第66話 今度は、俺が狙われた
翌朝になっても、敵の騎馬は戻りきっていなかった。
東の丘の向こうに本隊がいる。
だが、その周辺から北と南へ、小さな騎馬の組が何度も出ていた。
二騎。
三騎。
多くても四騎。
俺は空から、その全部を一つずつ追いかけることはしなかった。
昨日までなら、見つけた敵をそのまま追ったかもしれない。
でも、それでは相手に飛ぶ方向を決められる。
俺が一組を追っている間に、別の騎馬が別の場所を見ることもできる。
だから今日は、高い位置から全体を見る。
北へ向かった一組は林沿いを走り、細い道へ入ってから引き返した。
南へ行った三騎は川の方角まで進み、何度も馬を止めて地面を見ている。
別の二騎は小高い場所へ上がり、西側を眺めていた。
やっぱり道を探している。
セドルの正面を抜けなくても西へ出られる場所。
荷車が通れる幅。
川を渡れる浅瀬。
兵を分けて通せる道。
敵も、同じ場所へ何度もぶつかるつもりはないらしい。
俺は一度セドルへ戻った。
◇
『北と南、両方に斥候が出てる』
守備隊長は地面に広げた粗い地図を見た。
「どこまで見た?」
『北は細い山道を確認して戻った。南はまだ奥へ行ってる。西側を見てた騎馬もいる』
「荷車まで通せそうな道は多くない」
近くにいた地元の男が、地図へ指を置いた。
「北の山道は人なら通れるが、荷車は無理だ。南なら昨日の古道以外にも一本ある。ただ、かなり遠回りになる」
『どこに出る?』
「川沿いを大きく回って、西の街道へ出る」
「そこを見に行ってる可能性はあるな」
守備隊長はすぐ人を呼んだ。
「北へ二人。南へ二人。見つけても戦うな。敵がどこを見て、どこから戻るかだけ確認しろ」
「はい」
『俺は南の遠い方を見る』
「頼む。ただし、怪しい場所へすぐ降りるなよ」
『分かってる』
答えながら、少しだけ引っかかった。
昨日までなら、そんな注意はされなかった。
俺が敵の作業隊を上から見つけ、そのまま降りる場面が増えていたからだろう。
敵がそれを見ていないとは限らない。
俺は翼を広げ、もう一度空へ出た。
◇
南へ向かった三騎は、まだ戻っていなかった。
距離を取って追う。
真上には行かない。
俺の影が地面へ落ちれば、追っていることが分かる。
三騎は何度か止まり、一人が馬から降りて土を見る。別の一人は木々の間へ入り、しばらくして戻った。
明らかに道を調べていた。
やがて林の奥へ続く細い筋へ入る。
上から見えにくくなった。
俺は林の真上を避け、横から大きく回る。
時々、木々の隙間に馬が見えた。
三騎が奥へ進む。
しばらくすると二騎だけが同じ道から戻った。
残りの一騎はさらに西へ向かう。
その先で、木が一本倒れた。
斧の音が続く。
人がいる。
俺はすぐには近づかなかった。
見えるのは五人ほど。
少なすぎる。
本気で荷車を通す道を作るなら、五人で木を切っているだけでは遅い。
護衛も見えない。
昨日、俺が作業を邪魔したことも敵は知っている。
それなのに、今日は丸腰に近い作業員だけが見える。
わざとらしかった。
俺は高度を上げた。
林を大きく回る。
木の葉に隠れて地面までは見えない。
ただ、作業している場所から少し離れた木陰に馬が何頭も見えた。
五人だけではない。
誰かがいる。
『……俺を待ってるのか』
思わず声が漏れた。
木を切って道を作っているのではない。
木を切る音を聞かせている。
俺に見つけさせるために。
そう思った直後、林の奥から短い金属音がした。
弓の弦を強く張ったような音。
これでほぼ決まりだった。
◇
そのまま帰ってもよかった。
罠だと分かった以上、付き合う理由はない。
ただ、何を用意しているのか分からないままにするのも嫌だった。
俺は林には入らず、木々から十分離れた開けた場所へ回った。
高度も落としすぎない。
斧を持った男の一人が俺を見上げる。
「来たぞ!」
作業が止まった。
やっぱり。
俺は翼を傾け、少しだけ林へ近づいた。
その瞬間。
矢が上がった。
一か所じゃない。
右。
左。
正面。
木々の間に隠れていた弓兵が、一斉にこちらへ射ている。
俺は強く羽ばたいた。
風を正面へ押し出す。
何本かが横へ流れ、残りが下を通る。
胸へ当たった一本は鱗に弾かれた。
だが、すべては防げない。
右の翼に鋭い痛みが走った。
『っ……!』
矢そのものは刺さらず抜けた。
翼膜の端が裂けている。
「当たった!」
「翼を狙え!」
下から声が上がった。
俺はすぐ高度を取る。
追加の矢が上がったが、そこまでは届かない。
右の翼を動かす。
痛い。
それでも飛べる。
偶然ではない。
敵は最初から俺を狙っていた。
しかも身体ではなく翼。
飛べなくするつもりだ。
斧を持っていた人間。
分かれて動いた騎馬。
わざと見える場所で切り倒した木。
全部が、俺をここへ呼ぶためだった可能性がある。
◇
俺は林の風上へ回った。
相手は、俺が矢を受けたあと地上へ降りてくると思っている。
実際、これまで何度かそうしてきた。
隠れている弓兵を一人ずつ追うつもりはない。
もっと簡単な方法がある。
林の横をなぞるように飛び、翼を強く打った。
枝が大きくしなる。
葉が舞う。
もう一度。
横風が木々の間へ入った。
「くそっ!」
木陰にいた兵が身体を伏せる。
何人かが隠れきれず、林の縁へ出た。
十人以上。
その奥にも人影がある。
全員が弓を持っていた。
俺を一か所へ誘い、低くなったところを集中して射るための部隊。
だったら、低くならなければいい。
火も使わない。
林全体を焼けば、どこまで広がるか分からない。
敵がいるからといって、森まで敵になるわけじゃない。
俺はもう一度、林へ横風を入れた。
射手が顔を上げられなくなる。
そこへ高い位置から声を落とす。
『そこにいれば、道は調べられないぞ』
返事は矢だった。
一本。
二本。
届かない。
俺はそのまま少し離れた。
相手がここに弓兵を十五人置いている間、その十五人は道を調べることも、セドル正面を押すこともできない。
罠だと分かったなら、無理に潰す必要もない。
◇
問題は、一騎だけだった。
林の反対側から馬が飛び出した。
東へ向かっている。
何度も後ろを振り返る。
この状況を本隊へ報告しに戻るつもりだろう。
俺は追った。
ただし、真後ろには付かない。
進路を見て先へ回る。
林を抜けた先は開けた草地だった。
そこで俺は地面へ降りた。
馬が俺を見て大きく首を振る。
騎手が手綱を引いた。
「止まれ!」
止まれと言われているのは馬なのか、俺なのか分からない。
俺は動かない。
『馬から降りろ』
男は降りなかった。
腰の剣へ手を掛ける。
『ここで戦う必要はない。降りて剣を置け』
「化け物の言うことを聞くと思うか!」
男が馬腹を蹴った。
馬自身は前へ出たがっていない。
それでも無理に走らされる。
俺は直接ぶつからず、進路の横から翼で風を当てた。
馬が驚いて身体を逸らす。
騎手の姿勢が崩れた。
鞍から落ちる。
地面を二度ほど転がったが、すぐ立ち上がった。
剣を抜く。
俺は距離を取ったまま言う。
『剣を捨てろ』
「黙れ!」
男が来る。
俺の前脚一本より短い刃だ。
まともに人間へ前脚を振れば、止めるどころか殺しかねない。
だから地面を強く踏んだ。
土が跳ねる。
男が反射的に顔を庇った。
その隙に、尾の先だけを足元へ滑らせる。
強く払わない。
足を引っかける程度。
男の身体が倒れた。
剣が離れる。
俺はその剣を前脚で押さえた。
『もうやめろ』
今度は、男も起き上がらなかった。
睨んではいる。
でも剣は俺の下だ。
逃げようにも、馬は少し離れたところで立ち尽くしている。
腰には小さな袋。
それから、革筒があった。
報告だけなら口でもできる。
わざわざ筒を持っているなら、中には別の命令が入っているかもしれない。
俺は触らない。
文字を読めても、敵の書類をその場で広げるよりセドルへ持ち帰った方がいい。
上空へ戻り、近くを探した。
こちら側の斥候が一組、遠くに見える。
声を掛ける。
『こっちだ! 一人捕らえた!』
ほどなく二人が駆けてきた。
男から武器を離し、両手を縛る。
革筒も回収した。
一人が俺の右翼を見た。
「矢を受けたのか?」
『少し裂けただけだ。飛べる』
「少しでも翼だろ。無理するな」
『帰るくらいなら問題ない』
そう答えたものの、右の翼を大きく開くと痛みが走った。
敵が狙った意味はよく分かる。
胴の鱗を狙うより、翼の方が効く。
◇
セドルへ戻ると、守備隊長がすぐ革筒を開いた。
捕らえた男は別の場所へ移されている。
今回は一人だけだ。
見張りも食料も大きな負担にはならない。
守備隊長は紙を読み、途中で眉を寄せた。
「やっぱりそうか」
『何が書いてある?』
「北と南の道を調べ続けろ。それと――」
指が一行で止まった。
「道を確保する前に、竜の行動を制限する」
俺は黙って続きを待った。
「低い位置へ誘え。弓を一か所に集めず、複数方向から射ろ。狙うのは胴じゃない」
守備隊長が俺の右翼を見る。
「翼だ」
そこまで書いてあるらしい。
敵はただ矢を増やしたわけじゃない。
俺が空から斥候を見つける。
作業隊を邪魔する。
荷駄へ回る。
射手台を壊す。
その全部を見た上で、一つの答えを出した。
道を探しても、俺が先に見つければ止められる。
だったら、先に俺を飛べなくする。
それから道を作る。
『敵も順番を変えたんだな』
「ああ」
守備隊長は紙を畳んだ。
「昨日までは道をどう通るか考えていた。今は、その前にお前をどう落とすか考えてる」
『落とせば通れると思ってる』
「少なくとも、空から全部見られるよりは楽だろうな」
俺は右の翼をゆっくり畳む。
傷は浅い。
今日はまだ飛べる。
でも、同じ場所へ何本も当たれば話は違う。
「今日はもう飛ぶな」
『まだ夕方まで時間がある』
「だから何だ」
『斥候がまだ――』
「人間にやらせる」
守備隊長の声は強かった。
「お前を休ませるために、こっちが何もしないわけじゃない。北も南も人を出してる」
言われて黙った。
確かにそうだ。
俺が全部見る必要はない。
空から見えるからといって、毎回俺だけが飛び回れば、敵はそこを狙う。
『分かった。今日は飛ばない』
「最初からそう言え」
『傷は本当に浅い』
「それを決めるのは、せめて傷を見てからにしろ」
近くにいた兵が笑った。
少しだけ空気が緩んだ。
◇
その日のうちに、北と南へ出ていた斥候が戻ってきた。
大きな迂回路はまだ見つかっていない。
敵も道を探している途中らしい。
ただ、別の報告があった。
「林の近くで、太い縄を運んでる奴らを見た」
斥候の一人が言った。
守備隊長の表情が変わる。
「縄?」
「荷を縛るやつより太い。何本もあった。杭も運んでた」
俺も顔を上げた。
『道を作るためじゃないのか?』
「杭なら使うかもしれない。でも、あんな太い縄を何本も何に使う」
守備隊長はすぐには答えなかった。
俺の右翼を見る。
それから、革筒の命令書を見る。
「空から落とすだけじゃ足りないと思ってるのかもしれんな」
『落とした後も押さえる?』
「可能性はある」
弓で翼を狙う。
低い位置へ誘う。
その先に、縄と杭。
偶然だと思わない方がいい。
「明日から、地面も見ろ」
守備隊長が言った。
『分かってる』
「見えてる罠だけが全部だと思うなよ」
俺は返事をせず、右の翼を畳んだ。
敵は昨日までの敵と同じじゃない。
俺がやったことを見ている。
失敗した方法を捨てている。
次の方法を考えている。
なら、こっちも同じだ。
空を飛べるから安全だと思わない。
大きくて強いから、人間の攻撃は効かないとも思わない。
翼を狙えば飛べなくなる。
縄を使えば、大きな身体だからこそ引っかかる場所も増える。
人間は俺より小さい。
でも、小さいから弱いとは限らない。
道具を作る。
人数を集める。
こちらの癖を見る。
そして、倒せる形を考える。
東の丘の向こうでは、まだ敵の煙が上がっていた。
あいつらの目的は変わっていない。
西へ進むこと。
変わったのは、その前にやることだ。
まず俺を空から落とす。
敵は、そう決めたらしい。
だったら次は、俺も地面まで見て飛ぶ。




