17話 - 前へ進むために
――ミラは昔から、「恋愛」というものに疎かった。
「……ねえ、ミラ」
「なあに? かわいいエリオット!」
「さっきの……騎士になりたいっていう人」
「ダニー?」
「仲いいの?」
「そう! 私の、唯一の友だち!」
「好きなの?」
「そう! いつも話しかけてくれて、好き!」
「…………」
む、と目を細めるエリオット。
「この間、カフェのお兄さんにも言ってた」
「カフェの店員さん、クッキーサービスしてくれるから好き」
「清掃の人にも言ってた」
「いつ会っても面白くて好き」
「司書やってるっていうお客さん」
「いつも本おすすめしてくれるから好き」
「…………。誰を恋人にしたいの?」
「こい……」
きゃー! と段差につまずくミラ。
途端にミラの頬が染まる。
「そ、そんなの、ないない! あるわけない! 考えたこともない! むりむり!!」
「…………。じゃあ、私は?」
きゃ! と頬に手を当てると、ミラはエリオットを見て満面の笑みを弾けさせた。
「大好き!」
「――……術師さん? 錬金術師さん?」
「!」
はっ、とエリオットは我に返った。
目の前では、困惑気味の女性がエリオットを見上げている。
「あの……これ」
困ったように視線を落とす女性につられて机を見たエリオットは、思わず固まる。
依頼は装飾品の修復だったはず。
なのに、謎の芸術品が出来上がっていた。
「あれ?」
「まあ……天才錬金術師さんも、失敗することがおありで?」
「…………」
『わたしたんとう!!!』
昨日、きゃー! と嬉しそうにきゃわきゃわしていたミラを思い出す。
「僕のかわいい奥さんがいないと、やる気が出なくて」
何とか依頼を済ますと、エリオットは椅子へ腰を落とした。
はあ……とため息が漏れる。
(……頭の整理が……つかないな)
朝、ミラが淹れてくれた紅茶の入ったカップを手に取った。
――昨日、ミラが話した異世界での1年間の話は、それなりに衝撃だった。
1年間、騎士団(男たち)と過ごしていたこと。
その騎士団(男たち)を触れて回復していたこと。
あっさりと魔王(男)を拾ったこと。
(何より……――)
がん! とエリオットはカップを荒めに机に叩きつけた。
(――マシュマロって何……!! なんで僕のミラのほっぺマシュマロって知ってるの……!? ほんとありえない……!!!)
ほんと許しがたい……殴りたい……! と頭を抱える。
「……アーヴィン……」
そう呟くと、頭から一時も離れない、ミラの悲しげな表情がより鮮明に浮かんだ。
あんな表情をするミラを見たのは、初めてだった。
その表情が何を意味するのか、エリオットは想像がついた。
――それは、考えたくもない想像であったが。
(……でも)
『そ、そんなの、ないない! あるわけない! 考えたこともない! むりむり!!』
赤い顔でそう言って濁して、どぎまぎしていたのは、いつだっただろうか。
(逃げられてばかりでも……僕は困るんだ、ミラ)
エリオットは考え込むように、頬杖をついたまま、じっと一点を見つめたのだった。
一方。
街灯の柱に顔を強打したミラは、うう……と道端でうずくまっていた。
「…………いたい……」
「大丈夫!? ミラ」
『エリオットと何かあった?』
ダニーの言葉を思い出し、顔を覆ったまま小声でぼそぼそと呟く。
「な……なんもありましぇん……」
「…………(わかりやす……)」
すると、さらっと額を撫でられ、えっ!? とミラは顔を上げる。
その表情を見たダニーはわずかに目を見開くと、ぷっと吹き出した。
「ダ、ダニー!?」
「何その顔、ミラ……!」
「だ、だから、寝不足――」
「寝不足になるほど、あいつのこと考えてたの?」
「あいつって……」
そこまで言って、ミラは言葉を止めた。
きゅうっと顔を歪ませると、ダニーを見上げる。
ダニーは困ったように笑いながら、ミラの赤くなった額をまたなでなでと撫でた。
「ミラのその顔、そういうことだったんだな」
「……その顔って何、ダニー……」
「俺見て、よくその何とも言えない顔してたじゃん」
「うそ……」
「ほんと」
しょぼん、とミラは眉を下げた。
「……ごめんね、ダニー」
「えっ?」
「アーヴィン見てダニー思い出したりして……不愉快だったよね」
「え……いや、それは別に――」
「そうだった! エリオットにも謝らないと! それでなんか怒ってたのかな……」
「怒ってた? エリオットが?」
「責めてるわけじゃないって言ってたけど……意味がよく……」
「わからない? ほんとに?」
ダニーが突如、ぱし! とミラの手を掴む。
「!」
「ミラ、逃げてない?」
「に、逃げ……!?」
「ちょっと向き合ってないっていうか」
「な、なにが」
「俺、エリオットってたまに怖いときあるけど、ちゃんとミラのこと考えてると思うよ」
「向き合ってないって――」
「アーヴィン」
はっ、とミラは息を止めた。
「今のままなの、よくないよ、ミラ。アーヴィンって確かにずるいよな。ミラ縛りつけたまま。すげーずりー! マシュマロって何!? 殴りたいわ、ほんと」
「……何……どういう――」
「ちゃんと向き合わないとミラ、前に進めない気がする。逃げたまま、ずるする縛りつけられたままなの、ミラにとっても、俺にとってもエリオットにとってもよくないよ。前に進めない」
ずき、とミラの胸が痛んだ。
戸惑いながらダニーの表情を見たミラは、その真っ直ぐな瞳に目が離せない。
「俺、ミラがずっといなくて、すげーもどかしかったけど、話聞いて、ミラが1年間異世界で過ごした意味、あったと思う」
「え……?」
「ミラが向こうで過ごした意味をちゃんと認めて、前に進まないと、ミラ苦しいままだよ」
ダニーは立ち上がりながら、ぐいっとミラを引っ張り上げる。
こんなに大きかったっけ……とミラは目の前のダニーを見上げた。
ダニーは優しく微笑むと、ぽん、とミラの頭に手を触れた。
「軽いって誤魔化してないでさ。ちゃんと向き合いなよ」
その夜。
ミラは、部屋で机の引き出しを開いた。
ずしっと重い、金のバッジのようなものを取り出す。
アーヴィンが最後、ミラのポケットへ突っ込んだのは、クロウ王国騎士団の団章だった。
1年間、ミラの居場所だった、アーヴィンと共に過ごした場所。
(これ……大事なやつじゃないの? 人にあげていいの?)
お土産用団章とかあるのかな……と少し心配になる。
でも何か、アーヴィンらしいな、と思った。
そして、もう一つ。
落書きのように顔が描かれた、とても軽い石が添えられていた。
その軽石の顔と見合う。
へらっとゆるい顔が、どこかアーヴィンを彷彿とさせた。
(……おれ軽かっただろ? ってこと?)
何やら、胸のあたりから喉の方へ押し上がってくる、苦しい何かをぐっと飲みこんだ。
『軽いって誤魔化してないでさ』
ミラの顔が困ったように歪む。
(アーヴィンは本当に軽いんだから、誤魔化すも何もないのにな。そんなのは私が一番よくわかってる。だって1年間ずっと一緒にいて…………ずっと、見てたんだから。ずっと、近くで、見て――)
ずき、とまた胸が痛んだ。
――それだけだっけ。
ずっと近くで見て、触れて回復して、軽口をたたいて……たまに見せる真剣な表情に、目を奪われた気がする。
シェリルとの掛け合いに笑って、一緒に帰っていく姿を目で追って、あんな夫婦いいなって思って。
最後、引き寄せられたとき、息が止まるほどびっくりしたの――何でだったのかな。
もう会えなくて、何でって確かめようがないから、こんなに胸がずきずきするのかな。
『ミラにとっても、俺にとってもエリオットにとってもよくないよ』
(ダニーにとってもエリオットにとっても……私にとっても……?)
何でってわかったら、何か変わるのかな。
みんなを傷つけてしかいない気がした、転生の1年間が、何か意味のあるものになるのかな。
『前に進めない』
(……前に……――)
無意識にぎゅっ! と石を握りしめると、目を伏せ、その手を顔に当てた。
カチャ、とミラはゆっくり扉を開く。
ソファに腰を落とし、グラスを持ったエリオットが、ぱっと顔を上げた。
静かに見合う2人。
「飲む? ミラ」
「はい……」
エリオットの口から、くすっと笑みが漏れる。
とぽとぽ、とミラのグラスへ果実酒を注いでいく。
「何で、そんなに緊張してるの?」
「だめですか……」
「距離を感じるから、だめ」
じっ、とミラを見つめるエリオット。
脚の間を、ぽふぽふ、と叩く。
「……何でそこなの……」
「だめ?」
「いけません」
おずおずとミラはエリオットへ近づくと、ちょこんと隣に座った。
手渡されたグラスを手にすると、キン、とエリオットのグラスと合わせた。
小さく果実酒に口をつけると、ばっ! と顔を上げる。
「エリオット! ごめ――」
言い切る間もなく、エリオットの長い指がぴっとミラの唇に触れた。
ぱちぱちとミラは目を瞬く。
「…………???」
「そうくると思ったけど」
「あ、あの……」
「昨日も言ったけど、別に僕はミラを責めてるわけじゃなくて――」
ぴっ。
と今度は、ミラの小さな指が、エリオットの唇に触れた。
はたと固まるエリオット。
「……ちがうの……あの、エリオット」
「…………?」
「ごめんね。昨日…………逃げちゃって」
エリオットは、目を見開いた。




