↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/30

悪魔の朝食

朝の光が、濃い葡萄色のカーテンの隙間から、細く差し込んでいた。


リナは、目を覚ます。


やわらかい寝台。清潔なシーツ。傷は、丁寧に手当てされている。


……昨夜のことは、夢ではなかった。


「そうだ……わたし、攫われたんだ」


村を焼かれ、すべてを失い、そして今度は──あの恐ろしい公爵の館。


リナは唇を噛んだ。


(逃げなきゃ。……食べられる前に。)


抜き足。差し足。


扉は、あっけなく開いた。


鍵すら、かかっていない。


それが、逆に不気味だった。


廊下は、驚くほど清潔で、あたたかかった。


壁には、子どもが描いたような下手な絵が、丁寧に額装されて飾られている。


「……趣味、悪すぎでしょ」


リナは知らない。


それが、公爵が救った孤児たちの絵だということを。


*ホゥ……*


視線を感じて、振り返る。


止まり木の上で、一羽のフクロウが、まんまるの目でこちらを見ていた。


「ひっ……つ、使い魔……!?」


フクロウは、ただ、眠そうにまばたきをした。


そのとき──香りが、鼻をくすぐった。


バター。焼けたパン。あたたかい、スープ。


胃が、正直に鳴る。


(毒かもしれない。……でも、いい匂い)


リナは、香りに引き寄せられるように、厨房を覗いた。


そして、後悔した。


巨大な、背中。


分厚い、腕。


肉厚の包丁が、まな板の上で──*ザクッ、ザクッ*と、何かを刻んでいる。


「ウフフフ……」


低い笑い声が、湯気の向こうから漂ってくる。


「柔らかく……煮込まないとな……」


「あの子は、まだ……弱っているからな……ウフフフ」


リナの、血の気が引いた。


(や、柔らかく、煮込む……!? あの子って……まさか……わたし……!?)


「──起きたのか」


公爵ザリーンが、振り返った。


その手には、大きな包丁。


返り血のように、赤いものが、刃を伝う。


──完熟トマトの、汁だった。


「ちょうどいい。ウフフフ」


「席に着け」


……逃げ場は、なかった。


長いテーブルの上に、湯気の立つ器が置かれる。


とろりとした、白い粥。


消化に良いように、細かく刻まれた野菜。


弱った体を気遣った、やさしい一皿。


──だが、リナには、そう見えなかった。


「……な、何を、入れたの」


「食べれば、わかる。ウフフフ」


震える手で、スプーンを口に運ぶ。


──あたたかい。


やさしい、塩気。


じんわりと、体の芯にまで、染みわたる味。


涙が出そうなほど、やさしい味だった。


「……どうして」


リナの声が、かすれる。


「どうして、わたしなんかに、こんなこと……」


ザリーンは、答えなかった。


ただ、窓の外を見て、ぽつりと言った。


「腹が減っていると……人は、ろくな判断ができん」


「まずは、食え。話は……それからだ」


その横顔は、噂の怪物とは、どこか違って見えた。


けれど──リナが、それに気づくには。


まだ、少しだけ、早かった。


*コツ、コツ、コツ……*


廊下から、あわてた足音。


書記のトビアスが、青い顔で飛び込んでくる。


「か、閣下……! 村の方から、また……!」


ザリーンは、静かにエプロンを外した。


「ウフフフ」


「……朝食の、続きだな」


その笑みの意味を、この館で正しく読める者は、まだ、誰もいなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。