと、背もたれに身を預ける。

 降参とばかりに天を仰いだ。


(いや、お風呂で突き飛ばしておきながらベッドで拒否しないとか……勘違いする…………いや、ミラ。ミラだから。純粋で無垢なかわいいミラだから。落ち着け。不純なことを考えてるのは僕だけ……――)


『いっつも、エリオットの顔が浮かんじゃうの!!!』


 無意識に口に手を当てる。

 顔に熱を帯びるのを感じる。


(…………無自覚かわいい……尊……)


 顔を両手で覆い、ため息をつくと、エリオットはすっと顔を上げる。

 その瞳には、戸惑いの色が滲む。


(……ちゃんと……ミラに言わないといけない……)


 もう一度ミラのグラスへ手を伸ばすと、ゆっくりと口をつけたのだった。




 一方、扉一枚隔てた、寝室。

 森の木々の隙間から降る月明かりが淡く差し込む室内の、ベッドの上。


 そこへ倒れこんだミラは――


(……………………きゃ……)(←語彙力喪失中)

 

 ――ちっちゃく丸くなってぷるぷる震えていた。



 顔を覆っていた震える手を、そっと下ろす。


(…………ふにってしてた…………ふにっ……)


 指が、無意識に唇に触れる。

 その瞬間、ぽぽぽぽ、と熱くなる頬。

 きゃ……と顔を覆う。


 ミラは、それをずっと繰り返していた。



 しばらくして。



(――これ、全然2人のこと考えられてなくない!?)


 やっと我に返ったのだった。



(もーエリオットのせいで! エリオットがふにって……ふにってするから……エリオットのばか!)


 ミラは、枕をぎゅっと抱え込む。

 その瞬間、手首に走る痛み。


「いたーい!!!」


 慌てて包帯を巻いた右手を上げる。

 じっ、とその手を見つめた。


 

『――ミラ!!!』

 


 全身を痛めて泣きそうになっていた時。

 その声を聞いた瞬間、一瞬にして胸に広がった、「安心感」。


 1年前も、そうだった。

 いつもポンコツで、何をやっても上手くいかないミラを見かねていつも駆け寄ってくれるダニー。

 その姿を見るだけで、声を聞くだけで、真っ直ぐな瞳を見るだけで、安心した。


 弟のようなかわいさと、見ていて温かい気持ちになる明るさ、芯のある逞しさ。

 そんなダニーが大好きだった。

 

『真っ直ぐ見上げるとこも、弾けたような笑いかたも、何に対しても一生懸命なとこも、かわいいとこも。多分、全部』

『放っておけなくて、目が離せなくて…………守りたい』


 なんてかっこいいの……と、思い出して耳まで真っ赤になる。


(そんな風に思われてたなんて、知らなかった。……そういえば、アーヴィンも同じようなこと言ってなかった……?)


『男子は憧れんだよ。聖女様とか王女様を守る騎士に』


(騎士って、やっぱり守りたいって思うのかな。強いから。エリオットはそういうこと、言わないもんね。エリオットは……――)


 そこまで考えて、ちゅ、と不意にキスされた瞬間がぽんっと頭に浮かぶ。


 かあ、と染まる頬。


 ミラはまた静かにぷるぷる震えた。

 

(……今日はほんと……エリオットに調子を狂わされっぱなし……)


 いつもだけどね? と小さく自嘲する。


 一緒に出掛けたいと言い出したと思ったら、急に寝ていって。

 どこにも行かないでと震える声で告げたと思ったら、お風呂であんな弱音を……――


(……そういえば、弱音を吐くエリオットって、意外?)


 10歳のかわいいエリオット。

 拾った時から妙にしっかりしていたエリオットから、そういったことをあまり聞いたことがなかった。

 

『足りないから。10年分』


 ちょっとしたわがままみたいなのとか。


『いつまで僕は、「かわいいエリオット」なの?』

『ミラは……少女の僕に会いたかったの……?』


 ちょっとした不安が垣間見える時はあったけど、大きく崩れることはなかった。


(ずっと余裕があって何でも受け入れてくれそうに見えてたけど……違ったのかな。エリオットはもうしっかり大人で、私ばっかりが子供っぽくて、って思ってたけど……――)


『もう……どこにもいかないで……ミラ……!』

『僕……ミラがいないと、何もできないから』

『お願いミラ。ずっと隣にいて。揺れないで。よそ見しないで。僕の事ことだけ見てよ、ミラ……!』


 脳裏をよぎった、エリオットの苦しそうな表情に、眉が自然と下がる。

 ミラは無意識に胸に手を当てた。


(――エリオットだって、もしかして……そんなに、強いわけじゃないのかな……?)


 ふと、がらんと空いた、いつもエリオットが寝ている隣のスペースに視線が留まる。

 エリオットがいないからか、随分と広く感じるベッド。

 こんなに広かったんだ……、と、痛めた右手をそっとそこへ置いた。


 包帯を巻いてくれる手は大きくて優しくて、そこへ落とす視線は甘くて愛おしそうで、胸がきゅっとなった。


(エリオットは……どうして私の事を、こんなに好きなんだろう……?)


 ミラはふと、気が付いた。

 

(自分の事ばっかりで、自分がどうしたいかってことに必死で、私エリオットのこと……あんまり知らない……?)


 いつもミラの事ばかりを優先してくれるエリオット。


(今日みたいな……本音を言ってくれるエリオットを、もっと見たい……気がする。余裕のある大人なエリオットもかっこいいけど、今日のエリオットは何というか、上手く言えないけど…………嫌いじゃないな)


 さみしいな……と呟くと、ミラは隣にごろんと転がる。

 エリオットがいつも寝ている場所を確かめるようにシーツを撫でると、目を伏せた。


 いろんな顔があるエリオット。

 もっと深く知ることができたら、もっと向き合えそうな気がする。

 そうすれば、答えを出せるかな……――




 カチャ。


 翌朝、寝室の扉がゆっくりと開く。

 そこから、おずおずと顔を出すミラ。


 ソファに座るエリオットが、こちらを見た。

 すぐに浮かぶ甘い笑みに、ぽ、と頬が染まる。


「おはよう、ミラ。よく寝た?」

「……よく寝られなかった」

「僕も」


 どき、と胸が鳴る。


(私、エリオットのこと……もっと、知りたい……!)


 近づいてきて、自然に手を引くエリオットを、ミラはきらきらとした瞳で見上げたのだった。




(――……と思ったのに)


 ミラは庭で、ガーデンハットのリボンを丁寧に結んでくれているエリオットを、じっと見上げていた。

 睫毛長い……水色の瞳綺麗……、と意識が別の方へ持っていかれ、意気込んだ気合いがどっかへ飛んでいく。


(エリオットの顔を見ると……思ってたことがどっか行っちゃう……何で?)


 すると、エリオットが突然吹き出した。

 えっ!? と目を丸くする。


「……何? ミラ。そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」

「えっ!? エリオットも恥ずかしいことが!?」

「それはあるでしょ」

「それはある!!!」


 表情が、ぱああ……! と輝いた。

 

「……?」


 一方で、エリオットの視線が、恥じらうように泳ぐ。

 戸惑ってる? かわいい……と、ミラは目が離せず、ぽやっと見惚れる。


 はっ! と我に返ると、また真っ直ぐな視線をエリオットへ向けた。


「エリ、エリオット」(←噛んだ)

「何? ミラ」

「……えと……エリオットは、何の野菜が好きですか」

「えっ? 何でも好きだけど」

「なんでもすき……」


 ぱちぱち、と目を瞬く2人。


「じゃあ、食べ物は何が好き?」

「ミラが作るもの」

「ミラがつくるもの……」


 再びミラは、目を瞬いた。


(…………なんかちがう気がする……)


 ミラはもや……と眉を寄せる。

 すると、顎下のリボンを結び終えたらしいエリオットが、ミラの腕を優しく掴んだ。

 

「だからミラ」


 そう言って、口の前へと持っていく。

 包帯の巻かれた右手首に、ちゅ、とキスを落とした。


「早く怪我、治してね」

「……~~!?!?」


 わわわわわ……とミラの口から漏れる、声にならない声。

 わあ……っ! と顔を覆うと、駆け出した。


「何ですぐふにってするの……!!!」

「ふに?」


 うわあああんマオ……! と駆けて行くと、下を向いていたからか、どんっとぶつかる。


「マオ――」



「あれ? もしかしてミラちゃん?」



「……???」


 聞き慣れない声に、顔を上げるミラ。


 ――そこにいたのはマオではなく、見知らぬ男性であった。


「あーやっぱりミラちゃん。随分可愛い女の子に育ったなあ」

「……!?!?」


(誰……!?)

 

 ミラとエリオットは揃って固まったのだった。

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