☆16 「また明日」
「言ったでしょ。二人なら勝てるって」
照れ臭そうに顔を背けたジャスミンに、つくしが飛び付いた。
「ジャスミン~~」
「ちょ、ちょっと……!」
とっさにつくしを受け止めたジャスミンは、バランスを失ってしりもちをついた。HPにわずかなダメージが入る。
「危ないじゃない」
「えへへ。ごめ~ん」
ジャスミンは自分の身体にまたがっているつくしから目をそらし、大ヤドカリ、ロッキークラブの死骸を見た。
「えへへじゃないわよ。さっさとアイテム回収しないと、またあの鳥に盗られるわよ」
「あっ、そうだった!」
ドロップアイテムの回収に向かうつくしを横目で追ったジャスミンは、無言で身体を起こし、つくしが乗っかっていたところに自分の手を押し当てた。
「わっ、すごい! ねえねえジャスミン! みてみて!」
ジャスミンはつくしの声にビクリと身体を震わせる。駆け寄るつくしの手のひらには、ビー玉サイズの白く光るものが乗せられていた。
「真珠だって!」
つくしは真珠をジャスミンに手渡した。
「いや、なんでヤドカリから真珠が出るのよ」
ジャスミンはつっこみを入れながらも、受け取った真珠を指でつまんで太陽の光にかざした。
「きれいだね~」
隣で一緒になって見上げながらつくしが言った。
「たしかに綺麗だけど。これ、何かに使うアイテムなの? それとも、装備品の材料になるのかしら」
「やっぱり指輪とかネックレスとか、アクセサリーの素材になるんだよきっと!」
「アクセサリー? そういえば装備欄にそんな枠があったわね」
「アクセサリーはね、錬金術師がクラフトできるんだよー」
「へー。って、つくし錬金術師よね。そういうの作れるの?」
「ううん。まだレベルが足りなくて。でも作れるようになったら、やってみたいな」
「ふうん……。じゃあ、早くレベルを上げないとね」
「うんっ。――あ、ちょっと待って」
不意につくしが空を見上げて黙り込んだ。
「晩ごはんできたみたい。つくし今日はこれで終わりにするね」
「あっ。そう。そうね。わかったわ」
「じゃあね、ジャスミンっ」
「う、うん」
笑顔で手を振るつくしの体が徐々に透明になって消えていく。完全に消えてしまったあとも、ジャスミンはじっと動かずに立っていた。
二人分の声が消えて無言になった空間に、波が打ち付ける音だけが大きく響く。存在感のあったロッキークラブの死骸も、時間とともにその姿を消した。
「あ……真珠。つくしのやつ、忘れて行っちゃった。アクセサリーの素材だって言ってたのに。ドジね」
つくしがログアウトしたことで、二人のパーティーは自動的に解散されていた。つくしの名残は、いま手に持っている真珠以外、なにも残っていなかった。
「また、会えるわよね」
ジャスミンは不安を洗い流すように口に出してつぶやいたが、自分一人の声だけが虚しく響いたことで、かえって寂しさが増したようだった。ジャスミンの胸がちくりと痛んだ。
「あーっ、ジャスミン。よかったー、まだいてくれて」
ふわりとした光に包まれて、つくしが現れた。
「ど、どうしたのよ。ログアウトしたんじゃ……」
「ねえ、明日いつから遊ぶ?」
「……え?」
「いやー、ログアウトしてから約束してないやって気付いてさあ。ジャスミンは明日一緒に遊べる? あさってだと学校始まっちゃうから――」
「遊べる! 明日遊べるわ!」
つくしが言い終わる前にジャスミンが答えた。
「やったあ。何時からあそぼっか。つくしはねー、いつでもいいよー」
「じゃ、じゃあ朝! 朝からがいいわ! そうしたら一日中遊べるわ。そうね……6時からでどう?」
「ええー、つくし起きられないよ。9時でもいーい?」
「そ、そうよね。わかったわ。9時ね」
「あっ、フレンド登録もしよー」
つくしがメニュー操作をしてジャスミンにフレンド申請を飛ばす。
ジャスミンのフレンド一覧に初めての名前が追加された。
「わー! まってよーすぐ行くからあー!」
またつくしが空に向かって叫んだ。
「ごめんっ。呼ばれたからつくしもう落ちなくちゃっ。また明日ねっ、ジャスミン」
ばいばいっと手をふるつくし。今度はジャスミンも手を振って返した。
「また明日」
つくしの姿が見えなくなったあとも、ジャスミンの顔には笑顔が残っていた。
口の中で、またあした、と反芻しながら、なんて良い響きなんだろうとジャスミンは思う。ぎゅっと握りしめた手のひらに異物感があって、見てみると真珠だった。また渡し忘れてしまったが、明日会えるならそのときでいい。
「早く明日になればいいのに」
明日が待ちきれないなんて、いつ以来のことだろう。ジャスミンはぽかぽかとした温かい気持ちを抱えたまま、つくしと同じ場所でログアウトを選択した。
風越茉莉は柔らかなマットレスに手を付いて身体を起こした。頭にかぶっていたVRギアを両手で持ち上げて外し、サイドテーブルに慎重に置く。
時計は7時30分を指している。そろそろ夕飯の時間だろうと思い、茉莉はベッドから降りた。長く伸ばした黒髪が重力にしたがってさらさらと流れていく。
自室のドアを閉めて階段を降りていると、体がふわふわと浮いているような感覚にとらわれる。自分でも危なっかしさを感じて、手すりに捕まって一歩ずつ降りていく。
VRゲームをプレイしたあとは、いつも現実の感覚に戻るまで少し時間がかかる。
それにしても、と茉莉は思う。今日はいつにも増して身体が軽い。雲を踏んでいるような気分だった。
キッチンでは母の由香莉が軽快なリズムでまな板を叩いている。由香莉は階段を降りる茉莉の足音を聞いて振り向いた。
「茉莉ちゃん? ふふっ、嬉しそうな顔しちゃって。何かいいことあった?」
「えっ。やだ、ママ、わたしそんな変な顔してた?」
茉莉は頬に両手を当てて、表情をほぐすように、むにむにとほっぺを揉んだ。くすくすと控えめに笑いながら料理を続ける母親をちらりと見て、一瞬ためらうように視線を泳がせてから、食卓の椅子に腰掛ける。
「あのね、わたし……友達ができたの」
「あら。よかったじゃない。どんな子なの?」
「うん。つくしちゃんっていって、小さい女の子。たぶん小学生かなあ。すっごく元気でかわいい子なんだあ。あっ、そうだ。明日の朝にね、一緒に遊ぶ約束したの」
「あら朝から? 何時に約束したの? ママ起こしてあげようか」
由香莉は、じゅうじゅうと油の弾ける音を鳴らすフライパンから手を離して茉莉に目を向ける。
「9時だけど……。自分で起きるから大丈夫。今日はぜったい早く寝るからね」
「じゃあ、早めに朝ごはん作らなくちゃ」
由香莉が菜箸を手にフライパンに向き直る。
「あーあ、早く明日にならないかなあ」
茉莉はテーブルにもたれかかりながら腕を伸ばした。退屈そうな言葉とは裏腹に、その声は楽しげに弾んでいた。




