溺れる子ども
川辺で、悲鳴が上がった。
子どもが、増水した川に、飲まれたのだ。
近くにいた大人たちは、ただ、おろおろするばかり。
そのとき──巨大な影が、川に飛び込んだ。
公爵、ザリーンだった。
濁流が、彼の体に襲いかかる。
彼は、太い腕で水をかき、必死に、沈んでいく子どもへと手を伸ばした。
だが、岸から見ていた村人には──それは、悪夢の光景だった。
「こ、公爵が……子どもを、川に沈めてる……!」
「なんて、恐ろしい……! 生贄だ! 川の神への、生贄だ!」
水しぶきと、もがく子どもの手。
遠目には、確かに、そう見えた。
やがて、ザリーンは、ずぶ濡れの体で、岸に上がってきた。
その腕の中には──ぐったりとした、子ども。
村人たちが、息を呑む。
ザリーンは、子どもを地面に寝かせ、その小さな胸を、リズミカルに押した。
「……戻ってこい」
一度。二度。
*ゴボッ*
子どもが、水を吐き、大きく息を吸った。
「……ぅ、げほっ、げほっ」
生きて、いた。
母親が、泣きながら、駆け寄る。
ザリーンは、何も言わず、立ち上がった。
濡れた前髪から、雫が滴る。
「……間に合って、よかった。ウフフフ」
その笑みを見て、母親の顔が、一瞬、強張った。
助けられたのに。
命を、救われたのに。
それでも、恐怖は、消えなかった。
ザリーンは、それ以上、何も求めず、去っていく。
濡れた背中が、夕日に、長く伸びていた。




