15 味方を集める悪女
「解除の条項は、通常の協議だけじゃなかった」
グレタが、保管庫の閲覧卓に写しを置いた。
ヴィオラは、ローザから届いた見積書を鞄にしまう。
「変更の記録と、照合できた?」
「この条項を削除した記録はない。供給量の変更と、徴収の付則にも、変更する対象が指定されている。ここは含まれていない」
ヴィオラは原本を開いた。
最初の和平契約。通常の解除手順とは別に、契約に反した使用について定めた頁がある。
共同設備から供給される魔力を、契約相手への攻撃に使用した場合。
被害側は、当該供給契約を解除できる。
ヴィオラは、前後の条件も読み直した。
両国の署名と印。変更の際に参照された条項の番号。
ニコが揃えた一覧と、一つずつ照合する。
「……ええ。後の付則でも、ここは変えていないわね」
レオンハルトが、原本に目を落とした。
「向こうが攻めてくれば、切れるのか」
「この設備から送った魔力を、攻撃に使ったと示せればね。討伐を宣言しただけでは、まだ足りないわ」
ヴィオラは、セドリックの剣を測った記録を出した。
「魔力の形だけでも足りない。陛下の力が入っていても、どの経路で補充したかまで確かめる。供給口の番号、時刻、武器に入れた記録。それから、実際にこちらに放った力よ」
「戦場で、測るつもりか」
「そのための準備をする。あたしが一人で、全ての攻撃を受けるつもりはないわ」
グレタが国境の図を広げた。
防護の設備と、兵の詰所に印がある。
「測定を置ける場所は、兵と職人に調べさせる。記録を回収する者も要るな」
「お願い。ベルカにも同じ測定条件を預けたいわ。こちらで都合よく作ったと言われないように」
レオンハルトは、攻撃に関する行をもう一度見た。
「王国側にも、同じ権利がある」
「ええ。陛下がその力で王国を攻めても、向こうが使える。両方が守る約束だったのよ」
ヴィオラは、付則の写しを原本の脇に並べた。
「余分に取り立てる仕組みを作っても、和平の条件まで消してはいなかった。オルドリックがこれを読んでいるかどうかは、知らないけれど」
「読んでいても、こちらが止められないと考えているかもしれない」
ヴィオラは頷いた。
昨日書いた、王国側の水場と治療施設の名。
線を切る権利があっても、その先の暮らしまで守れるわけではない。
「だったら、そこも準備してから、終わらせてあげるわ」
原本の頁番号を写しに記す。
解除を決めるのは、まだ先だ。
今は、使える条件を誰にも消させないように残す。
ーーーー
執務室に戻ると、ニコが商人たちへの問い合わせを読み上げた。
必要な魔石の大きさと数。接続金具。荷車と、運べる道。
ローザの見積もりには、最初に作れる分と、部品が届けば増やせる分が分けてあった。
大きな設備を組む職人は、工房の外から集めなければならない。
「手紙だけで注文を決めるつもりか?」
グレタが聞いた。
「いいえ。あたしもベルカに行く。品を見て、相手が何を怖がっているか聞くわ」
市への入市の照会と、商談の依頼は、先に送ってあった。
返答が届き次第、出発する。
レオンハルトが、資金の一覧を引き寄せた。
「使える額は、ここまでだ。食糧と薬に残す分は別にした」
「ええ。設備を買って、働く者が倒れたら意味がないもの」
ヴィオラは、取り戻した報酬から出す額も書いた。
次の納品に必要な金と、自分の支出は残してある。
「これ以上の注文は、その場で決めない。新しい条件が出たら、持ち帰るわ」
「この範囲なら、お前に任せる」
レオンハルトは一覧を読み、署名した。
品の種類と数量、支払いの上限を定めた委任状。
ヴィオラは受け取り、鞄の内側にしまった。
初めてここで仕事をした時は、触れる設備の一つずつに許可が要った。
今は、離れた場所で決める仕事を任されている。
「……あたし、買い物の腕もいいのよ」
「知っている。自分の服を買う時以外はな」
「あれも適正価格よ。陛下には、良い生地の見分け方から教えなきゃね!」
レオンハルトの口元が緩んだ。
ヴィオラはその顔を見て、書類の束を持ち直す。
今日は、その先の言葉を練習する時間などなかった。
ーーーー
翌日の午後、ヴィオラとニコは、護衛とともにベルカに着いた。
グレタは城に残り、領内の職人と輸送の手配を進めている。
商談所には、問い合わせへの返答が届いていた。
売れる魔石はないという紙。
王国の検問を通る荷は扱えないという紙。
運送だけなら相談できる、という紙も一枚ある。
ヴィオラは、返事を出した商人の名を確かめた。
マルク。
最初の灯りを四台買い、王国西部に運ぼうとして、検問で止められた商人だった。
「荷車はある。だが、魔王領に入れるなら、運賃は前の倍だ」
呼ばれて来たマルクは、座るなり言った。
「前金で払え。荷を失った時の責任も、こっちには持たせるな」
「荷物を捨てて逃げても、あたしたちの損?」
「軍が出てきたら、荷を守るために死ねというのか?」
「そんな仕事は頼まないわ。逃げる時は、人を先に。そこは書く」
ヴィオラは紙を取った。
「ただし、普通に運んで落とした物まで、戦のせいにしないでね。荷の状態は、積む時と渡す時に一緒に見る」
マルクは、ヴィオラのペン先を見た。
「……それで、倍を払うのか」
「往復で、何を運べるか聞いてからよ。戻りは空荷?」
「今のところはな」
ヴィオラは、魔王領からベルカまでの道を描いた。
王国の検問を避けても、市の西門から魔王領側へは出られる。
市内の荷の扱いは、入市を認めた役人に確認してある。
「行きは魔石と金具。戻りは、ローザの工房で修繕する道具を集められない?」
マルクが眉を寄せた。
「今、魔族の工房に仕事を出す者がいると思うか?」
「王国の軍に職人を取られて、修繕を待ってる店はあるでしょう。こちらに頼むかどうかは、その店が決める。あんたが受けるなら、運搬と取り次ぎの代金も出せるわ」
修繕できる物は、ローザが一覧にしていた。
金具の交換。携帯灯の調整。壊れた取っ手や覆い。
持ち込まれても直せない物は、受け付けない。
マルクは、その紙を読んだ。
「……納期は?」
「品を調べてから、工房が決める。戦で道が通れなくなった時の扱いも、先に説明する」
「うちの客を、全部お前に渡せと?」
「取り次ぎ代を払うって言ったでしょう。あたし、一人で荷車を引く趣味はないのよ」
マルクが、椅子に座り直した。
「お前から買った灯りは、まだ戻ってないぞ」
「ええ、忘れてないわ。市への照会も続けてる」
ヴィオラは、八台の差し止めに関する控えを出した。
ニコが、新しく届いた市からの通知を重ねる。
「今度も、何かあればあたしに知らせなさい。荷を渡したら終わりにするつもりはないわ」
マルクは、紙を見てからヴィオラを見た。
「一往復だ。続けるかどうかは、その後に決める」
「ふふ。結構よ。あたしも、働きぶりを見てから次を頼むわ」
ヴィオラは、倍と言われた運賃の内訳を聞いた。
護衛を増やす分と、危険を引き受ける分。
王国の検問を通らない経路と、魔王領側で付ける護衛を確かめ、最後に金額を決める。
安くはなかった。
だが、通れない道のために払う金ではなかった。
ーーーー
金具の商会では、責任者のエーミルが、奥の棚を開けた。
ヴィオラの支払いを証言した時には、帳簿を出した棚だった。
今日は、保管している部品の一覧を取り出す。
「大きな魔石はない。接続金具なら、ここにある」
「王国への納品分まで、こちらに回さないでね」
「それは別だ。うちが自由に売れる分だけを出す」
エーミルは、一覧に残る数を記した。
ヴィオラが求める数には届かない。
それでも、最初の水場を替える分は揃えられた。
「問題は、代金だ。魔王領の取引を、掛け売りでは受けられない」
「安心して。今回は現金よ。品を確認してから払う」
ヴィオラは、レオンハルトの委任状を見せた。
エーミルが支払いの上限を確かめる。
「……本当に、そこまで任されたのか」
「あたし、高い仕事をするもの。預ける方も勇気が要るわね」
ニコが、見積書と数量を照合した。
買える分だけを契約に記し、残りは未確保として別にする。
エーミルは署名する前に、王国側の水場の一覧に目を向けた。
「こちらにも、道具を用意するのか」
「受け取って使う相手がいるならね。魔王領からの供給を止める準備をしてるの」
エーミルの手が止まった。
「それを止めれば、うちの取引先も困る」
「だから、先に用意する。宰相がいつまでも同じ力を取り立てられると、あんたは思う?」
ヴィオラは、工房で作れる道具の図を示した。
「これを使う設備には、別に補充する魔力が必要よ。道具だけ買っても、水は出ない。現地で作業できる職人と、力を出せる人間も探してる」
エーミルは、図を自分の方に引き寄せた。
「水場の補修を頼んでいる職人に、話は聞ける。だが、王国の設備を勝手に変えることはできないぞ」
「ええ。今は、できることと必要な許可を調べる。明日いきなり線を切れとは言わないわ」
エーミルは、しばらく図を見ていた。
「代金を出すのは、誰だ」
「その水場を使う町と、商会に相談したい。まず見積もりを出してもらう。王国の設備を、あたしが全部ただで買い替えてあげる話じゃないのよ」
エーミルが小さく息を吐いた。
「そこは、お前らしいな」
「ふふ。将来のお客には、長く商売してもらいたいもの」
エーミルは、職人への紹介状を書くと言った。
ヴィオラは礼を言い、図の写しを渡す。
一人に全部を引き受けさせるには、大きすぎる仕事だった。
荷を運ぶ者。部品を売る者。使う場所で工事する者。
別々に頼めば、返事をもらえる部分が増えていく。
ーーーー
二日間で集められたのは、計画の一部だった。
買えた金具は、マルクの荷車に積む手配をした。
魔石は、宿場の店から譲ってもらえる小さな物を数個。
大きな蓄えに使える物は、まだ見つからない。
領内から届いたグレタの報告には、線を敷く職人の名が三人あった。
それぞれの仕事場を空けられる日と、必要な報酬も記されている。
ヴィオラは、確保できた分に印を付けた。
空いた欄は、まだ多い。
ニコが、セドリックから届いた書類を持ってきた。
王国側の水場で、一日に必要な量。
治療施設で、魔石を使って動かす道具の種類。
自前の蓄えがある施設と、補充を止めればすぐ困る施設が分けてあった。
セドリックは、設備を扱う職人にも会っている。
切替が間に合わない場合に備え、治療を受ける人を別の施設に移せるか、町の担当者に相談していた。
「前より、ずっと聞く相手が増えたわね」
ヴィオラは、返書の続きを読んだ。
軍の装備への補充記録は、閲覧を断られた。
共同設備とつながる供給口の番号までは分かるが、装備ごとの記録は出せないという。
ヴィオラは、その行に印を付けた。
「ここは、まだ埋まらないかー」
「測定の準備は、続けますか?」
「続けるわ。分からない所があるからって、分かっている所まで捨てないの」
ヴィオラは新しい紙を取り、セドリックに送る測定条件を書いた。
補充の記録は、出せないと言われた日付と相手の名を残す。
水場と治療施設の準備は、その照会とは別に進めてもらう。
その時、商談所の係員が扉を叩いた。
手にしていたのは、王国側から来た運送屋が預けた封書だった。
エーミルが紹介状を送った、設備工房からの返事。
ヴィオラは封を開いた。
短い文面の途中で、指が止まる。
水場の切替に協力すると答えた職人が、拘束された。
予備の魔石を集めた倉庫も封鎖され、管理者が連行されたという。
理由は、魔族との取引による討伐の妨害。
宰相府は、協力者を反逆者として取り調べると通告していた。
ニコが、ヴィオラの手元を見た。
「……何が、あったんですか」
ヴィオラは、紙を渡した。
ニコが読む間に、王国側の設備図を広げる。
ようやく補充を頼めそうだった場所。
工事を引き受ける返事が来た水場。
そこに、葡萄色の爪を置いた。
オルドリックは、魔王領からの力を止めるなと言っている。
その一方で、止まっても暮らせるようにする仕事を潰した。
「……あのクソジジイ。水が出なくなるのが困るんじゃないのね」
ヴィオラは、宰相府の名を見た。
「あたしたちから取らなくても、水が出るようになるのが嫌なのよ」
ニコが顔を上げた。
ヴィオラは、レオンハルトへの報告用の紙を取る。
足りない魔石。
拘束された協力者。
解けていない、強制徴収の条件。
今のままでは、供給を引き受ける者に負担が集まる。
レオンハルトが、何を言い出すか想像できた。
「ニコ。帰る支度をして。陛下に、この報告を読んで一人で決めさせたりしないわよ!」
ヴィオラは、拘束を知らせる紙も鞄にしまった。
助けを求めた相手が、返事をしたせいで捕まった。
その名を、足りない人数の欄に移して終わりにはできなかった。
「あたしの取引相手に手を出した分、きっちり払わせてやるわ。クソジジイ!」




