第53話 八人を受け入れる前に
ラグ村から届いた話を聞いた時、最初に考えたのは家の数でも畑の広さでもなかった。
八人。
少し前までなら、その人数が一度に増えると聞いただけで、村中がひっくり返っていたと思う。
食べ物は足りるのか。寝る場所はどうする。畑を増やすなら、どこまで森を切り開く。冬までに屋根を掛けられるのか。
今のルーエには、以前より余裕がある。
街道沿いで炭や薬草を売り、代わりに穀物や布、針といった村では作りにくい物を買えるようになった。荷車が来る回数も増えたし、村の外から移ってきた人間も、すでに畑や木工仕事に加わっている。
だからといって、八人増えても平気だと即答するのは違う。
「八人の内訳は分かってるのか?」
俺が尋ねると、村長は広げていた板から顔を上げた。
板には、これまで受け入れた者の人数と、割り当てた仕事が炭で書かれている。以前なら村長の頭の中だけで済んでいたものだが、人が増えればそうはいかない。
「まだ詳しくはな。ラグ村から来た話では、八人とも働ける者らしい。ただ、全員が畑仕事をできるとは限らん」
「家族なのか、それとも別々なのかも分からない?」
「ああ。そこまで聞かずに返事をするのはまずいと思って、いったん待ってもらった」
「それでいい」
俺が答えると、隣にいたダリオが腕を組んだ。
「食わせるだけなら、すぐ困ることはないだろうな」
「俺もそう思う。ただ、それを基準にすると後で困る」
村の端では、槌を打つ乾いた音が続いていた。
新しく建てている家だ。
少し離れた畑では、移ってきた者たちも村人に混じって土を起こしている。畑仕事に慣れている者はすぐ戦力になるが、全員がそうとは限らない。
それでも腹は減るし、住む場所も必要になる。
「食料があるから入れる、じゃ駄目か」
ダリオの言葉に、俺は頷いた。
「八人が十六人になって、その次に三十人になっても同じやり方を続けることになる。人を増やすなら、その人たちが何をして暮らすのかまで考えたい」
前世なら、ごく当たり前の話だった。
人口だけ増えても、仕事がなければ生活は成り立たない。
ただし、ここで必要なのは会社や給料の話じゃない。畑を耕す者、家を建てる者、炭を焼く者、荷を運ぶ者、家畜を見る者。村の中で必要とされる仕事が増え、それぞれが食べていけるようになればいい。
村長が板の端を指で叩いた。
「今、一番手が足りんのは何だと思う?」
「それを俺が決めるより、実際に働いてる人に聞いた方が早い」
俺たちは広場を出た。
最初に向かったのは畑だった。
秋へ向かう日差しはまだ強く、土の匂いに刈った草の青臭さが混じっている。何人かが畑の端で鍬を休め、水を飲んでいた。
村長が声を掛けると、畑を見ていた男がすぐに答えた。
「人手が増えるなら助かります。ただ、畑ばかり増やしても、水を引けません」
俺は畑の向こうへ目を向けた。
今ある水路は、村の近くを流れる小川から引いている。畑が小さかった頃には十分だったが、開墾が進むにつれて水を回す距離も伸びている。
「水路を掘る人が足りない?」
「それもありますが、どこへ通せばいいか分かる者が欲しいです。低い方へ流せばいいと言っても、途中で畑が水浸しになったら困りますから」
なるほど。
単純に腕力のある人間を増やせば済む段階から、一歩先へ進み始めている。
次に木工仕事をしているオットーのところへ向かった。
家の骨組みになる材木が地面へ並べられ、その横ではリクスが切り出した木の皮を剥いでいる。
「八人?」
オットーは手を止め、少し考えた。
「木を扱える者が一人でもいるなら、俺は欲しいな」
「家を建てるためか?」
「それもある。だが、今は荷車の修理も増えてる」
そう言って、建物の陰を指した。
そこには車輪を外された荷車が一台置かれていた。
「街道から来た商人のか?」
「昨日、車輪の縁が割れたらしい。村で直せないかって持ち込まれた。簡単な修理なら俺でもできるが、家を建てながら毎回やるのは無理だ」
俺は荷車を見る。
商人が増えれば、物が売れる。
物が売れれば村が豊かになる。
そこで終わりだと思っていたが、商人が来ることで新しい仕事まで生まれていた。
「荷車を直せる人間がいれば、それ自体が仕事になるな」
「そういうことだ」
オットーが笑った。
「俺がここへ来た時より、仕事の方が増えるのが早い」
「それは喜んでいいのか?」
「食う仕事がないより、よほどいいさ」
確かにそうだ。
広場へ戻る途中、今度は倉庫へ寄った。
こちらも状況は似ていた。
穀物、布、油、炭、乾燥させた薬草。
村の中だけで物が回っていた頃とは違い、外へ売る物と外から買った物が同じ倉庫へ入るようになったせいで、置き場所が足りなくなり始めている。
荷物を運んでいた男が、積み上げた袋を見ながら言った。
「このまま商人が増えるなら、もう一棟欲しいですね」
「倉庫を?」
「ええ。それと、荷を見てる人間も。誰が何を持ち込んで、何を持っていったのか分からなくなる前に」
以前、商人が増えた時に帳面が必要になった。
今度は、その帳面を付けるだけでは追いつかなくなり始めている。
人が増えたから仕事を作るんじゃない。
村が大きくなった結果、仕事の方が先に増えている。
俺は村長と顔を見合わせた。
「八人、入れられそうだな」
「さっきまで慎重だった奴の言葉とは思えんな」
「全員入れるとは言ってない」
村長が笑った。
「そう来ると思った」
俺たちは広場へ戻り、もう一度板を広げた。
必要なのは、人数だけを聞いて返事をすることじゃない。
どんな人間なのかを知ることだ。
「ラグ村に聞いてもらいたいことがある」
「言ってみろ」
「八人それぞれの年齢と家族関係。それまで何をして暮らしていたか。畑仕事、木工、荷車の修理、家畜の世話、狩り、何でもいい。できることを全部聞いてほしい」
村長が炭を持ち、板へ書き始める。
「他には?」
「持病や怪我があるなら、それも。働けないから駄目って意味じゃない。来てから必要なものが分かってない方が困る」
「住む場所については?」
「家族ならできるだけ一緒に住めるようにしたい。一人なら、今ある家に間借りできるかも確認する。最初から八人分の家を全部新しく建てる必要はない」
ダリオが横から板を覗き込んだ。
「随分増えたな」
「これでも最低限だよ」
「最初にお前が村へ来た頃は、こんな話をするとは思わなかったがな」
俺もだ。
あの頃の俺は、人間の言葉を聞くことはできても、まともに返すことすらできなかった。
村の中へ入るだけで警戒され、リナからもらった黒パン半分をどう返そうかと考えていた。
それが今では、よその村から人を受け入れる相談をしている。
変わったのは俺だけじゃない。
ルーエそのものが変わったのだ。
昼を過ぎた頃、ラグ村へ戻る男に確認事項を書いた板を託した。
返事が来るまで数日はかかる。
それで話は終わるはずだった。
ところが夕方、村の入口で見張りをしていた若者が、広場へ走ってきた。
「村長! 街道の方から荷車が来てます!」
村長は顔を上げた。
「商人じゃないのか?」
「それが……荷を積んでません。人が乗ってます」
俺も立ち上がった。
村の入口へ向かうと、山道の先から一台の荷車がゆっくり近づいてくるのが見えた。
馬は汗で濡れ、御者台の男も疲れ切っている。
荷台には商品ではなく、人がいた。
女が二人。
子供が三人。
年老いた男が一人。
そして荷車の後ろを、二人の男が歩いている。
数えるまでもない。
八人だった。
「……ラグ村からの返事にしては早すぎるな」
ダリオが低く呟いた。
「ああ」
俺は荷車を見たまま答えた。
話を聞いてから決めるつもりだった。
だが、向こうは俺たちの返事を待てなかったらしい。
荷車が村の入口で止まり、御者台の男が降りた。
そして俺の姿を見つけると、緊張した顔のまま深く頭を下げる。
「守護竜様。どうか、話だけでも聞いてください」
その後ろで、八人は誰一人として荷車から降りようとしなかった。
着替えを入れたらしい小さな袋と、毛布。
持っている荷物は、それだけだった。
移住しに来た人間の荷物としては、あまりにも少ない。
俺は村長を見る。
村長も同じことに気づいたらしく、さっきまでの表情が消えていた。
「まず中へ。馬にも水をやってくれ」
俺が言うと、御者の男はもう一度頭を下げた。
「ありがとうございます」
八人を受け入れられるかどうか。
少し前まで、それを考えていた。
だが、どうやら先に確かめなければならないことがある。
この人たちは、なぜこれほど急いでラグ村を出なければならなかったのか。




