第73話 占領された集落
セドルへ戻った俺は、見たものをガレスへそのまま伝えた。
家は十数軒。
敵兵は、外から確認できただけで二十人前後。
馬が数頭。
荷車が一台。
中央にある少し大きな家へ兵の出入りが集中し、その前には他の兵へ指示を出している男がいた。
そして何より、住民が残っている。
『敵は通過してるんじゃない。家を使って居座ってる。住民にも荷を運ばせていた』
ガレスの顔から表情が消えた。
「集落を前進拠点にしたか」
『その可能性が高い。西側の道を押さえて、東側にも見張りがいる。南には細い道が一本ある』
俺が地図の上へ爪先を置く。
文字も読める。
道の位置も、さっき空から見た景色と重ねられる。
『正面から兵を入れれば、住民まで戦いに巻き込む。俺も家の間には入れない』
今の身体では、集落の道そのものが狭い。
翼を畳んでも、家と家の間で身体の向きを変えるだけで壁や軒を壊しかねない。
尾を振れば、兵だけでなく住民まで巻き込む。
炎など論外だ。
ガレスもすぐ理解した。
「お前は外側を押さえろ。中へ入るのは人間だけにする」
『それがいい。東へ逃げる指揮役がいたら俺が止める』
「普通の兵は深追いするな。武器を捨てて逃げるなら通せ」
『指揮している人間だけは別にする』
「生きて押さえられるなら、その方がいい。ただし、味方を危険に晒してまで拘るな」
『分かってる』
ガレスは兵を呼んだ。
「南へ一組回す。目的は敵の背後を取ることじゃない。住民が逃げてきた時の道を空けることだ。家へ入る時は必ず声を掛けろ。敵がいるかもしれんからと、いきなり扉を蹴破るな」
「了解!」
「西側は盾を前へ。弓兵は家を背にした敵へ無理に撃つな。住民がどこにいるか分からん」
人間側の準備が始まる。
俺は翼を広げた。
今の俺が一番役に立てる場所は、家の中ではない。
その外だ。
◇
集落へ近づく前に高度を取った。
下ではガレスたちが西側から進む。
俺はさらに大きく回り、東側と南側を確認する。
敵はこちらの接近に気づいていた。
鐘に似た金属音が鳴る。
西側の道へ盾兵が集まり、その後ろに弓兵。
槍兵は家の壁際へ分かれた。
住民の姿が消える。
家へ戻されたらしい。
正面から兵だけを見るなら、それほど難しい相手には見えない。
だが、家一軒ごとに人がいる可能性がある。
俺は集落の外を旋回した。
西の入口で、ガレス側から声が飛ぶ。
「武器を置いて集落から出ろ! 住民を盾にするなら容赦しない!」
敵は答えなかった。
代わりに弓兵が矢を放つ。
何本かは盾へ。
一本が俺へ向かって高く上がった。
胸へ当たる。
乾いた音。
矢尻は鱗の表面を滑り、回転しながら落ちた。
今の俺なら、普通の矢一本を胴へ受けた程度で傷にはならない。
だから身体を捻って避ける必要もない。
ただし、次の射手は明らかに翼を狙っていた。
弓の角度が違う。
俺は翼膜を射線から外すように高度を上げた。
矢が翼端の下を抜ける。
もう一本。
今度は目の高さ。
首を少し引いて外す。
(やっぱり弱い場所は狙ってくる)
敵も学んでいる。
俺の鱗へ適当に矢を当てても意味がないと分かっている。
◇
西側では盾同士がぶつかった。
木が軋む。
槍先が盾の隙間から伸びる。
ガレスの兵は無理に前へ出ない。
道幅が狭いから、人数を押し込んでも邪魔になるだけだ。
「右の家から二人!」
声が上がる。
窓から敵兵が出ようとしている。
だが、その家にも住民がいるかもしれない。
弓兵は射たない。
代わりに盾兵が道を塞ぐ。
俺は上から全体を見る。
家の裏。
井戸の近く。
南へ抜ける細道。
そこへ、女が一人走り出した。
子供の手を引いている。
敵の兵が振り返った。
「戻れ!」
男が追おうとする。
『南へ行け!』
俺が上から叫ぶ。
女が顔を上げる。
迷ったのは一瞬だった。
そのまま走る。
敵兵も追う。
南側へ回していたこちらの兵が姿を見せた。
「こっちだ!」
女と子供を自分たちの後ろへ通す。
敵兵は止まらない。
槍を構える。
味方兵とぶつかる直前、俺は《竜護》を使った。
薄い魔力を、南側の兵二人へ重ねる。
敵の槍が盾へ当たる。
衝撃が鈍る。
兵が踏ん張った。
その間に女と子供が森側へ抜ける。
(長くは使わない)
《竜護》を切る。
身体の奥から流れ出る魔力も止まった。
何人も守り続ける力じゃない。
必要な瞬間だけでいい。
◇
住民が逃げ始めたことで、集落の中が揺れた。
別の家から老人が出る。
その後ろから男が二人。
敵兵が止めようとしたが、西側の戦いにも人を回さなければならない。
人数が足りない。
俺はそこへ降りなかった。
家の間へ巨体を入れれば、逃げようとしている住民の道まで塞ぐ。
代わりに集落の外側へ回り、東の出口を見た。
中央の大きな家。
さっきまで指示を出していた男がいる。
兵二人を従え、紙の束と革袋を持ち出していた。
すぐ馬へ向かう。
(逃げるな)
俺はさらに高度を取った。
まだ降りない。
指揮役が馬へ跨がる。
護衛二人も続く。
西側の戦線を一度振り返ったあと、三騎が東の道へ出た。
その瞬間、俺は動いた。
◇
三騎は集落から離れるほど速度を上げた。
俺は真上から追わない。
少し南へ回り、前へ出る。
馬は速い。
だが、空を飛ぶ俺よりは遅い。
護衛の一人が振り返り、こちらを見つけた。
「竜だ!」
弓を取る。
狙う先は胸じゃない。
右翼。
俺は射線を読んで身体を傾けた。
矢が翼膜の外を抜ける。
二本目をつがえる前に、俺はさらに前へ出た。
集落から十分離れた。
周囲に家はない。
住民もいない。
ここなら身体を使える。
三騎の前方へ大きく降りる。
前脚が地面へ触れた瞬間、土が沈んだ。
後脚を下ろす。
重量が地面を伝い、馬が一斉に首を上げる。
翼を完全には広げない。
それでも、道の大半を身体だけで塞げる。
馬上の三人が、俺の脚から胸、さらに頭まで見上げた。
『ここまでだ。武器を捨てろ』
護衛二人が左右へ分かれた。
指揮役だけが真っ直ぐ来る。
俺の横を抜けるつもりらしい。
一人の護衛が槍を構えた。
狙いは顎の下。
もう一人は翼の付け根へ馬を寄せる。
どちらも鱗の厚い胸を狙っていない。
俺は前脚を人間へ振らなかった。
今の身体でまともに当てれば、盾も鎧も関係なく潰す可能性がある。
代わりに地面を強く踏み込む。
土が跳ねる。
近づいていた馬が怯んだ。
槍の穂先が下がる。
そこへ翼を一度だけ振る。
まともに叩きつけるのではない。
横から強い風を通す。
馬の鬣が逆立ち、外套がはためく。
護衛の一人は姿勢を崩して鞍へしがみついた。
もう一人の馬は自分から道を外れる。
『護衛まで捕らえる必要はない。退くなら追わない』
片方が迷う。
指揮役が叫んだ。
「止めろ! 俺を通せ!」
護衛の顔が変わる。
その命令で、一人が再び槍を構えた。
もう一人は動かなかった。
差が出た。
俺は槍を持つ男へ顔を向ける。
『ここから先は、お前自身が選べ。まだ来るなら止める』
男は歯を食いしばった。
馬を進める。
なら仕方ない。
俺は男ではなく、その前の地面へ前脚を振り下ろした。
爪が土を抉る。
衝撃で馬が大きく横へ跳んだ。
騎手が鞍から落ちる。
転がったが立ち上がった。
槍も手放している。
俺はそれ以上追わない。
もう一人の護衛は、そこで馬首を返した。
東へ走る。
放っておく。
捕らえるべき相手は一人だ。
◇
指揮役は馬を強引に進ませようとした。
だが馬の方が俺へ近づきたがらない。
鼻を鳴らし、後ろへ下がる。
男は手綱を引き、腰の剣へ手を伸ばした。
『剣を抜いても、状況は変わらない』
「黙れ!」
剣が抜かれる。
男は馬から降りた。
俺の前脚一本より短い剣を両手で構える。
それでも、狙う場所を考えているのは分かった。
目。
口。
顎下。
近づければ傷を付けられる場所はある。
俺は頭を低くしなかった。
距離も詰めない。
『武器を置け。降伏するなら傷つけない』
「敵の言葉を信じると思うか!」
『信じなくていい。ただ、俺が本気で前脚を振ればどうなるかは、お前にも分かるだろ』
男の目が俺の爪へ落ちる。
俺は動かない。
脅すために爪を振る必要もない。
今の大きさなら、そこに立っているだけで十分だった。
「……殺さないのか」
『武器を置くならな』
「なぜだ」
『お前から聞きたいことがある。それに、降伏した人間を殺す理由もない』
男はしばらく俺を見た。
やがて剣先が下がる。
地面へ落とした。
『両手を見える場所へ』
男が従う。
俺はそこでようやく翼の力を抜いた。
少し前まで、人間一人を捕まえるために同じ高さで剣を避け、槍を捌いていた。
今は違う。
俺は守護竜だ。
人間よりはるかに大きい。
普通の武器を持った一人と、同じ距離で斬り合う必要そのものがなかった。
◇
集落へ戻った時には、戦いはほぼ終わっていた。
指揮役は俺の少し後ろを歩いている。
両手は空。
逃げようとすれば、すぐ分かる。
集落の東側で待っていた兵が受け取り、武器を外して縄を掛けた。
「殴るな」
ガレスが先に言う。
「歩けるなら歩かせろ。怪我をしているなら手当てする」
敵の指揮役が意外そうな顔をした。
ガレスは気にしない。
『こいつが中央の家の前で指示を出してた。逃げる時に紙も持ってた』
「紙は?」
『馬の鞍に残ってる』
兵が確認に行く。
ほどなく、革袋ごと持って戻ってきた。
俺も近くから中を見る。
文字が読める。
物資の記録。
兵の配置。
交代予定。
それから集落の住民から集めたらしい食料の量まで書かれている。
『やっぱり、ここを補給にも使ってた』
ガレスが紙を受け取る。
「住民から取った分も分かるか」
『記録が正しければな』
「なら後で照合する」
敵が勝手に持ち込んだ食料と、住民から集めた物。
混ぜてしまえば、誰の物か分からなくなる。
そこは人間側で確認していくことになった。
◇
家から住民が出てきた。
老人。
女。
子供。
若い男もいる。
全員が無事ではない。
殴られた跡のある男。
腕へ布を巻いた女。
それでも、死体は見つかっていなかった。
それだけは救いだった。
一人の年配の男がガレスへ聞いた。
「もう、ここへ戻ってこないんですか」
ガレスは軽い返事をしなかった。
「今日いた兵は退かせた。ただ、東にはまだ軍がいる」
男の表情が沈む。
「なら、また来るかもしれない」
「そうだ」
ガレスははっきり言った。
「ここへ兵を常駐させて守り続けることも、今は約束できない」
俺は周囲を見た。
家。
畑。
井戸。
柵。
ここで何年も暮らしてきた人間には、全部が生活そのものだ。
だからといって、今夜また軍が来るかもしれない場所へ、何も知らせず残すわけにもいかない。
『少なくとも、子供と老人は先に西へ移した方がいい。残る人間にも、すぐ逃げられる準備は必要だ』
年配の男が俺を見上げる。
「竜に家を捨てろと言われるとは思わなかったな」
『捨てろとは言ってない』
俺は集落全体を見る。
『家を守るために、住んでる人間が死んだら意味がない。戻れる状況になれば戻ればいい』
男は黙った。
しばらくして、ゆっくり頷いた。
◇
夕方までに、西へ移る人間が決まった。
子供。
老人。
怪我人。
希望した家族。
全員ではない。
畑や家畜を見たいと言って残る者もいる。
その判断まで俺たちが奪う必要はない。
ただし、東側へ見張りを置く。
敵が近づけばすぐ知らせる。
南への逃げ道も空けておく。
ガレスは集落そのものを新しい防衛拠点にはしなかった。
こちらの兵を大量に置けば、その食料と交代要員が必要になる。
守る線がさらに東へ伸びる。
敵がそうして補給線を延ばして苦しくなったのを、俺たちは見てきたばかりだ。
同じことをする必要はない。
◇
日が傾く。
西へ向かう人々の列ができた。
荷車には歩けない者を乗せる。
残る者は家の前に立ち、見送っている。
俺は集落の外へ移動した。
最後まで家の間へ身体を入れない。
今の俺が一歩踏み外せば、敵が壊さなかった家を自分で壊しかねない。
空へ上がる。
下から見れば、俺の影は家何軒分にも広がっているだろう。
戦場では頼もしい大きさだ。
人の暮らす場所では、扱いを間違えれば災害にもなる大きさだった。
俺は東を見る。
まだ敵軍はいる。
一つ集落を取り戻したから終わりではない。
ただ、今日は違うこともできた。
住民を巻き込まずに敵を追い出した。
逃げる指揮役を捕らえた。
補給の記録を取った。
そして、取り戻した場所へ旗を立てて「ここから俺たちの土地だ」とはしなかった。
ここはもともと、ここで暮らしてきた人間の場所だ。
俺たちは、それを返しただけだ。
西へ向かう列が動き始める。
その上をゆっくり飛ぶ。
守護竜になって身体は大きくなった。
力も増えた。
普通の兵が持つ剣や槍や矢に、以前ほど神経を使う必要もなくなった。
それでも、本当に難しいのは敵を倒すことではない。
この力をどこで使わずに済ませるか。
誰を巻き込まないようにするか。
勝ったあと、何を残すか。
そっちの方だった。
眼下では、避難する子供が一人、何度も自分の家を振り返っていた。
俺はその姿を見ながら西へ飛ぶ。
いつか、あの子が安心して同じ道を東へ戻れるようにする。
今日の勝ち方に意味があるとすれば、たぶんそのためだ。




