第74話 魔術師のいる戦場
夜明け前、最後まで集落に残っていた家族も西へ向かった。
家は残る。
畑も残る。
井戸も、家畜小屋も、昨日まで使っていた鍋もある。
それでも、人間だけがいなくなった。
俺は集落の外から、その光景を見ていた。
守護竜になった身体では、家と家の間に立つだけでも邪魔になる。
翼を畳んでも軒へ触れそうになるし、尾を少し動かせば柵を倒しかねない。
昨日、敵を追い出した場所なのに、俺が中へ入れば自分で壊す。
妙なものだ。
ガレスが西側から歩いてきた。
「これで、残っているのは見張りに協力する連中だけだ」
『家族は全員出したんだな』
「ああ。敵が近づけば、そいつらもすぐ下げる」
俺は東を見る。
朝靄の向こう。
まだ兵は見えない。
だが、昨日捕らえた指揮役が持っていた書類には、東側に複数の部隊が残っていることが書かれていた。
集落を取り戻したからといって、敵軍が諦めたわけではない。
『ここへ兵を常駐させるつもりはない。それでいい』
俺が言うと、ガレスが頷く。
「俺も同じ考えだ。見張る。敵が来れば知らせる。守れるなら守る。無理なら下がる」
集落そのものを新しい砦にはしない。
ここへ大勢の兵を置けば、その兵を食わせる物が必要になる。
交代も必要になる。
敵が補給線を伸ばして苦しくなったのを見たばかりなのに、同じことをこちらからやる理由はなかった。
俺たちが話しているところへ、東の見張りが駆けてきた。
「来ます!」
ガレスの顔つきが変わる。
「数は」
「四十前後。盾と槍、それに弓兵。騎馬も少し」
男は一度息を整えた。
「魔術師がいます」
俺は東へ視線を戻した。
昨日までとは、また違うものを持ってきたらしい。
◇
敵が見える前に、ガレスは配置を変えた。
西側から入る道へ盾兵。
その後ろへ槍。
弓兵は家々へ近づけず、集落の外側へ散らす。
そしてセドルから来ていた魔術師二人も、盾列の後ろへ入った。
俺は集落の東南側。
家から十分離れた場所に立つ。
今の俺なら、普通の矢や槍を胴へ受けたくらいで簡単に傷つくことはない。
問題は魔術だ。
炎なら熱。
風なら飛行姿勢。
石や土を飛ばす術なら、鱗で防げても衝撃までは消えない。
何より、翼膜や目を狙われれば話が変わる。
通常の武器と同じように考えるべき相手ではなかった。
東から兵の列が現れる。
先頭は盾。
その後ろへ槍。
さらに後ろに、杖を持った人間が四人いた。
昨日まで見た兵とは装備が違う。
長い外套。
杖の先に石のようなものが付いている。
『四人いる』
ガレスへ声を落とす。
「見えてる」
『俺が魔術師の位置を見る。地上は任せる』
「こっちも二人いる。お前一頭で全部受けるな」
『そのつもりだ』
敵の列が止まった。
こちらも動かない。
一瞬だけ、何も音がしなくなる。
次に聞こえたのは、呪文のような短い声だった。
敵の杖が上がる。
◇
火球が一つ、弧を描いて飛んできた。
狙いは俺ではない。
盾列の後ろ。
家の近くへ落とすつもりだ。
『右へ離れろ!』
兵が動く。
俺は翼を強く振った。
横から風をぶつける。
火球そのものを消すことはできない。
だが軌道がわずかにずれ、家ではなく空いた地面へ落ちた。
火花と土が飛ぶ。
乾いた草へ小さく火が移る。
「消せ!」
後ろにいた兵が水を持って走る。
その間に二発目が来た。
今度は俺だ。
赤い光が真っ直ぐ胸へ向かう。
普通の矢なら受けてもいい。
これは違う。
俺は身体を少し横へずらした。
火球が肩の外を抜ける。
熱だけが鱗の表面を撫でた。
続いて、下から風が突き上げる。
『っ……!』
翼の片側が持ち上げられた。
飛んではいない。
それでも巨大な翼が風を受け、身体が一歩ずれる。
敵は俺を焼くだけではなく、姿勢まで崩すつもりらしい。
その隙に弓兵が矢を上げる。
狙う先は翼。
分かりやすい。
俺は翼を畳んだ。
矢が背中と肩へ当たる。
何本かは鱗で弾かれ、地面へ落ちた。
翼膜へ刺さらなければ、この程度で止まる必要はない。
『普通の矢は俺に任せろ! 魔術師を見ろ!』
「了解!」
ガレスの声が返る。
こちらの弓兵が、敵の前列ではなく杖を持つ者の周囲へ矢を送り始めた。
当てるためだけではない。
魔術師が落ち着いて詠唱できなければ、それでいい。
◇
敵の盾兵が進み始めた。
その後ろから槍。
俺へ向ける兵もいる。
胸を狙う者は少ない。
目。
顎の下。
前脚の付け根。
昨日までの戦いで、どこなら鱗が薄いか考え始めている。
俺も同じだ。
敵が何を狙うか分かれば、全部の武器を怖がる必要はない。
一人の槍兵が走り込んできた。
穂先は顎下。
俺は頭を低くせず、一歩だけ前へ出る。
前脚が地面へ落ちる。
土が沈み、男の目の前に巨大な爪が並んだ。
槍兵の足が止まった。
俺は男へ前脚を振らない。
そのまま地面を強く踏む。
衝撃で土が跳ね、槍兵が顔を庇う。
横から来ていた盾兵も姿勢を崩した。
そこへ人間側の盾列が押し返す。
「前へ!」
ガレスの声。
俺が敵兵を直接潰す必要はない。
人間が戦える形を作ればいい。
その時、敵の魔術師二人が同時に杖を向けた。
一人は俺。
もう一人はガレスたち。
(同時か)
俺は味方側へ意識を向けた。
《竜護》。
薄い魔力を、前にいる盾兵たちへ重ねる。
直後、地面を這うような炎が走った。
盾兵の足元へ届く。
炎そのものは消えない。
だが、魔力の膜へ触れた瞬間、勢いが鈍った。
「熱っ!」
兵が下がる。
火傷した者はいる。
それでも、炎をまともに受けた時ほどではない。
『一度下がれ! 《竜護》は長く持たせない!』
「二歩下がれ!」
ガレスがすぐ指示を重ねる。
盾列が後退する。
俺も《竜護》を切った。
魔力が一気に減る感覚が止まる。
広い範囲を守り続けるには重い。
やはり、必要な瞬間だけ使う力だった。
◇
俺を狙った方の魔術師は、まだ術を完成させていなかった。
杖の先へ白い光が集まっている。
火ではない。
風とも違う。
嫌な感じがした。
俺は空へ上がる。
地上にいるより、周囲を巻き込みにくい。
魔術師が杖を追わせる。
俺が高度を取った瞬間、白い光が飛んだ。
石だった。
拳ほどではない。
人間の頭より大きい石の塊が、ものすごい速度で飛んでくる。
避けきれない。
肩へ当たった。
鈍い衝撃。
『ぐっ……!』
鱗は割れていない。
血も出ない。
でも身体そのものが横へ流れた。
普通の矢とは違う。
硬い鱗を貫けなくても、この重さと速度なら中へ響く。
(これが魔術か)
敵が歓声を上げる。
俺は翼を立て直す。
落ちてはいない。
次を撃たれる前に動く。
魔術師へ突っ込む必要はない。
頭上を大きく回り、翼を強く振った。
上から風が落ちる。
外套がめくれ、杖を構えていた二人がよろめいた。
詠唱が止まる。
俺は追撃しない。
そのまま距離を取る。
敵の魔術師は強い。
だからこそ、真正面で魔法の撃ち合いをする必要はなかった。
◇
地上では、こちら側の魔術師も動いていた。
一人が杖を前へ出す。
地面から土が盛り上がり、敵盾兵の足元に低い段差ができた。
大きな壁ではない。
足首ほど。
それでも、前へ進んでいた盾兵がつまずく。
列が乱れた。
もう一人がそこへ風を入れる。
盾が重なり、兵同士がぶつかった。
ガレスは逃さない。
「押せ! 深追いするな!」
槍兵が前へ出る。
敵の盾列を二歩、三歩と押し返す。
俺は空から魔術師を見る。
敵の四人のうち、一人が後ろへ下がっている。
肩へ矢を受けたらしい。
残り三人。
その一人が、味方の魔術師へ杖を向けた。
『左の魔術師、狙われてる!』
俺の声に、女がすぐ身体をずらした。
直後、火球がさっきまでいた場所へ落ちる。
「助かった!」
『次も見る!』
俺は高い場所に残った。
前脚も炎も使わない。
敵の術者。
弓。
左右へ回ろうとする兵。
その位置だけを伝える。
地上はガレスたちが動かす。
守護竜になって、俺が全部やる必要はさらに減った。
◇
敵が作戦を変えた。
正面から押すのをやめ、魔術師を少しずつ後ろへ下げる。
盾兵が壁になる。
その間に術者を守るつもりだ。
ガレスも察した。
「逃がすぞ! 追うな!」
味方兵が足を止める。
『魔術師も追わないのか』
「住民を逃がす時間は稼げた。ここで東へ追えば、今度は向こうの本隊へ近づく」
その通りだった。
俺は西を見る。
最後の住民たちが護衛と一緒に集落を離れている。
荷車には老人。
子供。
怪我人。
歩ける者は自分の足で進んでいる。
全員が出た。
『目的は達したな』
「ああ」
ガレスが剣を下げる。
「家を守る戦いじゃない。人を逃がす戦いだった」
俺も高度を下げる。
ただし、家の間には降りない。
集落の外。
建物から距離のある空き地へ着地する。
前脚が地面へ沈み、土が低く響いた。
味方の兵ですら、今の俺が降りる時には少し距離を取る。
それでいい。
慣れたからといって、安全になるわけではない。
◇
戦いが終わると、こちら側の魔術師たちが地面の痕跡を見て回った。
俺の肩へ飛んできた石。
焦げた草。
土を抉った跡。
魔法が当たった場所は、普通の武器とは明らかに違う。
俺も肩を見る。
鱗は無事。
その下が少し痛む。
女の魔術師が近くから見上げた。
「鱗は割れてませんね」
『でも、かなり響いた。普通の矢とは別物だ』
「石そのものより、加速させた力が大きいんでしょうね」
『守護竜になったからって、何でも受けていいわけじゃないな』
「そりゃそうですよ」
女は俺の翼へ視線を移す。
「特に翼は気をつけてください。胴へ石を受けるのと、広げた翼へ横風を当てられるのでは話が違います」
『飛べなくなる方がまずい。そこは避ける』
「普通の矢まで一々かわす必要はないでしょうけど、魔法は見てから判断した方がいいです」
『そうする』
ガレスが横から言った。
「相手も、矢が鱗に効かんと分かって魔術師を増やしてきた」
『次はもっと連れてくるかもしれない』
「ああ」
敵も変わる。
こっちも変わる。
毎日、同じ戦いにはならない。
◇
西へ向かう住民が完全に見えなくなってから、俺たちは集落を離れた。
見張りだけ残す。
常駐の大部隊は置かない。
家も畑も残した。
敵が戻れば、また知らせる。
無理に守り続けて人を死なせるつもりはない。
セドルへ戻る途中、ガレスが地図を広げた。
敵軍の本隊。
後方の集積地。
昨日から動き始めた荷。
魔術師。
全部が繋がる。
『正面へ魔術師を何人増やしても、食料も矢も後ろから来る』
「魔術師も飯は食う」
『杖や薬みたいな物も必要かもしれない』
「そうだろうな」
『それなら、次に見るべき場所は変わらない』
俺は地図の東側を見る。
兵を倒す。
魔術師を倒す。
それだけなら、相手は次を連れてくる。
前へ送る仕組みそのものを壊した方がいい。
ガレスも同じ場所を見ていた。
「大きい集積地だな」
『ああ』
「ただし、一頭で突っ込んで全部燃やす、はなしだぞ」
『まだ何も言ってない』
「顔が言ってる」
『最近そればっかり言われるな』
「そういう顔なんだろ」
エルマーが笑う。
俺も少し笑った。
◇
セドルへ戻る頃には、肩の痛みも少し引いていた。
普通の矢なら鱗で弾ける。
剣や槍も、厚い場所をまともに貫くのは難しい。
でも、それで戦場の全部が安全になったわけではない。
魔術。
縄。
弱点への集中攻撃。
巨大な身体だからこそ、避けにくい攻撃もある。
進化とは、何も怖くなくなることじゃないらしい。
怖がる必要のないものと、本当に警戒するべきものを分けられるようになる。
その方が近い。
東の空を見る。
今日の敵は引いた。
住民も全員、西へ出せた。
それでも、向こうにはもっと大きな軍がいる。
弓兵。
騎兵。
魔術師。
全部を正面から相手にすれば、こちらにも死者が増える。
なら、戦う前を壊す。
食料。
矢。
飼料。
道具。
それを前へ送る場所。
兵が集まって戦える状態そのものを崩す。
俺は翼をゆっくり畳んだ。
守護竜になって、前より大きな力を得た。
だからこそ、その力を真正面からぶつけることだけが答えではない。
次に狙う場所は、もう見えていた。




