第1部 第5話「彼の中にいたのは誰か(3)」前編
CH1
-ステラ・セキュア社-
イーサンは薄い笑みを浮かべたまま、静かに言い返した。
「……何の話です? 私はイーサン・ブレイクです。それに、リチャードの死因なら――奥さんから聞きましたよ」
カイルの目が、わずかに細まる。
「……なるほど。確かに、そういう可能性もありますね。確証は、ありません」
その言葉を合図にしたかのように、イーサンは椅子から立ち上がろうとした。
「――では、もういいですか? 私は忙しい。仕事に戻らなければ」
「まだ終わってないわよ」
ニーナの声が、鋭く空気を切った。
「……座って」
短い沈黙。
イーサンの瞳が氷のように冷え、あからさまな敵意を帯びてニーナを睨みつける。だが、結局はゆっくりと腰を下ろした。
カイルは淡々と資料を机に置く。
「……では、これはどうでしょう」
ホログラムが切り替わり、筆跡鑑定の結果が映し出される。比較線が赤く浮かび上がった。
「事件前後の筆跡を鑑定した結果です。“同1人物が書いた可能性は20%以下”。
専門家は、ほぼ別人とみなせる数値だと結論づけました」
イーサンの表情が一瞬だけ固まる。
だが、すぐに鼻で笑った。
「……くだらない」
軽蔑を含んだ声だった。
「筆跡なんて変わる。癖も気分も影響する。しかも20%以下――ゼロじゃない。そんな曖昧な数字で何が言える? 何度も言うが、私はイーサン・ブレイクだ。リチャードなんかじゃない!」
声が荒れる。
その瞳の奥に、わずかな焦りが滲んでいた。
カイルは背筋を正し、低い声で語り始める。
「事件の流れはこうだ。――まず、リチャードは自分自身に多額の保険をかけた。おそらく妻のクララも、その事実を知っていた」
イーサンの表情に、わずかな影が落ちる。
「次に人格移植装置を使い、自身の人格を保険会社員――イーサン・ブレイクへ移した。
保険会社の内部に入り込めば、支払いに伴う不都合を消し、手続きを迅速に進められる。……実に合理的だ」
スタンリーが視線を上げ、ニーナは腕を組んだまま黙って聞いている。
「だが問題が一つある。――人格を抜かれたリチャードの体を、どう処理するかだ」
カイルは資料をめくった。
「人格のない状態で絞殺すれば、生体反応が残らない。専門家が見れば、一目で異常と分かる」
イーサンの眉間に皺が寄る。
「埋めるか、沈めるか。時間をかければ生活反応は誤魔化せる。だが、それでは遺体の発見時期が読めない。保険金を受け取るには、リスクが大きすぎる」
カイルは視線を上げ、間を置いた。
「では、どうするか。――人格移植の直後に絞殺する。そうすれば反応は曖昧になる。
だが、その遺体をマンションに運び込む? 防犯カメラの死角を突くのは難しく、目撃の危険も高い」
イーサンの指先が、机を軽く叩いた。平静を装う仕草だったが、緊張が滲む。
「マンション内で人格移植を行えば解決するが、装置は大型だ。搬入すれば不審に思われる。分解しても、出入りを繰り返せば記録に残る。――現実的じゃない」
淡々とした声が、冷徹な論理となって場を支配する。
「――そこで第三者を使った。人格を抜かれたリチャードの体に、別の人格を移す。そのまま帰宅させ、“生きている”ように見せかけた」
イーサンの肩が、わずかに強張る。
「その上で、防犯カメラの死角を使って侵入し、“第三者の人格を宿したリチャード”を絞殺した。
強盗に見せかけるため、宝石類を持ち出し、周辺で多発していた高級マンション狙いの事件も利用した」
スタンリーが静かに頷く。ニーナは表情を変えない。
イーサンはポケットからボールペンを取り出し、無意識にカチ、カチ、と鳴らし始めた。
その音には、隠しきれない焦りが混じっていた。
「残る問題は、第三者の遺体処理だ」
カイルは続ける。
「CIARの処理担当者に金を渡し、裏で処理させた。だが――誤算が一つあった」
カチ、カチ、カチ。
音がやけに大きく響く。
「遺体処理担当者の書類に不備が見つかり、“第三者の遺体”そのものが発見されたことだ」
カチ、という音が止まった。
イーサンの手が宙で固まる。
「……ちなみに、その癖だが」
カイルは静かに言った。
「ボールペンをカチカチ鳴らす癖。――リチャードにもあったと、同僚のジェイソンが証言している」
沈黙。
イーサンの顔が歪む。
「……私はイーサンだ!」
声が裏返る。
「偶然だ! 癖が同じくらいで証拠になるものか! それに、強盗の線はまだ残っているだろう!」
机を叩き、言葉を重ねるたびに、余裕が剥がれていく。
ニーナは冷ややかに見下ろし、スタンリーは鼻で笑った。
そのとき、カイルの端末が震えた。
「……失礼。少しだけ」
「……勝手にしろ!」
イーサンが吐き捨てる。
通話を終え、カイルは静かに顔を上げた。
「――たった今、連絡がありました。近辺を荒らしていた強盗が確保されたそうです」
イーサンの目が見開かれる。
「……何だと」
「だが、押収品の中に、リチャード邸の宝石は一つもなかった」
一拍置いて、続ける。
「……どこから見つかったと思います?」
「知るか!」
声が荒れる。
「――あなたの自宅です。正確には“イーサン・ブレイク”の自宅から」
一瞬で、血の気が引く。
「そんなもの、俺が盗んだ証拠にならない! 元々持っていた物だ!」
「元々?」
ニーナが薄く笑う。
「……宝石箱、趣味がいいとは言えないわね」
イーサンの顔が赤く染まる。
「何だと! 初対面で人を馬鹿にしやがって! 俺はイーサンだ! リチャードじゃない! 殺しなんてやっていない! ……私は知らん! 路上生活者のライアンなんて――知らん!」
カイルの目が細くなる。
「…………ライアン?」
空気が凍りついた。
自ら口にしてしまった名前に、イーサンの顔が蒼白に変わっていく。
「……ライアンなんて、誰も口にしていません。しかも路上生活者だったことまで、どこで知ったんです?」
カイルは間を置かず、低く続けた。
「その名前は公表されていない。捜査本部の限られた人間と、犯人しか知り得ない情報です。少なくとも、正規の経路であなたが知ることはない」
イーサンの喉がかすかに鳴る。返す言葉が出てこない。
「共有記録も確認済みです。漏洩の形跡はない。その名前を知っていた時点で、あなたは事件の核心に触れている」
カイルは一歩踏み込んだ。
「……そうだ。あなたがリチャードの体に人格移植した“第三者”。それがライアン・ポーターだ」
沈黙。
イーサンの姿をした男の顔から、血の気が引いていく。
カイルの声がさらに低く落ちた。
「別人格の可能性も考えた。だが違う。その場合、ライアンの名を口にした瞬間、あんな顔はしない」
一拍置いて、言葉を突き刺す。
「それを知っているということは――あなた自身が、リチャードだ」
イーサンの拳が机を強く握りしめる。
「……くっ……!」
その一言が、黙秘よりも雄弁に真実を物語っていた。




