20話 - 誰の?
ピチピチ、と小鳥のさえずる音と、窓から差し込む光で、ミラはぼんやりと目を覚ます。
え……もう朝……? まだ寝てよ……と再び目を伏せ丸くなると、とんと頭が何かに当たる。
ん? と目をうっすら開くと、目の前にエリオットの整った顔があり、ギン……! と覚醒した。
(――近)
きゃ――!!! と内心叫ぶと、顔を覆う。
ゴロゴロゴロ!
どすーん!
「……?」
目を覚ましたエリオット。
ベッドの下でうずくまるミラを、不思議そうに見た。
「……おはよう、ミラ。何してるの?」
「おはようエリオット! ちょ、ちょっとね!? なんかね! ビール樽になって転がされる夢見たかな!?」
「……?」
楽しそうな夢だね、ととりあえず答えたエリオットであった。
エリオットは森で、手をかざしていた。
煙のような残像のようなものが目の前を渦巻く。
その煙がふわっと消えた。
きゃ――! とミラが駆け寄ってきた。
「畑!」
ミラたちとマオの家の間の広い土地が畑に変わり、きゃわきゃわと興奮するミラを、エリオットは甘い瞳で見つめる。
そして今度は、持っていた帽子に手をかざす。
錬成された、フリルとリボンが可愛らしい、鍔の広いガーデンハットを、ぽんとミラに被せた。
わあ……! と目を真ん丸にしてエリオットを見上げるミラ。
「エリオット、すごい!」
「どういたしまして」
天才ですか……? すごくない……? と瞳を輝かせる。
「何でエリオットは何でもできるの……? 何で私は何にもできないの……?」
「……そんなことないよ」
「ありがとう! エリオッ――」
嬉しそうに目を細めミラを見下ろすと、すっと頬へ手を伸ばすエリオット。
ミラの身体が、ぴくっと跳ねた。
帽子のリボンを手に取ると、ミラの顎下で丁寧に結んでいく。
たまに触れる指に、ミラの顔がみるみる染まっていく。
「はい、できた」
そう言って、真っ赤な頬をふわっと包み込んだ。
「エリ……エリオット……なに……あの…………いけません……」
消え入りそうな小声でそう呟きながらミラは、じりじりと後退っていく。
その様子をまじまじと見つめるエリオット。
(昨日から……随分と意識してくれてる……?)
やば……うれしすぎる……にやける……と頬を染めると、思わず口を覆う。
「かわいすぎない? 僕の奥さん――」
「――やっぱりお前のそれだろ絶対。噂の種は」
エリオットの頭に、軽めに本をばし、と叩きつけるダニー。
「何をどうしたらそういう発言になるわけ」
「いや……僕を意識して離れてくミラ、萌えるなあと思って」
「お前、たまに素で変態なの何なの?」
引くんだけど、とドン引きなダニー。
「じゃあ、あれはいいわけ?」
どん! きゃーマオごめん! とマオにぶつかるミラ。
よしよし、と頭を撫でるマオに、なすがままくっついている。
「…………」
もや……と、複雑な心境で眺めるエリオット。
意識してくれるのは嬉しいけど、他の男(魔王)にくっつくのはもやるエリオットであった。
すると――
「ミラ!」
「――!」
ダニーがミラの視線を引き戻すかのように、声を上げた。
颯爽と駆け寄り、さりげなくマオからミラを引き剝がすダニーに、エリオットはわずかに目を見開いたのだった。
一方、しれっとミラとマオの間に割り込んだダニーは、周囲を見渡した。
「ミラ、これ何?」
そう言いながら、かわいいなあ、と帽子のリボンをちょいちょいと摘まむ。
「畑だよ!」
「畑? 何で畑?」
「実は朝ね……――」
――それは、朝食時。
ダイニングテーブルを囲んでいる、ミラ、エリオット、マオ。
「――そういえば、マオはいつも何やってるの?」
プレートに乗った、少し焦げたベーコンと少し焦げた葉っぱと少し崩れた卵をあむあむと頬張るミラ。
「何もしていない」
「何もしてないの? 魔王って何が好きなの? 戦うこと?」
「好きじゃない」
「そうなの?」
「ミラと過ごしたい――」
「ミラは僕のお手伝いをするから」
えっ! と振り向いたミラに、ね? とエリオットは甘い笑みを向ける。
ぽぽぽぽぽ、と頬を染めると、きゃ……とマオへ顔を埋めた。
こらこら、ミラ? マオにくっつかないよ? と目は笑っていない笑みでやんわりと窘めるエリオット。
すると、マオがぽそっと呟いた。
「……野菜とか育てたい」
えっ? と顔を向けるミラとエリオット。
野菜……! と、ミラは瞳を輝かせたのだった。
「――って感じ?」
「……ナチュラルにマオが朝食に交じってんのは、もうデフォルトなのか……?」
「いつもいるよね?」
「(こくこく)」
涼しい顔で座っているエリオット、当然のようにミラの横にいるマオを、ダニーは見た。
わずかにその表情に影が落ちる。
むに、とミラの頬を軽くつまんだ。
「……ずりーな」
「…………え……」
ミラが不思議そうに見上げる。
すると、すぐに爽やかな笑みを向けた。
「じゃあ、これ! 持ってきてよかったな」
「えっ?」
そう言ってダニーは、一冊の本をミラの目の前に出す。
「簡単なレシピ本だって。野菜育ったら、作ってみたら?」
ミラの表情がぱあっと一気に華やいだ。
「ありがとうダニー……! そっか……! レシビ本を見ればよかったんだ……!」
「見てなかったの?」
「錬金術の本しか見てなかった」
「錬金術師あるある? それ……!」
腹を抱えて可笑しそうに笑うダニーを、無意識に頬を染め見つめるミラ。
その視線に気づいたダニーが、ん? と眉を上げると、ミラはあわあわと慌てて視線を逸らした。
「……あっ、ありがとダニー! じゃ、じゃあ、畑、さっそく――」
足がもつれて、きゃー! とマオへ倒れ込む。
咄嗟にダニーが腹に腕を回して、ミラの身体を引き寄せた。
「あーもー! 何でいちいちマオに倒れるんだよ――」
そう言いながら視線を落とすと、ミラが真っ赤な顔で固まっていて、ダニーも思わず固まる。
あわわわ……、と声にならない声が漏れると、ごめんなさーい! と誤魔化すように、ミラはその場を離れていったのだった。
(……なんか……ポンコツ度が増しているような……)
なんで……? と土を盛りながら、すん……と目を細めるミラ。
「おかしいな……なんで、うまくいかないんだろ……?」
「そんなことない」
隣で土を掘っていたマオが、小さく微笑む。
きゅうっと胸が鳴る。
「マオやさしい……! エリオットも何でもできて、ダニーもすぐ助けてくれるのにな……私も、そうやって誰かの役に立ちたいのに」
「ミラは十分、皆のためになっている」
「そうかな……」
「ミラは、どうしてしっかりした奥さんになりたいんだ?」
「……えっ…………どうして……」
マオは笑みを向けると、ミラの頬についた土をさらっと指で拭う。
さわさわと吹く風が、マオの黒髪を揺らした。
「ミラは、誰の奥さんになりたいんだ」
ふわりと、ミラの髪と帽子のリボンがなびく。
木々がなくなりすっきりとした畑へ、きらきらと陽の光が差し込む。
その真ん中でミラは、ぴたと手を止めた。
(――…………誰の?)
「1人では、できないものだろう」
「……ひとりでは…………できない……」
そういえば、とミラは立ち返る。
(……何で……しっかりした奥さんになりたいって、思ったんだっけ)
アーヴィンの横に立つシェリルが羨ましかったから。
それだけ?
錬金術も聖女の力も失って。どっちも「誰か」の為に使ってた。それができなくなって。
それでかな。
(それもそうなんだけど……それだけじゃないよね。恋に失敗して、でも次、成功するように、そのための練習……――)
――誰?
「誰か……っていうのは…………まだ……あんまり……」
「そうなのか?」
「シェリルみたいな……自立した、しっかりした奥さんになれたらなって…………ポンコツはやだなって……思っただけで……」
自分でも腑に落ちていない感情にもやもやとしたまま、ミラは消え入りそうな声を漏らす。
「誰の奥さんになっても……いいように?」
「そうか」
マオは、ぽん、と頭に手を乗せた。
「私の奥さんはどうだ」
「マオ、奥さんって何かわかってる?」
「よくはわかってない」
「……私も、よくはわからない」
ふっと笑うマオ。
「ミラはかわいいな」
ぱちぱち、と目を瞬く。
かわいくないもん……、とミラは呟いた。
さくさくと無意味に土を掘りながら、ミラはぼんやりと考え込む。
(……誰…………)
ふと頭に浮かんだ懐かしい顔に、ぽ、と頬を染めた。
(……アーヴィン…………はシェリルの旦那さん。ていうか、もう会えないし……。マオは魔王。……ダニーは…………ダニー……かっこいいよね。……あれ? そういえばダニーって、かっこよくない……? 何か最近特に…………でも)
『絶対に、ミラを奥さんにするから』
(…………エリオット?)
きゃ――きゃ――!!! と顔を覆うと、ぷるぷる震えた。
朝、「ミラは僕のお手伝いをするから」と告げられたミラは、お昼過ぎ、仕事小屋にいた。
机に向かうエリオットの端正な顔立ちを、指の間から覗き見る。
(……いや、待って? 何でもできる天才イケメンエリオットを支えられる奥さんって…………どれだけ頑張れば……――!?!?)
はっ!? と目を見開くと、客として来ている女性を、じと……と見る。
たゆん……と呟いた。
その様子を横目で見ながら、口を押さえて笑いを堪えているエリオット。
客の女性は、不思議そうにエリオットを見つめる。
「錬金術師さん……今日は随分とご機嫌で……?」
「……えっ? ああ、ごめん。そう……萌え……いや」
ふっとミラへ顔を向けると、突然顔を向けられ驚いたのか、ぴょこん! とミラの身体が跳ねた。
甘く微笑むと、みるみる顔が染まっていく。
エリオットは再び口を覆い笑いを堪えると、悶えるようにふるふる震えた。
「……僕の奥さん、かわいいなあと思って……!」
「…………?」
そう言いながらミラの行動を愛おしげに見ていると、ふと、朝ダニーがミラを咄嗟に抱き留めた光景が脳裏をかすめた。
あの一瞬――エリオットは、息を止めたのだった。
その時の焦燥感を思い出し、途端にエリオットの胸に言いようのない不安が渦巻く。
(……いや……他意はないはず……ミラは、不慣れなだけ……)
ダニーを見上げ、真っ赤な顔で固まるミラの表情が、頭から離れない。
いや、大丈夫……、と言い聞かせるように、一人あわあわとうろたえているミラを見つめたのだった。
机に頬杖をついてじっと視線を逸らさないエリオットに、エリ……エリオットさん……なんでこっち見てるの……? お仕事は……? とどぎまぎしているミラ。
微笑みながら、ミラ魔法円描いて、とエリオットが告げると、どこにですか!? と瞳を輝かせて飛んできた。
その様子に女性は訝しげに顔をかしげると、刺すような冷たい目を、す……、とミラへ向けたのだった。




