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『ドラゴンに転生したので、人間の国を育てることにした ~黒パン半分の恩返しから始まる竜王建国記~』  作者: あちゅ和尚


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第19話 鎧熊を村へ近づけるな

 翌朝、山から岩猿の声は聞こえなかった。


 だからといって、山腹の作業を再開する者はいない。


 水路も、起こしかけた畑も、置き去りにした鍬一本もそのままだ。


 昨日、俺が見た黒褐色の魔物。


 ダリオの話では《鎧熊》と呼ばれる魔物に似ているらしいが、本当にそうなのかはまだ分からない。


 分かっていることは少ない。


 岩猿を一撃で殺せる。


 俺より大きい。


 巨体のわりに速い。


 肩から背中にかけて硬い。


 そして、空を飛ぶ俺にも届きかけるほど前脚を伸ばせる。


 短く吐いた炎では、鼻先の毛を焦がして足を止める程度だった。


 それだけ分かれば、人間を近づけない理由としては十分だった。


「山側へは行くな。薪も採るな」


 朝から村長が念を押している。


「見張りも柵から離れすぎるな。何か見つけても確かめに行くな」


 昨日より範囲が狭くなった。


 俺も村から遠く離れるつもりはない。


 上空から山を見ることはできるが、あの魔物を探すために森の奥まで飛ぶ気はなかった。


 探して見つけたところで、倒す必要があるとは限らない。


 山の奥にいるだけなら放っておけばいい。


 問題は、こっちへ来るかどうかだ。


 俺は柵の外で翼を広げた。


 朝のうちに一度だけ、村の周囲を見る。


 高く上がりすぎず、戻るための魔力を残す。


 南。


 異常なし。


 東。


 森の縁に動くものはない。


 西。


 家畜を出している場所にも変化はない。


 最後に北側の山を見る。


 木々が続いている。


 昨日、鎧熊らしき魔物を見たのはもっと奥だ。


 ここからでは姿は見えない。


 俺は一度大きく回り、そのまま村へ戻ろうとした。


 そこで気づいた。


 鳥が飛んだ。


 一羽ではない。


 山側の森から、小さな鳥が何羽も一斉に上がる。


 その少し後ろでも、別の群れが飛び立った。


 何かいる。


 俺は村へ戻る方向を変え、森へ近づきすぎない位置から旋回した。


 木の上からでは見えない。


 だが、鳥が飛び立った場所が少しずつこちらへ動いている。


 嫌な感じがした。


 俺は村へ戻った。


 着地すると、ダリオがすぐ寄ってくる。


「何かいたか」


 俺は山を示した。


 次に前脚で地面を歩く仕草をする。


「昨日のやつか?」


 そこまでは分からない。


 首を傾ける。


「何かがこっちへ動いてる?」


 頷いた。


 村長も来た。


「どのくらい近い」


 説明が難しい。


 俺は村から山腹までの方向を示し、その途中へ爪で線を引いた。


 昨日の鎧熊を見た場所よりは、明らかに近い。


 ダリオが顔を上げた。


「村へ向かってるのか?」


 俺は首を横へ振った。


 分からない。


 鳥の動きだけでは進路までは読めない。


「なら、決めつけるな」


 村長が言った。


「ただし山側へ出る者はなしだ。家畜も今日は近くへ寄せる」


 すぐに人が動いた。


 畑仕事をしていた者まで呼び戻すわけではない。


 山と反対側の畑なら、村の柵からも近い。


 ただ、家畜はいつもより内側へ寄せる。


 薪を取りに出る予定だった者は別の仕事へ回された。


 俺はもう一度飛ぼうとした。


「待て」


 ダリオに止められた。


「今すぐ行く必要あるか?」


 俺は翼を半分広げたまま止まる。


 確かにない。


 何かが森を動いている。


 それだけだ。


 俺が今から確かめに行けば、昨日と同じことになるかもしれない。


 相手が村へ来るかどうかも分からないうちに、わざわざ自分から近づく必要はない。


 翼を畳んだ。


「珍しく素直だな」


 余計な一言がついた。


 俺が鼻を鳴らすと、ダリオは笑った。


 だが、昼前になって状況が変わった。


 最初に気づいたのは家畜だった。


 柵の中へ寄せていた山羊が騒ぎ始める。


 一頭だけではない。


 山側から離れようとして、囲いの反対側へ固まった。


「何だ?」


 餌を運んでいた男が振り返る。


 俺も顔を上げた。


 まだ姿は見えない。


 だが、しばらくすると俺にも聞こえた。


 枝が折れる。


 遠い。


 それでも、昨日聞いた音と似ている。


 村長が家から出てきた。


「中へ入れろ」


 判断は早かった。


「子どもは家へ。山側の柵には近づくな」


 村人たちが動き始める。


 リナも水桶を置き、近くにいた小さな子の手を取った。


「ヴァル」


 呼ばれて振り向く。


「無理しないでね」


 俺は頷いた。


 まだ戦うと決めたわけではない。


 俺は地面を蹴った。


 翼へ魔力を流す。


 村の屋根より高く上がり、山側を見る。


 すぐに分かった。


 木が揺れている。


 昨日よりずっと近い。


 村から山腹へ向かう途中、普段なら薪を集める森の向こう側だ。


 黒褐色の背中が見えた。


 鎧熊らしき魔物。


 同じ個体かどうかは分からない。


 だが、見た目は昨日のものとよく似ている。


 魔物は走っていなかった。


 鼻を地面へ近づけ、ゆっくり歩いている。


 岩猿の姿もない。


 何かを追っている様子ではなかった。


 俺は高度を保ったまま様子を見る。


 黒褐色の巨体が木の間を抜ける。


 その先には、昨日まで村人が薪を取っていた場所がある。


 さらに進めば、村だ。


 まだ村そのものを目指しているとは限らない。


 ただ、このまま進ませる理由もない。


 どうする。


 昨日は岩猿と村の間へ入った。


 あのときは岩猿を逃がす必要があったから、低く飛ぶしかなかった。


 今日は違う。


 俺がわざわざ前脚の届く高さまで下りる必要はない。


 上から進路を変えればいい。


 俺は鎧熊の真上には行かなかった。


 少し村側。


 十分な高さを保つ。


 そこで息を吸った。


 胸の奥へ熱が集まる。


 狙うのは魔物ではない。


 魔物と村の間にある、土が露出した場所だ。


 炎を吐く。


 短く。


 地面の枯れ葉と草へ火が走った。


 すぐに消える程度の小さな炎だ。


 森を焼くつもりはない。


 黒褐色の魔物が顔を上げた。


「ヴォォ……」


 低い声。


 昨日と同じだ。


 俺を見つけた。


 だが、俺は下りない。


 魔物が一歩進む。


 俺はまた少し先へ炎を吐いた。


 今度も地面。


 鼻先ではない。


 魔物と村の間を塞ぐように、焦げた臭いだけを残す。


 鎧熊が止まった。


 鼻を動かす。


 火を嫌うなら、これで向きを変えるかもしれない。


 そう思った。


 だが、魔物は再び歩き出した。


 焦げた地面を避けるように横へずれる。


 村側へ。


 まずい。


 俺は旋回した。


 もう一度、進路の先へ回る。


 炎を吐く。


 鎧熊が止まる。


 今度は俺を見上げた。


「ヴォオオッ!」


 吠えた。


 前脚で地面を掻く。


 俺が邪魔をしていることは分かっているらしい。


 そのまま走り出した。


 俺へ向かって。


 昨日なら、ここで距離を取るだけだった。


 だが今日は、俺が十分高い。


 前脚は届かない。


 鎧熊が真下まで来る。


 立ち上がる。


 大きな前脚が空を掻いた。


 届かない。


 俺はさらに村とは反対側へ飛ぶ。


 鎧熊が追った。


 十歩。


 二十歩。


 まだ来る。


 俺は高度を変えず、少しずつ山側へ進む。


 魔物もついてくる。


 昨日、俺が村へ戻ればこいつまで引っ張るかもしれないと思った。


 なら逆にすればいい。


 村から離れる方向へ俺が飛べば、追ってくる可能性がある。


 ただし、どこまでもやるつもりはない。


 俺の飛行には限界がある。


 帰れなくなれば意味がない。


 鎧熊が速度を上げた。


 俺も少し速く飛ぶ。


 森へ入る手前で、俺は横へ曲がった。


 鎧熊も曲がる。


 やはり俺を追っている。


 これならいける。


 山腹の平場へは行かない。


 村人が使おうとしていた場所へ誘導したら、あとで余計に使いにくくなる。


 もっと横へ。


 普段、人が入らない斜面へ向かう。


 木が少なく、岩の多い場所がある。


 俺はそこを目指した。


 途中で一度、後ろを見る。


 鎧熊はまだいる。


 昨日見た速さなら、俺が低く飛べば追いつかれる。


 だから高度は下げない。


 挑発するために近づく必要もない。


 俺を見失わせない距離だけ保つ。


 やがて岩の多い斜面へ出た。


 村からはかなり離れた。


 ここまででいい。


 俺は大きく旋回する。


 鎧熊も止まり、こちらを見上げた。


 このまま俺を追わせ続ければ、さらに遠くへ連れていけるかもしれない。


 だが、帰りの魔力を削ってまでやることではない。


 俺は高度を上げた。


 鎧熊がまた走る。


 真下まで来る。


 それでも届かない。


 俺は山の斜面を横切るように飛び、少しずつ距離を開けた。


 鎧熊はしばらく追ってきた。


 やがて止まる。


 低く唸った。


 俺はそのまま村へ戻らない。


 大きく迂回する。


 鎧熊から見て、俺が村の方角へ戻るところを見せたくなかった。


 森の上を横へ飛び、十分に離れてから南へ向きを変える。


 胸の奥が重くなってきた。


 翼も疲れている。


 まだ飛べる。


 だが、余裕があるうちに帰る。


 村が見えた。


 柵の近くに人が集まっている。


 俺は広い場所を選び、高度を落とした。


 着地する。


 足が地面についた瞬間、思ったより身体が重かった。


 数歩走って勢いを殺す。


「ヴァル!」


 ダリオが来た。


「追われてないか?」


 俺は首を横へ振った。


「どこへ行った?」


 説明する。


 山を示し、村とは反対側へ前脚を動かす。


「向こうへ行かせた?」


 頷く。


 次に自分を指し、鎧熊が追うような仕草をする。


 ダリオの顔が変わった。


「お前を追わせたのか」


 頷く。


「危ないことを……」


 そこでダリオは言葉を止めた。


 俺が飛べることを思い出したらしい。


「いや、昨日みたいに低く飛ばなかったんだな?」


 頷く。


「届かない高さから誘った?」


 もう一度。


 ダリオが息を吐いた。


「それなら、昨日よりはましか」


 村長も来た。


「どこまで離した」


 俺は地面へ爪で簡単な線を引いた。


 村。


 山腹。


 さらに横。


 岩の多い斜面。


 そこを指す。


「岩場の方か」


 村長は場所を知っていた。


「人はほとんど行かん」


 ダリオも頷く。


「薪場とも違う。山腹の平場からも外れてる」


 それなら狙い通りだ。


「戻ってくると思うか?」


 分からない。


 俺は首を傾けた。


「そうだな」


 村長はすぐに理解した。


「一度離れたから終わりとは考えん」


 それでいい。


 俺もそう思っている。


 今日、鎧熊を村から離すことはできた。


 だが、あいつがなぜ山を下りてきたのかは分からない。


 俺を追うのをやめたあと、どこへ行ったのかも見ていない。


「午後は?」


 ダリオが聞く。


「山側はそのまま止める」


 村長が答えた。


「ヴァルも今日はもう飛ばすな」


 俺は顔を上げた。


「疲れてるだろ」


 見抜かれている。


 翼は動く。


 だが、胸の奥に溜まった重さは消えていない。


 俺は仕方なく頷いた。


「明日の朝、遠くから見るだけでいい」


 村長はそう言ってから、少し考えた。


「それと、今後また来たときのために決めておこう」


 ダリオが村長を見る。


「何を?」


「ヴァルが飛んでいるからといって、皆で見に出るな。今日みたいに家畜を寄せて、子どもを家へ入れる。山側には近づかない」


「ああ」


「ヴァルが追い払えなかったら?」


「柵で戦うのは無理だろうな」


 ダリオは即答した。


 俺も同意だ。


 あの前脚を木の柵で止められるとは思えない。


 村長は少し黙った。


「なら、逃げる場所も決める」


 その一言で、周囲の村人が静かになった。


「村を捨てるってことか?」


「違う」


 村長は首を振る。


「危ないときに、どこへ逃げるかを決めるだけだ。家ごと持って逃げるわけじゃない」


 村の中を見回す。


「南側だ。山から来るなら、反対へ抜ける。子どもと歩けない者を先に出す。荷物を取りに家へ戻るな」


 ダリオが考える。


「家畜は?」


「人が先だ」


「分かった」


 俺はその話を聞きながら、村の南を見る。


 今まで、盗賊が来たときは柵の内側で守った。


 岩猿なら、近づけない方法を考えた。


 だが、相手によっては村の中にいる方が危険なこともある。


 俺が必ず勝てるとは限らない。


 その前提で村長は動いている。


 それでいい。


 俺がいるから逃げなくていい、とは思わない。


 むしろ俺が時間を稼いでいる間に、人間が逃げられる形の方がいい。


「ヴァル」


 リナが近くから呼んだ。


 振り向く。


「今日は勝ったの?」


 少し考えた。


 戦ってはいない。


 炎も相手へ当てていない。


 俺は首を横へ振った。


「負けた?」


 それにも首を振る。


 リナが困った顔をする。


 ダリオが横から笑った。


「村に来させなかったんだから、それでいいんだよ」


 俺もそう思う。


 倒さなくてもいい。


 村へ来なければ、それでいい。


 午後、山側へ人が出ることはなかった。


 代わりにダリオと村長が、南へ抜ける場合に邪魔になる荷車や薪束を移していた。


 普段は何でもない物でも、人が一斉に動くときには邪魔になるらしい。


 家と家の間に積まれていた薪が端へ寄せられ、南側の柵には人が通れる幅が確保された。


 逃げるための道を作ったからといって、今日逃げるわけではない。


 それでも、昨日までなかったものが一つできた。


 鎧熊が来たとき、村人がどう動くか。


 俺が追い払える場合。


 追い払えない場合。


 両方を考えるようになった。


 夕方になっても、山から大きな音は聞こえなかった。


 岩猿の声もない。


 鎧熊らしき魔物が戻ってきた様子もない。


 俺は柵の外で翼を休めながら、山を見ていた。


 今日分かったことが一つある。


 あの魔物は、空にいる俺を追う。


 それなら次に来ても、村から離す手段にはなる。


 ただし、いつでも同じようにいくとは限らない。


 腹が減っているとき。


 怪我をしているとき。


 家畜の臭いを覚えたとき。


 俺より別のものを狙えば、今日と同じようには動かないかもしれない。


 だから、追い払えたことで山腹の作業を戻す話にはならなかった。


 日が沈みかけたころ。


 南の見張りをしていた男が、村長のところへ走ってきた。


「人が来る!」


 俺も顔を上げる。


「何人だ」


「三人です。昨日までの山の連中じゃない。南の道からです」


 村長とダリオが顔を見合わせた。


 俺は立ち上がる。


 南の道。


 少し前に、エルマーが館へ戻っていった道だ。


 柵の向こうへ目を凝らす。


 木々の間から、人影が見えた。


 先頭の男の肩には鞄がある。


 見覚えがあった。


 エルマーだ。


 だが、後ろにいる二人は、この前の護衛ではなかった。


 一人は剣を下げている。


 もう一人が背負っているのは槍ではない。


 細長い革袋と、大きな巻物のようなものだった。


 エルマーもこちらへ気づいた。


 村の入口まで来ると、まず俺を確認し、それから村長へ視線を移した。


「予定より早く戻ることになった」


 村長が尋ねる。


「館からの返事か」


「ああ。それもある」


 エルマーは山側を見た。


「だが、その前に確認したい」


 鞄から一枚の紙を取り出す。


「山で、大型の魔物を見なかったか」


 俺とダリオは同時に山を見た。


 エルマーの目が細くなる。


「……見たらしいな」


 今度は俺が頷いた。


 エルマーは紙をしまわなかった。


「なら、話が早い」


 後ろにいた二人のうち、革袋を背負った男が前へ出る。


「麓でも痕跡が見つかっている」


 エルマーはそう言った。


「一頭とは限らない」



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