34話 困惑
ユベールに置いて行かれて一人でさびしく夕食を終えると。
私は自室に戻り、気晴らしで刺繡をすることにした。
静かな部屋で一人でいると強い眠気を感じて、ユベールの帰宅をまたずに就寝の準備をはじめようかと思っていたら……
「ただいま、フィーヌ。まだ起きていたのか?」
「あら、お帰りなさい。ユベール、ずいぶん早かったのね」
帰って来るのは深夜になると言っていたのに、ユベールは予定よりも早く夜会から帰ってきた。
帰宅してまっすぐ私の部屋へ来たユベールは、まだ正装姿のままだ。
「身体は大丈夫かい? 悪阻は平気?」
「心配性ね、あなたは。でも早く帰って来てくれて嬉しいわ。一人でいるのはさびしかったから」
(私ったら、結婚してからずいぶんと甘ったれになったみたい。ユベールが私を甘やかすからいけないのよ)
「それなら、急いで帰って来て良かった」
夫は嬉しそうに笑いながら首に巻いたネクタイをシュルッ、シュルッ、と音を立ててほどき私の唇にキスをした。
ユベールは私の手にある刺繍をチラリと見下ろすと。
「あまりムチャはしないでくれよ?」
「ふふふっ…… してないわ。刺繍ぐらいは平気よ」
妊娠がわかって以来、心配性の夫はいつもこの調子なのだ。
「私の留守中に何か変わったことは無かったかい?」
「いいえ、変わりはないわ。 ……あなたこそ、こんなに早く帰ってきて大丈夫なの?」
(ユベールは今夜、三カ所の夜会に出席する予定だったけど?)
社交シーズンになると同じ日に何件も夜会が開かれる。
だから招待客たちが一晩に複数の夜会を渡り歩くことは、けして珍しいことではない。
「ああ。招待状を送ってくれた知人にあいさつして義理は果たせたしね」
「新しい事業については伝えられたの?」
「今夜の目的は達成できたと思うよ」
ユベールはニッコリと笑い上着を脱いで、ネクタイと一緒に椅子の背にかけた。
「ねぇ、大丈夫だった? ……私たちのウワサとかは? あなた一人で我慢してない?」
(ユベールが一人で醜聞の屈辱に、たえる姿を想像すると胸が痛むわ)
こんなふうに私だけが大した理由もなく欠席したら。
夫婦仲を疑われてユベールの男色家のウワサに、また火がついたらと思うと心配になる。
「我慢はしていないよ。君と結婚して以来、好意的に見てくれる人のほうが多いからね」
妊娠したことをお母様とシャルロットがどんな反応をするかわからず、しばらくは黙っていてようすを見ることにしたけれど。
「本当に? やっぱり私が妊娠したことを話したほうが……」
(そうすればユベールの男色家疑惑なんて、すぐに晴れるはずだわ)
「大丈夫だよ、デルフィーヌ」
「本当に?」
「ああ、本当だよ」
私が心配そうにしていると、ユベールは私を自分の膝にのせて椅子に座る。
膝の上からユベールを見下ろし私のためにウソをついていないか、ジッとアメジスト色の瞳を見つめた。
オリヴェ男爵家の音楽会で妹のシャルロットが、男色家疑惑をネタに嬉しそうにユベールを侮辱していた姿を思い出す。
「シャルロットには会った? あの娘…… あなたに意地悪なことを言わなかった?」
初対面の時からユベールは、シャルロットに塩対応をしているから。
自分の思いどおりにならないユベールに、シャルロットは悪感情を持っている。
私からユベールを奪えないとわかると。シャルロットはかわりに侮辱するようになった。
「ああ、シャルロット嬢か……」
妹の名前を聞くとユベールの顔が曇る。
「どうしたの? やっぱりシャルロットが、あなたに何かしたの⁉」
「いや、違うよフィーヌ。私がシャルロット嬢に何かをされたのではなくてね……」
ユベールの口が急に重くなり、ますます心配になる。
「何があったの?」
「うん。パスカルが…… シャルロット嬢を誘惑していたんだ」
「パスカル卿が⁉」
「それでパスカルに何を考えているのか、問いただしてみたら…… 困ったことになったよ」
ユベールは夜会で見聞きしたことを、私にくわしく話してくれた。
「つまり…… ロンスヴォー伯爵家の財産が目当てで、パスカル卿がシャルロットと結婚したがっているの?」
「そうなんだ」
夜会であったことを話し終わると、ユベールは疲れた顔で膝にのせた私を抱きしめた。
「すまないデルフィーヌ。私の問題にロンスヴォー伯爵家を巻き込んでしまった」
「違うわ、ユベール……」
(私のせいだわ!)
オリヴェ男爵家の音楽会でシャルロットに侮辱されて、腹を立てた私はあの娘にわざとパスカル卿を狙うように仕向けたから。
私は自責の念に囚われ、落ち込む夫の背中に腕をまわしてトンッ…… トンッ…… とたたいて慰めた。




