第105話 俺の家は、頭しか入らない
トーヴェンが、俺の鼻先に縄を当てた。
「動かずにいてくれ。あと、少しだけ首を低くしてもらえると助かる」
言われたとおりに顎を下げると、彼は縄を地面へ垂らし、指で長さを押さえた。少し離れたところでは、リュストが二本の杭を立てている。
俺は横目でそれを見た。杭の間へ寝ろと言われ、いつものように身体を伏せていたのだが、どうも俺自身の大きさを測っているらしい。
『俺の頭で、何を作るつもりなんだ』
「お前の屋根だ。まだ、どこまで覆えるかは決めていないが」
トーヴェンは縄へ印をつけ、杭の方へ歩いていった。
俺はうっかり頭を上げかけ、彼が縄を持ち直すのを見て、もう一度顎を地面へ戻した。
ガルが来てから、七日が過ぎていた。
ドラゴニアでは二軒目の家にも屋根が載り、残る仮小屋にも、雨をしのぐための板が足されていた。イーゼが家の脇へ蒔いた豆は、土の上へ小さな緑を出している。
俺は材木を運び、畑にする場所の切り株を幾つか抜いた。途中でルーエへも顔を出し、自分の食事を探しに森へ出る日もあった。
昨夜は雨が強くなったので、ルーエの寝床へ戻った。今朝こちらへ来ると、トーヴェンたちが杭と縄を持って待っていたのだった。
『人間の屋根は、先に済んだのか。まだ足りない板もあるだろう』
「雨の入るところは塞いだ。リュストにも、この仕事を手伝ってもらえる。お前の方は、昨日まで空しかなかったからな」
トーヴェンが縄を広げると、リュストは一方の杭を引き抜き、もう少し外側へ移した。
その先には、長い丸太が二本置かれている。俺が森から運んできたものだった。人間の家へ使うには太すぎると思っていたが、ここへ回すつもりだったらしい。
「これだけあれば、頭と首には掛けられる。身体までとなると、もう一つ林が要りそうだ」
リュストが俺の背中を眺めて言った。
俺も首だけ動かし、自分の身体へ目を向ける。寝ているだけでも、人間の家と並べれば随分な長さになる。翼を伸ばす場所まで屋根で囲おうとすれば、今ある家々より大きなものが必要だった。
『頭だけでも、あると嬉しい。雨が目の前へ落ちてこないだけで、眠りやすくなりそうだ』
「それなら、今日はそこまでにしよう。お前、寝返りで横へ頭を振ることはあるか」
『少しならある。朝になったら柱を倒していた、というのは困るな』
俺が言うと、二人は顔を見合わせた。リュストが、今移したばかりの杭へ手を掛け、さらに外へずらしていく。
その様子を見て、俺は地面へ顎を載せたまま笑った。
◇
屋根を作る場所は、俺が寝ていた空き地の端だった。
畑の予定地や荷車の通るところからは離れ、ここなら翼や尾を動かしても家へ当たらない。俺の身体を全部入れる建物にはせず、低い屋根を掛け、その下へ頭を差し入れられる形にするという。
使う丸太はすでに削ってあり、柱を立てる穴も掘り始めていた。人間たちは、俺が狩りへ出ている間に支度を進めていたらしい。
俺は邪魔にならない方へ身体を退け、丸太を動かすところを手伝った。
くわえた木を、人間の手の届く高さまで下げる。トーヴェンが結びつけた縄を男たちが引き、向きを合わせたところで、ゆっくり穴へ下ろした。
「そこだ。そのまま、もう少し押さえていてくれ」
リュストたちが根元へ石と土を入れている間、俺は柱を支えていた。爪を立てずに押さえるのは、力いっぱい抱えるより気を使う。それでも、皆が手を離したところで静かに脚を退けると、柱はまっすぐ立ったままだった。
次の一本も同じように立て、横へ渡す木を運んでくる。
トーヴェンはそれを見上げ、自分の手元の縄を確かめた。
「ルーエじゃ、これを上げるだけで人を集めるんだがな」
俺は木を地面へ置いてから、彼へ顔を向けた。
『高くするところは任せてくれ。結びつける方は、俺の脚じゃ出来そうにない』
「そこは、こっちの仕事だ。もう少し待ってくれ。下の支度がまだ済んでいない」
彼が道具を取ると、俺は鼻先を引っ込めた。
人間たちは俺の顔が近くにあっても、もう手を止めなくなっていた。リュストは柱の位置を確かめながら、俺の前脚の脇へ落ちていた石を拾い、根元へ詰めている。
仕事の合間に、彼がふと手を止めた。
「昨日、戸口からお前に声を掛けようとしてな。俺たちが屋根の下にいるのに、お前だけ雨の中にいるのが、妙に気になったんだ」
俺は彼を見た。
「そのあとルーエへ飛んでいったから、寝るところはあると分かったが。こっちにも、一つくらいあっていいだろう」
『……ああ。ここで寝られるのは、嬉しいよ』
リュストは少し照れたように頷き、また石を拾った。
俺も黙って、次に持ち上げる木のそばへ移った。
◇
昼前に、リナが来た。
トーヴェンの息子と一緒に、ルーエから来る荷車へ乗せてもらったという。村長にも行き先を伝えてあり、帰りはトーヴェンと一緒だった。
荷車が止まったところから、二人がこちらを見上げている。
「ヴァルの家を作ってるって聞いたから、見に来たの」
リナは荷台から下り、立ち上がった柱を見た。それから俺へ顔を向け、もう一度柱の間へ目を戻す。
「ここに、全部は入らないよね」
『頭を入れる屋根なんだ。身体は、今までどおり外だな』
「それなら、雨のときも顔は見えるね。ルーエでは、奥へ入っちゃうと見えなくなるから」
俺は少し首を下げた。
リナは鼻先へ手を伸ばし、指についた土を見て笑う。俺が柱の根元を覗き込んだときに、泥がついていたらしい。
トーヴェンの息子は父親のそばへ行き、渡された小さな木片を運び始めた。リナもそちらへ向かい、散らばった縄の端をまとめている。
上へ渡す木の支度が済むまで、俺は少し離れたところで待った。
イーゼが皆を呼んだのは、そのあとだった。
鍋のそばに椀が並び、仕事をしていた者が、手を洗いながら集まっていく。俺も朝に食べ残していた鹿の肉を取りに行った。
リナは、リュストの子が描いていた地面の絵を見つけた。
ガルの足跡も絵も、雨で形が崩れていたが、翼の端だけは残っている。何を描いたのか尋ねられ、子供が俺と、東の空を交互に指した。
「翼の欠けたワイバーンのこと、あっちでも聞いたよ。ここで一緒にお昼を食べたんだって」
『俺の近くで食べていた。猪を持ってきていたから、人間の鍋には近づかなかったよ』
俺が答えると、リナは空へ目を向けた。
「今日は来ないかな。村へ飛んできたら怖いと思うけど、ヴァルのそばにいるところなら見てみたい」
『また会って、こちらへ来ることがあったらな。あいつの用事もあるから、連れてこられるとは限らない』
リナは頷き、子供が小枝で描き直している翼を見に戻った。
俺は木々の向こうへ目を向けた。ガルがその後どうしているかは、見に行かなければ分からない。今日の空に、あの欠けた翼は見当たらなかった。
鍋の周りでは、午後に使う板の話が始まっていた。
屋根へ回すのは、新しく割ったものだけではない。家へ使うには短かった板や、丸太から剥いで取ってあった樹皮も並べてある。俺は肉を飲み込み、その山と、柱の上を見比べた。
今朝まで空だったところへ、自分の屋根が出来る。
人間の家に板を運んだときとは違う落ち着かなさがあり、俺は皆が食事を終えるより先に、柱のそばへ戻っていた。
◇
午後は、柱の上へ木を渡した。
俺が下から支え、トーヴェンが足場へ上がって縄を締める。リュストたちは反対側で木のずれを確かめていた。
顔を上へ近づけると仕事が見えるが、そのまま首を動かせば足場へ触れてしまう。俺は彼らが声を掛けるまで、支える位置を変えずに待った。
「もう離していい。ゆっくりで頼む」
顎の先へ載せていた木から、少しずつ力を抜く。
木は動かず、トーヴェンが結び目を押して確かめたところで、皆がようやく息を吐いた。
その上へ板を載せ始めると、柱の下に影が出来た。
まだ細い影だったが、板が増えるにつれて地面の明るい部分が狭くなる。俺は鼻先を寄せ、そこから外の家々がどう見えるか確かめた。
「まだ入るなよ。上から屑が落ちるぞ」
リュストに言われ、俺は顔を引いた。
ほどなく、板の端を削った欠片が、さっきまで鼻のあったところへぱらぱら落ちてきた。離れた場所で見ていたリナが笑っている。
夕方が近づく頃には、板と樹皮を重ねた屋根が掛かった。
横から見ると、人間の家よりずっと横幅がある。壁は後ろの低いところに少しだけで、両脇は開いていた。
トーヴェンは足場から下り、屋根の下へ頭を入れて見上げる。それからリュストと何か話し、俺の方へ振り向いた。
「一度、入ってみてくれ。首を下ろしてから、いつもの姿勢になってみてほしい」
俺は皆が離れるのを待ち、地面へ身体を伏せた。
柱の間へ頭を寄せ、ゆっくり首を伸ばす。鼻先が屋根の向こうへ出る前に止めると、頭から首の途中までが影に収まった。
脇へ畳んだ翼も、尾も、後ろ脚も外にある。
それでも、目の前にはもう空がなかった。見上げると、木目のある板が並び、その隙間を樹皮が覆っている。
『このくらいだな。普段も、こうして寝ている』
声が、いつもより近くで響いた。
リナが屋根の外から覗き込み、口元を緩める。
「ヴァルが入ると、家が小さく見えるね。作ってるときは、大きかったのに」
『大きく作ってくれたんだがな。俺も、少しずつ大きくなっているらしい』
トーヴェンは俺の首と柱の間を見ていた。
「当たらずに寝られるなら、それでいい。先に寸法を決めていたら、首まで入らなかったかもしれん」
リュストが、刈って干してあった草を持ってきた。
俺が一度頭を抜くと、皆で土の上へ広げ、尖った木片が残っていないか確かめてくれる。もう一度顎を下ろすと、草の匂いが鼻へ入った。
地面の小石が、顎へ直接当たらない。
『これ、いいな。寝たら、しばらく起きたくなくなりそうだ』
「それは夜まで取っておけ。まだ俺の道具が、お前の向こうにある」
トーヴェンが笑い、俺は道具を取れるよう首をずらした。
◇
トーヴェンたちが帰る頃、西の空には雲が広がっていた。
雨になる前にルーエへ戻ろうと、荷車へ道具を積み、二人の子供も乗せてもらう。リナは荷台から身を寄せ、俺へ手を振った。
「また来るね。今度は、寝てるところを見に来る」
『起きているときにも来てくれよ。俺だけ寝ていたら、話が出来ないだろう』
リナが笑い、トーヴェンもこちらへ顔を向けた。
「雨が漏ったら、場所を覚えておいてくれ。次に来たとき、塞ぐからな」
『分かった。今日は、ありがとう。ルーエへ着くまでに降らないといいな』
荷車が道へ入り、木々の間へ消えるまで見送った。
俺は空へ出て、しばらく道の上を進んだ。行く手の森に大きな動きがなく、荷車も無事に走っているのを確かめてから、ドラゴニアへ戻った。
雨が落ちてきたのは、陽が沈んだあとだった。
最初の雫が背中へ当たり、続いて翼の端を濡らす。俺は身体を伏せ、今朝まではなかった屋根の下へ頭を入れた。
板を叩く音が、すぐ上で鳴り始めた。
目を開けていても、鼻先へ雨は落ちてこない。
いつもなら顔を伏せるか、首を丸めていた。今は乾いた草へ顎を載せ、雨の向こうにある家々を見ていられる。
リュストが戸口から顔を出した。
「ヴァル、雨が入り込むようなら、今のうちに教えてくれ」
『今のところ、濡れていない。いい音がするよ』
彼は屋根へ目を向け、頷いた。戸を閉める前に、こちらへ片手を上げる。
「それじゃ、おやすみ。何かあったら呼んでくれ」
『おやすみ。そっちも、よく休んでくれ』
戸が閉まり、家の中の声が少し遠くなった。
俺は身体をわずかに動かし、尾を人間の通る道から外した。それから顎の位置を決め直し、目を閉じた。
しばらくして、鼻先へ冷たいものが落ちた。
目を開けると、屋根の端から雫が一つ垂れ、草へ落ちていた。俺が少し首を奥へ引くと、次の雫は目の前を通り過ぎていく。
明日、リュストに場所を伝えよう。
今夜はこれで、十分眠れそうだった。
俺は乾いた草の上へ鼻先を収め、もう一度、目を閉じた。




