第83話 竜が動けば、人も動く
東の道に上がった土埃の下から、槍の穂先が現れた。
先頭には盾を持った兵が並び、その後ろを馬と荷車が進んでくる。荷台へ横たえられている長い木枠を見て、俺は翼を身体へ寄せた。
また弩を運んできたらしい。
背後では、木材を積んだ二台目の車が橋を渡っていた。車輪が継ぎ板を踏むたび、木の軋む音が川面へ落ちる。レオンは橋の西側に立ち、御者へ速度を落とすよう声をかけていた。
『東から来るぞ。盾の兵と、弩を載せた車だ』
俺が知らせると、レオンは橋を渡ってきた兵から盾を受け取った。残る者たちへ手を振り、捕虜と御者を道の奥へ下げさせる。
「麦の車は通りました。木材の車が抜けるまで、もう少し掛かります!」
『壊した弩の車は後でいい。人と、運べる荷から向こうへ出してくれ』
その荷車からは、予備の弦や道具がすでに降ろされていた。引き倒した弩が荷台の端へ食い込み、車輪の一つも傾いている。
無理に橋へ載せれば、途中で動かなくなるかもしれない。
俺は東へ顔を戻した。
来た兵たちは、こちらへ突っ込んではこなかった。道が広がるところで足を止め、盾の列を作り、その後ろで弩の支柱を地面へ下ろし始める。
俺が前へ出れば、正面から撃てる場所だった。
土手に刺さったままの太い矢が、視界の端に入る。顎にはまだ、魔術で飛ばされた石の痛みが残っていた。
誘われているからといって、付き合う必要はない。
俺は橋を背にした位置で止まり、敵が何をするのか見た。
◇
弩を据える兵の横で、馬に乗った男が腕を振った。
盾の列から何人かが離れ、川沿いの草へ入っていく。最初は俺の横へ回り込むのかと思ったが、彼らは距離を保ったまま上流へ進んだ。
川は小さい。
橋を使わずに渡れる場所があるなら、そちらからレオンたちの横へ出られる。
俺が首を向けると、正面の弩が動いた。
まだ撃ってはいない。だが、俺が川沿いへ進めば、身体の横や翼の付け根を狙えるよう、台を少しずつ回している。
弩に注意を向けさせておき、兵を向こう岸へ渡すつもりらしい。
『レオン、上流へ回った兵がいる。浅い場所を探しているぞ』
「こちらからも見えます。橋だけ守っていては、横へ入られますね」
木材の車が、ようやく橋を抜けた。
レオンは御者を送り出すと、川岸へ兵を移した。盾を持つ者が先に立ち、その後ろへ弓兵が入る。全員を上流へ寄せず、橋の出口にも人を残していた。
敵の騎馬の男が、もう一度腕を振った。
今度は正面の槍兵まで、ゆっくりと前へ出てくる。
俺が動かなければ、川を渡る者たちがレオンと戦う。そちらへ向かえば、橋へ進む兵と弩が残る。
全部を俺一頭で塞ぐつもりなら、困っていただろう。
『俺が上流の兵を止める。その間、橋へ来る連中を押さえられるか』
レオンは正面の敵を見てから、橋の幅へ目を落とした。
「この幅なら、一度に大勢は来られません。荷車も抜けました。こちらは任せてください」
俺は足下と周囲を確かめた。
まだ荷車の傍にいた味方の兵が、こちらの意図を察して橋へ走る。その背が十分に離れたところで、俺は後脚へ力を込めた。
跳び上がり、翼を開く。
弦の鳴る音がした。
俺は高度を取るより先に身体を傾け、道の脇へ進路を変えた。太い矢が下を抜け、縄を引きずりながら、さっきまで俺のいた地面へ突き立つ。
普通の矢なら胸で受けられても、あれを翼に引っかけるわけにはいかない。
上流へ向かう兵たちの先へ回り、俺は川岸へ降りた。
◇
着地した地面が沈み、川際の草が伏せた。
浅瀬へ脚を入れかけていた兵が、揃ってこちらを向く。何人かは盾を構えたが、後ろにいた者は足を滑らせ、仲間へぶつかりながら岸へ戻った。
俺は翼を畳み、川と兵の間へ前脚を置いた。
その一歩で水が跳ね、岸の泥が大きく押し出される。兵たちが並べようとしていた槍は、穂先の高さも揃わないまま揺れていた。
『川を渡るな。戻るなら、今のうちだ』
矢が飛んできた。
胸へ当たって弾かれたものと、肩を滑ったものが、草の上へ落ちる。俺はそちらへ踏み込まず、目を狙える高さまで近づかせないよう首を起こした。
槍兵の一人が何か叫んだが、川へ進む者はいなかった。
彼らの後ろでは、道へ据えた弩が向きを変えようとしている。今いる場所からでは、俺を狙う前に、自分たちの兵のいる方へ射線を通さなければならない。
馬上の男が怒鳴り、川岸の兵へ下がるよう手を振った。
俺は追わなかった。
下がっている者を追えば、今度はこちらから弩へ近づくことになる。兵たちが道へ戻るのを見ながら、川沿いに少しずつ身体の向きを変えた。
橋では、盾同士のぶつかる音が響いていた。
俺が離れたところへ、敵の槍兵が進んだのだ。だが、橋へ入った先頭は、西側で待ち構えたフェルゼン兵に止められている。
狭い板の上では、後ろに人数がいても横へ広がれない。
レオンは列の後ろから声をかけ、前へ出る兵と下がる兵を入れ替えていた。敵が押しても、そのまま道まで通される様子はない。
俺がこちらで兵を止めている間に、人間たちも自分の持ち場を守っていた。
橋の上から、レオンの声が飛ぶ。
「こちらは持ちます! 弩が、またあなたを向いています!」
俺は地面を蹴った。
今度は大きく上へ昇らず、川岸の低い土手に沿って移動する。弩の先端がこちらを追ったが、回す途中で台が止まった。下ろした支柱を一度持ち上げなければ、それ以上は向きを変えられないらしい。
兵が台の下へ屈み込んだ。
その間に俺は土手の端へ出て、厚い胸を正面へ向けた。目と翼を狙わせるために、わざわざ横を向くつもりはない。
馬上の男が俺と橋を見比べたあと、短く何か叫んだ。
橋へ出ていた兵が下がり始めた。
◇
最初に引いたのは、盾を持った兵たちだった。
橋から出た者を後ろへ通し、道の上で列を作り直す。川沿いへ回った兵もそこへ合流し、馬に乗った男は最後まで弩の傍に残っていた。
弩を運ぶ兵たちは、地面へ下ろした支柱を持ち上げている。
撃ちながら後ろへ下がれる道具ではない。運び出すには、人も時間も要る。
俺は距離を詰めず、馬へ近づきすぎない場所で止まった。
『その弩は置いていけ。運び直して、もう一度俺を狙わせる気はない』
男は返事をしなかった。
代わりに、弩の兵へ何か指示を出す。二人が荷車の横から、丸めた縄と予備の太い矢を引き出した。
まだ撃つのかと思ったが、彼らはそれを車へ載せ直していた。
武器ごと退くつもりらしい。
俺は道の脇へ顔を向けた。
荷車を据える時に降ろしたのだろう。裸の土の上に、予備の弦や縄を載せた木箱が置かれている。兵たちはそこから離れ、車の方へ集まっていた。
背後へ燃え移る木もなく、馬も箱から離れている。
俺は風の流れを確かめ、そこだけへ短く炎を吐いた。
木箱の縁が燃え、乾いた縄へ火が移る。
荷車へ戻りかけていた兵が足を止めた。俺が顔を戻し、今度は弩へ目を向けると、馬上の男が鋭く叫んだ。
兵が、弩を引くための綱から手を離した。
男は部下を追い立てるように馬を回し、盾の列の後ろへ下がっていく。弩の荷車だけが道へ残り、馬を外した兵も走って離れた。
俺は彼らが十分に遠ざかるまで待った。
それから弩の木枠へ前脚をかけ、弓の中央を折った。弦が跳ね、荷台へ固定していた金具が軋む。
箱の火は土をかけて消した。
縄は黒く縮れ、元の形では使えなくなっていた。煙が細く上がる向こうで、敵の列は東へ進んでいる。
俺が追ってこないと分かると、最後尾の兵も走るのをやめた。
退く者たちの足取りは、ばらばらではなかった。先ほどの男が時々振り返り、遅れた者が列へ戻るのを待っている。
道具を捨てる判断まで遅れていれば、あの列はもっと崩れていただろう。
◇
橋へ戻ると、レオンは盾を下ろしたところだった。
前腕に浅い傷があり、傍の兵も片脚を庇っている。俺が敵を止めていたからといって、こちらが何もせず待っていたわけではない。
『こっちにも怪我人が出たか』
「大きな傷を負った者はいません。敵が橋の上で止まってくれたので、こちらから追い出そうとはしませんでした」
レオンは傷口へ布を当てながら、東の道を見た。
「あの人数で荷と捕虜を取り返すのは難しいと、判断したのでしょう。まだ本隊が動いたとは限りません。こちらも、長くは残れませんね」
『俺がもう一度、空から見てくる。人と荷は先に下げてくれ。あの弩は壊したから、無理に運ばなくていい』
「使われた道具と、持ち出せる金具だけ回収します。橋も、こちらが渡りきったあとに確かめておきます」
俺が川岸へ離れると、兵たちはすぐに動き始めた。
怪我人を歩かせる順番を決め、重い荷を持っていた者から包みを受け取る。捕虜の中には、倒れた仲間へ肩を貸す者もいた。
矢を受けた魔術師は、板を使った担架へ載せられていた。
俺の姿に気づくと、彼は顔を強張らせた。杖はなく、両手にも自由はない。俺は顎へ残る痛みを感じながら、その横を少し離れて通った。
今は、倒れている相手へ何か言う気にはなれなかった。
◇
上へ出ると、東の旗がよく見えた。
木立の間では、荷車が動いていた。だが、全部が同じ方向へ進んでいるわけではない。小さな荷を積んだ車は奥へ下がり、弩の置かれた場所には、まだ兵が残っている。
橋へ出てきた部隊も、その木立へ戻っていった。
俺は距離を保ったまま、周囲を大きく回った。
木と布で隠された弩の位置が、一つだけ変わっている。街道から近づく相手を狙う向きから、川沿いを広く見られる場所へ動かしていた。
ここへ戻ってくる竜が、同じ方向から飛ぶとは限らない。
敵も、それを考え始めている。
俺はそれ以上近づかず、橋へ戻った。
レオンたちはすでに西側へ集まっていた。最後の兵が荷物を抱えて渡り、橋の入口へ二人が残る。
『まだ奥には兵も弩もいる。全部が退き始めたわけじゃない。ただ、荷の一部は東へ下げていた』
「今日奪い返した分が、あちらへ入らなかったのは確かです。こちらはこれで戻りましょう。橋の見張りには、無理に守り切ろうとしないよう伝えます」
レオンは兵へ合図し、自分も西へ歩き始めた。
俺は最後尾の少し後ろを、地面に沿ってゆっくり進んだ。敵が橋へ戻ってくれば、先に気づける位置だった。
前を歩く御者の一人が、何度も木材の車を振り返っていた。
「まだ、家へ戻れるかは分からないんです。でも、馬だけでも連れて帰れると思うと……」
その男の手には、使い込まれた手綱があった。
連れ出された馬と一緒に逃げることもできただろう。それでも彼は、荷を積んだ車を橋へ通し、今も馬の歩調に合わせて道を進んでいる。
レオンは話を聞きながら、彼の隣を歩いた。
「集落の様子は、こちらでも確かめます。まずは馬を休ませましょう。麦袋の印も、改めて見てもらえますか」
男は頷き、手綱を握り直した。
俺には、どの袋が誰の家のものか分からない。
それでも、東へ運ばれるはずだった麦が、今は人間たちの手で西へ動いていた。馬を引く者がいて、車輪を押す者がいて、怪我人の歩幅に合わせて立ち止まる者がいる。
道が狭くなったところで、木材の車が止まった。
車輪の前へ石が噛んでいたらしい。兵が屈みかけたので、俺は声をかけて待ってもらい、爪の先で石を外へ転がした。
御者が馬へ声をかけ、車輪がまた回り出す。
俺もその後ろへ続いた。東の旗が木々に隠れて見えなくなるまで、何度か振り返りながら歩いた。




