62話 幸福を前に…
田舎の別荘へ愛人と息子をつれて向かう途中、私は心地良く馬車に揺られながら熟睡してしまった。
「助けてくれ! 止め…っ…… ギャアアアアア───ッ!」
誰かの叫び声で私はふいに目覚めた。
「……っ⁉」
(何だ⁉ 今…… 叫び声が聞こえなかったか? 夢か? それとも気のせいか⁉)
私の向かい側に座る若い愛人のリリーは、ぐっすり眠る幼い息子を膝に抱き。
青い顔でジッと窓の外を見ている。
馬車は木々が生い茂る、森の中と思われる場所で止まっていた。
リリーが見つめる視線の先に、私も目を向けると……
馬車の外で護衛騎士二人が、地面に転がる男に剣を突き立てていた。
思わずハッ! と息をのんだ。
「いったい、何があったんだ⁉」
「……」
リリーは私の疑問には答えず、黙ったまま窓の外を見ている。
窓の外の護衛騎士が振り向き、こちらを見たとき。
騎士たちの足元に転がる男の姿が見えた。
「あれは…… ロンスヴォー伯爵家の御者じゃないか!」
護衛騎士に剣を突き立てられ、恐らくすでに絶命している男の顔は見えないが。
刺された男が着ている服で、ロンスヴォー伯爵家の御者だとわかった。
「なぜだ? なぜ私の護衛騎士が、御者を殺したんだ⁉」
「……」
騎士の一人が剣を鞘におさめ、馬車の扉をガチャッ! と開いた。
「リリー、子供を!」
護衛騎士はなれなれしく私の愛人の名前を呼び、手をさし出すと……
リリーは迷わず子供を騎士に渡し、自分も馬車から降りた。
護衛騎士の態度は不快だったが。
目の前で人が殺されたのを見て、先に無礼を咎めるよりも。何が起きたのか、先に知りたかった。
「おい、お前たち! いったい、何があったんだ⁉ なぜ御者を殺したんだ⁉」
私は訳がわからず、馬車を降りながら護衛騎士に怒鳴ると……
子供を抱いた騎士は私を無視し。もう一人の騎士が疑問に答えた。
「オレたちの命令を聞かなかったからですよ。伯爵」
私の疑問に答えた騎士は剣を鞘におさめず。右手に剣を持ったまま、冷ややかな表情で私を見る。
騎士が手にする剣の刃から、血がポタリとしたたり落ちるのが見え。
私の背中がヒヤリとして、今まで感じたことのない危機感を持った。
「……命令だと?」
「ええ、もう少し生かしてやるつもりだったけど。オレたちが行きたい場所に向かうのを拒んだので」
「行…… 行きたい場所? 別荘に向かっていたのではないのか?」
私の護衛騎士二人は兄弟で、ロンスヴォー伯爵家の傍系の出身だった。
その伝手で三年ほど前に、他の親戚に頼まれ雇った者たちだが。
私は信頼してこの兄弟に、リリーの護衛を任せることが多かった。
「ええ。これから四人で隣国へ行く予定です」
「何だと⁉ なぜ別荘に向かわないのだ?」
(……四人?)
「兄さん、こんなところでグズグズしていられないよ。急ごう!」
私と話す騎士の背後から、子供を抱いた騎士が声をかけて来た。
……その時、熟睡する子供を抱く騎士と、子供が持つ色が同じだと気が付いた。
焦げ茶色の髪に青い瞳。
兄弟の騎士は傍系の血筋だから。色だけでなく顔つきもどことなく、私と似ている。
『……大丈夫でしょうか? もっと詳しく調査したほうが良いのでは』
別れぎわにシリルが言った、私を心配する言葉が脳裏をよぎる。
「お前たち、まさか! 私の子の……?」
「ああ、ようやく気付きましたか? あれは弟の子です。あんたがオレの甥を伯爵にしないからダメなんですよ!」
騎士は私をバカにするように笑う。
私はたまらず、嘲笑う騎士の背後に立つリリーに怒鳴った。
「リリー! どういうことだ? 息子は私の子ではないのか⁉」
(……弟の子? 甥だって?)
「違います。だってあなたはいつも避妊していたから…… あなたの子ができるわけないでしょう?」
「こいつらが言っていることは本当なのか?」
「あ、あなたが悪いんです! だって私は、田舎になんか行きたくないのに! 無理やり連れて行こうとするから!」
「この尻軽が───っ!」
カッ! と腹が立った。
リリーのもとへ行こうとすると……
「うわあっ──っ!」
「まぁ、落ち着けよ伯爵」
ニヤニヤと嘲笑う騎士に私は肩をつかまれ引き倒された。
私は抵抗しようとするが…… 地面に転がる私は背中から踏みつけられて、動きを封じられてしまう。
「おいおい、大人しくしろよ。伯爵様」
「うわっ! クソッ… 放せぇ!」
「残念だよ、伯爵! でもリリーにたくさん貢いでくれたことは感謝するよ。これでオレたちは当分、遊んで暮らせるからな」
騎士のいうとおり、リリーに贈った宝石や高価な貴重品が馬車に積んである。
それだけではない。
子供を産んだ褒美をやるつもりで。
これから暮らす予定の別荘から一番近い銀行に、リリーの名前で口座を開き金を入れた。
平民なら、一生働かずに暮らせるぐらいの金額だ。
「このっ! お前たちは……っ!」
目の前で私を殺そうとしている男の計画が読めた。
私を殺して道の両脇に生い茂る木々の奥にかくし。私の死体が見つかる前にリリーの口座から金を引き出し、宝石と大金を持って隣国へ逃げるつもりなのだ。
騎士は笑いながら、冷たい地面に転がった私の背中から胸を剣でつらぬく。
激痛で叫び声を上げた。
「うわああああぁぁ──────っ!」
目の前が急激に暗くなり、自分の死を悟った瞬間…… 記憶の奥に眠っていた家族の思い出が浮んだ。
『お父様、バイオリンの先生が、私には才能があると褒めてくれたの!』
青い瞳を輝かせた幼いデルフィーヌが、子供用のバイオリンを持って執務室へやって来た。
小さな指を一生懸命に動かして、バイオリンを演奏する。
愛しいと思ったが…… 大きな契約を前にして、娘に取られる時間が惜しかった。
一緒にいた乳母に命令し、傷ついた表情を浮かべたデルフィーヌを執務室から追いだした。
「ああ……」
(なぜ… 聞いてやらなかったのだろう? 本当は誇らしく思っていたと、なぜ言ってやらなかったのだろう)
『お姉様はいつも不機嫌そうで、怖いわ!』
幼い子供のように唇を尖らせ、無邪気に訴えるシャルロットは可愛かったが。
わがままに付き合うのが面倒で、いつも適当に話を合わせてデルフィーヌに押し付けた。
あのころからデルフィーヌは笑わなくなったのだ。
デルフィーヌが結婚式で着ていた、マルグリットのウエディングドレスを見て…… 私たちの盛大な結婚式を思い出した。
『今日の君は誰よりも美しいよ。マルグリット』
『あなたと結婚できて幸せだわ……』
政略結婚で結ばれたが。私の言葉一つで恥ずかしそうに笑う妻は、本当に綺麗で。
私はあの時マルグリットを心から愛したはずなのに……
(なぜ、私は………)




