第72話 竜と指揮官
前進拠点を潰した翌朝、俺はセドルの東門の外にいた。
守護竜へ進化した身体では、以前のように人間たちと狭い部屋へ入って地図を囲むのが難しい。
だからガレスたちは、門脇の空き地へ大きな板を持ち出していた。
その上に地図を広げ、石を重しにしている。
夜のうちに整理された敵の記録も何枚か並んでいた。
昨日までなら、紙を拾っても誰かに読んでもらうしかなかった。
今は違う。
『乾燥食、矢束、飼料……この三つは同じ場所へ送ってるな』
地図の東側を見ながら、記録に書かれた行き先を追う。
ガレスが横から紙を確認した。
「昨日潰した拠点より、さらに東だ」
『大きい荷集積地の手前か』
「ああ。ただし、この記録が昨日まで有効だったとは限らん」
『敵も拠点を失った。予定を変える可能性は高いな』
紙に書いてあるから正しい。
そう考えるのは危ない。
それでも、何も知らないよりずっといい。
エルマーが別の紙を拾う。
「こっちは兵の交代予定だ。少なくとも、向こうは一か所へ全部集めてたわけじゃない」
『街道沿いに何か所か置いて、順番に人と荷を前へ出してたわけだな』
「だから一つ潰しただけで軍全体は止まらなかった」
ガレスが地図へ三つの石を置いた。
敵が使っていた地点。
大きな集積地。
さらに東から荷が入ってくる街道。
「俺たちは、ここから先を全部取る必要はない」
『敵が西へ動いた時に、早く気づければいい』
「そうだ」
ガレスが一つ目の石を外した。
「人を常駐させるのは二か所まで。それより東は斥候で見る」
『その外側は俺が飛ぶ。大きな部隊や荷車なら、人間の斥候より先に見つけられる』
「森の中まで見えるか?」
『密集してる場所は無理だ。木の下へ十人入られたら、上から人数までは分からない』
「なら森沿いは人を置く。丘と街道はお前に任せる」
話が早い。
俺が何を見られるのか。
何が見えないのか。
ガレスはそこを聞いて、人間側の配置を決める。
俺を巨大な戦力として数えているだけではなかった。
『ガレス。先に一つ決めておきたい』
「何だ」
『俺はローデン領の兵じゃない。お前の部下にもならない』
ガレスは表情を変えなかった。
『ただ、同じ敵を相手にしてる間、別々に勝手な動きをしたら危ない。俺が大きく動く時は知らせる。そっちの兵がどこへ出るのかも、分かる範囲で共有してほしい』
「そのつもりだ」
返事に迷いはなかった。
「俺にも、お前へ命令する権限はない。館から誰か来て『竜を飛ばせ』『敵陣を焼け』と言っても、それだけで動かすつもりはない」
『助かる』
「ただし、戦場にいる間は連携してもらう」
『そこは当然だ』
「俺の兵が敵陣へ入った直後に、お前が上から炎を吐いたら洒落にならんからな」
『そんな真似はしない』
「以前のお前なら、見つけた敵へ一頭で向かっていた」
『そこはもう反省してる』
「なら問題ない」
ガレスが地図へ視線を戻す。
「地上の兵は俺が動かす。お前は空から見て、自分で判断する。ただし、住民が危険に晒されているような緊急時を除いて、仕掛ける前にできるだけ一度知らせてくれ」
『それでいこう』
命令する側と、命令される側ではない。
同じ場所を守るために、役割を分ける。
その方が俺にも合っていた。
◇
配置を紙の上だけで決めるのはやめた。
俺は空へ上がり、ガレスたちは地上から東へ出る。
昨日潰した拠点まで進み、そこから実際にどこまで見えるのか確かめるためだ。
守護竜になってから、羽ばたき一つで上がれる高さが変わった。
高度を取っても、以前ほど翼が疲れない。
地面ではガレスたちが小さくなる。
俺は街道へ沿って東へ進んだ。
最初の見張り地点。
ここからなら街道はかなり先まで見える。
人間が常駐する必要はなさそうだ。
少し南へ回る。
低い丘の裏側が死角になる。
俺が上にいれば見える。
だが、飛んでいない時間は何も分からなくなる。
さらに東。
森が深くなる。
そこは駄目だった。
上から見えるのは木の上だけ。
街道から外れた人間が森へ入れば、すぐ姿が消える。
俺は地上へ降りず、ガレスのところへ戻った。
『森沿いは人を置いた方がいい。丘は俺が見れば足りる。ただ、俺がセドルへ戻ってる間の死角が一つある』
「どこだ」
地面へ降りる場所は、人間たちから十分離した。
今の身体で近くへ着地すれば、それだけで土と風を浴びせてしまう。
ガレスが地図を地面へ置く。
俺は爪先で丘の裏を示した。
『ここだ。東西からは見えにくい。北へ抜ける細い道もある』
「敵が少人数を動かすなら使えるな」
『荷車は通れないと思う。でも歩兵や騎馬なら行ける』
「一組置こう」
ガレスが即座に決める。
その横でエルマーが周囲を見る。
「ヴァルがいるから、人を減らせる場所と、逆に人を置かなきゃいけない場所がはっきりするな」
『空から全部見えるわけじゃないからな』
「そこを分かってるならいい」
『二人とも、俺を何だと思ってる』
「最近まで一頭で敵陣へ入ってた竜だ」
反論しづらい。
俺は東を見た。
強くなった。
飛べる範囲も広がった。
でも、俺一頭が三人に増えたわけではない。
北と南で同時に何か起きれば、どちらかしか選べない。
力が増えたからこそ、どこへ使うかの方が重要になる。
◇
昼前、東へ出していた斥候が戻ってきた。
馬の首筋が汗で濡れている。
「動きがあります」
ガレスがすぐ振り向く。
「規模は」
「兵が増えた様子はありません。ただ、東側で荷を動かしています。昨日より街道から外へ入る荷車が増えました」
『西へ出すためじゃなく、別の場所へ移してる?』
「そう見えました」
斥候が頷く。
「荷車が入っていく道は一つですが、戻ってくる車が少ない。奥で下ろしてると思います」
ガレスは地図へ指を置く。
東。
街道から少し外れた場所。
「新しい前進拠点かもしれん」
『それならすぐ潰す、とはまだ決めない方がいい』
ガレスが俺を見る。
『荷を集めてる理由が分からない。前へ出すためかもしれないし、逆に東へ退くために一度まとめてる可能性もある』
「そうだな」
ガレスは斥候へ言う。
「次の交代までは位置と台数だけ見ろ。中へ入るな。兵を捕まえようともしなくていい」
「了解」
『俺も上から見る。ただし、仕掛けず戻る』
「それでいい」
以前なら、敵が荷を集めていると聞いた時点で飛んでいたと思う。
今は、見つけることと攻撃することを分けて考えられる。
その方が、結果的に早いこともある。
◇
セドルへ戻る途中、エルマーが馬上から俺を見上げた。
「守護竜になって、やることが地味になったな」
『何十人も焼けば満足か』
「そういう意味じゃない」
『分かってる』
俺は速度を落とし、人間たちの歩みに合わせて低すぎない位置を飛ぶ。
『前は、強くなれば自分でできることが増えると思ってた』
「違ったか?」
『増えた。でも、自分でやらなくていいことも増えた』
地上を見る。
斥候。
伝令。
負傷者を運ぶ兵。
地図を読むガレス。
全部、俺にはできない仕事ではない。
でも、俺が全部やれば他の場所を見られなくなる。
『空を見るのは俺が一番向いてる。森の中は人間の方がいい。兵を何十人も動かすのはガレスの仕事だ。その方が早い』
「ようやく国を作る竜らしくなってきたじゃないか」
『戦場でまで国づくりの話にするな』
「似たようなもんだろ。全部自分でやろうとしないってところは」
少しだけ納得した。
◇
セドルへ戻ると、昨日持ち帰った敵の紙をもう一度確認した。
文字が読めるようになったばかりだから、まだ読むこと自体が面白い。
ただ、今日は昨日ほど浮かれなかった。
欲しいのは文字ではなく、中身だ。
物資の受け入れ。
部隊の交代。
東へ戻した負傷者。
馬の数。
何枚か見比べていく。
そこで、一つ気になるものを見つけた。
『ガレス。これ、同じ場所が何度か出てる』
「どれだ」
紙を地面へ置く。
俺の爪では小さい紙を押さえにくいので、石を端へ置いた。
ガレスが覗き込む。
『食料を送った先と、負傷兵を移した先が同じ方向だ。昨日の荷の移動先とも近い』
「後方の拠点か」
『たぶん。ただ、軍だけが使ってる場所かは分からない』
ガレスが地図と見比べる。
「この辺りには小さい集落がある」
その言葉で、少し嫌な予感がした。
『人が住んでる場所を使ってる可能性があるな』
「ああ」
「すぐ確認に出すか?」
エルマーが聞く。
ガレスは少し考えた。
「一組だけ。近づきすぎるな。人家があるか、兵が入っているか、それだけ見て戻れ」
『俺が上から先に見る』
「それならもっと早い。ただし、家がある場所へ低く入るなよ」
『分かってる。今の身体なら、近づくだけでも住民を驚かせる』
守護竜になった巨体は、戦場では力になる。
人の暮らす場所では、それ自体が危険にもなる。
忘れない方がいい。
◇
午後。
俺は東の空へ上がった。
敵の大きな集積地を遠くから確認し、その南側を回る。
紙に何度も出ていた方向。
上から道を追う。
街道から外れた細い道。
森の切れ目。
畑らしい四角い地面。
屋根。
家がある。
小さな集落だった。
俺は高度を下げなかった。
旋回しながら数える。
家は多くない。
十数軒。
その周りに、人がいる。
村人だけではない。
盾。
槍。
繋がれた馬。
家の前へ立つ兵。
中央付近の少し大きな建物には、何度も人が出入りしている。
荷車も一台。
東側の入口には見張り。
俺は胸の奥が冷えるのを感じた。
敵が新しい空き地へ拠点を作っているのではなかった。
すでに人の住んでいる場所へ入っていた。
低く降りれば、すぐ気づかれる。
今はそれでいい。
俺は家の配置。
兵の位置。
東西の道。
南へ抜ける細い道まで覚える。
それから、セドルへ向きを変えた。
見つけたからといって、一頭で飛び込まない。
もう決めたばかりだ。
地上を動かすのはガレス。
俺は、見えたものを全部持ち帰る。
ただし、一つだけは決まっている。
あそこには兵だけじゃない。
人が暮らしている。
なら、放ってはおけない。




