三話
演舞場を出る直前で小間使いに呼び止められ、リューリウからの伝言を聞いたルオファンは、円華楼から少し離れた場所にある大木の下に座ってリューリウを待っていた。
目の前は大きな通りになっていて、出店や屋台で賑わっているのがよく見える。
子どもの頃に二人が良く過ごした場所の一つだ。
「おまたせ」
しばらくして、リューリウが小走りでやってきた。
舞台の衣装は脱いでしまって、今は楽そうな便服に着替えている。
急いできたのか、髪があちこち跳ねてしまっていた。
リューリウはルオファンの隣に腰を下ろすと、手に持っていた袋から饅頭を一つ取り出した。
「それ、晩飯か?」
「まさか。ちゃんとしっかりしたのが用意されてるよ。これは間食」
「間食って……今結構遅い時間だぞ。太るぞ」
「殿下、外交ってデリカシーは必要ないのですか?」
「そもそもさっきまであんなに動き回ってたんだからさぁ……」とぶつぶつ言いながら、饅頭を半分に割る。
一つをくわえて、もう一つをルオファンに差し出した。
「ん」
「え、いや、冗談だぞ? 全部食えよ」
「ん!」
半ば強引に押し付けられて、二人は並んで饅頭をかじる。
生地のほんのりとした甘みが口に広がった。
「……あたしの踊り、見てた?」
不意に、リューリウが言った。
ルオファンは素直にうなずく。
「ああ、ずいぶんと見違えたな。……すごく綺麗だった」
率直な言葉が想定外だったのか、リューリウは、んぐっと喉を鳴らした。
「ど、どうしたっ? 大丈夫か!?」
「けほっ どうも……」
髪から覗く小さな耳が赤く染まっている。
その様子は、綺麗と言うよりもかわいらしくて、思わず頭に手を伸ばしていた。
そっと撫でると、彼女がこちらを見る。
「好きだ」
この言葉しか、出てこなかった。
大きな目がゆっくりと見開かれる。
この愛しさを、他にどう示せばいい。
大切にしたい。守りたい。リューリウが望むことはすべて叶えたい。
そう思う一方で、彼女を自分だけのものにしたいと言う自分勝手な欲も諦められないのだ。
「お前が好きだ。リウリウ、俺の妻になってくれ」
頭に乗せた右手を滑らせて、彼女の頬に添える。
しばらく見つめ合った後、リューリウはその手を優しく下ろした。
行き場をなくした手に、風が当たる。
突然、リューリウが立ち上がった。
「ねえ、ルオファン。今、笛持ってる?」
明るい声が耳に響く。
想定外の問いかけに、ルオファンは「へっ?」と間抜けな声を出した。
「いや、今日は持ってないが……」
「あ、そうなの。じゃあコレ、はい」
リューリウは懐から一本の縦笛を取り出すと、ルオファンの手に押し付けてくる。
昔、一緒に練習した笛だ。
「一曲吹いてよ。円華楼が誇る踊り子・リューリウの舞、特等席で見せてあげる」
いたずらっ子のような笑顔が、夜の街に照らされた。
ルオファンの演奏に合わせて、リューリウが舞う。
笛の音が勢いを増せば踊りも激しく、染み入るような旋律を奏でればそれに合わせて動きも繊細になる。
即興とは思えないほど、音に合わせて体が動いていた。
華やかな衣装も、壮麗な演奏も今はない。
それでも自然と目が惹きつけられる。
徐々に人が集まってきて、いつの間にかリューリウとルオファンを囲んで大きな輪ができていた。
(ああ……)
ルオファンもまた、彼女から目を離せないでいた。
白い足が軽やかにステップを踏み、深みのある黄金の髪が楽しく揺れる。
細い腕をふわりと開けば、ほころぶように笑みが咲く。
街の灯りに汗の粒が反射した。
(俺の望みは、この輝きを奪うのか)
リューリウはいつだって一生懸命だった。
きっかけはただ、娼婦の娘に生まれて、それしか選択肢がなかったからだったのかもしれない。
それでも、稽古が厳しくても、嫌になってたまに逃げだしても、最後はきちんと向き合っていた。
共に時を進むにつれて、彼女が『踊り子』であることに誇りを抱くようになったのも知っていた。
しかし、想像以上だった。
この『踊り子』という役割は、いつの間にか彼女の生きがいになっていたのだ。
それこそ、人生を捧げても構わないと思うくらいに。
そうでなければ、こんなにも光を放つわけがない。
傲慢だった。
気づけば、ルオファンは笛を吹く手を止めていた。
リューリウは一瞬こちらに目を向けたが、観客の手拍子に合わせて構わず踊り続ける。
風に乗って、彼女の鼻歌が聞えてきた。
こんなにも近くにいるのに、薄い透明の壁で阻まれているみたいだ。
手を伸ばすことすら、する資格もない。
結局、自分はうぬぼれていたのだ。
リューリウもまた、自分と同じように想っていてくれていることは気づいていた。だから、自分の求婚を断るはずがないと信じ込んでいた。
どれほど美しい踊り子も、いずれは老いて新たな若葉に人気を取られる。
旬の過ぎた踊り子として生涯を終えるよりも、皇帝の限りない寵愛を受け、后となって戦女神として民から崇められる一生の方が幸せだと心のどこかで決めつけていた。
(それがどうだ? リウリウは今、俺じゃなく自分の力でこんなにも煌めいているじゃないか)
今、舞い踊っているリューリウは、舞台上の戦女神の時ともまた違い、年相応に楽しそうな笑顔を観客に向けている。
彼女にとっての幸せとは、まさしく『今』なのだろう。
(本当に、綺麗だ)
胸が締め付けられるような心地でも、そう思わずにはいられない。
欲しい。自分たちしかいない部屋に閉じ込めて、他の人間の目に触れさせたくない。
でも、そうすることはできない宝物。
そうすれば、彼女から輝きは消えて、本当に欲しいものは得られなくなってしまうから。
ふと、二人の視線が交わった。
リューリウは不意に宙を舞い、ふわりとルオファンの前に降り立つ。
「なってあげようか。あんただけの踊り子に」
やわらかな声が降ってきた。
「――――え?」
顔を上げると、リューリウがこちらをのぞき込んでいる。
どれほど間抜けな顔をしていたのだろう。
彼女は目が合うなり吹き出して、からかうようにルオファンの額をつっついた。
まだ言葉の意味を理解できていないルオファンの前にしゃがみ込み、ぐっと顔を近づける。
「ルオファンにもらわれてあげるって言ってんの」
至近距離で、琥珀色の大きな瞳が煌めいた。
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