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25話 - ずるい

「いけませ――ん!!!」


 ミラは叫んでいた。



「ひと、ひとりで脱げるから!!!」

「余計手首痛めるよ。ほら、おいで」

「おいでじゃない!!! 服つままない!!!」

「わがままだなあ、ミラは」

「わがままかな!? わがままかなこれ!?」

「でもこのワンピース、レースアップのリボン後ろだけど」

「…………」


 えっ、と見合うミラとエリオット。


「着る時も、僕が結んだでしょ?」


 ね? とエリオットが甘く微笑むと、おぅ……とミラの口からくぐもった声が漏れる。

 ぎこちなくエリオットに背を向けると、髪を掻き上げて前に流した。


「……じ、じゃあ、あの、リボンだけ緩めてください……」


 すると固まるエリオット。


「………………色っぽ……」

「え?」

「いや、何でも」


 すっとエリオットが背後に近づく。

 シュル、とリボンを解く音が静かな浴室に響いた。


 どきどきどき……、と、ミラの心音はずっとうるさい。


(なんか……変な感じ……なんで、こんなどきどき……)


 エリオットがリボンを引いている指の感覚が、背に伝わる。

 ミラは胸に手を当てると、きゅっと服を掴んだ。


 ふと、急に静かになったエリオットを、横目で窺う。

 すると片手を口に当て、難しい顔をしていた。


「どうしたの? エリオット。緩められない?」

「え? ああ、いや…………ミラの服脱がせるの、情事の前感あっていいなあと思って。レースアップ後ろの服錬成してよかっ――」

「みなまで言わない!!!」


 情事の前って何!?!? と憤慨するミラであった。




『じゃあ、手伝ってあげるね。お風呂』


 少し前。

 そうエリオットが告げた瞬間。

 ミラの思考回路は停止した。


 耳元に顔を近づけていたエリオットが、至近距離でミラの顔を覗き込む。


 てつだってあげるね、おふろ……てつだって……、とゆっくり言葉を反復すると、一瞬にして耳まで熱くなった。


「だ…………だいじょぶです……」

「でも洗えないでしょ?」

「あらえる……」

「髪とか」

「あらわない……」

「転んだんでしょ? 綺麗にしてあげるから」

「はず……はずかしすぎ……」

「じゃあ髪だけ。ね?」

「ね……」


 なにそれかっこいい……、と断れないミラであった。




 ぱちゃ、と水面を揺らす音が反響する浴室。


 ミラは浴槽の端で小さく丸まっていた。

 その背後でエリオットが、浴槽の外で膝をつき、さらさらとミラの髪を優しく洗っている。


 くすっと背後から漏れた笑みに、どきー! とミラは身体を弾ませた。


「何で、そんなにちっちゃくなってるの? ミラ」

「……はずかしいから」

「そうなの?」


 エリオットの声は、なぜか嬉しそうだ。


「肌着も脱いでくれても良かったのに」

「恥ずかしすぎて死にます」

「……まあ……これはこれで」

「これってどれ?」

「パンツ、僕が選んだやつ履いてた」

「何で見てるの?」

「それはもちろん」

「そのもちろんは、なんか嫌」


 頭に優しく触れるエリオットの大きな手が温かい。

 ほかほかと身体も温まり、とろんと重みを増す瞼。

 少しだけ慣れて落ち着きを取り戻してきたミラは、軽く目を伏せた。


 すると、突然エリオットが肌着の肩ひもを軽く引っ張った。

 驚きのあまり、浴槽内で滑りそうになる。


「なな、なななに!?」

「肌着着てるのに、何でそんなに胸押さえてるの?」


 するとミラの顔が真っ赤に染まる。

 泣きそうな顔で振り返ると、エリオットを見上げた。


「す、透けるのやなの!」

「…………」


 エリオットが用意してくれた可愛らしいベビードール風肌着を恨めしそうに見る。

 さらっと薄めの生地が濡れたらどうなるか、想像に難くない。

 もう!!! と真っ赤になりながら涙目でエリオットを見上げた。


 すると、ぴた、と固まるエリオット。

 次の瞬間、しゃがみ込む。


「どうしたのエリオット」

「いや……下着涙目上目遣いの破壊力……」

「ええっ!?」

「着てないより僕好み……」

「どれが!?」

「ごめん…………ちょっと、理性押し留めるね……!」

「またそれ!」


 もう!! と、ミラは慌ててエリオットから顔を逸らした。


(ぼくごのみ……)


 腕で器用に前を隠しながら、きゃ……と口を手で覆う。

 伏し目がちに視線を落とすと、吐息のような小さな息が、口から漏れた。


 その時、背後でエリオットが起き上がる気配を感じる。


「…………そういう顔とか」

「え?」

「しなかったよね。今まで」

「え、何? エリオット、どういう――」


「ダニーに、告白でもされた?」


 つるっ

 ざばーん!


 ミラは思いきり浴槽内に沈んだのだった。




 沈んでいったミラは、勢いよく湯から顔を上げた。


「見てたの!?」

「見てはないけど」

「何で知ってるの!?」

「知らなかったけど」

「…………あ」


 見合うミラとエリオット。

 みるみるミラの眉が下がっていく。


 エリオットが顔にタオルをぽんぽんと当てた。


「ご……ごめ……」

「何で謝るの?」

「えと……その」


 言葉が見つからない。

 ふと、じっと向けられている視線に気づくと、はっ!? とミラは慌てて前を隠し、再び背を向けた。


 その瞬間。

 背後から、腕が回された。


 ミラの息が止まる。


 袖をまくったエリオットの腕が直接肩に触れ、心臓が痛いほど高鳴る。

 何を考えていたのか、一瞬にして吹き飛んだ。


(わわ……わわわわわわ)


 耳元で名前を囁くエリオットの甘すぎる声に、のぼせそうなくらい身体が熱くなった。

 いけ……いけませ……、と抗議の声を上げるが、上手く舌が回らない。


「何て言われたの? ダニーに」


 肩に顔を埋めるエリオットの柔らかい唇が当たる。


「――……!?」


 口から漏れる、声にならない声。

 吐息がかかるたび、身体が小さく跳ねた。


「す、すきって。守りたいって――」


 しどろもどろにそう言った、次の瞬間――



 ――抱き締められていたエリオットの腕が、痛いくらい強まった。



 ミラは動けない。

 静かな浴室に聞こえるのは、たまに髪から落ちる水滴の音のみ。

 心音が、響いてしまうんじゃないかと、胸を強く押さえた。


 その時、ふと気づく。


(……腕……震えてる?)


「……エリオット……?」

「嫌だ……ミラ」


 その、消え入りそうな声に驚く。


「いや、えっと、」

「どこにもいかないで」

「い、行かないよ!? どこにも――」

「じゃあ、何で謝るの?」

「――! えっと、それは」


 言葉に詰まるミラ。


「僕……ミラがいないと、何もできないから」

「そ、そんなわけないよ! エリオットは何でもできて、何にもできないのは、私の方……」

「それは、ミラのためにしただけで」


 はっ、とミラは目を丸くした。



『エリオットがずっといてくれたら、私困らないなあ!』



 ――幼いエリオットにそう言ったのは、いつだったっけ?


 

「お願いミラ。ずっと隣にいて。揺れないで。よそ見しないで。僕の事ことだけ見てよ、ミラ……! 僕の事だけ考えて欲しい……!」



 その言葉が。

 ミラの頭に引っかかった。


(エリオットの……ことだけ……?)


 ダニーが思いを告げてくれたとき。

 浮かんだのは、エリオットだった。


 ダニーの想いにも、エリオットの想いにも。

 ちゃんと向き合いたいのに。

 

 ダニーの真っ直ぐな顔を思い出すたび、エリオットが触れる感覚にかき消される。

 じわり……と、ミラの瞳に涙が浮かんだ。


「……リオットの、せいで」

「え? 何?」


 ぽろ、と、涙が零れた。


「エリオットが……こういうことするから……! 私を甘やかして、ぎゅってしてすぐキスして、かっこよくてどきどきしちゃう笑顔いっつも向けるから……! ダニーが真っ直ぐ、私に想いを伝えて……伝えてくれて、ダニーのこと考えなきゃって思うのに……! なのに、いっつも、エリオットの顔が浮かんじゃうの!!!」


 はっと、エリオットが息を呑むのがわかる。


「告白してくれた時も……。私は、ダニーの気持ちにこたえたいのに……ダニーのこと、考えたいのに……エリオットのことばっかり考えちゃうもん! 考えて欲しいって、言われたって……! これ以上どうやって……? エリオットのばか……」


 そう言ってミラは、またちっちゃくなった。

 エリオットずるい……エリオットのばか……エリオットのイケメン……とぶつぶつ呟くミラ。


「…………ミラ」


 そう口にしたエリオットの声は、何だか驚いたような意外そうな声だった。

 ちら、と横目で窺う。

 エリオットの腕はもう、震えていなかった。


 その代わり、珍しく、視線の泳ぐ瞳。


 なぜか、きゅん、とした。


 どんな顔でもかっこいいんだから……とミラは悔し紛れに呟くと、すんすんと鼻をすする。


 するとエリオットは、こぼれた涙に、唇を当てた。

 ミラは、ぱちぱちと目を瞬く。

 何でみんな涙にちゅってするの……? と不思議そうな顔を向ける。


「ミラ」

「……な、何――」


 すると。

 エリオットは真顔で、静かに熱を帯びた瞳を、ミラへ向けた。

 その初めて見るエリオットの強い瞳に、ミラは呼吸も忘れ、目を奪われる。


 正面からぎゅっと抱き締めるエリオット。



「何でダニーに告白されたとき、僕の顔が浮かんだの……?」



(それが……わからないのに――)



 ――本当に私、わからないのかな?



 急に優しくなった声に、どきっと胸が跳ねる。



「なにが、『恋』なんだっけ」



 ミラは動けない。

 


(……なにが? それって、この間エリオットが――)



『その人がどんな人だろうが、その人の事ばっかり考えちゃうのが、恋なんじゃないの?』



 目を丸くしたまま、エリオットと見合う。

 その真剣な瞳に、身体が熱くなる。



(わからない? だって、まだどっちともちゃんと向き合えてなくて……ちゃんと向き合いたいから……。それで、答えをまだ、出したくない、の、かも……――)

 


 エリオットの顔を見つめたまま考え込んでいると、その顔がゆっくり近づく。

 お互いの吐息がかかるほど、触れそうなくらい、縮まった。

 その近さに、思わず目を伏せる。

 


 とそこで、はっ!? とミラは我に返った。


「だっ……だめエリオット!!! ……いったあ!!!」


 エリオットを押し返した勢いで、手首を痛めたミラであった。




 ベッドに腰を落とすミラは、目の前で跪くように座るエリオットの膝に片足を乗せていた。

 エリオットはミラの膝に、器用に包帯を巻いていく。


「ミラの足、綺麗だよね」

「さらさら触らない……」

「はい、できた」

「……足にちゅってしない」

「わがままだなあ」

「わがままじゃない……」


 エリオットは膝に乗っていたミラの足を降ろした。


 右手首にも巻いてもらった包帯を、ミラはじっと見下ろす。

 恥じらうように視線を上げるとエリオットと目が合い、どきっと胸が鳴った。


 そのミラの反応を楽しんでいるようにじっと見つめていたエリオット。

 淡い笑みを浮かべると、立ち上がる。


「じゃあ、僕向こうで寝るね」

「えっ?」


 ミラは目を見開いた。


「なんで!?」

「なんでって……」


 エリオットは、困ったように眉を下げる。


「今日ミラと寝たら、僕、何するかわからないよ?」

「…………え」


 にや、と目を細めるその意地悪そうで色っぽい笑みに、ミラは目が離せない。


 エリオットの手が伸ばされる。

 さらっと髪を撫でる手が、頬に触れた。

 そのまま顔が近づく。



 ちゅ。


 と、エリオットは唇に、触れるだけのキスを落とした。



 ゆっくり顔を離すエリオット。

 目を真ん丸にしているミラを見て、小さく笑う。

 少し名残惜しそうに身体を離した。


「おやすみ、ミラ。また明日」




 ぱたん、と扉が閉まる。


 ミラはしばらく動けず、ただエリオットが去った扉を見つめていた。


 次の瞬間――


 ぼふっ、とベッドへ倒れこんだのだった。

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