第107話 小さな竜が、村を出る
ルーエへ顔を出すと、木で出来た俺が六頭、板の上に並んでいた。
翼を広げたものが三頭と、畳んだものが二頭。最後の一頭は首を低くして、腹を地面へつけている。
俺は寝そべり、その一頭へ目の高さを合わせた。目を閉じているところまで削ってある。
『トーヴェン、俺はそんなに眠そうな顔をしていたか』
戸口で縄を巻いていた彼が、こちらへ顔を向けた。
「お前の寝顔を見ていたわけじゃないぞ。立たせるには短すぎる木だったから、伏せさせたんだ」
『それにしては、よく似ている。自分の顔を見ることは、あまりないんだがな』
「寝ているのも欲しい、と息子に言われてな。目は、そのあとで閉じさせた」
トーヴェンは手元の縄を置き、小さな竜を一頭持ち上げた。
以前、息子へ作ってやったものと同じように、翼も尾も丸く削ってある。ただ、並んでいる六頭は、首の向きや翼の開き方が少しずつ違っていた。
イーゼと蜂蜜を採りに行ってから、三日が過ぎていた。
ドラゴニアの畑では芽が伸び、俺の寝床の屋根にも、それから雨は漏っていない。朝、自分の食事を済ませてからルーエへ来ると、村の端の借家で、トーヴェンが荷物をまとめていたのだった。
彼は今日、残してある家の修理を済ませ、明日はまたドラゴニアへ来てくれる予定だった。
『息子の分にしては、随分増えたな。六頭とも欲しがったのか』
「妻が、売ってみたらどうかと言うんでね。今朝並べたが、まだ誰にも値段を聞かれていない」
「並べたばかりでしょう。さっきまで、布を掛けてあったんだから」
戸口から、彼の妻が顔を出した。
手を拭いていた布を肩へ掛け、竜を置いた板へ近づく。トーヴェンが横へ置こうとした一頭を、彼女はもう一度前へ戻した。
「家の中より、ここへ出した方が見てもらえるよ。息子が持って歩くたび、どこで手に入れたのか聞かれていたんだもの」
「欲しいと言うのと、買うのは違うだろう」
「それなら、聞かれたときに値段を言ってみればいいじゃない」
彼は返事をせず、手に残っていた木屑を払った。
家の柱や屋根を見ているときには、あまりしない顔だった。木の竜を真っすぐに並べ直したあとでも、また一頭だけ斜めへ向けている。
俺が黙って見ていると、妻が口元を緩めた。
「ヴァルも気になるなら、しばらくいてくれるかい。今日は塩を持ってくる行商人が来るそうだから、あの人にも見せてみる」
『それなら、俺も見ていたい。ほかに用事を決めて来たわけじゃないんだ』
俺は板から少し離れた草地へ移った。
買い物に来る人間の場所を、俺の頭で塞いでしまうわけにはいかなかった。
◇
最初に足を止めたのは、村の子供たちだった。
トーヴェンの息子が自分の竜を持って外へ出ると、それを見つけた二人がついてきた。板の上の竜と、息子の手にある竜を見比べている。
息子のものは、翼の端が少し欠けていた。遊んでいるうちに落としたらしく、父親に角を削り直してもらった跡がある。
「これも飛ぶの。持ってみてもいい?」
尋ねられたトーヴェンは、翼を広げた一頭を子供の掌へ載せた。
「走りながら振り回すなよ。見終わったら、ここへ戻してくれ」
子供は胸の前へ竜を持ち上げた。
俺を見て、それから手の中の竜へ目を戻す。どうやら、翼の向きが気になるらしい。
トーヴェンの息子も俺へ顔を向けた。
「ヴァル、飛ぶときは、ここも曲がるんだよね。お父さんに見せてあげて」
『飛ばずに広げるだけでいいなら、見せられるぞ。そこの板からは離れていてくれ』
家の壁も人間もない方へ身体を向け、俺は片方の翼をゆっくり開いた。
膜の上を陽が滑り、草地へ影が伸びる。翼を少し折ると、子供たちは木の竜を持ったまま、自分の肘まで曲げていた。
トーヴェンも、その継ぎ目へ目を向けている。
「そこは、もっと手前から折れるのか。下から見ているだけじゃ、分からなかったな」
『畳んでいる方が、家のそばでは見やすいだろう。飛んでいるところは、近くで見せると風が強くなる』
「今ので十分だ。次に削るとき、思い出せる」
板へ戻された竜の翼を、彼は親指でなぞった。
子供たちは母親を呼びに行ったが、戻ってきた女は木の竜を眺めたあと、今日は買い物があるからと、子供の手を引いた。
息子の持っているものを、もう少し見せてもらうことになったらしい。
トーヴェンは何も言わず、竜を板へ戻していた。
行商人が来たのは、そのあとだった。
荷馬と荷車を村の入口へ残し、売る分の塩や針を持って、家々のある方へ入ってくる。村人に俺のことは聞いていたらしいが、草地へ伏せた姿を見ると、さすがに歩く速さが落ちた。
俺は首を上げず、その男へ声を掛けた。
『馬のいる方へは近づかない。俺も、ここの木細工を見せてもらっていたんだ』
「……喋るというのも、本当だったんだな。道で聞いた話より、ずっと大きい」
男は自分の肩の荷を持ち直し、トーヴェンへ顔を向けた。
俺の方を気にしていた目が、板の上で止まる。
「これを作ったのは、あんたか。ちょっと手に取らせてもらってもいいかね」
トーヴェンは頷き、立ち上がった。
男が選んだのは、翼を畳んだ一頭だった。指の腹で背中を撫で、裏返して脚の付け根を見ている。尾の先まで触ったあとで、ようやく掌へ載せた。
「角も尖らせていないんだな。子供に持たせるには、よさそうだ」
「最初は、息子に作ったんだ。怪我をしたら、遊ばせられないからな」
「一つ、幾らで考えている」
トーヴェンは妻へ目を向けかけ、途中で男へ顔を戻した。
「銅貨四枚だ。木は小さくても、削るのに手が掛かる」
行商人は、掌の竜をもう一度眺めた。
「一つ三枚なら、三つ買っていきたい。町で売れるかは、俺にもまだ分からないがね」
俺は二人を見ていた。
トーヴェンが、板の上へ手を置いたまま黙っている。その隣で、妻も口を挟まなかった。
やがて彼は、男の持っている竜とは別の一頭へ触れた。
「三つとも、布で包む。それで九枚なら、持っていってくれ」
行商人が頷き、腰の袋を開いた。
木の上へ置かれた銅貨を、トーヴェンが数えて受け取る。空いていた方の手で、妻の広げた布へ竜を移した。
息子が隣へ寄り、自分の木の竜を胸へ押しつけている。
「僕のは、ここにいてもいいんだよね」
「それは、お前に作ったものだ。売る方へ並べなくていい」
父親が答えると、子供は安心したように頷いた。
◇
包まれていく木の竜を見ていると、妙な気分になった。
俺なら、ひと息で越えてしまう村の入口を、あの小さな三頭は荷車で出ていく。雨が降れば布の中に隠れ、町へ着けば、俺を見たこともない誰かの手に載るのだろう。
行商人は包みを自分の袋へ収め、トーヴェンへ名前を尋ねた。
「次に来たとき、まだ作っているなら見せてくれ。売れたかどうかも、そのとき話すよ」
「トーヴェンだ。ただ、家の仕事の合間に削っているから、数は約束できんぞ」
「ある分でいい。今日も、初めから買うつもりで来たわけじゃないからな」
男が肩の荷を担ぎ直すと、トーヴェンの妻が自分の買いたいものを尋ねた。小さな針の包みを手に取り、太さを確かめている。
つい先ほど受け取った銅貨の一部が、行商人の方へ戻った。
「これで、借りに行かなくて済むね。糸も、もう少し貰おうか」
彼女は夫へ見せ、残った銅貨を返した。
トーヴェンは針の包みへ目を落とし、それから、木の竜が減った板を見た。
俺が首を低くすると、彼は苦笑した。
「大きな家を直す方が仕事なんだが、これが売れると、また違うもんだな」
『町へ着いたら、お前の作った竜を誰かが手に取るんだろう。俺も、どんな顔をするか見てみたいよ』
「本物が後ろから覗いたら、売り物を見るどころじゃなくなるぞ」
『今日も、最初は俺の方を見ていたな。次は、もう少し離れて寝ていようか』
「いや。あの翼を見せてもらったおかげで、次はもう少し似せられそうだ」
彼は袋へ銅貨を入れ、その口を結んだ。
握った手が、少しの間、袋の上に残っていた。
リナがやってきたのは、行商人が別の家へ移ったあとだった。
子供たちから聞いたらしく、俺へ挨拶をすると、そのまま板の前へしゃがみ込む。
「木のヴァルが売れたって、本当なんだね。まだ、選んでもいいの?」
「三つ残っている。手に取ってみてくれ」
トーヴェンに言われ、リナは首を上げた竜を持ち上げた。
片手へ収め、指先で丸い角を撫でる。その顔が、いつも俺へ触れるときと少し似ていた。
『そいつは、ずっとそこで待っていてくれるぞ。俺より、居場所が分かりやすいな』
「でも、お話はしてくれないでしょう。ヴァルも、ちゃんと来てよね」
『来るさ。こいつが来たから、俺が来なくていいことにはならないだろう』
リナは笑い、竜を板の上へ戻した。
代わりに服の内側の袋から銅貨を出し、四枚、掌に並べる。
「これをください。家の棚へ置けそうだから」
トーヴェンは銅貨を受け取り、竜を布で包んだ。
リナはそれを両手へ載せ、布から出ている顔を眺めた。
「家へ置いてくるね。村にいるなら、あとでまた来る」
俺へ手を振り、彼女は道を戻っていった。
トーヴェンの息子が、その背中を見送ってから父親を見る。
「ヴァルも、一つ欲しいかな」
俺へ聞く前に父親へ相談したのが可笑しくて、つい口元が緩んだ。
トーヴェンは、板へ残った二頭を見た。
「欲しいかどうかは、本人に聞いてやれ。そこにいるんだから」
『欲しいよ。だが、口でくわえて帰ると、無事に着くかどうか自信がないな』
俺が答えると、子供はしゃがみ、眠っている竜を選んだ。
掌へ載せて差し出しかけ、自分から俺の口を見上げる。
「お父さん、明日、一緒に持っていけるよね。ヴァルのお屋根のところに置こうよ」
「そうしよう。道具とは別に包んでおいてくれ」
眠った竜は、息子の手で家の中へ運ばれていった。
俺はその戸口を見送り、残った一頭へ顔を向けた。
『あれも、作るのに時間が掛かったんだろう。貰ってしまっていいのか』
「気に入ってくれたなら、貰ってくれ。あれを削りながら、お前に見せるのも楽しみだったんだ」
笑いながら言われ、俺も笑った。
それなら、ありがたく受け取っておこうと思った。
◇
昼を過ぎると、トーヴェンは道具袋を持って仕事へ出た。
売れ残った一頭は、妻が板から下ろし、家の中へ仕舞った。あれも売り切れるまで、外で待っているわけではないらしい。
俺は戻ってきたリナと少し話し、村長にも顔を見せてから、ドラゴニアへ帰った。
ここには、小さな竜を飾る棚より、まだ家に使う板の方が多い。
リュストたちが材木の端を揃えているところへ、俺はいつものように降りた。土埃が落ち着くのを待ってから、木細工が売れた話をする。
「トーヴェンの竜か。あれは、うちの子も欲しがっていたな」
リュストは手にしていた板を置き、そばの端材へ目を向けた。
「俺も何か削ってやろう。あの人と同じ竜じゃ、隣に並べられたとき困るから、別のものにするが」
『木の匙を使っているところを見たぞ。あれは、お前が作ったんだろう』
「ああ。あれなら形は分かるが、翼のついた生き物は、どこから削ればいいか迷いそうだ」
俺は自分の翼を一度だけ見てから、彼へ顔を戻した。
『見たければ、いつでも広げるよ。俺で分かることなら、付き合う』
彼は笑い、まずは頼まれている棚からだと言って、板を持ち直した。
翌日、トーヴェンが持ってきてくれた木の竜は、布の中で眠ったままだった。
本人が寝床のそばの低い切り株へ置くと、リュストの子が近づき、俺の顔と交互に眺めた。
俺も身体を伏せ、屋根の下からその姿を見る。
木の竜の頭は、自分の鼻先の鱗よりも小さかった。
「ここなら、雨も当たらない。仕事の邪魔になりそうなら、あとで動かしてくれ」
『ここでいい。朝、目を開けたら見えそうだ』
トーヴェンは頷き、道具袋を持ってリュストの方へ歩いていった。
俺はしばらく、翼を畳んで眠る小さな姿を眺めた。口を開けば、息だけで向きを変えてしまいそうで、礼は顔を上げてから言うことにした。




