16 明日を欲しがる悪女
「陛下は、東の供給設備だ」
城に着くなり、グレタが言った。
ヴィオラは、馬車から下ろした鞄を持ち直す。
「また、足りなくなったの?」
「追加供給の期限が来た。今朝から、王国側に出る量が増えている」
ヴィオラは、城の東へ目を向けた。
ベルカを出る前に、拘束の知らせと資材の確保状況は、早馬で送ってある。
その報告を、レオンハルトも読んだはずだった。
「ニコ。エーミルから預かった書類は、執務室に。市に残した控えの番号も、グレタに渡して」
「はい」
拘束された者の所在確認は、セドリックにも頼んだ。
商会と工房には、取引の内容と日付が分かる記録を保存してもらっている。
今、帰ったことだけは知らせるよう頼み、ヴィオラは歩き出した。
ーーーー
供給設備の扉は開いていた。
中央の魔石に、金色の光が注がれている。
レオンハルトは、土台に手を置いていた。
外套は脇の椅子に掛けられ、まくった袖から太い腕が出ている。
その男前の顔を見ただけでは、疲れているのか分からない。
だが、レオンハルトがヴィオラを見て口を開くまでに、いつもより間があった。
「……戻ったか」
「ええ。陛下は何をしてるの?」
「減った蓄えを戻している。水場に送る分が足りない」
ヴィオラは、脇の記録板を見た。
王国側への供給が増えた時刻。
その後に、レオンハルトが補充した量。
短い間隔で、同じ印が続いていた。
「……朝から、何回入れたの」
「記録の通りだ」
「そうだけど、そうじゃなくて!聞いてるのは、その間に休んだかどうかよ」
グレタが、管理の職人を呼んだ。
ヴィオラは渡された測定紙を読み、中央の蓄えを確かめる。
今、補充を止めても、直ちに空になる量ではなかった。
「一度、手を離して。止めた後、どれだけ減るか測るわ」
レオンハルトは、土台から手を引いた。
金の光が途切れる。
水場に向かう線は、まだ動いていた。
ヴィオラは時刻を書き、レオンハルトの前に椅子を引いた。
「座って」
「話は、ここで聞ける」
「座りなさい」
レオンハルトが、ようやく腰を下ろした。
膝に置かれた手の指が、一度、ゆっくりと開く。
ヴィオラは、その動きを見てから鞄を置いた。
「買えた金具は、マルクが運ぶ。小さな魔石は持ってきたわ。大きな蓄えに使う物は、まだないんだけどね」
「……報告は読んだ。王国側の協力者が捕まったことも」
「ええ。セドリックに、拘束先と理由を確かめてもらう。勝手に話を終わらせるつもりはないわ」
レオンハルトは頷いた。
視線が、中央の魔石に戻る。
「向こうの切替が遅れるなら、それまで俺が供給を保つ」
「今の量を?」
「昼の記録で、必要な分は分かった。夜も補えば、領内に回す分を残せるだろう」
ヴィオラは、レオンハルトの前に記録を置いた。
「その間、陛下が寝るのはいつ?」
「合間に休めば問題ない」
「国境に兵が来たら?」
レオンハルトは、すぐには答えなかった。
グレタが、開いた扉に目を向けた。
外には、設備を守る兵が立っている。
「陛下がここを離れられなければ、迎撃の配置も変える必要があります」
「甘く見るな。俺は戦える」
「自分の疲れを甘く見てるのは陛下よ!戦える分を、今ここに入れてるんでしょう!」
ヴィオラの声が、石の壁に響いた。
レオンハルトが、ヴィオラを見た。
「ならば、先に領内の水を減らすか。王国の施設を、準備が済む前に止めるか」
ヴィオラは、唇を引き結んだ。
足りない物を書いた紙が、鞄にある。
誰かが補わなければ、待つ間にも水は減る。
レオンハルトは、それを分かった上で座っていた。
「次の設備が揃うまでの話だ。お前が作った水場も工房も、守る」
「……あたしの商売が続けば、それでいいって言うの?」
「そのためにも、お前には仕事を続けてもらう」
レオンハルトが、また魔石に手を伸ばした。
ヴィオラは、その手首を掴んだ。
「レオンハルト」
大きな手が、止まった。
ヴィオラは、掴んだ手を離さなかった。
練習するはずだった名前が、考えるより先に口から出ていた。
「あたし、あんたとこの先の話をしてるのよ。勝手に自分だけ勘定から外さないで」
金色の瞳が、ヴィオラを捉えた。
「水場を直して、工房を戻して、王国にも払わせる。まだ、やることが山ほどあるわ。その後だって、あんたに見せたい物も、話したいこともあるの」
声が、少し揺れた。
ヴィオラは息を吸い、握る指に力を込める。
「明日の食事も、その次も、一緒にするつもりでいたのよ。あたしがここで暮らす話に、あんたは入ってるの」
レオンハルトは、掴まれた手を見た。
葡萄色の爪。
工房の火の中から戻ってきた時も、その手は震えていた。
今は、レオンハルトを引き留めるために震えている。
レオンハルトは、ヴィオラの指をほどかなかった。
「……分かった」
手を土台に戻さず、膝に下ろす。
「……俺を含めて、考え直せ」
「当然よ。あんたにも考えてもらうわ」
ヴィオラが、ようやく手首を離した。
レオンハルトは、その手を追いそうになった。
ヴィオラが望む明日に、自分がいる。
その言葉を、もう一度聞きたいと思った。
「ふっ……悪くない」
レオンハルトも、その明日が欲しかった。
ーーーー
「全部を、今日中に替えるのは無理だ」
呼ばれて来たローザが、図面を広げた。
ヴィオラは目元を拭い、何事もなかったように隣に座る。
「分かってるわ。最初の水場だけ、独立した供給にできる?」
「持ってきた魔石を見せて」
ローザは、一つずつ蓄えられる量を調べた。
同じ形に見えても、使える量は違う。
ヴィオラが、村で測った一回分の消費量を示す。
「この二つを交代で使うなら、回数を減らして動かせる。朝と夕方の二回からだね。金具が届いて、職人と取り付ければ試せる」
「昼の分は、桶で運ぶ必要があるか」
グレタが、村までの道を確かめた。
「井戸のある集落と相談する。運ぶ仕事も手配しよう。片方の水を取りすぎない量でな」
ヴィオラは、作業の順番を書いた。
新しい蓄えで動くことを確かめてから、古い供給への接続を外す。
水場の管理者への説明と、変更の承認も必要だった。
「ここを外しても、王国側への義務は残る」
レオンハルトが言った。
「ええ。でも、こちらの水場を動かす分まで、同じ蓄えに入れなくてよくなる。買えた分から、少しずつ減らすの」
中央への補充も、レオンハルト一人には任せない。
まず、城で魔石への補充を担当している者に、追加で引き受けられる量を尋ねる。
今の仕事と日々の暮らしに必要な力は残し、休む時間も確保する。
賃金と交代の時刻も、作業を頼む前に決める。
「……兵の戦う力を、先に使わせるな」
レオンハルトが、グレタの一覧を指した。
「非番だからといって、明日まで空いているわけではない」
「はい。兵の配置とは分けて調べます」
ニコが、引き受ける者の名を書く紙を用意した。
「足りない分は、どうしますか」
「必要な量を減らす。城の使っていない部屋の灯りは止めていい。倉庫の点検は、明るいうちに済ませる」
レオンハルトが答えた。
ヴィオラは、厨房と治療に必要な分を別に囲む。
「何を止めたか、担当にも知らせて。夜に困って、勝手に戻すことがないようにね」
それでも、計算の不足は消えなかった。
今夜はレオンハルトが補う時間も残る。
ただし、交代できる時刻と、一度に出す量を決める。
次の補充までに蓄えが下がりすぎた時は、レオンハルトだけを呼ばず、全員で使用量を見直す。
ヴィオラは、レオンハルトの欄に休む時間を書き入れた。
「明日の分も決め直す。今日、持ったからって、そのまま続けないわよ」
「分かった」
レオンハルトは一覧を読み、自分の予定を確かめた。
手を伸ばした先にあったのは、魔石ではなく、署名のためのペンだった。
ーーーー
夜、執務室にセドリックからの知らせが届いた。
拘束された職人と倉庫の管理者は、王国西部の同じ役所に留め置かれている。
セドリックは面会を求め、設備の調査を依頼した経緯を、自分からも説明すると書いていた。
ヴィオラは、取引の記録を添えた返書を用意した。
工事はまだ始まっておらず、見積もりと準備の段階だったこと。
軍の設備を壊す依頼も、していないこと。
「市に預けた控えも、取り寄せてもらうわ。こちらの紙だけで争うよりいい」
ニコが、控えの番号を書き添えた。
「家族への連絡も、頼んでいいですか」
「ええ。本人たちの無事を、先に確かめてもらって。取引の窓口が変わっただけで、仕事を取り消したことにはしないわ」
レオンハルトが、返書を読んだ。
「こちらからも、拘束の理由と扱いについて説明を求める。明日、グレタに文面を確認させる」
助け出せたわけではない。
だが、どこにいるかは分かった。
知らせを待つだけだった紙に、次にする仕事が加わる。
ヴィオラは、返書を封じた。
国境の測定も、準備が進んでいた。
グレタが選んだ防護設備に、記録紙を置く場所が確保されている。
ローザは、攻撃で紙が飛ばないよう、覆いと留め金を作っていた。
明日は、ヴィオラも現地で条件を刻む。
王国軍が、魔王領に踏み込む前に。
ーーーー
ニコが書類を持って出ていくと、執務室が静かになった。
ヴィオラは、レオンハルトの補充予定をもう一度見た。
「次は、夜明け前ね。それまでは休むのよ」
「お前もだ」
「ええ。さすがに、今日は眠いわ」
朝から馬車に揺られ、城に着いてからも座って書く仕事が続いた。
ヴィオラは髪の留め具を外し、鞄にしまう。
立ち上がりかけた時、レオンハルトに呼ばれた。
「ヴィオラ。もう少し、ここにいろ」
ヴィオラは顔を上げる。
「まだ相談があるの?」
「俺がお前といたい」
鞄の紐を掴んだまま、ヴィオラは動けなくなった。
仕事の話は、終わっている。
明日の予定も、渡す書類も、もう確かめた。
それでもレオンハルトは、ヴィオラを見ていた。
「……あんた、さっき休めって言ったでしょう」
「座っていればいい。話さなくても構わない」
ヴィオラは、持ち上げかけた鞄を下ろした。
レオンハルトが、隣の椅子に手を伸ばす。
ヴィオラが座っていた椅子より、少し近い。
「……ここでよければ」
断る理由を探す前に、ヴィオラの足が動いた。
隣に座ると、レオンハルトは卓の紙を端に寄せた。
空いた場所に、大きな手が置かれる。
ヴィオラは、その手を見た。
昼間、引き留めるために掴んだ手。
今は、供給設備にも、ペンにも触れていなかった。
ヴィオラが指を伸ばすと、レオンハルトの掌が上を向いた。
指先を重ねる。
握り返された手は、温かかった。
「……これ、明日の仕事の前払いじゃないわよ」
「分かっている」
レオンハルトは、ヴィオラの指をそっと包んだ。
ヴィオラは、重ねた手を見つめた。
何を返せばいいのか、尋ねる言葉が出なかった。
用事が終わっても、ここにいていい。
レオンハルトが、そうしてほしいと望んでいる。
嬉しいと思った。
その気持ちを、報酬や借りの言葉に直したくなかった。
「……少しだけよ。あたし、気を抜いたら寝ちゃいそうだもの」
「眠くなったら、部屋まで送る」
「……自分で歩けるわよ」
言い返しながらも、ヴィオラは手を離さなかった。
レオンハルトも、ほどかなかった。
しばらくして、ヴィオラは隣を見上げた。
「レオンハルト」
「何だ」
呼べば、すぐに返事があった。
ヴィオラは少し笑い、重ねた指を握り直す。
「……今は、呼んだだけよ」
レオンハルトの口元が緩んだ。
その顔を、明日も見たいと思った。
ヴィオラは、それからしばらく隣にいた。




