5 商売を始める悪女
「その服、現場じゃ邪魔だよ」
工房へ入った途端、ヴィオラは眉を吊り上げた。
「挨拶より先に、あたしの服に文句?」
「火の粉が飛ぶ。焦げても知らないよ」
「え、やだ!それを先に言いなさい!」
赤銅色の髪を三つ編みにした女が、笑った。
耳の上には小さな角。褐色の腕には、細かな傷がある。
革の前掛けで手を拭き、頭に載せていた保護眼鏡を下ろした。
「名はローザ。この工房の主だ」
「あたしはヴィオラ・ヴェイン。綺麗な物と、儲かる話が好きよ」
水番の老人から紹介された工房には、魔法灯や小さな加熱器が並んでいた。
どれも仕上げが丁寧だ。
だが、棚に積まれた数に対して、働いている者は少ない。
ヴィオラは上着の裾を留め、卓上の灯りを手に取った。
「これ、いくらで売ってるの?」
「銀貨二枚」
「材料と手間は?」
「……一枚半くらいだね」
ヴィオラは灯りを置いた。
「その残りで、道具の修繕と工房の家賃まで払うの?」
「売れなきゃ、残りもない。人間の商人に運んでもらうには、その値で卸すしかないんだ」
棚の端に、木箱が積まれている。
「買い取る約束の分?」
「そうだよ。次に来る時に持っていくと言っていた」
「注文書は」
「台数だけ書いた紙ならある」
「代金を払う日付は?」
「品を持っていく時だ」
「その、持っていく日は?」
ローザが黙った。
ヴィオラは木箱へ近づき、中の灯りを確かめた。
傷も、汚れもない。
売れないまま箱に詰められていた。
「あたしだったら、相手の枕元で毎晩、納期を読み上げるわね」
「そんな魔法も使えるのかい?」
「使えないから、自分で行くのよ」
グレタが入り口で腕を組んだ。
今日も監視役として同行している。
「取引相手を脅すな」
「まだ会ってもいないでしょう。脅すのは、話を聞いてからよ」
ローザの口元が緩んだ。
「水場を直した人間だと聞いてたけど、思ってたのと違うね」
「善人が来ると思ったなら、残念だったわね」
ヴィオラは灯りの底を開いた。
「売れてない分、他に売らない約束は?」
「していない。作る時にも金はもらってないよ」
注文書も確かめる。
独占の条件も、工房の品全てを拘束する取り決めもなかった。
「注文分は残して、それ以外の在庫を使いましょう。あたしと商売しない?」
ーーーー
ヴィオラが選んだのは、注文数を超えて作ってあった、持ち歩ける小型の魔法灯だった。
旅人にも、夜に荷を扱う商人にも売れる。
王都の大きな魔力網につなぐ必要がなく、小さな魔石へ蓄えた力で使う道具だ。
ローザの作った品は丈夫だった。
雨を避ける覆いも、手袋のまま持てる取っ手もある。
問題は、明るさだった。
灯りは、常に最大の強さで光る。
荷札を読むだけでも、道を照らすだけでも、同じ量の魔力を使っていた。
「暗くしたら、使い物にならないと言われたんだよ」
ローザが言った。
「誰に?」
「買い手の商人さ」
「あら。自分で使わない人間が、使い方まで決めたのね」
ヴィオラは取っ手の脇に、切替用の輪を描いた。
「近くを照らす時と、遠くを見る時。二段階にする。暗い方で足りるなら、そっちを使えばいいわ」
ローザが図を覗き込む。
「細かな調整は、部品が増える」
「二段階でいいの。輪が止まる位置ごとに、使う量を決める」
「綴約魔法で?」
「ええ。魔力を通す条件を刻む。勝手に出力が上がらないように、上限も付けるわ」
魔力を増やすわけではない。
同じ蓄えを、必要な時に必要な分だけ使う。
水場で調整したことが、ここでも役に立つ。
ヴィオラは財布を開き、銀貨を並べた。
「まず三台。部品と、試作にかかる仕事代。足りないなら、着手する前に言って」
「売れてからでいいよ」
「駄目。売れるまで食べなくていい職人なんて、見たことないわ」
ローザが銀貨を見た。
「……あんた、自分で出すのかい?」
「陛下から稼いだお金よ。どこに使うかは、あたしが決める」
工房の設備を使う費用も含め、必要な額を確かめた。
余った部品代は精算する。
売れなかった場合、試作費はヴィオラが負担する。
出来上がった品と、これから作る品の売り方については、別に取り決めた。
材料と工賃は先に払い、売れた利益を二人で分ける。
ローザは紙を読み、何度か質問した後に署名した。
「これで、あたしまで売り物にされないだろうね」
「職人を売ったら、次の商品が作れないでしょう。あたしはそんな下手な商売、しないわ」
ローザが笑う。
グレタは笑わず、契約の写しを確かめていた。
ーーーー
その日の夕方、ヴィオラは三台のうち一台を城の食卓へ置いた。
レオンハルトが目を向ける。
「何だ」
「売り物」
取っ手の輪を回す。
柔らかな光が卓上を照らした。
もう一段回すと、壁まで明るくなる。
「ローザの品に、あたしが手を入れたの。試験はこれから。今夜は工房で、元の品と同じ量の魔力を入れて比べるわ」
「それで、どこに売る」
「んー、最初は国境の商人。旅の道具は、使う人間に見せるのが早いもの」
グレタが書類を広げた。
「二日後、交易の許可を持つ商隊が来ます。領内で商談させることはできますが、商品を国境へ運ぶなら、別に許可が必要です」
「領内でいいわ。まず買い手を見たいの」
レオンハルトの表情が険しくなった。
「人間を相手にするのか」
「お金を払うなら、魔族でも人間でもお客よ」
「領民を安く買いたたいてきた連中だ」
「だから、売り方を変えるのよ」
ヴィオラは灯りを、魔王の方に押した。
「工房に待たせて、値段が下がるまで取りに来ない。売り先を一つにすれば、相手がそういうことをしても、逆らえないでしょう」
「他の売り先があるのか」
「これから作るわ。陛下に頼みたいのは、あたしが断った商談を、勝手に成立させないこと」
金色の瞳が細くなる。
「俺が領民を売ると思うか」
「売る気がなくても、早く金を入れようとして、不利な条件を飲むことはあるわよ」
レオンハルトは、しばらく黙った。
「条件は報告しろ。工房の意に反した取引は認めない」
「結構よ」
商談のため、滞在と警護の契約も七日間延長した。監視と立ち入りの制限は、そのまま残る。
ヴィオラは椅子に腰を下ろした。
まだ食事は運ばれていない。
卓の端に置かれていたパンに手を伸ばす。
「それは俺の皿だ」
「あら、ごめんなさい」
手を引く。
レオンハルトは皿を中央に動かした。
「……食うなら取れ」
ヴィオラは魔王を見た。
「商談で値下げしろって言わないでしょうね」
「パン一つで、仕事の条件を変えるな」
少し間を置いて、ヴィオラはパンを取った。
「……そうね。そんな安売り、しないわ」
レオンハルトは灯りの輪を回す。
卓上の紙に落ちる光が、柔らかくなった。
ーーーー
二日間、工房では試験と調整を続けた。
ヴィオラは朝と夕方、水場の確認にも通った。
約束した回数で水が出ることを確かめ、残りの時間をローザと過ごす。
魔法灯の切替輪を何度も回す。
落とした時に、設定が変わらないか。
魔石の蓄えが減った時に、無理に光らせないか。
ローザは一台目の金具を外し、二台目では取っ手の形を変えた。
ヴィオラも、刻む条件を書き直した。
同じ量の魔力を入れた元の品と、改良した品を、まず最大の明るさで並べる。
使える時間に、大きな差はない。
次の試験では、改良した品だけ低い出力に切り替えた。明るさを抑えた分、元の品より蓄えが長く残った。
「これなら、ちゃんと説明して売れるわ」
「暗い方ばかり使った結果を、明るい方でも持つと言うなよ」
「当たり前でしょう。そんな売り方をしたら、返品の山になるわ。あたし、お金を返すのは嫌いなの」
ローザは出来上がった灯りを磨いた。
取っ手の根元には、工房の印がある。
その隣に、ヴィオラが小さな花の印を刻む。
「これ、あんたの?」
「ええ。あたしが条件を整えた品の目印」
「悪女の印か」
「ふふ。いいでしょう。買った人が、次も探せるわ」
ヴィオラは灯りを持ち上げた。
金色の光のそばで、葡萄色の爪が映える。
ローザは品を見て、次にその手を見た。
「……売る時には、その格好の方がいいかもね」
「あたしの服に謝りなさい」
笑い声が、工房に響いた。
ーーーー
商隊が入ったのは、城下の荷捌き場だった。
グレタの検査を受け、積荷と人数を記録する。
護衛の剣は預けさせた。
人間の商人に、領内を自由に歩く許可はない。
その中から、ローザが一人の男を指した。
「あいつだ。棚の品を、ずっと取りに来なかったのは」
男は上等な茶色の外套を着ていた。
首元の留め具には、大きな石がついている。
「ローザ。今日は品を持ってきたのか」
男は笑い、隣にいるヴィオラを見る。
その笑みが止まった。
「……ヴィオラ・ヴェイン?」
「あら。知ってるの?」
「王国の手配書に載っている」
周囲の商人が振り返った。
ヴィオラは頭巾をかぶっていなかった。
髪も、耳飾りも隠さない。
目の前の男だけを見て、微笑む。
「ベルトランよね。ローザから聞いたわ」
「君がなぜここに」
「あんたが仕事を放っておいてくれたおかげで、あたしに商機が回ってきたの。お礼を言うべきかしら」
ベルトランの顔が硬くなった。
「それは工房との話だ」
「ええ。だから、工房主も連れてきてるでしょう」
ローザが灯りを卓に置いた。
ヴィオラは、商人たちにも聞こえる声で説明した。
輪を回し、荷札を照らす。
次に、広い荷台へ光を向ける。
「二段階で使える携帯灯。同じ魔石でも、近くを照らすために使えば、元の品より長く持つ。試験の記録もあるわ」
一人の商人が身を乗り出した。
「荷車の下を調べるにも使えるか」
「ええ。少し離してみて。手元に影ができない持ち方を教えるわ」
別の男が、取っ手を持ち上げる。
「いくらだ」
「今日は見本。初回の注文を受ける数と、納品日は、工房主と相談して決めるわ」
ベルトランが割って入った。
「それなら私が扱おう。販路もある」
ヴィオラは振り返った。
その男の目は、手配書の犯罪者を見る目ではなくなっていた。
ーーーー
ベルトランは、卓の端に契約書を広げた。
「危険な立場の君が、人間相手に商売をするのは難しい。私の商会の名で売れば、その問題も避けられる」
「そうね。便利な名前には、料金がかかるでしょうね」
ヴィオラは紙を受け取る。
売上の八割を商会へ。
運搬費と王国内の税は、工房側の負担。
五年間、他の商会への販売は禁止。
同じ仕組みを使う新商品も、全て独占の対象。
最後に、工房の印を外し、商会の印へ替える条件があった。
ローザの指が、卓の縁を掴んだ。
「これじゃ、今より――」
ヴィオラが、紙の上に手を置く。
「最後まで読ませて」
ベルトランは椅子に深く座った。
「販路を作るには金が要る。君の身柄のことも、私が黙っている限りは――」
「そこ、書いてないわね」
ヴィオラが顔を上げる。
「書こうか?」
「ええ。あたしの名前を使って、この工房に何を要求したか。全部、残しましょう」
近くに立つグレタが、男を見る。
背後には、領内を守る兵がいた。
ベルトランは言葉を止めた。
ヴィオラは契約書を卓に戻し、ゆっくりと椅子を引いた。
「あたしを犯罪者だと思ってるのに、五年も商売する気なの?ずいぶん勇敢な商人ね」
「条件が気に入らないなら、売れない品を抱えていればいい」
「売れないかどうかは、あんたの許可がなければ決まらないの?」
さっき灯りを手に取った商人が、こちらを見ていた。
ヴィオラは視線だけで、その男を確かめる。
ベルトランの指が、契約書の上で動いた。
「魔族の工房に、王国で信用があると思うか。私がいなければ、誰が買う」
ヴィオラは、唇の端を持ち上げた。
求めていたのは、この言葉だった。
ローザに聞かせたい。
自分たちの品に値段がつかないのではない。
値段を決める場所から、締め出されていただけだ。
「いいわ。明日、この場所でもう一度話しましょう」
「この条件でか?」
「その紙は、持ってきてちょうだい」
葡萄色の爪が、商会の印を軽く叩く。
「工房の印を消す前に、あんたの商会の名前を覚えておきたいもの」
ヴィオラは立ち上がり、ローザに灯りを渡した。
水を取り戻す手は打った。
今度は、こちらから商品を並べる。
ガレスたちが独り占めしていた商売の場所へ。
「明日は、買い手も呼ぶわ」
ベルトランの笑みが消えた。




