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18話 - 恋

『ごめんね。昨日…………逃げちゃって』



 じっ、と静かに見合うミラとエリオット。


「…………」

「…………」

「…………え?」


 ミラがぱちぱちと目を瞬く。

 話し出すのを待っていたエリオットは、虚を突かれた。


「え? いや、ミラ……話があるんじゃないの?」

「は、話!? え!? あ! 今日は逃げないって決めただけで、話があるとかじゃ……! 全部昨日話したっていうか」

「!?」

「何か昨日エリオット言いかけてたから……その話かと……え!? ごめん! 違った!?」


 口に手を当て、ふるふる震えるエリオット。


「……さすが僕のミラ……ブレないよね…………ある意味尊い……好き」

「な、何で!?」

「そんなピュアすぎるミラも僕好きだけど……――」


 すっ、と真っ直ぐミラを見つめる。

 グラスを持つミラの手に、手を添えた。


「――もう少し、先に進もうよ」


 どき、と小さく胸が鳴る。


(ダニーも言ってた……)



『前に進まないと、ミラ苦しいままだよ』



(……私は…………前に進みたい)



 ミラは、こくん、と小さく頷いた。



 優しく微笑むエリオット。

 よしよし、とミラの頭を撫でる。


 よしよしされるの嬉しいとか思ってませんから……と恥じらいながらも、なすがまま撫でられるミラ。


「……私ね」


 髪に触れるエリオットの手が、気持ちいい。


「私も……わからないの。向こうで聖女の仕事をやりきって、エリオットの元に帰ってこれて。アーヴィンとは、お別れは言ってないけどお互いもう会えないかなって思って別れたはずなのに。何でこんなに――」


 すると、また、ミラの顔が、きゅうっと歪んだ。


「――もやってするの……?」


 わかんないよ……とエリオットを見つめた。

 ふっと、エリオットは軽く目を伏せる。


「それって、好きってことでしょ?」

「――!」


 ……すき?


「恋してたんじゃない? ミラ」



 はた、と固まるミラ。



 ――こい?



 ぽかん……、と口を開けたまま、ミラの思考が停止する。


 あ、固まった、と、エリオットはとりあえずむにむにとミラの頬を揉む。


「…………こい……」

「そう。恋」

「……こい…………恋……――!?」


 エリオットに揉まれている頬が、みるみる赤く染まる。


「恋!?!?」


 ミラは、ばっとエリオットを見上げた。

 

「ななななわけない!!! アーヴィンだよ!? 軽石みたいな!! シェリルの旦那さん!! 結婚してる人!!!」

「うん。だからそれは、アーヴィンのただのプロフィールでしょ?」

「プロフィール……!?」

「軽くて、結婚してて誰かの旦那さんなのに、無意識に目で追っちゃって、奥さんのこといいなって思う。そういうのが、好きってことだと思うけど」

「――!??」

「10歳以上離れてて、子供としか見られてないってわかっても……屈託の無い笑顔にどきどきして、何気ない一言に泣きたくなって……」


 そう言ってエリオットは、触れていたミラの頬を、むに、と軽くつまんだ。

 そのエリオットの優しく、少し憂いた笑みに、ミラの胸がとくんと鳴る。


「……どうしても僕だけのものになって欲しいって思うの。好きってことじゃない?」


 ミラは、どきどきとエリオットを見つめる。

 なぜだか、目が離せない。


「その人がどんな人だろうが、その人の事ばっかり考えちゃうのが、恋なんじゃないの?」




 ――昔から、「恋愛」というものが苦手だった。



 なぜだろうと思い返しても、よくわからない。

 気づいたら苦手だった。


(私は昔から不器用だし、要領も悪いから、それでかな)

(ずっと森小屋で過ごして、一緒に過ごしていたのはおじいさん1人だけで、それでかな)

(丸描くみたいに練習もできないし)


 失敗したら戻れなくなるような。

 丸描くのを失敗しても、少し料理を焦がしても次があるけど、恋愛で失敗したら次がなさそう。


 その後戻りできなさそうな感じが、怖かったのかもしれない。


 本や街で見るカップルとかで、もちろん知識はある。

 でもいざそれが自分の身に起こると思うと、怖い。未知なるものというか、異次元のものだった。




 ――異世界で会ったアーヴィンとシェリルは、初めてちゃんと接した「夫婦」だった。


(……そういえば、カップルを見て、初めて「いいな」って思った)


 冷たい石牢からあっさりと救い出してくれて、ずるいくらい軽いのに明るくて、ずっと眩しかったアーヴィン。

 そんな彼の隣に当たり前のようにいて、信頼なんて言わなくても分かり合ってる、呆れた顔しながら冗談を言い合えるシェリルが、本当に羨ましかった。


 一番に心配して、顔くしゃくしゃにして泣いて。

 あんな風に泣けていいな。

 

 あんな風になりたいなって、思った。



「……夫婦仲の良さみたいなものへの……憧れだったのかも……?」


 えっ? とエリオットは小さく声を漏らす。


「何で?」

「何でって……シェリルに憧れて、いいなって思って……あんな奥さんになりたいなって、それって」

「いけないことだと思ってる? ミラ。好きになるって」


 はっ、とミラは息を止めた。


「こっちに残してきた僕にも、奥さんであるシェリルにも、悪いって思って、好きになったらいけないって思ってる?」


 ミラは言葉が出ない。


「自分の気持ちは邪道だからって蓋するのって、一番ミラが辛いよ。ちゃんと認めてあげたら?」


 そう言って、エリオットは微笑んだ。



「ちゃんと、恋だったんじゃないの?」



 

(そんなわけない……だって…………羨ましいのは、シェリルの方で……確かに憧れはあったけど、それって夫婦っていいなって、そういう……――)


 困ったように、エリオットを見た。


 そのエリオットの――アーヴィンがシェリルに向けるような。

 優しいだけじゃなくて、うまく言えないけど、相手をとっても大事そうに見つめる、きゅっと胸が締めつけられるような笑みに、じわ……と涙が滲む。


 慌てて俯き、拭おうとする手を、エリオットが優しく掴んだ。

 驚いて顔を上げる。


「泣いて、いいと思うよ」

「えっ?」

「ずっとミラ、我慢してるでしょ。ミラだって、泣いていいんじゃない?」

「…………ないて……」


 エリオットが優しく微笑む。


 その時。

 ミラの頬を、つ――……と、涙が伝った。



 ミラは、ぽふ、とエリオットの胸に顔を埋めた。



『ちゃんと、恋だったんじゃないの?』



 アーヴィンの、ちょっと軽い笑みが、脳裏をよぎった。



「…………違うよ。多分」



 そう呟くと。

 ミラはエリオットの胸の中で、少しだけ泣いたのだった。




 恋だったのかな。

 よくわからない。


 でも。

 エリオットの胸の中で泣いたら、何だか胸のわだかまりが溶けていくように、心が軽くなった気がした。

 何か、自分の中に、押し留めていたものがあったみたいに。

 



 その夜。


 ミラはベッドで、いつものようにエリオットの額に、ちゅ、とキスをする。

 なぜだか一昨日までよりも恥ずかしくなって、むすっとした顔でさっと離れた。


 少しだけ目を丸くしたエリオットは、嬉しそうに目を細める。


「……何、エリオット」

「いや?」


 エリオットは、ミラの頬を包み込むように手を添えると、顔を近づける。

 わわ、とミラは目を伏せた。


「…………」


 すると、瞼に触れられる感覚に、ミラの心臓が大きく弾んだ。

 反射的に目を開くと、エリオットの顔が目の前にあり、ピシ、と固まる。


 ふっと笑みを漏らすと、エリオットはもう一度、ミラの瞼にキスを落とした。


「……??」

「ミラが、ちょっとだけ大人になったから」

「???」


 そう言って、意味深に色気のある表情をミラへ向けた。



(寝不足のはずなのに……全然寝られない……)


 

 眩しいアーヴィンの表情を思い浮かべ、とくん、と胸が鳴る。

 するとなぜか、先ほどのエリオットの大事そうに見つめる笑みが頭に浮かび、どきどき……と、さらに鼓動が速まった。


(な、何かエリオットのことばっかり考えてない!?)


 瞼キス!? 瞼キッスのせい!? と先ほどのエリオットの色気ある表情を思い出し、きゃ――!!! と内心叫ぶ。

 丸くなってぷるぷる震えると、顔を上げ、目の前のエリオットの背を無意識に見つめる。


(……エリオットは、私が恋愛とか苦手なこと知ってて、待ってくれてたよね)


 いつも優しいエリオット。


(好きって告げたり、距離を縮めてちょっと……きゃ……ってこともするけど、でもずっと私のペースに合わせてくれているような気がする)


 大人……、と、大きな背中を見つめる。

 とん、とその背中に額を付けた。


「……エリオット。ありがとう」


 そう小さく呟くと。

 くるっと振り返ったエリオットの腕に、すっぽりと包まれた。


 この大きな胸の音が伝わらないかな……と、心配になったから? 余計に大きくなった鼓動が、耳に響くほどに速く打つ。

 すると、自分のとは違う――エリオットの胸から聞こえる速い鼓動が耳に届き、ぽぽぽ、と頬が熱くなった。


 ちら、とエリオットの顔を盗み見た……つもりが、エリオットと目が合い、慌てて胸に顔を埋める。

 すると、ぎゅ、とエリオットの腕の力が少しだけ強まった。




(……恋だったら、いいな)


 その時。

 素直に、そう思えた。


 あれが恋だったんだとしたら、恋というものがもう少し身近に感じられて、もっと恋に前向きになれる気がする。


(あんなアーヴィンだったけど)


 くすっと笑う。


 だとすると、異世界に1年間転生した意味は、あったような気がするな。

 失敗だったみたいだけど、前に進めるんだって。

 

 ちゃんと次があるって、思える気がする。



『僕ずっとミラのこと好きだったから』

『ミラ、好き』


 ずっと曖昧に返事をして、ずっと逃げていたエリオットの好意に対しても、ちゃんと向き合えるかな。


(……向き合いたいな……少しずつ、ちゃんと。どんなに私がポンコツでも逃げても、優しく向き合ってくれるエリオットに)




 一段と大きく聞こえるエリオットの鼓動。

 その心地よい音に、ミラの瞼は徐々に重くなり、すうっと眠りに落ちていったのだった。




 そして翌朝。

 ダニーの前で、もじもじてれてれと身をよじっているミラ。


「ダニー……! あの」

「おはよ、ミラ! あ、今日は目死んでない」

「……目死んでた?」

「死んでた」


 ぱちぱちと目を瞬くと、あはは……! とミラは弾けるような笑い声を上げる。


「昨日はありがとう! あの、私、ダニーのお陰で向き合えたっていうか……よく寝られたっていうか」


 そう真っ直ぐ見上げるミラの頭を、よしよしと撫でるダニー。


「やっぱりミラは、そうやって笑ってた方がいいな」


 ぽ、と頬を染めるミラ。


(……つ、次……?)(←頑張って恋に向き合い中)


 きゃ……と頬に手を当てていると、じ、と向けられる視線に気づく。

 顔を上げると、マオと目が合った。

 慌てて駆け寄る。


「マ、マオも、ごめんね……! 私、向こうでマオといた時間、ちゃんと好きで――」


 すると、ふ、と笑うマオ。


「ミラはかわいいな」


 知っている、と頭にぽんぽんと触れた。

 ぽ、と頬を染めるミラ。


(…………マオはマオ)


 あっ、と目を見開くと、ミラはガーデンテーブルに座るエリオットの元へと駆け寄った。


「エリオットも、ありがとう……! エリオット、私よりも年下なのに、何か大人……あっ、私が子供っぽいだけなんだけど!」

「えっ? ミラはちゃんと大人っぽい魅力的なお姉さんだよ」


 ぽ、と頬を染めるミラ。


(つ、次……――!?)


 はっ!? とミラは目を見開く。


(よく見たら…………私の周り、イケメンばっかりじゃ……)


 きゃ――! どうしよう!! と顔を覆う、恋に迷走中のミラ。

 次……次とは……一体……、と、指の隙間からじと……と皆を覗き見る。


 すると、ぱち、とエリオットと目が合った。


 じっと甘い瞳を向けるエリオットに、どぎまぎと視線を泳がせるミラ。


「な、何でしょう……?」

「ミラ、しっかりした奥さんになりたいの?」

「……え? そう……シェリルみたいに自立した……しっかりした奥さん……」

「ふーん?」


 頬を染めると、エリオットは嬉しそうに目を細めた。

 その笑みに、どきどきどき……と胸が高鳴る。


(そういえば「奥さん」って、ずっとエリオット言ってたよね……)


 そこまで考えて頭に浮かんだ想像に、きゃ――!!! とミラは手を叩きつける勢いで必死に顔を覆った。


(そ、そうぞうしちゃった!! エリオットの、エリオットの……――)


 きゃ――! はずかしい!!! と顔を真っ赤に染める。


(奥さんって、奥さんって……!? シェリルみたいな!? 一緒に住んで、ご飯作ってあげたり、お洗濯したり……一緒にお出かけして、一緒に寝て…………って、あれ?)


 おや……? とミラは目を瞬いた。

 きょとんとした顔をエリオットへ向ける。


「……今と全然変わらない……?」

「んー?」


 根本的に何かがおかしいということに、ようやく気づいたミラであった。

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