第82話 竜を撃つための荷車
セドルへ戻ると、ガレスは町外れで荷車の車軸を覗き込んでいた。
避難してきた家族を西へ送るための車だった。片側の車輪が外され、荷台には子供の靴と、紐で括った毛布が残っている。車大工が差し出した鉄の輪を受け取ったガレスは、俺の姿を見ると腰を伸ばした。
『北で、グランツ兵が野生のワイバーンを捕まえていた。助けたが、兵には逃げられた。網を切るのは、フェルゼンの見張りに手を貸してもらった』
巻き上げ機と、縄を結びつけた太い矢のことまで伝えると、ガレスの目が細くなった。
「魔獣を捕まえるだけならともかく、そんなものを山まで運んでいるのが気になるな。荷車は一台だったのか」
『俺が見た場所にはな。誰の指図かまでは分からない。レオンへも報せてもらっている』
「こちらにも、今朝フェルゼン側から使いが来た。敵の荷車が東の街道へ集まり始めているそうだ」
傍で車輪を支えていたエルマーが、肩を使ってそれを立てかけた。手についた泥を草で拭い、道端の石へ指を置く。
「大きな旗の部隊がいる辺りだ。集落から運び出された麦も、そこへ向かったらしい。荷を集め直しているのか、もっと後ろへ送るのかは分かっていない」
俺が何度か壊した補給の拠点は、敵にとっても置いておきたい場所だったはずだ。だからといって、同じ場所へ荷車を並べ直すほど間抜けでもない。
『東を見てくる。荷が全部あの旗の下へ集まるなら、空からでも動きは拾える』
「深く入りすぎるなよ。捕獲用の弩があったなら、お前へ向ける準備もしている」
ガレスはそう言ってから、修理中の荷車へ目を戻した。
「こっちは、この車を出せるようにする。お前が東を見ている間に、少しでも町の荷を減らしておきたい」
毛布の端に、小さな手が触れた。母親の後ろから顔を出した子供が、俺を見上げていた。
俺は翼を開く前に道から離れ、町へ砂埃を送らない向きで地面を蹴った。
◇
東の大きな旗は、まだ同じ一帯にあった。
ただし、下に集まっているものは変わっていた。以前のように荷を一か所へ積み上げず、木立の間に荷車を分けて止めている。煮炊きの煙も離れた場所から細く上がり、人や馬の動きがひと目では掴みにくかった。
高度を保って旋回していると、地上で人が走った。
木々の間から、長い棒のようなものが持ち上がる。葉を結びつけた布の下に、木製の台が見えた。俺が進む方向に合わせ、その先端がゆっくり回る。
狙われていると分かったところで、俺は翼を傾けた。
届く距離かどうかを、身体で測る必要はない。大きく外へ回りながら目を凝らすと、別の木陰でも似たものが動いていた。
少なくとも二台はある。
その近くへ、細い道から荷車が入っていく。麦袋を積んだ車の後ろに、長い木材を横たえた車が続いた。さらに後方には、布で包まれた大きな荷が揺れている。
車列を逆に辿ると、小川に架かった橋へ行き着いた。
橋そのものは狭いが、東側に荷車を待たせる広場がある。そこへ来た車が一台ずつ渡り、旗のある場所へ向かっていた。周囲には畑も民家もなく、川沿いに丈の低い草が生えているだけだった。
俺は橋の上へ降りず、西へ戻った。
荷車を止める場所としては使える。だが、麦まで踏み潰してしまえば、奪われた側の人間へ返せなくなる。逃げる兵を追い、御者を見張り、荷を運び直すところまで、俺一頭で済ませるのは無理だった。
◇
見張り所へ戻った時には、朝より馬が増えていた。
北の捕獲隊について報せを受けたレオンが、兵を連れて来ていたのだ。俺が降りる場所を探していると、彼は道端へ出て、周囲の兵を少し離れさせた。
『東の本隊へ、まだ荷が入っている。小川の橋で止められると思うが、フェルゼン側の兵に動いてもらいたい』
橋の位置と車列の様子を伝えると、レオンは見張り所から持ち出した地図を、鞍の上へ広げた。
「その橋なら分かります。ここから川沿いに進めば、街道へ出ずに西側へ回れます。ただ、荷車の護衛が多ければ、こちらだけでは押し返されます」
『俺は東側へ出る。荷車を戻させず、こっちへ向かってくる兵を止める。そちらは橋の西で、御者と荷を押さえられるか』
「できます。ですが、あなたが降りるまで、こちらも姿を見せない方がよさそうですね。先に騒がせれば、荷車が全部引き返します」
レオンは地図を畳むと、兵の一人を呼んで川沿いの道を確かめた。残りの者たちは馬の腹帯を締め直し、矢筒の中を覗き込んでいる。
大勢を集め直す時間はなかった。今ある兵で止められる分を止め、本隊が出てくるようなら荷を欲張らず退く。そこを決めると、レオンは馬へ跨がった。
「北の網については、見張りの者から聞きました。捕まえた魔獣をどう使うつもりか、逃げた兵を捕らえられれば確かめます」
『俺も気になる。ただ、東には、もっと大きな弩があった。捕獲だけを考えているようには見えなかったぞ』
レオンの手が、手綱の上で止まった。
「では、橋の荷を調べる価値はありそうです。あなたも、荷車へ近づく前に積み荷を見てください」
俺は頷き、兵たちが川沿いへ入るのを見送ってから、低い尾根の向こうへ飛んだ。
◇
橋の東側には、荷車が三台残っていた。
先頭は麦袋、その次が木材で、最後尾の車にはまだ布が被っている。護衛は車列の両側へ散らばっていたが、俺の影が広場を横切ると、一斉に顔を上げた。
俺は車列から離れた、東へ続く道の上へ降りた。
着地の揺れが伝わり、馬がいなないた。木材を積んだ車の御者が必死に手綱を引き、先頭の車は橋へ向かって動きかける。
その西側から、レオンたちが姿を現した。
「車を止めろ! 武器を捨てた者は、荷車から離れて座れ!」
橋の向こうで盾が並んだ。先頭の御者は馬を止めたが、護衛の兵はすぐには従わなかった。車輪の陰へ膝をつき、弓へ矢をつがえる者がいる。
俺へ飛んできた矢は胸の鱗に弾かれ、足下へ落ちた。
『荷車を置いて離れろ。馬を走らせても、この道は通さない』
前脚を道へ踏み出すと、兵たちが左右へ退いた。その動きの向こうで、最後尾の布が引き剥がされた。
木の台に、分厚い弓が据えられていた。
北で潰したものより大きい。車の後ろから地面へ支柱を下ろし、兵が二人がかりで台を固定している。すでに弦は引かれ、溝には鉄の先端をつけた太い矢が載っていた。
俺が空へ逃げれば、広げた翼が正面に出る。
跳ぶ代わりに身体を横へずらした時、弦が鳴った。
太い矢は胸の脇を抜け、背後の土手へ深く突き立った。土が弾け、結びつけられていた縄が地面を叩く。普通の矢を浴びた時とは違う音に、首の後ろが強張った。
外れたのを見た兵が、次の矢を持ち上げた。
俺は翼を畳んだまま前へ出た。馬のいる側へ尾を振らないよう、道の端を歩く。弩の台がこちらを追って回り、荷車の後輪が軋んだ。
その時、木材の陰から石が飛んできた。
人の拳ほどの大きさだったが、速さが違った。顔を引いた俺の顎へ掠り、鱗の縁で砕ける。熱い痛みと一緒に、細かな破片が口元へ散った。
荷車の陰に、杖を握った男がいた。
魔術師がいる。俺が弩へ近づいたところを、横から狙うつもりだったのだろう。
男はすぐ次の石へ杖を向けた。俺が顔を庇って首を引くと、弩を扱う兵がその間に装填を進める。
片方へ踏み込めば、もう片方が撃つ。
俺は足を止め、車列を挟んだ向こう側へ声を張った。
『木材の車の後ろに魔術師がいる! 杖を持った男だ。俺は弩を向けさせておく!』
返事を待たず、首を低くして東側から睨む。弩の射手は俺から目を離せないまま、台の傾きを直していた。
魔術師が杖を持ち上げ、荷車の陰から半身を出した。
橋の方から矢が飛び、その肩へ突き立った。
杖が落ち、浮きかけていた石が地面へ転がる。男が木材の陰へ崩れ込むのと同時に、俺は弩へ踏み込んだ。
射手が弦へ手を伸ばしたが、荷車の横へ逃げる仲間とぶつかった。俺が鼻先を突き出すと、装填しかけた矢を落とし、台から転げ落ちる。
無人になった弩の前へ爪をかけた。
持ち上げるだけで荷車が傾き、地面へ下ろしていた支柱が外れる。俺は人のいない側へ台を引き倒し、弓の中央を前脚で押し潰した。
弦が切れた音に、馬がまた暴れた。だが、今度は御者が逃げなかった。橋の方から駆け寄ったフェルゼンの兵と一緒に、馬の頭を抱えるように押さえている。
レオンの声が、広場へ響いた。
「弓を捨てろ! 傷ついた者から離れず、その場へ座れ!」
護衛のうち、何人かは川沿いへ逃げた。追おうとした兵へ、レオンが制止の手を上げる。残った者たちは、壊れた弩と俺を交互に見たあと、武器を足下へ置いた。
◇
俺が少し離れると、馬の呼吸もようやく落ち着いた。
顎を舐めると、血の味がした。深く切れたわけではなさそうだが、石の当たった辺りがじんじんする。普通の矢は防げても、あれまで同じつもりで受けてはいけない。
レオンが傍へ来て、俺の顔を見上げた。
「口元が切れています。手当てに使う布はありますが、触れても大丈夫ですか」
『浅い傷だと思う。今は、あっちの魔術師を先に診てやってくれ。聞きたいこともあるだろう』
「すでに矢を抜かずに押さえています。命に関わる場所ではなさそうです」
彼の視線が、土手に刺さった太い矢へ移った。
「こちらへ退かず、東側で引き受けてもらえて助かりました。あれを橋へ向けられていたら、盾だけでは止められません」
『俺も、一頭で両方を潰すのは危なかった。魔術師を射た兵に礼を伝えてくれ』
積み荷を改めると、麦袋にはいくつか違う印がついていた。御者の一人が、そのうち二つを指して、徴発された集落の名を挙げた。
軍へ売った荷ではなかった。
御者自身も馬ごと連れ出されたという。レオンはその話を聞き、印を確かめる兵と、御者を護衛から離して話を聞く兵を分けた。俺には持ち主を決められない麦袋が、人間たちの手で少しずつ行き先を取り戻していく。
一方、弩の荷車から出てきたものは、穀物とは違っていた。
予備の弦、鉄の重り、短い杭。油を染み込ませた布で巻かれた道具の中に、細長い板が一枚挟まっていた。
表面には、翼を広げた竜の輪郭が描かれている。
俺は顔を近づけた。
翼の付け根へ線が引かれ、左右の目にも丸がつけられている。その下にある文字は、《文字理解》のおかげで読めた。
翼を狙う射手と、頭を狙う射手は、同じ場所に置かない。
地へ降りた時は、杭を打った場所へ誘う。
そこまで読んだところで、レオンも板を覗き込んだ。
「荷を運ぶ途中の兵が、急に思いついて用意したものではありませんね」
『ああ。俺が翼を畳むところまで、考えている』
北で捕まっていたワイバーンの姿が浮かんだ。
魔獣を捕らえる道具を、そのまま俺へ向けたのか。それとも、俺を捕らえるための道具を、小さな相手で試していたのか。板一枚では、そこまでは分からなかった。
レオンは板を布で包み直し、兵へ渡した。
「ガレス殿へも、この内容を届けます。こちらの荷は橋の西へ下げますから、あなたは本隊が出てこないか見てもらえますか」
『分かった。荷車が渡りきるまでは、ここにいる』
麦を積んだ最初の車が橋へ入った。御者の脇にはフェルゼンの兵が立ち、狭い欄干へ車輪を寄せすぎないよう声をかけている。
俺は東へ顔を向けた。
木立の向こうに、大きな旗の先が見える。近くの道で土埃が上がり始めたが、荷車なのか、馬に乗った兵なのかはまだ見えなかった。
背後では、二台目の車が動き出している。
俺は翼を畳んだまま、壊した弩の前へ身体を移した。東の道からは、ここを通るには俺の傍を抜けなければならないと分かるはずだった。




