7 焼かれても折れない悪女
「検査したいなら、何を調べるのか書いて寄越しなさい。いつ終わるのかもよ」
ヴィオラは、差し止めの通知の裏に返答を書いた。
翌朝、城下に戻った彼の前には、工房の卓がある。
王国側で押さえられたのは、二人の商人に渡した八台。
魔王領側の宿場に運んだ四台は、販売を続けている。
買い手から、灯りが壊れたという報告はなかった。
不正な魔力が使われているというなら、その根拠を出してもらう。
「返事が来なかったら?」
ローザが尋ねた。
「検査に使った記録を、商人たちと一緒に請求するわ。品を預かった証明も、押さえた人間の名前も」
「返してくれると思うかい」
「素直に返す相手なら、最初からこんなことしてないでしょうね」
昨夜、護衛を通じて城に知らせた。
今朝にはグレタも工房へ来ている。
彼女は、通知と返答を並べた。
「陛下からも、王国に説明を求める」
「お願い。こちらの検査記録は渡していいわ。ただし、原本は残す。あたし、書類を取り上げられるのはもう飽きたの」
ヴィオラは鞄に手帳をしまった。
棚には、次の販売に向けて買い足した部品が並んでいた。
ローザが旧注文で受け取った金と、ヴィオラが出した資金で揃えた物だ。
止められた八台が戻るまで、商売を止めるつもりはない。
魔王領側の宿場からは、追加の問い合わせも来ていた。
外で、車輪が止まった。
「部品の荷だよ」
若い職人が窓から覗く。
だが、扉へ向かった見張りの兵が、すぐに槍を立てた。
「ここへの搬入許可は?」
返ってきたのは、男の声だった。
「〈白銀の冠〉の検査係だ。工房を確認する」
ヴィオラのペンが止まった。
ーーーー
扉の前には、人間が四人いた。
荷車に、工房へ届ける金具の箱が載っている。
先頭の男だけが、ギルドの紋章の入った上着を着ていた。
グレタが外に出る。
「その検査を、誰が許可した」
「王国で差し止めた品の製造元だ。関連する設備を調べる必要がある」
男は書類を掲げた。
ヴィオラはグレタの横へ立ち、紙を見る。
工房の封鎖。
魔法道具、設計記録、材料の押収。
王国の調査を妨げた場合は、契約管理者を拘束する。
「あら。隣の国に来るのに、玄関の使い方を習わなかったの?」
「ヴィオラ・ヴェイン。君も対象だ」
「あたしは、あんたたちの商売の仕方を調べたいわね」
グレタが男の前に立った。
「搬入商人として入った者に、検査の権限はない。ここは魔王領だ。書類を預け、荷捌き場に戻れ」
男が唇を曲げた。
「かばえば、魔王も横領に加担したと見なされる」
「見なすのは自由よ」
ヴィオラは髪を高く結びながら、答えた。
「その紙で、ここにある物があんたの物になるかどうかは、別の話でしょう」
荷車の脇で、一人が箱を開けた。
金具の下から、短い弩が現れる。
「下がれ!」
グレタがヴィオラの腕を引いた。
矢が、扉を守っていた兵の肩に刺さった。
別の男が荷車を押す。
木箱が敷居にぶつかり、黒い油が床に流れた。
その上に、赤い魔石が投げ込まれる。
炎が走った。
ーーーー
ヴィオラは扉の内側へと飛び込んだ。
「ローザ!奥へ行かないで!」
通路を塞ぐ箱が燃えている。
作業台の下に火が入り、油を染み込ませた布へ移った。
グレタが入口で剣を抜いた。
襲撃者の一人が刃を持って踏み込もうとし、押し返される。
若い職人が、棚の魔石に手を伸ばした。
「それは置いて!」
「蓄えがある。火を止める魔法に――」
「熱で傷んだ物を使ったら、あんたの手が吹き飛ぶわよ!」
ヴィオラは自分の魔石を取り出し、割った。
そこに蓄えていた力を、防護の札に流す。
工房と組んだ日に、ローザの許可を得て取り付けた物だ。
外から入る刃を止め、火が出た時には通路を守るために使う。
壁の四隅で、紫の文字が光った。
作業台と裏口の間に、薄い結界が立つ。
熱と落下物を遮る。
すでに入った煙まで消せるものではなかった。
「口と鼻を布で覆って!姿勢を低くして、裏口へ!」
職人たちが動く。
ローザが水桶に布を浸し、一人ずつ渡した。
ヴィオラは入口側へ振り返る。
グレタが兵とともに襲撃者を押さえていた。
兵の一人が外に出て笛を吹き、近くの詰所へ合図を送る。
ここだけなら、まだ守れる。
その時、工房の奥で金属の倒れる音がした。
窓の外に回った襲撃者が、別の火を投げ入れたのだ。
材料棚の向こうで、炎が上がる。
買い足した魔石。
加工を待つ金具。
ローザが長く使ってきた道具。
火のない方へ結界を広げれば、まだ守れる物がある。
ヴィオラは札に指を向けた。
材料棚の前まで、光が伸びる。
「一人、いない!」
ローザの声がした。
人数を確かめる。
若い職人は裏口にいる。
もう一人、足を悪くした年配の職人が見当たらない。
「奥の作業室だ。さっき部品を運んでいた!」
ヴィオラは棚から目を離した。
結界を奥の作業室まで伸ばすには、材料棚を守る力は残らない。
手持ちの魔石は、今使った分で最後だった。
「ローザ。裏口で全員を数えて」
「道具は、あたしが――」
「あんたは数えるの!」
ヴィオラは札に刻んだ守る範囲を、自分の魔力で書き換えた。
材料棚の前から、光が消える。
代わりに、奥へと続く細い通路が開いた。
炎が棚に届いた。
新しい灯りに使うはずだった金具が、床へ崩れ落ちる。
ヴィオラは振り返らず、煙の中に入った。
ーーーー
年配の職人は、倒れた作業台の下にいた。
脚を挟まれ、床に腕をついている。
煙を吸い、声が出ない。
「……見つけた!」
ヴィオラは膝をついた。
作業台を持ち上げようとしたが、重くて動かなかった。
指先に力を込める。
爪が一本、木に引っかかって折れた。
「いっ……たあ!高い爪なのよ……!」
咳が漏れる。
結界の文字が、壁で揺らいだ。
自分の魔力まで使って支えている。
この台を動かす力を、契約紙から新しく作り出すことはできない。
ヴィオラは手近な鉄棒を拾った。
台の端に差し込み、床の石を支点にする。
「脚を引いて。少しだけ、浮かせるから!」
台が動いた。
職人が身体をずらす。
ヴィオラは肩に腕を回させ、引き上げた。
天井が鳴る。
頭上の梁に、深い亀裂が走った。
通路の結界に、落ちた木片がぶつかる。
光が細くなった。
間に合わない。
ヴィオラは職人を床に伏せさせ、自分もその上に覆いかぶさるように屈んだ。
残った魔力を、頭上の防護へ集める。
梁が落ちた。
ーーだが、二人の上へは届かなかった。
「顔を上げろ」
低い声がした。
レオンハルトが、落ちかけた梁を肩と腕で支えていた。
黒い上着に火の粉が散る。
「陛下……」
「動けるか」
「この人の脚が……」
レオンハルトは梁を押し上げ、壁際に残った柱に引っかけた。
柱が軋む。長くは保たない。
レオンハルトは支えていた腕を空け、職人の身体を抱え上げる。
「俺の後ろに来い」
ヴィオラは立った。
足がふらつく。
レオンハルトの空いた手が、ヴィオラの腕を掴んだ。
職人を抱えたまま、ヴィオラを通路に引き寄せる。
三人が梁の下を抜けてから、ヴィオラは結界をたたんだ。
残っていた光が消え、背後で梁が床を叩く。
裏口から、グレタと兵が入ってきた。
レオンハルトが抱えている職人を受け取り、外に運ぶ。
ヴィオラも、一歩ずつ明るい方へ進んだ。
ーーーー
外の空気を吸った途端、咳が止まらなくなった。
ヴィオラは壁に背を預ける。
レオンハルトが離れず、腕を支えていた。
「王国への返答を確認しに来たところで、笛が聞こえた」
レオンハルトが言った。
ヴィオラは頷こうとして、また咳き込んだ。
少し離れた場所で、ローザが職人たちを数えている。
肩に矢を受けた兵にも、治療役がついた。
全員、生きている。
それを確かめてから、ヴィオラは工房を見た。
兵が水を運び、火を消している。
窓枠は焼け、棚があった場所から、黒い煙が上がっていた。
レオンハルトの指が、腕に強く触れる。
「戻るな」
「……戻らないわよ。今さら入っても、あたしまで売り物にならなくなるもの」
声が掠れていた。
ローザが駆け寄る。
手には、濡れた布があった。
「あんた、綺麗な顔が煤だらけだ」
「……拭くなら、そっとにして。紅まで落とさないでちょうだいね」
ローザは呆れたように少し笑い、布を差し出し、そのまま唇を噛んだ。
「……材料を守れたんだろう。あっちに結界を回せば」
ヴィオラは布を受け取った。
「そうね」
「だったら、あたしが奥へ行けば――」
「ローザ」
紫の瞳が、彼女を捉えた。
「あたしが、こっちを選んだの。あんたが倒れても、あの人の脚は治らないでしょう」
職人が、担架の上からこちらを見た。
ヴィオラは軽く顎を上げる。
「治ったら、また働いてもらうわよ。あたし、損した分は取り戻すんだから」
職人の目が潤んだ。
レオンハルトは、ヴィオラを支える手を離さなかった。
ーーーー
夕方までに、襲撃者は四人とも拘束された。
搬入の許可を使ったこと。
金具の箱に、武器と油を隠していたこと。
検査命令を掲げ、工房を焼いたこと。
グレタは一つずつ記録し、書類を封じた。
「ガレスの指示かどうかは、調べる。紋章だけでは決められない」
「ええ。そこまで書かなくていいわ」
ヴィオラは煤のついた指で、検査命令の端を押さえた。
「この紙を出した連中が、設備を調べる前に火をつけた。それだけでも、十分に聞きたい話があるもの」
工房の被害も確認した。
買い足した材料の大半。
棚の魔法道具。
作業台と、幾つかの専用工具。
無事だった物を数える方が、早かった。
ローザは焼けた金具を一つ拾い、置いた。
「作り直すにも、道具からだね」
ヴィオラは鞄を開いた。
手帳はある。
注文と支払いの控えも、持ち歩いていた分は残っている。
財布の中身を数える。
再び設備を揃え、材料を買う。
職人たちが働けない間の支払いも要る。
止められた商人の荷を取り戻すために、動く費用も。
全部には、足りない。
ヴィオラは財布を閉じた。
「……派手にやってくれたわね」
笑おうとして、口元が痛んだ。
煙で荒れた唇に、布が触れる。
レオンハルトが、その手から布を取った。
「傷を擦るな」
ヴィオラは顔を上げた。
レオンハルトは布の汚れていない面を使い、ヴィオラの頬の煤を拭いた。
大きな指が、顔に触れないようにゆっくりと動く。
「……自分でできるわよ」
「手が震えている」
言い返そうとして、自分の指を見た。
確かに、まだ震えていた。
ヴィオラは大人しく口を閉じた。
ーーーー
城に戻る前、レオンハルトはグレタに治療と警備の増員を命じた。
ローザたちの泊まる場所も手配する。
ヴィオラは焼けた工房の前で、最後の確認をしていた。
持ち出せる道具は、明日、職人と一緒に調べる。
今日は誰も中に入れない。
「ヴィオラ」
レオンハルトに呼ばれ、振り返る。
「お前が失った物の一覧を出せ」
「出すわ。請求する相手を、ちゃんと調べてからね」
「それまで、工房は待てない」
ヴィオラは鞄を持ち直した。
「分かってるわよ」
レオンハルトは、焼けた窓に目を向けた。
領民を守るために、ヴィオラは金で買った物を捨てた。
昨日まで、使い道を一つずつ数えていた男が。
王として支払うべき責任もある。
だが、それだけで、この男を立たせておく気にはなれなかった。
「俺の財産から出す」
ヴィオラの指が止まった。
「……は?何を?」
「工房を立て直す金だ。今すぐ用意できる分から渡す。足りなければ、俺の持ち物を売る」
声は静かだった。
ヴィオラとの商談で値段を尋ねる声とも、怒りを押さえる声とも違う。
ヴィオラは、目の前のレオンハルトを見た。
金額を聞けばいい。
返す条件を尋ねればいい。
いつものように、紙を出せばいい。
なのに、すぐには言葉にならなかった。
レオンハルトが、彼の鞄を持つ手に視線を落とす。
「一人で、全部を数えるな」
折れた爪を隠していた指が、わずかに緩んだ。




