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『ドラゴンに転生したので、人間の国を育てることにした ~黒パン半分の恩返しから始まる竜王建国記~』  作者: あちゅ和尚


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第79話 領境の向こう

 東側の領主から来た使者は、日が完全に落ちる前に集落へ入った。


 泥を跳ね上げた馬から降りた男の外套には、長く街道を走ってきた跡が残っている。胸元に縫われた印は、ガレスたちのものとは違っていた。


 四十歳前後だろうか。


 疲れてはいるが、周囲を見回す目は落ち着いている。


「フェルゼン領より参りました。レオンと申します」


 ガレスが軽く頷く。


「ガレスだ。こっちはエルマー。それで――」


「ヴァル殿ですね」


 レオンが俺を見上げた。


『俺のことまで伝わってるのか』


「東側で、黄金の竜を知らない兵の方が少なくなっています」


 あまり嬉しくない有名になり方だ。


 俺は身体を伏せたまま、広げられた地図へ目を向ける。


 守護竜になってから、人間が使う机の横へ寄るだけでも場所を取る。


 だから地図は地面に置かれていた。


 俺たちがいる集落。


 セドル。


 その間を走る街道。


 さらに東へ続く土地。


 レオンが一本の線を指でなぞる。


「ここから東がフェルゼン領です」


 俺は地図を見る。


『つまり、ここもフェルゼン側なんだな』


「はい」


 ガレスたちが守っているローデン領との境目。


 そのさらに東に、グランツ王国との国境がある。


 今まで俺は、その二つをどちらも「東へ行けば越える線」くらいに考えていた。


 意味はかなり違う。


 ローデンとフェルゼンの境は、同じ側にいる領地同士の線。


 もっと東にあるのは、敵軍が越えてきた国と国の境だ。


 空から見れば、どちらにも線など引かれていない。


 畑も森も道も、そのまま繋がっている。


 だが地上の人間にとっては、そうではないらしい。


「まずお伝えしておきたいのですが」


 レオンがガレスを見る。


「ローデン側の兵が住民救援のためこちらへ入ったことについて、フェルゼン領として抗議する意図はありません」


「助かる。こっちも土地を取りに来たわけじゃない」


「分かっています」


 レオンはすぐ頷いた。


「むしろ、こちらの手が届かなかった集落から住民を逃がしていただいたことには感謝しています。ただ、この状態が続くなら連絡手段は必要です」


 ガレスも地図へ目を落とす。


「俺もそう思ってた。昨日までなら、敵を見つけたから兵を出す、それで済んだ。今は住民も動いてる」


「ええ。負傷者、避難者、捕虜、残された食料や家畜。戦闘が終わった後に誰が引き受けるのかまで決めておかなければ、今度は味方同士で混乱します」


 俺は昼間の集落を思い出した。


 残る者。


 西へ出る者。


 運び出す食料。


 残していく家。


『敵を追い払った後まで考えるなら、土地を治めてる側と繋がってた方が早いな』


「その通りです」


『人が今にも殺されそうな時まで、許可を取りに戻れという話ではないんだろ』


「もちろんです」


 レオンの返事には迷いがなかった。


「そこまで愚かなことを言うつもりはありません。目の前に明確な危険があるなら、助けてください。ただ、その後をこちらへ知らせていただきたい」


『それなら分かる』


 俺ができるのは、空から早く見つけること。


 敵を止めること。


 逃げる時間を作ること。


 その人間が数日後、どこで暮らすのかまで俺が勝手に決める必要はない。


     ◇


 話がそこまで進んだところで、東側の見張りが馬で戻ってきた。


「レオン殿!」


 馬から降りる前から声を張る。


 レオンが立ち上がった。


「何があった」


「南東の農家群です。グランツ兵が入りました」


 空気が変わる。


「数は」


「見えた範囲で二十前後。荷車二台。食料と飼料を積ませています」


『住民は』


「残っています。一人、抵抗した男が殴られました。女も兵に突き飛ばされています」


 レオンが地図へ膝をついた。


「場所を」


 騎手が一点を指す。


 街道から南へ外れた場所。


 俺が飛べば遠くない。


 俺は身体を起こした。


『先に行く。住民へ手を出してるなら待てない』


「お願いします」


 レオンは止めなかった。


「私はガレス殿たちと地上から向かいます。あなたはまず住民への危害を止めてください」


『分かった』


「ただし、追い払った後の処理はこちらへ任せてください。捕虜も、奪われた物の確認もです」


『その方が俺も助かる』


 ガレスも兵へ声を掛ける。


「人数は絞る! 救援だ。フェルゼン領へ攻め込みに行くんじゃないぞ!」


 兵たちが動き始める。


 俺は一足先に翼を開いた。


 強く羽ばたく。


 地面の草が一斉に伏せた。


     ◇


 農家群はすぐに見つかった。


 家は六軒ほど。


 周囲には麦を刈った後の畑と、冬へ向けて残された畑。


 その中央に荷車が二台止まっている。


 袋。


 樽。


 干し草。


 吊るした保存肉。


 家から運び出した物が次々と積まれていた。


 庭先には、一人の男が倒れている。


 口元に血。


 その横で女が兵へ食い下がっていた。


「そこまで持っていかれたら冬を越せません!」


「必要量を集めているだけだ」


「子供もいるんです!」


「下がれ」


 兵が女の肩を押した。


 女がよろめく。


 俺は高度を落とした。


『そこまでだ!』


 声が農家群へ響く。


 兵たちが一斉に上を見る。


「竜だ!」


 家から一番離れた畑へ降りる。


 以前なら庭先へ直接降りたかもしれない。


 今の身体でそれをやれば、敵を止める前に俺が柵も家も壊す。


 着地だけで地面が低く震えた。


 馬が鼻を鳴らし、荷車の樽が揺れる。


 俺は翼を畳んだ。


『住民から離れろ。荷も置いていけ』


「構えろ!」


 兵たちは逃げなかった。


 弓兵が前へ出る。


 予想通り、最初の矢は胸へ来た。


 動かない。


 鏃が鱗へぶつかり、乾いた音を残して地面へ落ちる。


 二本目も肩で弾けた。


 兵の顔色が変わる。


「胴は狙うな! 目と翼だ!」


 判断は早い。


 今度は弓の角度が上がった。


 俺もそこは受けない。


 翼を身体へ寄せ、顔を少し高く保つ。


 同時に、射手の前へ斜めから風を入れた。


 狙いが揺れる。


 矢は俺の横を抜け、誰もいない畑へ落ちた。


『普通の矢で胸を抜くのは無理だ。だが、目や翼を狙うなら俺も止める』


 前へ一歩出る。


 それだけで弓兵が後ろへ下がった。


 俺の前脚は、人間一人の身体より大きい。


 爪を振り下ろす必要はない。


 踏み込むだけで十分圧になる。


     ◇


 槍兵が三人、左右へ広がった。


 一人が正面。


 残りが関節を狙う。


 狙いそのものは悪くない。


 だから、届かせない。


 俺は真正面の兵へ身体を向けたまま、右前脚を少し外へ置いた。


 地面が沈む。


 右から回ろうとした男の前に、巨大な脚が壁のように入る。


 男が止まった。


 反対側から槍が伸びる。


 厚い鱗へ当たり、穂先が滑った。


 俺は反撃に前脚を振らない。


 人間相手にまともに当てれば、武器を落とさせるどころでは済まない。


 翼も広げない。


 近くには家がある。


 代わりに地面を強く踏んだ。


 土が跳ねる。


 足元を取られた二人が姿勢を崩した。


『退け。ここでお前たちを殺す必要はない』


「囲め!」


 指揮している男が叫ぶ。


 その声に合わせて、荷車のそばにいた兵が御者へ合図した。


 持っていく気だ。


 馬が動き出す。


 俺はその進路を見る。


 農家群から東へ出る道は一本。


 狭い。


 なら、荷車を壊す必要はなかった。


 俺は翼を広げる。


 すぐ飛び上がり、家々を大きく迂回して道の先へ降りた。


 地面が揺れる。


 馬が急に速度を落とした。


 御者が手綱を引く。


 道の正面には俺。


 横は畑。


 荷車二台が抜ける場所はない。


『馬と人間は東へ戻っていい。ただし、その荷は置いていけ』


「どけ!」


『住民の冬の食料だ』


 弓兵が一人、荷車の後ろから狙う。


 胸ではない。


 目。


 俺は顔を低くしない。


 射線へ風を入れる。


 矢が横へ流れ、道端の土へ刺さった。


『もう一度言う。荷を置いて東へ戻れ』


 後ろから農家の住民たちが出てきた。


 さっき倒れていた男は別の男に肩を借りている。


「その麦はうちのだ!」


「干し草も返せ!」


「樽はこっちの家から持っていった物だ!」


 兵たちが振り返る。


 俺だけが相手ではなくなった。


 それでも指揮役は剣を抜いた。


「黙らせろ!」


 その言葉で、兵の一人が住民側へ走った。


 剣を持っている。


 俺の中で迷いが消えた。


 翼を一度強く振る。


 狙うのは人ではなく、その前の地面。


 風と土埃が兵へぶつかった。


 男が腕で顔を庇い、足を止める。


『住民へ剣を向けるな』


 低く言う。


 喉の奥へ熱を集める。


 炎は吐かない。


 周囲には家も干し草もある。


 だが、赤い光が口の奥へ滲むだけで十分だった。


『次に住民へ武器を向けたら、今度は風だけでは止めない』


 兵たちの動きが止まった。


     ◇


 遠くから馬蹄が聞こえた。


 ガレスたちだ。


 ローデン側の兵。


 その横にはレオン。


 フェルゼン側の使者もいる。


 敵の指揮役が周囲を見る。


 竜。


 西から来る兵。


 抵抗する住民。


 荷車二台を守るために戦い続ける意味は、もう薄い。


「荷を下ろせ!」


 ようやく命令が変わった。


 兵たちが袋を地面へ置く。


 樽。


 干し草。


 保存肉。


 農具まで一つ混じっていた。


 それも戻される。


 荷車が空になる。


 俺は道を開けた。


『東へ戻るなら追わない』


 指揮役は俺を睨んだが、何も言わなかった。


 兵たちは空の荷車と一緒に東へ下がり始める。


「待て!」


 今度はレオンの声だった。


 敵兵が止まる。


 レオンが馬から降りる。


「ここはフェルゼン領だ。住民への暴行と物資の強制徴発について確認する。全員をそのまま帰すわけにはいかない」


 敵の指揮役が剣へ手を掛ける。


 ガレス側の兵も前へ出た。


 俺は道の横へ立ったまま動かない。


 短い沈黙。


 やがて敵の男が周囲を見た。


 勝てる状況ではないと判断したのだろう。


 剣から手を離した。


「武器を置け」


 今度は敵側から命令が飛ぶ。


 一人。


 また一人。


 槍と剣が土へ置かれた。


     ◇


 それからの処理は、俺が思っていたより早かった。


 レオンが住民のところへ行く。


「フェルゼン領から来ました。取られた物を、一家ずつ確認します」


 顔を殴られていた男が、腫れた頬へ手を当てながらレオンを見る。


「領主様のところから?」


「ええ。まず怪我を見せてください。そのあと荷を確認します」


 男の肩から少し力が抜けた。


 住民が荷の周りへ集まる。


「この麦袋はうちです」


「こっちの樽は隣の家」


「干し草は三束取られた」


 レオン側の者が書き留める。


 ガレスたちは、武器を置いたグランツ兵を一か所へ集めた。


「こいつらはどうする」


 ガレスがレオンへ聞く。


「フェルゼン側で引き取ります」


「護送できるか?」


「後続へ連絡します。それまで見張りを借りられると助かります」


「分かった」


 これだけだった。


 昨日までなら、捕らえた兵をセドルへ連れていくのか、それともここへ置くのかで一度揉めていたかもしれない。


 今はフェルゼン側の人間がいる。


 誰が引き取るかが最初から分かる。


(境目って、面倒なだけじゃないんだな)


 責任の範囲が分かれる。


 その代わり、その先を引き受ける人間もいる。


     ◇


 敵の荷物から、一枚の紙が見つかった。


 俺も横から読む。


 守護竜になった時に得た《文字理解》のおかげで、もう人間へ一字ずつ聞く必要はない。


『現地で食料と飼料を確保。運搬可能な物資は後方へ送る……』


 ガレスの表情が変わる。


「勝手に盗んで回ってるだけじゃないな」


『命令として出てる』


 レオンも紙を読む。


「他の集落でも同じことが起きます」


『補給地点を一つ潰したから、別のところで補おうとしてる可能性もあるな』


 俺がそう言うと、ガレスが頷いた。


「十分あり得る。大きな集積地へ置いておけばお前に狙われる。なら、小部隊へ分けて村や農家から集める」


 敵も変えてきた。


 一度こちらがうまくいったからといって、同じことがずっと通じるわけではない。


 レオンが地図を取り出す。


「フェルゼン側にも小さな農家群や集落が点在しています。こちらからも見張りを増やします」


『俺は空から荷車を探す。二十人くらいの部隊でも、荷車が何台もあれば上から見つけやすい』


「助かります」


 レオンはそこで少し間を置いた。


「ただ、その前に一つ確認しておきたいことがあります」


『俺がどこまで勝手に動いていいか、だろ』


「話が早いですね」


『さっき聞いたからな』


 俺は地図を見る。


『人が今にも殺されそうなら、俺は動く。敵兵が住民を襲ってても止める。そのあと、捕虜や土地や避難先まで一頭で決めない。フェルゼン側へ渡す。それなら問題は少ない』


 レオンが少し驚いた顔をした。


 俺は続ける。


『ローデン側でも同じだ。俺はガレスの部下じゃない。でも、勝手に兵を動かしたり、家を誰かに渡したりする権利まであるとは思ってない』


 ガレスが鼻で笑う。


「珍しく全部先に言ったな」


『俺だって少しは覚える』


「そこは認める」


 レオンも小さく笑った。


「では、その形でフェルゼン側へ伝えます。緊急時の救援は止めない。その後の継続的な判断は、こちらと連絡を取る」


『それならいい』


 難しい話になると思っていた。


 実際には、かなり単純だった。


 今死にそうな人間を助ける。


 来月どこに住むかまでは、俺が決めない。


 それだけだ。


     ◇


 日が傾き始める頃、俺は農家群の上へ上がった。


 下では、住民が戻ってきた袋を家ごとに分けている。


 捕らえたグランツ兵は、フェルゼン側の後続が来るまでガレスの兵が見張っている。


 東。


 フェルゼン領。


 さらにその向こう。


 グランツ王国との国境。


 西。


 ローデン領。


 セドル。


 さらにその先にルーエがある。


 空から見れば、どこも同じ地面だった。


 森が続く。


 畑が続く。


 一本の道が領地を跨いで伸びている。


 昨日までは、人間がそんなところへ線を引いて何になるのかと思っていた。


 今日、少しだけ意味が分かった。


 線の向こうだから助けない。


 そんな使い方をするなら、俺には必要ない。


 でも、その線の向こうには、そこで起きたことを引き受ける人間がいる。


 捕虜を預かる。


 奪われた物を返す。


 住民の話を聞く。


 次の見張りを出す。


 俺が一頭で全部やらなくていい。


 そう考えるなら、線があること自体は悪くない。


 翼を傾ける。


 西へ戻ろうとして、もう一度東を見る。


 敵軍はまだいる。


 大きな旗の周囲には、今までより整った部隊が集まっている。


 補給のやり方も変え始めた。


 こちらが学べば、向こうも学ぶ。


 だから、守る側も俺一頭だけでは足りない。


 ローデン。


 フェルゼン。


 地上で動く人間たち。


 そして空から見る俺。


 それぞれが繋がれば、今までより遠くまで守れる。


 人間が引いた線の意味を、初めて少しだけ便利だと思えた。



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