第13話 地獄の揺り籠
エルセラムの街は、この地方の領主が住むだけあって規模の大きい都市だ。一片約5キロの街壁の内側に、5万人が暮らしているという。
北側4割が上層地区で、そこには領主の居城と貴族たちの屋敷がある。その南側の6割が平民が暮らす中層下層地区で、上層地区とは厚い壁で隔てられており、行き来するには、警戒の厳重な貴族街門を通らなければならない。
街に出入りする門は、東西南北の4カ所にあるが、北門は、上層地区専用の門で、貴族しか通れない。東西と南の門は、一般人用だ。
中層下層地区は、南に行くほど、貧しくなり、南門の周囲は貧民街になっている。
にも関わらず、南門を利用する人の数は多い。
南門を出ると南へ500メートルほど道が伸び、その両側に、夥しい数の娼館が並んでおり、街の人々はここを新市街地と呼んでいる。
夕方になると、壁内から大量の人口が娼館の街に流れ込み、朝には、また壁内に帰っていく。
そして、この新市街地の南端にスラムがある。
新市街地とスラムを足しても、南門から1キロほどで、この壁外の街は途切れる。
さて、その街が途切れた先に、死体捨て場がある。
ここは、スラムや新市街地の死体だけでなく、エルセラムの街の行き倒れや引き取り手の無い死体が、ここに捨てられる。あるいは、何処かの貴族が虐待して殺してしまった死体なども、密かにここに捨てられる。
もっとも、死体を空気に晒しておいては疫病の元になるので、死体を埋める役目の者も置かれている。
しかし、その役目の者は、浅い穴を掘って、死体を置き、上から軽く土を掛けるだけである。おざなりの埋葬であり、弔いの儀式もない。
魔法や呪いのあるこの世界で、無念の想いを含んだ死体が大量に捨てられたら当然、そこには瘴気が生まれ、溜まり、何がしかの魔物が生まれる。
魔物化した霊とされるレイス、魔物化した死体とされるゾンビやグール、そういった魔物が夜になると地面から這い出して、この界隈を徘徊すると言われ、命が惜しい者は誰も近付かない。
当然、その周囲は高い石壁で囲まれ、出入りする箇所には鉄格子の門がある。
ところが、その石壁の外側に、壁にへばり付くようにして建物が密集している。
本来なら、この近くは、人が住めるような場所ではないが、だからこそ、追われた犯罪者や亡命者など、訳ありの者たちが最後の逃げ場として、いつの間にか、死体捨て場の周囲の石壁を利用して隠れ棲むようになり、屋根や壁が無秩序に組み合わされた、歪な建物がひしめき合うようになった。
その歪な建物群は、地下にも広がっていると言われており、一歩踏み込めば、外からの光が差さない狭くて不規則に折れ曲がった通路に入り、一瞬で方向感覚を失うだけでなく、至る所にある階段を登り降りしないと前に進めない構造のせいで、今、何階の何処に居るのかも直ぐに分からなくなる、人口のダンジョンとまで呼ばれる奇怪な迷路、『地獄の揺り籠』と呼ばれるものになっている。
『地獄の揺り籠』と呼ばれるこの建物群の真っ暗な通路を松明を頼りに進んで行くと、いきなり横から人が現れて剣を突き出す。避ける力のある者か、強度の高い鎧を着ている者のみが生き残る。ここでは、人の命を奪うのに理由は要らない。それが、この歪な建物内のあらゆる場所で繰り広げられる光景だ。そして、通路を進む者を狙うのは剣だけではない。天井から滴る毒液、床から吹き出す毒霧、壁を破って突き出される槍、そして、壁を素通りして襲って来るレイスや、いつの間にか前後から挟み撃ちしてくるゾンビやグールの集団。
これほど危険に満ちた場所であるにも関わらず、千人以上の人間が、この建物内に隠れ棲むと言われている。
剣の腕が立つだけでは生き残れない。魔法の腕が立つだけでも生き残れない。ここに棲むのは、いったい、どのような者たちなのか?
エルセラムの街を裏から支配する勢力が潜んでいるとしたら、これほど格好な場所はない。如何なる犯罪を犯そうとも、この地獄の揺籠に逃げ込んでしまえば、もう法の支配は及ばない。
選抜された騎士や有名な賞金稼ぎなどが、度々、この迷宮に入っていったが、還って来た者はいない。
迷宮に入っていった騎士や賞金稼ぎを倒したのは、逃げ込んだ犯罪者たちだけではない。
多くの場合、その犯人は、この迷路の最奥に巣食う、元は地を這う蟲でありながら、瘴気を吸収し、ゾンビやグールを喰らい、迷宮に侵入した人間を喰らって、進化に進化を重ねた高位の魔物たちだ。
この建物群を取り壊そうという試みは、過去幾度となくあった。しかし、その試みは、ことごとく高位の魔物の妨害にあって頓挫しているらしい。
にも関わらず、そういった魔物に喰われない方法を見つけたか、撃退できる力を持つ者たちだけがこの迷路に潜んでいる。暗殺ギルドなんていうものがあれば、この『地獄の揺り籠』を本拠地にしていないはずがない。
私が目をつけたのは、まさにこの『地獄の揺り籠』だった。
常人の目には迷路でも、空間透視スキルのある私には、通路、階層、罠、潜んでいる追い剥ぎや殺し屋、魔物、そして、この地下迷路に潜む夥しい悪人の群れの全てが見えている。
人間の基準では地獄のような場所であっても、擬態スライムと朱雀蜘蛛を各10体放り込めば、中に巣食う有象無象は綺麗さっぱりに駆除出来る。ここを乗っ取って拠点をつくりたいと思った。
何箇所かあるこの迷路の入り口は、施錠された扉があるわけでもなく、誰でも勝手に入っていける。
さて、その『地獄の揺り籠』に、眷属化している擬態スライムと朱雀蜘蛛を1体ずつ連れていくことにした。
今回は、こちらの強さを見せつけるのが目的なので、迷路に入ると、インビジブル、幻影、隠密を解除した。
前は擬態スライムに露払いさせ、後ろを朱雀蜘蛛に護らせて、私自身は精霊結界と聖域結界で自分を護りながら迷路を進んでいく。
この迷路は、アンデッドと蟲や爬虫類系などの地を這う魔物の巣窟だ。
地階に降りると、レイスがひっきりなしに襲って来るが、聖域結界に触れた途端に消滅していく。
通路に潜んでいる追剥ぎや暗殺者や魔物は、擬態のスライムと朱雀蜘蛛に瞬殺されていく。
ヒルの魔物、百足の魔物、蟻の魔物、ナメクジの魔物、蠍の魔物、蛇の魔物など、地を這う魔物が引きも切らず襲って来るし、レイスやゾンビやグールの襲来も息を継ぐ暇もない。周囲の天井や壁から、突然、毒霧が吹き出すなど、毒霧、毒矢、槍衾などのトラップも多い。
しかし、それらの全ては、擬態スライムにとっても朱雀蜘蛛にとっても足元の石ころほどの障害にもならないようだし、私にとっても、スキルを使わない素の防御を抜けない程度のものだ。また、浮遊と空歩で歩いているので、落とし穴も無視して進んでいく。
さて、迷路の中を進むこと1時間、地下10階の最深部の奥にある部屋の一つに辿り着いた、
目の前の何の変哲も無いように偽装された扉を、闇魔法のシャドーハンドで開ける。この先は異次元になっているようなので、魔法疎外を使って、無理矢理魔法を解除する。
するとそこにいたのは、大きな女郎蜘蛛の魔物だった。
この女郎蜘蛛は、元はただの昆虫だったが、この土地の瘴気を浴びて魔物に変わり、瘴気を吸収し続けて進化し、人間やアンデッドを喰らって力を付けて高位の魔物になっていた。
「ギギギギギギッ。チキ、ギギギッ。ギギギッ」
その女郎蜘蛛の魔物が、凄い勢いで鳴いている。しかし、攻撃して来る様子はない。
どうしたものかと思っていると、
『お館様、目の前の女郎蜘蛛が命乞をしております』と朱雀蜘蛛から念話が入った。
『殺せ』と私は命令する。人間やアンデッドを食って進化した蜘蛛などにくれてやる慈悲はない。
次の瞬間、目の前の女郎蜘蛛の身体は、擬態スライムが打ち出した無数の突起に貫かれ、同時に、朱雀蜘蛛の単分子の糸に細切れにされていた。その細切れを擬態スライムが一瞬で吸収していた。
所詮は、元が女郎蜘蛛なので、いくら進化を重ねていても、遥かに高位の魔物である擬態スライムと朱雀蜘蛛の前では無力だった、
私は、この空間に聖魔法の浄化を掛けて綺麗にした後、聖域結界を固定した。これで、ここはアンデッドは入って来れない空間になった。
この迷路に潜ってみて、ここは生理的に受け付けないということが分かったので、『地獄の揺り籠』の女郎蜘蛛の縄張りは、擬態スライムと朱雀蜘蛛に任せて、私は地上に転移した。
最初は、拠点に使おうと思ったが、それは諦めた。
とはいえ、この場所に未知の人間の勢力が居るのは具合が悪い。
この迷宮に潜んでいる者たちが、暗殺ギルドの者であるのは、彼らのステータスと入れ墨から分かっている。そして、複数の暗殺ギルドがここを拠点にしていることも分かっている。そして、この暗殺ギルドが新市街地の裏社会を支配しているのも間違いない。ここの暗殺者たちを排除すれば、新市街地の裏社会も崩壊するだろう。
さて、裏社会で君臨してきた奴らは、擬態スライムと朱雀蜘蛛の軍団にどこまで抗えるか試してみよう。
朱雀蜘蛛と擬態スライム各10体を新しく蘇生支配して、この迷路に巣喰っている奴らを蹂躙しろと命令して『地獄の揺り籠』に送り込んだ。




