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二話


 ダンッと大きな一音と共に、音が止まる。

 剣を弾かれた一人の青年には、相対する大男の薙刀が突きつけられている。

 明かりも減らされ、誰もが息を呑み、言いようのない緊張感が漂った。

 小さな吐息すら許されない恐ろしいほどの静けさ。

 たった数秒が十倍の長さに感じられた。


 高い笛の音が、静寂を割く。

 ささやかな、それでも華やかな鈴が空気を揺らす。

 一筋の光が青年に差して、その中から赤と金の布がふわりと舞った。


 止まっていた楽器たちは徐々に音を重ねはじめ、それに合わせて布の動きも大きくなる。

 赤と金を纏わせて、美しい少女が姿を現した。

 琥珀色の瞳が光を反射し、口元には微笑を浮かべ、細くて白い手足をしなやかに伸ばし、まるで自由な鳥のように宙を舞う。


 神々しい旋律が最後の一音を奏でるのと同時、彼女はそっと舞台に降り立った。


 瞬間、大きな拍手と歓声で地面が震えた。

 中には涙を流す者もいて、熱狂の渦はしばらく収集がつきそうにない。

 ルオファンは、舞台の上のリューリウから目を離さないまま、震える手を握り込んだ。

 六年前、最後に見た彼女の舞とは大きく違う。

 この大歓声も、拍手も、観客の視線も、すべて自分のものにした彼女の姿は、強く、強く輝いていた。


(あの時の約束を……お前も叶えたんだな)


☆ ☆ ☆


(くそ……はら減った……)


 その日、六歳になったばかりのルオファンは、あまり綺麗とは言えない狭い路地裏を一人で歩いていた。

 皇子(ルオファン)を産んだものの、すでに四人も皇子が生まれていて自身の子が皇帝になる見込みはない上に、皇帝の寵愛を一身に受けることを望んで精神を病んだ母にうんざりして後宮を抜け出してきたものの、金を持つ習慣がなく食べ物も買えず、帰り道もわからず、かれこれ二日、城下を彷徨っている。

 少し離れたところで川を見つけて水分は取れたが、何も食べずろくに眠れなければ、当然体力にも限界が来る。ましてや、子どもの体ならなおさらだ。


 人気のない細い道で、壁にもたれかかって座り込む。

 もう立っている気力もない。

 ただぼんやりと遠くに聞こえる人々のにぎやかな声を聞く。


 どれくらいそうしていただろうか。

 少しだけ眠っていたかもしれない。


 小さな足音が近づいてきて、ルオファンの前で止まった。

 

「にぃに、だいじょうぶ?」


 頬をつつかれて、ルオファンはのろのろと顔を上げる。

 少しぼやけた視界が、瞬きを繰り返してようやく鮮明になってくる。


 くりっくりの丸い目が、超至近距離でルオファンをのぞき込んでいた。


「うわぁ!?」


 ガンッ


 思わず後ろに顔をそらしたが、そのせいで思いっきり頭を壁にぶつけてしまった。

 あまりの痛さに声もなく悶絶していると、またもつんつんとつつかれる。

 理不尽な痛みに怒りが湧き、鋭い視線を向けると、目の前にいた小さな少女はにへぇっと笑った。


「こんにちは!」


 さらには元気にごあいさつまでしてくるので、完全に拍子抜けしてしまう。

 ルオファンもとりあえず、「あ……えと……どうも……」などとしどろもどろに返す。

 少女は何を思ったのか、とてとてルオファンの隣に来ると、同じようにちょこんと座った。

 そしてルオファンを見上げてニコニコと笑いかけてくるのだ。


(なんだコイツ……)


 世界の暗いところなんて触れたことありません、なんてことを体現しているかのようで、ぺかーっと光っているような幻覚まで見えてくる。


 いや、実際に光っているように見えた。


 彼女の髪と瞳は綺麗な琥珀色で、特に瞳は本物の琥珀のように美しかった。

 薄暗い路地裏でもわずかな光を反射して、きらきらと輝いている。


(かわいいな……)


 つい手を伸ばして頭をなでると、少女はうれしそうに頭を押し付けてきた。

 と、その時、ルオファンの腹の虫が忘れるなと言わんばかりに主張した。


「あー……」


 少し恥ずかしくて腹を隠すと、少女はこてん、と首を傾げる。


「おなかすいてるの?」

「ははは、まあな……」

「……」

「……空いてます。すっごく」


 かっこ悪くも白状すると、少女は顔を輝かせて、何やら一生懸命腰に付けた巾着を開け始めた。


「リウリウねっ おやつもってるよ! いっしょにたべよ!」


 取り出したのは一つの饅頭(まんとう)。

 それをこれまた一生懸命うんしょ、うんしょ、と半分に割り始める。

 しかし、まだあまり力がないのか全然割れない。

 困ったように見上げてくる顔が小動物みたいで、ルオファンは笑みがこぼれた。

 饅頭を取り上げ、綺麗に半分に割ってその一つを返してやる。

 少女は大きな目を輝かせて、それを受け取った。


「わああああ! にぃに、ありがとー!」

「いーえ。それより、おれもこれ、もらっていいの?」

「うん! いっしょにたべよ!」

「ん、ありがとう」


 これでも皇家の人間なのでもう少し慎みを持ちたかったが、あまりの空腹に我慢できず、饅頭にかぶりつく。

 普段はもっと上質なものを食べているはずなのに、今まで食べた何よりも美味しく感じた。

 あっという間に食べてしまって、ふと、隣を見ると、少女はまだ四分の一くらいしか食べていなかった。

 一口が非常に小さい。

 それでも美味しそうに一生懸命咀嚼しているので、リスに見えてくる。

 笑いをかみ殺しながら、ルオファンは聞いた。


「なあ、名前何て言うの?」


 彼女はわざわざルオファンを見上げてえへへと笑う。


「リウリウはね、リウリウって言うの! 三さい! にぃには?」

「おれ? おれはルオファン。六歳だ」

「ルオファン!」


 名前を知ったからか、リウリウはさらにルオファンに近づき、ぴったりと体をくっつけてきた。

 完全に懐かれてしまった。


 そこでふと、ルオファンはリウリウが薄暗い路地に一人でいたことが気になった。

 周りの様子を見る限り、この辺りは治安がいいとは言えなさそうだ。

 それなのに、まだ三歳の少女が親が近くにいるわけでもなく、一人でいる。


「リウリウは、どうしてこんなところに一人でいるんだ? 母親は?」


 聞いてみれば、リウリウは路地の壁からちらりと覗く立派な屋根を指さした。


「リウリウ、あそこにすんでるの! おかあさんはいないの。ちょっとまえにしんじゃった」


 しまった、と思った。

 しかし、リウリウはあっけらかんと特に気にした様子もなく、変わらず笑顔を向けてくれる。

 ルオファンはそれ以上は聞かず、リウリウが指し示す屋根に目を向けた。


(あの屋根、見覚えがあるな)


 後宮の自室から城下の方を見た時、いつも目を引く大きな建物。

 夜になるとそこを中心に明かりが灯り、楽しそうな囃子が風に乗って聞こえてくるのだ。

 その屋根と色合いや形が一致している。


 ルオファンはハッとして、路地裏から飛び出した。

 建物を背に顔を上げると、宮廷が見えた。


「あった……!」


 これで家に帰れる。

 ほっと息をつくと、遅れてリウリウが通りに出てきた。

 薄暗い路地裏から日の当たる場所に出てきたからか、まぶしそうに目をパチパチさせている。


 ここは、花街だったはずだ。

 リウリウが住んでいるというあの建物は、たしか有名な娼館。

 であれば、リウリウは娼婦の娘か。


 娼婦や娼館がどういうものなのかは詳しくないが、なんとなく身分が低い者たちの仕事場で、世間からはあまり良い目で見られていないことは知っていた。

 彼女も幼いながらに母を喪い、苦労しているのかもしれない。


 と、その時、向こうの通りから「リューリウー!」と女の声が聞えた。

 リウリウがパッと顔を上げる。

 視線の先に、キョロキョロ何かを探している美しい女がいた。


「レイランがよんでる! リウリウ、行かなきゃ!」

「え」


 ルオファンが口を開く間もなく、リウリウは駆け出す。

 それでも途中で思い出したかのようにルオファンを振り返る。

 にぱっと愛らしい笑顔。


「ルオファン! またあした!」


 そう言い残して、彼女は今度こそ去っていった。

 取り残されたルオファンは、ただ呆然と立ち尽くす。


(「またあした」って……明日も来いってことか……?)




 結局。ルオファンは次の日も花街に行った。

 リウリウと別れた後、無事に後宮に着いた彼は、教育係にしっかり叱られ説教を受けた。

 しかし、嫉妬と執着で心を病み度々半狂乱に陥る母のせいで腫物のように扱われている後宮では、何かと理由をつけて抜け出すことができたのだ。

 ルオファンを見つけたリウリウは、大はしゃぎで飛びついてきて、ルオファンの手を引いてあちこち走り回った。


 これが、ルオファンとリューリウの出会いだった。

 この日から、ルオファンは度々花街に遊びに行くようになった。

 さすがに毎日とはいかなかったが、できるだけ頻繁に。

 リューリウと共に過ごす時間は、第五皇子であるがゆえの煩わしさを忘れることができ、気が楽だった。

 二人で城下町を駆け回り、時々共犯していたずらを仕掛けたり、一つの饅頭を分け合って食べたり、初めて心から笑うことができる。


 そうして、三年の月日が経った。

 リューリウと出会ったことで平民の生活に興味を持った彼は今まで以上に勉学に励み、成長につれて身体能力が向上したのもあり、武術にも熱中するようになった。

 そのうちに、ルオファンは皇帝と言う地位に興味を持った。

 自分の一言で国が動く。 

 自分の行動が歴史に残る。

 賢帝か愚帝か、自分の成績評価が国全体に表れる。

 かっこいいと思った。

 何より、ほとんどの人間が持てない皇位継承者の資格を、かろうじてでも持っている。

 それなのに挑戦しないのはもったいない。


 ある日、いつものようにリューリウと遊んでいた時、なんとなくその話をした。


「俺さ、皇帝になりたいんだ。立派な兄さまもたくさんいるし、可能性は低いんだけどさ」


 リューリウは「うーん?」とあまり理解してなさそうに首を傾ける。

 六歳になった彼女は、現在円華楼の踊り子として稽古をつけられている。舞は嫌いではないらしいが、それ以上に稽古が厳しいそうで、度々嫌になって稽古から脱走してルオファンに泣きついてくる。


「それって、ルオファンはおーさまになりたいってこと?」

「そういうこと」


 うなずくと、リューリウは、変わらないお日様のような笑顔で瞳を輝かせた。


「ルオファンがこの国のおーさまになるなら、リウリウはこの国いちばんのおどりこになるよ! おーさまって国でいちばんの人のことでしょ? ふたりでそーれい国のいちばんを目指そうよ!」


 名案と言わんばかりの無邪気さを見せつけてくる彼女に、ルオファンは吹き出した。

 わしゃわしゃと頭をかき混ぜてやる。


「はははっ! 俺はともかく、リウリウになれるのかー? 毎日稽古しないと、国一番にはとうていなれないぞ?」

「が、がんばるもん! あしたからちゃんとするもん!」


 「やくそく!」と小指が差し出される。

 一回り小さくてやわらかい指に自分の小指を絡ませると、ぶんぶんと上下に振り回された。


 なんてことない。ただの子どもの口約束だ。

 到底叶えられる望みはないし、冷静に考えれば自分でも笑ってしまいそうなくらい大それた目標。

 けれどもなんとなく、本当になんとなく、待ち針を打つかのように心に残り続け、自然とその夢に向かうためにいっそう努力するようになった。

 リューリウも、同じだったのだろう。次の日から本当に真面目に稽古するようになった。

 舞だけではなく、楽器や所作も学び始めたようだ。

 会う頻度は多くても週に二回になり、稽古の合間に互いに習ったことを教え合って剣術の練習をしたり、笛で合奏したりした。


 やがて、ルオファンはリューリウに友人としての好意だけでなく――恋情も抱くようになった。


☆ ☆ ☆


 大拍手の中、舞台上の演者たちは揃って一礼する。

 歓声が上がって、名前を呼ばれたリューリウは穏やかな笑みを浮かべて観客の方へ手を振った。

 演舞が終わった。

 ルオファンはほっと肩の力を抜く。


 すごい迫力だった。

 音楽も演出も素晴らしい。

 何より、リューリウの舞は圧巻だった。呼吸を忘れてしまうほどに。

 あの日の約束を、彼女は覚えているのだろうか。


 ルオファンはリューリウへの恋心を自覚してから、彼女と共にあるために、より皇帝に道を目指すことに迷いがなくなった。

 身分差はどうしようもない。そのせいで反発が生まれるのもわかり切っている。

 しかし、自分が皇帝になれば、横槍を入れる者からリューリウを守ることができる。

 そのために必死に努力した。

 勉学も、武術も、誰にも負けないくらいに磨き続けた。

 そしていざ、その野望が実現することになった時、リューリウは自身の夢を叶えるという形で彼に突き付けてきたのだ。


 あたしの居場所は舞台上(ここ)である――と。


 琥珀の瞳がこちらを見た気がした。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

次話は10/10の7:00投稿です!

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