五話
一年後、いよいよ戦が始まった。
国境近くにある開けた広大な土地で行なわれる出陣式は、見学自由とは言われているものの、他には何もないほぼ崖のような場所の下で行われる上、戦に巻き込まれても自己責任とも言われている。
そのため、そこまで見学者が多いわけではないのだが、それでも好奇心旺盛な成人手前の若者や、幾度も死線をかいくぐってきたのであろうご老人などが数十名見に来ていた。リューリウもまたレイランについてきてもらって、すぐ近くの山から式典の様子を眺めていた。
この一年、ルオファンは本当に姿を見せなかった。
ルオファンの強さと賢さを知っているし、訃報や病気にかかったなどという噂も流れてこなかったから、元気にやっているとは思うのだが。
進行する式はそっちのけでルオファンの姿を探してみるが、距離が遠くてよく見えない。
見えるのは一番高いところにいる皇帝陛下と――
「リューリウ! ほら、皇后様……じゃなかった、戦女神様だよ!」
レイランに肩をたたかれて顔を上げる。
皇帝の隣に、煌びやかな紅と金の衣を身にまとった美しい女性が並び立った。
皇后陛下だ。
後ろには屈強そうな男が二人控えている。
あれはたしか、前の戦で武勲を立て、民から英雄と呼ばれ慕われている将軍十人の内の二人ではなかっただろうか。
皇后は大きな蒼黎国の旗を突き立て、声を張り上げた。
「蒼黎の民たちよ!」
催事などで遠くから見かける皇后は、いつも穏やかな微笑みを浮かべていて、優しい雰囲気の女性だった。
しかし、今はどうだ。
果てしなく続く兵の隊列を越えて、リューリウたちがいるところまで勇ましく声を響かせている。
なるほど、これは確かに闘志が湧いてくる。
表情は見えなくとも、一目で存在を知らしめる衣装と、凛々しい声。
それがあれば、誰もがそこに戦女神の片鱗を見る。
さらに、「私はあなたを見ている」「蒼黎国を勝利へと導き、ともに愛しい者を守ろう」などと言われてしまっては、残された家族も思い出されて恐怖や逃げたい気持ちなど消えてしまうのではないだろうか。
戦女神のお言葉が終わると、案の定兵士たちは猛々しい大声が大地を揺らした。
(かっこいい……!)
リューリウは心が高鳴るのを感じた。
『蒼黎の女であれば、一度は戦女神に憧れる』というのは大げさではないようだ。
もし、自分が戦女神になってあんな風に兵士たちの士気をを高めることができたら……
隣に立つルオファンが微笑みかけてくれるところまで想像して、また別の意味で胸が飛び跳ねる。
(違う違う違う。夢見すぎ)
顔に熱が集まるのを感じて、早々に妄想を振り払った。
いざ、出陣。
隊列が動き出して、見学に来ていた者たちも帰り始める。
リューリウもまた、レイランに促されて隊列に背を向けた。
(ルオファン、見つからなかったな)
少し残念だが、仕方ない。
去年別れる時にルオファンの姿はしっかり目に焼き付けた。あとは戦争が無事に終わることを祈るだけだ。
レイランについていこうとした時、ふと、視界の端に赤色が映った。
思わず振り返る。
見ればその赤色は皇帝と何かを話している皇后の衣装だった。
皇后が皇帝に拱手する。
皇帝は皇后に手を振って馬に乗り他の兵との合流に向かっていく。
皇后はその姿を控えた男たちと一緒に見送っていた。
「ねえ、レイラン」
足を止めたリューリウを、レイランが振り返る。
レイランが近くまで戻ってくると、リューリウは目を離さないまま言った。
「戦女神は、戦場に出ないの?」
レイランが「は!?」と素っ頓狂な声を出す。
「出るわけないでしょう、皇后様なのよ!? 何かあったらどうするの」
「でも、戦女神は戦場に現れたんでしょ? 戦で貢献した人を見てたって」
レイランは呆れたようにため息をついた後、少し声を落としてリューリウに言った。
「あのねぇ、戦女神はあくまでも伝説よ。皇后様は正真正銘人間なんだから、御身を危険にさらすわけにはいかないの。それでもこんないつ矢が飛んでくるかもわからない場所でわたしたちに言葉をかけて下さってるの」
「本当に有難いことよねぇ」と、かみしめるようにうなずくレイラン。
リューリウは思わずその襟元を掴んだ。
「じゃあ、あの皇后様の後ろに控えている人たちはっ? あの人たちはすごく強い将軍なんじゃないの? あの人たちは戦に出ないの?」
レイランは目を細めてリューリウが指さす方向を見つめる。
返事を待ちながら、リューリウは嫌な予感で胸がいっぱいだった。
「んーー……あんたよく見えるわね……恰好的にはたしかに位が高い兵であることは間違いなさそうだけど……あの人たちは皇后様の護衛なんだから強くて当たり前よ。皇后様を守る大事な勤めを任されているんだから、当然戦場には出ないでしょうね」
ガン、と頭を殴られたような心地がした。
先ほどまで感じていた憧れが、一気に灰色へと塗りつぶされていく。
(それじゃあ、ただの足手まといじゃないか)
決して声に出せない言葉が、次々浮かんで脳を埋め尽くしていく。
宮廷はちょっとやそっとでは崩れない。
周りは町で囲まれていて、簡単には攻め込まれない造りにもなっている。
そのため、宮廷が落ちる時はすなわち蒼黎国の敗戦を意味するのだ。
兵を鼓舞するなんて、一見素晴らしい行為に聞こえるが、実際のところは、戦に出れば重要な戦力になるような人材を無駄に削いでいるだけじゃないのか。
初めから宮廷に籠っておけば、あの二人ほどの実力ある護衛は必要なく、あの二人は戦場で効果のあやふやな士気上げなんかよりももっと確実に多くの敵兵を振り払い、より多くの国民を救うことができるのではないのか。
リューリウだって本気で皇后が戦女神として傷を癒して加護を与えてくれるなんて思ったことはなかった。
皇后が人間だということも言われなくてもわかっている。
それでも、この事実はリューリウにとって受け入れがたかった。
(ルオファン、あたし、もういつか夢を叶えたルオファンの隣に立ちたいって夢見ることすら、できなくなっちゃった)
もしもルオファンが皇帝になり、奇跡が起きてリューリウを妻として迎えようとしてくれたとしても。
リューリウが戦女神として立つことを民が受け入れてくれたとしても。
それはつまり、リューリウが大事な時はひたすらに守られるだけの存在になることを意味する。
ただでさえ身分差があり、リューリウと一緒になろうとすればルオファンに茨の道を歩ませることになるというのに。
リューリウの願いは、ルオファンといつまでも対等な関係でいることだ。
一方的に守られるのは、対等とは言えない。
(そんなの、絶対に嫌だ)
レイランに腕を引かれて、リューリウは皇后とその付き人たちから目を逸らし、その場を後にした。
戦の決着は半年でついた。
蒼黎国の勝利だった。
兵士たちの奮闘のおかげで、戦場に出ていない者たちに死傷者はいなかったが、蒼黎国の兵たちには犠牲者も少なくなかった。
何より、前線にいた第一皇子が死んだことには国中が深い悲しみに暮れた。
しかし、時間の流れは止まらない。
一月後には誰が第一皇位継承者になるかの話題でもちきりになった。
順当にいけば第二皇子なのだが、彼は病弱で皇位を任せるには心もとないと聞く。
第三皇子は皇帝の座を欲しているものの、気性が荒く皇帝の器ではないと言うし、第四皇子は逆に興味がなさ過ぎて主に女関係で自由奔放すぎるらしい。
そうして名前が挙がったのが第五皇子であるルオファンだった。
若くして高位の文官と議論を交わし、名のある将軍との剣の稽古でまともにやり合うことができる。此度の戦で彼が率いた軍は、敵軍をあっという間に殲滅し、さらに第一皇子の穴を埋めたのも彼だそうだ。
それゆえ、第五皇子でありながら最有力候補として支持する者が増えてきたとか。
城下では、貴族たちは誰を次期皇帝に据えれば最も甘い蜜がすすれるか必死に考えている最中だろう、と囁かれていた。
客がルオファンの名前を出す度に、リューリウは無意識に耳を側立ててしまう。
戦が終わっても、ルオファンは姿を見せなかった。
まさに今注目されて、下手なこともできず、忙しく気の張った日々を送っているのだろう。
皇帝への道がいよいよ現実味を帯びてきた。
頑張れ、と思うと同時に、少し寂しい。
(もう会えないのかなぁ……)
今までが特別すぎたのだが、一度味わってしまった幸せを忘れることは難しい。
ため息の回数が増えたある日、リューリウは円華楼の主に呼び出された。
「リューリウ、次の舞台では主演をやってみないか?」
戦の間、特に第一皇子が亡くなってからは円華楼も営業を自粛していた。
終戦後、娼館の方はすぐに再開したが、舞台の方は閉じられたままだった。
その重大な幕開けに、リューリウが抜擢されたのだ。
「いいんですかっ?」
「ああ。むしろ今だからこそ新芽を見せておいた方がいいだろう。やってみるか?」
リューリウはあふれる笑みをそのままに、大きくうなずく。
「はい! やりたいです!」
「よし、では今日からすぐ稽古に入れ。なるべく早く演舞場を開けたいから、ひと月半で仕上げろ」
「はい!!」
言われた通り、その日からリューリウは舞の稽古に没頭した。
踊っている時は、ルオファンに会えない寂しさを忘れることができる。
いまだかつてない集中力を発揮して、リューリウは本当にひと月半で舞台に立った。
結果は上々と言ったところか。
さすがに今まで主演を張っていた人気踊り子と比べれば技術も知名度もなく、客入りも少なかった。
しかし、日を追うごとに売れた観劇券の枚数は増え、それに比例するようにリューリウのファンも増加した。
何より、リューリウ自身が心から楽しいと思えた。
終演後、演者が順に舞台に再登場する時、一人で出て行ったリューリウに向けられた一際大きな拍手、笑顔、歓声。
最高だった。
これを境に、リューリウはさらに舞にのめり込むようになった。
朝から晩まで稽古を続ける彼女に、レイランや円華楼の姐たちは心配そうに声をかけたが、返ってくるのは生返事ばかり。たまに聞こえてない時すらあった。
「無茶な練習を続けるなら舞台には立たせない」と楼主に脅し交じりに止められてからはさすがに休憩を挟むようにはなったが、その休憩も食事以外はレイランたちに楽器を教えてもらっていた。
リューリウの踊り子としての技術はみるみる上達し、さらには外見も垢抜けて、美しい娘へと成長した。
三年もすれば、リューリウは円華楼で一、二を争う売れっ子演者になっていた。
その勢いは、守銭奴の楼主が一切リューリウに娼婦として客を取ることや身請けを提案しなかったほどだ。
そして、ついにリューリウの踊り子人生に、大きな転換点が訪れる。
「今期の建国伝説の女主演はリューリウがやりなさい」
いつものように稽古をしていると、突然やってきた楼主にそう言い渡された。
建国伝説の女主演――戦女神のことだ。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
すぐに、三年前の紅と金の衣をまとった皇后の姿が思い浮かんだ。続いて、ルオファンの顔も。
ルオファンは現在、次期皇帝候補の筆頭として様々な活躍が語られている。
一番の政敵と言われていた第三皇子派閥は、いつの間にかなりをひそめていた。
噂では、第三皇子派の貴族たちの不正をルオファンが暴き、徹底的に処罰したらしい。
(皮肉だな……あたしが戦女神なんて)
思わず自嘲気味の笑いが漏れた。
リューリウとルオファンは、あの別れ以来いまだに一度も会っていない。
完全に住む世界が別れてしまっていた。
(会いに来てくれないなら、会えるくらい大成すればいい)
いつか、皇帝陛下の目を楽しませるくらいの踊り子になれば。
言葉は交わせずとも、目くらいは合わせられるかもしれない。
そのためには、この演目で主演を張ることが絶対条件だ。
リューリウの瞳に迷いはない。
「わかりました。お受けします」
リューリウは楼主に向かって微笑んだ。
リューリウの人気は爆発した。
戦女神として舞う彼女は、繊細さと力強さ、そして美しさを兼ね備えた、まさしく誰もが想像した戦女神像にピタリと一致したのだ。
全日満席で、終演後は拍手が鳴りやまず、中には涙を流す者もいた。
「花街の戦女神」というあだ名までつけられたリューリウは、最終公演で最後の歓声を浴びながら、観客席を見回した。
(本物の『戦女神』にはなれないけれど――)
力いっぱい拍手をしてくれる者、笑顔で声を張り上げて名前を呼んでくれる者、涙交じりに笑顔を向けてくれる者。
たくさんの観客の顔が目に入る。
(踊り子のあたしなら、演舞を見に来てくれる人たちを笑顔にすることはできるみたいだ)
いつだって、目を閉じればルオファンの顔がよぎる。
でも、ひとたびまぶたを開けば目に入るのはリューリウの努力の結晶を見て高揚する観客たちだ。
(これが守れるなら、あたしは――紛い物の『戦女神』でいい)
リューリウは弾ける笑顔を彼らに向けた。
初めて戦女神を演じて二年。
今年も建国伝説の公演が行われる時期となった。
一昨年、去年と引き続き、今年もリューリウが戦女神を演じる。
彼女の人気は留まることを知らず、年々ファンが増えていた。
公演が始まって早三日が経つが、今のところ大きな問題もなく順調に演じられている。
今日も朝から少し振りの打ち合わせと軽い通しをした後、自室に戻って本番の準備をするつもりだった。
母が死んでから使わせてもらっている円華楼の隅にある小さな私室。
客室からは離れていて、夜も静かに過ごすことができる。
鼻歌交じりに引き戸を開けて、すぐ様室内の違和感に気づく。
誰かいる。
ゆっくりと顔を動かし、部屋の端にいる人物に目を向ける。
がっちりとした筋肉質な身体。シンプルだが上等そうな衣服から覗く肌は日に焼けて健康そうだ。
白い歯を見せる笑顔は彼の男らしい顔によく似合う。
いつもまっすぐにこちらを射抜く瞳は、リューリウだけに見せる熱を宿したまま。
体はずいぶんとたくましくなっているが、何度も恋焦がれてきた記憶の中の姿と重なった。
「ルオ……ファン……?」
かすれた声で絞り出したリューリウに、彼は立ち上がって答えてくれる。
「よぉ、リウリウ。久しぶり」
少し低くなったものの、変わらない優しい声。
ルオファンが、そこにいた。
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